第422話 竜酔樹の実

 竜酔樹。

 ドライドン帝国領ならばどこにでも生息している樹木で、幹回りはおおよそ3mを超え、樹高も平均で20m以上ある大きな樹木だ。

 鼠の月からの虎の月の中頃までに掛けて大量に巨大な花を咲かせ、直径5㎝ほどの、これまた巨大な種子を実らせる。

 種皮は人間達からすれば硬く、ドラゴン達は種皮ごとそのまま実を食べてしまうらしいが、人間達は種皮の中の仁のみを食べる。一般人が中身を取り出す場合は専用の道具を用いることになるようだ。

 人間にとっての可食部である仁は非常に柔らかく、そして滑らかな舌触りをしていてほのかな甘みがあるのだとか。


 今回の依頼で回収するのは、この種子である。

 竜酔、つまりドラゴンを酔わせるという名前の通り、ドラゴンの因子を持つ者はこの実を食べると人間が酒を飲んだ時のように陶酔感を得るのだと本に記されていた。

 竜酔樹の実には特に酒精があるわけではないので、竜人ドラグナム以外の人間が食べても酔うことがない。


 私が依頼を受注したのは、この竜酔樹の実ならば、私も陶酔感を得られるのではないかと考えたからである。

 もしも陶酔感を得られるようならば、その成分を『モスダンの魔法』を使用してでも徹底的に解析して、私専用の酒のような物でも作ってみようかと計画しているぐらいだ。


 皆が酒で酔えることが羨ましいのである。私も酔うという体験をしてみたいのだ。



 そう、アレはダンタラが目覚める少し前の、オーカムヅミとオーカドリアが満開に花を咲かせ、"楽園最奥"の外観を大きく変えた時の話だ。


 あまりにも見事な光景に、あの時は家から外に出た後、しばらくその場に立ち尽くしていたな。

 見渡す限り森の一面が淡い桃色に包まれ、別の場所に移動したのかと錯覚してしまうような光景だったのだ。

 しかも、広場には様々な色の小さな花弁が雪のようにゆっくりと降り注いできているのだ。オーカドリアが咲かせた花の花弁である。花弁の感触はとても艶やかでしっとりとしていた。

 地面は深夜に降り注いでいた花弁によって埋め尽くされ、色鮮やかに染まっていた。優しく風が吹いただけで花弁が躍るように舞い上がり、幻想的な光景を私に見せてくれた。


 「どう?綺麗でしょ?」

 「うん。凄いね。この光景、しばらくは見続けられるの?」

 「うん。来月の終わりぐらいまではこんな感じになるよ」


 得意気になって私に語っているのは、言葉を発するたびに光を点滅させている小さな球体だ。

 オーカドリアの意識が宿った、"魔導鎧機マギフレーム"のコアである。納得いく品質で完成したので、動作確認のために宿ってもらったのだ。


 驚いたことに、オーカドリアはある程度意識を分割できるらしく、精霊樹本体にもしっかりとオーカドリアの意識は宿ったままである。

 しかも核に宿ったオーカドリアは音を用いて会話が可能であり、家の皆とも容易に意思疎通が可能となったのだ。


 その後、皆で集まってオーカドリアの樹の下で豪勢な食事を楽しみ、明るい内から風呂に入りもしたな。

 やはり、風呂に入りながら眺める満開のオーカムヅミやオーカドリアは、格別だった。


 それはいいのだが、私以外の皆はその際に酒も楽しんでいたのである。


 元から酒好きの3体やヨームズオームはオーカムヅミの酒を、他の子達はラフマンデーのハチミツから作った酒を、だ。

 普段酔うという状態にならないラビックやウルミラ、それにレイブランとヤタールが皆して酒に酔い、気持ちよさそうに蕩けた表情を見せてくれたのだ。

 非常に眼福ではあったのだが、同時に非常に羨ましかった。


 私には酔うという感覚が分からないからな。あの時ほど私も酔ってみたいと願ったことはなかった。


 いっそのこと、オーカドリアの果実で酒でも造ってみようとも思ったが、ただでさえ強力な力を秘めていたオーカドリアの果実だ。それを酒に加工したら、どれほどの劇物が出来上がるか分かった物ではない。

