第428話 スラム街
ワイバーン達は私が近づいてもまるで動く気配を見せないな。ただ、私を敬っていることは何となく理解できる。
とは言え、思念で会話ができるほどの知性があるわけでもないようだ。
年齢も5才~8才とかなり若い、というよりも幼い個体のようだな。ドラゴン程ではないが、ワイバーンも人間以上に長生きする生物なのだ。
やはり、調教を幼いころから行わなければ人間達に対して従順にはならない、と言うことなのかもしれないな。
「初めまして、顔を撫でさせてもらうよ?」
「クワァーゥ…」
弱々しく鳴き声を出しているが、決して怯えているわけではないようだ。畏れられてはいるようだが。
とりあえず、許可も得たことだし近寄ったワイバーンの顔を撫でさせてもらうとしよう。
…うん、毎日丁寧に全身を磨かれているのだろうな。スベスベとした触り心地がなかなかにクセになりそうだ。
撫でられているワイバーンもとても気持ちよさそうにしている。可愛がり甲斐のある反応だ。こういった反応をされると、余計に可愛がりたくなってしまうな。
良し、ちょっと甘やかすことになってしまうが、この子達に私の魔力を少しだけ分けてあげよう。
これまでどの生物に対しても私の魔力を与えて不調をきたした者はいないのだ。ましてワイバーンはドラゴンの因子を少なからず所持しているからな。きっと喜んでくれる筈だ。
「ギャウ、ギャギャ~ウ!!」
うん、とても喜んでくれているな。とは言え、この子ばかりを構ってあげるわけにはいかない。
今のやり取りを見て、他2体のワイバーン達だけでなく、リガロウまで撫でて欲しそうな表情をしているのだ。別のワイバーンの眼前に移動するまでの間、リガロウの顔を撫でてあげるとしよう。
「ククルゥ~!」
〈ふふふ、いと尊き姫君様に甘えているリガロウはとても可愛らしいですね〉
「うん、この子には遠慮なんてしないで、これからも好きなだけ甘えて欲しいと思っているよ」
「はっ!?だ、駄目です!こんな周りに見られているところで姫様に甘えている姿なんて見せられません!」
甘えられてから言われても、まるで説得力が無いのだが…。開き直って甘えてくれても、私は全然構わないんだけどな。
相変わらず、この子は私に甘える姿を他者に見られるのは醜態と考えているようだ。
他2体のワイバーンも同じように撫でながら均等に魔力を流したら、飼育員にリガロウを預けるとしよう。
「それじゃあ、明日までよろしく頼むよ」
「し、承知しました!」
私の対応をしている人物もそうだが、この厩舎に勤める者達のリガロウに向ける視線が凄いな。全員興味津々と言った様子だ。
まぁ、リガロウは現状唯一無二のスラスタードラゴンだからな。気になるのも無理はない。
彼等は例にもれずリガロウを欲しているが、譲る筈がないな。あまり同じようなことが続くのならば、少し文句を言ってやるとしよう。
リガロウを厩舎に預けたら宿で宿泊手続きをして冒険者ギルドだ。
流石に今回は注意をしたこともあって要望通りの一般人が利用できるうえで良質な宿泊施設を教えてもらった。
一泊銅貨50枚と、ティゼム王国の宿と比べたら随分と割高のように感じたが、コレがこの国の普通なのだろう。値段相応の食事や部屋、寝床を用意してくれるのならば文句はない。
宿泊手続きも終らせて冒険者ギルドで依頼を確認してみれば、既に私がこの国に来訪してきたことが国中に伝わっているためか、本の複製依頼が届いていた。
聞いてみれば、この国の図書館があるすべての街で一斉に指名依頼が発注されたらしい。それ自体は構わないが、私は今回の旅行で全ての街を訪れるつもりは無いぞ?