 酔ってみたいという欲望を抑え、オーカドリアの果実による酒造は今は未だ控えることにした。



 そういうわけで、私はドライドン帝国に旅行へ行く前から、竜酔樹の実が気になっていたのだ。

 採取場所は何処でも良いそうなので、早速リガロウに空を飛んでもらい、竜酔樹がある場所まで移動してもらうことにした。


 リガロウの元へ顔を出せば、妙に上機嫌な様子で迎えられた。


 「あ!姫様!もうこの街を発つのですか!?この街は大した街ではなかったんですか!?」

 「違うよ。依頼を受けて、少し街の外で活動することになっただけだよ。移動をお願いできる?」

 「お任せください!どこへだってひとっ飛びで行きますよ!」


 何だかリガロウの様子がいつも以上に年相応に幼く感じるのは、私の気のせいだろうか?加えてやや気分が高揚しているように見える。


 まさか…。


 〈ヴァスター、リガロウはここに来て何か食べた?〉

 〈ええ、竜酔樹の実を提供されましたので、少しならば問題無いと思い許可しました。竜酔樹の実を食べるのは初めてだったようで、リガロウも大変気に入ったようですね〉


 なんてこった…。私よりも先にリガロウが酔うという体験をしたのか…。私まだ食べたことないのに…。

 そしてリガロウには十分な効果があったようだな。ついでに言うのであれば、ヴァスターも竜酔樹の実を食べたことがあるようだ。


 〈我等ドラゴン達の間ではメジャーな趣向品ですからね。竜酔樹の実を食べるために"ドラゴンズホール"にいるドラゴン達だけでなく、他大陸からわざわざこの国の領土に訪れるドラゴンすらいるほどです〉


 だとすると、ヴァスターとしてはリガロウに竜酔樹の実を食べさせたのは、この子に美味いものを食べさせたかった、という気持ちが強かったのかもしれないな。可愛がっているようでなによりだ。


 では、リガロウに跨り、ひとまずは上空へと上がるとしよう。一度の採取で大量の竜酔樹の実を得られる場所を探すのだ。


 〈はい!いきますよー!何だか調子が凄く良いです!いつもよりも速く飛べそうです!〉


 うん。年相応にはしゃぐリガロウはとても可愛い。

 それはいいとして、この子が語る通り、いつも以上に加速力が強くなっているな。

 特に魔力や身体能力が上昇しているわけでは無い筈なのだが、これはどういうことだ?


 〈おそらく、僅かに酔ったことで力の制御が、無意識に抑えている力が解放されているのかと〉

 〈意図せずして潜在能力を引き出しているってこと?〉

 〈というよりも、力の加減ができていない、と言った方が良さそうですね。申し訳ありません、いと尊き姫君様。この子にはまだ、竜酔樹の実は早すぎたようです〉


 まぁ、リガロウはまだ幼竜だからな。人間に例えれば乳児に酒を飲ませるような行為だったのかもしれない。

 活動に問題は無いのだし、今後気を付けてくれればそれで良いだろう。


 しかし、本で読んだとおりだな。酔いという状態は、力の制御を損なう可能性があるのか。

 そう考えると、私が下手に酔ってしまった場合、周囲に多大な破壊をもたらしてしまうんじゃないのか?


 …私、酔っても大丈夫なのだろうか?

 そうだ、こういう時こそ頼りになる者達がいるじゃないか。しかも今は相談し放題なのだ。是非頼りにさせてもらうとしよう。


 〈『これから私は竜酔樹の実を大量に採取して摂取するつもりだけど、酔った拍子に周囲を破壊しそうになったら、何とかして周囲への被害を抑えてもらっていたいのだけど、頼める?』〉

 〈『……‥承知したよ。可能な限り、被害を最小限に抑えよう』〉

 〈『すんげぇ無茶ぶりが来たな…』〉

 〈『まぁ、ノアちゃんが今までしてくれたことを考えれば、神様としてこれぐらいの無茶ぶりには答えてあげないとね!』〉

 〈『が、頑張る!』〉

 〈『ええ!それはもう頑張りますとも!全身全霊で頑張って周囲の被害を抑えますよ!』〉


 いや、全身全霊で力を行使してしまったらまた休眠してしまうだろう…。ダンタラの空回り状態はまだ収まりそうも無さそうだ。

 とりあえず、神々に私が酔ってしまった時の対処は頼めたことだし、気兼ねなく竜酔樹の実をいただいて行くとしよう。酔うという体験も楽しみだが、人間達にもドラゴン達にも親しまれている味がどのようなものなのかも気になっているのだ。