一応、受付にそのことを伝えれば、いずれ訪れた際に受注してくれればそれで良いのだと。
そういうことならば、今回の旅行で立ち寄らない街の図書館に勤める者達には我慢してもらうとしよう。今は"女神の剣"とジョージの問題を片付ける方が優先だ。
とりあえずは図書館での本の複製依頼を終わらせて報酬を受け取ったら、後は自由時間だ。思うままにチバチェンシィを見て回ろう。
ワイバーンを飼育する街と言うだけあって、ワイバーンの身体に合わせた街の作りをしているようだ。
この街の殆どの道幅が非常に広い。ワイバーンがどこにでも着陸できるようにするためだろう。
竜騎士団の騎獣となったワイバーン達は、大勢の人間の前に姿を現すことになるのだ。
防衛訓練だけでなく、ワイバーン達に人間達の視線や声、魔力などに慣れさせるために、訓練中に街に着陸させることもあるらしい。今日は飛行訓練の予定がないらしいので、その光景を目にすることは無さそうなのが残念だ。
さて、チバチェンシィの街なのだが、ナンディン以上にワイバーン関連の商品が豊富に展示されているな。
勿論、この街も都市と呼ばれるだけの規模なのだ。ワイバーンだけが売りの街では決してない。
それなりに歴史のある国で、この国が建国された時から存在する街だからな。この街の歴史も、当然のように長いのだ。
昔から愛され続けていた家庭料理や、今も親しまれ、物によっては使われ続けている伝統工芸品など、私に興味を持たせる品もしっかりと存在しているのだ。
特に、焼き物が気に入った。使用している塗料が独自のものなのだろう。味わい深い色合いの器は、ガラスや宝石、貴金属とはまた違った美しさを醸し出し、一目見て気に入ってしまった。
この街を見て回り、特に気に入った品を10品購入させてもらった。中には金貨50枚以上した品もあったが、それだけの価値があると私は判断した。
なぜならば、購入した品々はどれも、製作者の非常に強い思いが込められていたからだ。
詳しく調べてみれば、アクレイン王国の美術コンテストに出品された作品の作者が手掛けた品まであったのだ。
あの時の品はオークションに出品されておらず、もしも出品されていたのならば、多少無理をしてでも購入しようと思っていたのだ。
相変わらず強い思いを込められていたので、迷わず購入させてもらった。
焼き物を探し回り、気の済むまで観賞していれば、いつの間にか昼食の時間になっていた。
店員が気を聞かせて昼食の時間を通達していなければ、危うく昼食を食べ損ねるところだったかもしれない。
それどころか、私の対応をするために店員が昼食を取れなかった可能性もある。少し悪いことをしてしまったか?
それを聞いたとしても、人間達の反応は大体見当がついているので、軽く謝罪をするだけに留めておいた。
昼食は、この街を見て回っている際に知り得た、古くからこの街に伝わる家庭料理をいただくことにした。
鍋料理の一種であり、塩とペースト状にさせた竜酔樹の実を混ぜ合わせて、肉と野菜を同量入れてじっくりと煮込んだ料理だ。
竜酔樹の実はそのままでも食べられるが、加熱することで甘味が強くなるらしく、鍋のスープは思いの他濃い味付けとなる。子供も大人も喜んで食べる郷土料理というヤツだ。
実際、甘辛くなるまで煮こまれた野菜や肉は、私の舌をとても喜ばせてくれた。
おまけに、鍋という器が今まで提供されたどの器よりも巨大なため、量も申し分なかったのだ。
まぁ、本来は鍋の中にある料理を別の小皿によそって食べるし、私もそうして食べたのだが。一度の注文でこれだけの量の料理が運ばれてくるのが斬新で、とても気に入った。家に帰ったら、皆にも鍋料理を振る舞わせてもらうとしよう!
料理が提供されて僅か5分で完食してしまったためか、店員がとても驚いていた。
「ありゃまぁ!『姫君』様は、本当によくお食べになりますねぇ!」
「とても美味かったよ。それに、一度にこれだけたくさんの量が食べらえたのも嬉しい。今までの料理は、この半分の量も無かっただろうからね」
「そりゃそうですよぅ!なんせ、その鍋は5人前ですものぉ!」
なんと。そうか、この鍋料理というものは、大勢の人間で囲んで食べる料理だったのか。ああ、それで別の小皿によそって食べるのだな。
では、鍋料理というものは、一人で食べる物ではないのだろうか?
「いえいえぇ!そんなこたぁありませんよぉ!お鍋は一人でも食べられるように、小さな鍋も用意してありますからねぇ!でもまぁ、お鍋はたくさん入りますからねぇ!みぃんな、大体は2人前ぐらいペロリと食べちゃいますねぇ!」
とは言え、その後は満腹になって碌に動けなくなるらしい。それだけ口にした者達から美味いと思われていると言うことなのだろう。
食べ過ぎて動けなくなると聞いて、オーカムヅミの果実を食べ過ぎて動けなくなってしまったレイブランとヤタールを思い出して懐かしい気持ちになる。
それはそれとして、まだまだ私はこの鍋料理に満足していない。追加で注文させてもらうとしよう。
鍋料理を満足いくまで堪能した後は、引き続き街の散策だ。ここまでは良いものばかりを見続けてきたが、今回はそうもいかなそうだ。
ナンディンでもそうだったが、この国は貧富の差が非常に激しいのだ。
城壁の内部、街の領域内ではあるが、住む場所はおろか食べる物さえ満足に得られない極貧層の住民達が住まう地域。所謂スラム街だ。
今回は夕食までそこへ足を運んでみようと思う。
ナンディンでスラム街へ足を運ばなかったのは、ジョージについて熱く語り続けていた店主のこともあるが、それだけというわけではない。
街の住民達が、私にそれとなくスラム街への意識を外そうと動いていたのだ。
勿論、『
何の因果か、私がこれまで訪れた国、そして街にはスラム街という領域は存在していなかった。
勿論、本には記載されていたので存在自体は知っていたのだが、私が訪れた場所の統治者が優秀だったのだろうな。
調べてみれば、ティゼム王国やニスマ王国には、スラム街があったとしても何もおかしくは無いのだ。
スラム街に足を運ぶ理由は、そこに住まう者達に慈悲を与えに行く、というわけではない。人間を知るために向かうのだ。
私は、これまで人間の良い部分ばかりを見続けてきている。
勿論、インゲインやデヴィッケンのようなどうしようもない人間も目にしてはいるが、そういった者達は極僅かである。私が出会って来た人間達は、軒並み善良だったのだ。
人間の良い部分だけを見続けていれば、当然私の思考は人間贔屓の考えになっていくだろう。
だが、ルグナツァリオも語っていたが、人間に限らず知性のある生き物は皆、様々な思考を持っているのだ。
言い方は悪くなるが、人間の汚い部分、今回はそれを確認してみようと思う。
なに、私ならば大抵のことはどうとでもなるのだ。
己惚れて油断するつもりは無いが、今回は五大神も一緒に行動しているからな。躊躇せずに足を踏み入れていくとしよう!
…思った以上に酷い環境だな。
まず、臭いが酷い。清潔という言葉とは無縁とばかりに周囲は汚れ、不衛生な者達が路肩に佇むという光景が、至る所に見受けられる。
悪臭に耐え切れずにこの領域全体に『
時間が経てば、すぐに目の前の光景に戻ってしまうだろう。この状態を解決したいのならば、もっと根本的な部分から解決していかなければならない。
そもそも、何故スラム街が存在するのか。問題はそこにある。
住民に仕事が無い、街を整備する金がない、爪弾き者が追いやられる、理由は様々なのだろう。碌に統治者に管理されないから、無法も成り立ってしまう。
やせ細った子供が同じくやせ細った大人に食い物にされてしまうことも、ここでは当たり前のことなのだろう。
この状況を解決するのは、私の役目ではない。この国、ひいてはこの街を統治する者の役目だ。
私は、スラム街で苦しむ者を助けに来たのではなく、人間の醜悪な部分をその目に収めに来たのだから。
まぁ、それでも不愉快な光景というものは、どうしても跳ね除けたくなってしまうものなのだがな。
「うわぁっ!?」
「………?」
大人も子供もお互いに、生きるのに必死なのは重々承知している。
だが、それでも理性ある大人が子供を傷付けてまで生きながらえようとする光景は、見過ごすことができなかった。
目の前に映る光景が、魔境や大魔境でなくとも、ただの平原であったのならば。その時は、それも自然の摂理なのだろうと捨て置いていたかもしれない。
だが、この場所は例え極貧層の者達が住まう場所であったとしても、人間達が住まう場所なのだ。
ならば、最低限人間らしくあって欲しい。そう願い、私は子供を殴り飛ばそうとしていた大人を吹き飛ばしていた。
指を弾き、その際に圧縮した空気を押し当てたのだ。所謂、指弾というヤツだ。当然、威力は死なない程度に加減している。
だが、あの大人が子供を殴り飛ばした際に子供が負うであろう怪我ぐらいのダメージは追わせてもらった。
これは、私の我儘だ。自分勝手で感情任せな、理不尽な我儘である。
だからこそ、私の我儘には、私なりのやり方で責任を取らせてもらおう。
彼等を直接は助けない。それは、別の者の役目だ。
私は、その役割を持った者に干渉しよう。
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