 ナンディンからそう離れておらず、かつ大量の種子を実らせている竜酔樹が生息している場所を見つけたので、早速向かうことにした。



 着陸する際にいくつか回収できたので確認してみれば、本に記されていた通りの形状と色合いをしている竜酔樹の実の姿が私の手のひらに収められていた。

 傷付けてしまわないよう慎重に回収したため、破損している部分や傷んでいる様子はない。

 すぐにでも口の中に入れてしまいたいところだが、この場に来たのは冒険者としての依頼を果たすためである。先に指定された量の竜酔樹の実を回収してしまおう。


 一つの樹木に100個以上の種子を身に付けてくれているおかげで、依頼分の回収にはそれほど時間をかけることがなかった。尤も、納品する量自体がかなりの量だったのだが。


 そして、今の私の手には竜酔樹の実が一つ。味が気に入ったのか、リガロウも欲しそうな顔をしているのだが、我慢してもらう。私も早く食べてみたいのだ。


 一思いに種皮ごと口の中に放り込んで噛み砕いてみれば、滑らかな舌触りと共に聞いていた以上に強い甘味が私の舌を刺激した。

 この甘味、雑味がほとんどなく、非常に上品に感じる。これは大量に用意されたら手が止まらなくなりそうだな。

 感覚としては、塩ゆでした豆に近い感覚で食べられる。


 私が感じた味を人間達も同じように感じているのならば、酒のつまみとして使えるのではないだろうか?軽く塩も振ってやれば、いい具合に甘じょっぱくなって美味いと思うのだ。


 ドラゴンを酔わせる成分なのだが、その正体も既に把握できた。

 ドラゴンにしか影響が出ないような特殊な物質が影響を与えているわけではなく、この実に含まれている魔力が原因だったのだ。この実に宿る魔力の波長が、ドラゴンの神経に絶妙な影響を齎すのだ。


 ……その魔力の波長は、私の神経にもしっかりと影響を齎してくれている。その筈なのだ。だというのに、何故私は平然としていられるのだ?

 ヴィルガレッドが語るような陶酔感が、ヨームズオームが語っていたふわふわとした感覚が、私は依然として得られていないのである!何故だ!?


 〈『あー…これは、一応作用はしているみたいだね』〉

 〈『単純に、ノアはお酒に物凄く強いタイプ。それに加えて、すぐに自分を治療しちゃってる…』〉

 〈『それもあるんだけどさぁ…。ノアちゃんってさ、食べた物をすぐに魔力に変換しちゃうでしょ?アレが一番の原因だよ』〉

 〈『こりゃあ、いくら酒を飲んでも酔えそうにねぇな…』〉


 耐性と自己治癒能力や魔力変換能力が高すぎるせいで、私は酔うことができない、だと…?

 それじゃあ、いくら竜酔樹の実を食べても意味がないと!?な、なんてこった…。


 〈『き、気を落とさないでください!お酒に酔えないくらいなんですか!酔っぱらって何かをやらかすよりもずっとマシです!』〉


 まぁ、その通りではあるのだが…。知りたくなかった事実だな。

 私は皆と同じ楽しみを共有できないらしい。


 いや、待てよ?意気消沈するにはまだ早いかもしれない。酒に酔えない原因は分かったのだ。

 自己治癒能力も耐性も魔力変換能力も全て適度に低下させることができれば、私も皆と同じように酒を楽しめるようになるんじゃないのか!?


 …その方法が分かれば苦労はしないのだが…。

 誰かに教えを請おうにも、自分から耐性や自己治癒能力を低下させるようなもの好きがいるとは思えない。自力で編み出す必要があるか…。ならば、やはりこういう時は魔法頼りだな。


 では、まずは耐性を低下させ…ん?リガロウが私にすり寄ってきている。とても可愛いので、首筋を撫でてあげよう。しかし、随分と唐突だな。どうしたというのだろうか?


 「姫様ぁ~、俺もそのが実食べたいですー!沢山実ってますし、食べても良いですかぁ~?」


 あー、しまった。

 これだけあちこちに実っているのなら食べ放題も良いところなのだ。しかもリガロウは竜酔樹の実を気に入ったようだし、食べたくなるのは当然だな。


 しかし、どうしたものか。

 今もまだリガロウの状態はほろ酔いと言っていい状態だ。飛行に関してはまるで問題無かったが、これ以上竜酔樹の実を食べて泥酔状態にでもなれば、話は変わってくるんじゃないだろうか?いや、間違いなくまともに飛行ができなくなる。


 そうだな。ドラゴンを酔わせる魔力の波長は理解できたのだ。

 リガロウに一時的に酔っぱらった状態になってもらい、それを治療して竜酔樹の実を大量に食べるとどうなるかを知ってもらうとしよう。


 リガロウは素直で良い子なのだ。


 自分の失敗を自覚したら、以後は自制してくれるようになる筈だ。

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