閑話 裁きを下した怪盗は闇夜に消える

 ―――アドモゼス歴1843年 鼠の月 13日―――


 デヴィッケンの館にて。

 館の主に届けられた予告状には、こう記されていた。


      ―今宵、大空の如き魔力の結晶を頂戴しに参上する―


 怪盗の標的はすぐに理解された。最近デヴィッケンが商家の長を陥れて入手した、水色の巨大魔石だ。


 予告状を発見したデヴィッケンは、これ以上なく憤慨した。

 折角大量の金をばらまいて手入した望みの品なのだ。

 みすみす怪盗にくれてやるつもりもなかったし、何より自分の所有物を奪おうとする行為が、彼には我慢ならなかった。


 予告状を握り締め、その拳は怒りによって小刻みに震えている。


 「おのれぇ…どいつもこいつも、この儂を舐め腐りおってからにぃ…!!」

 「だ、旦那、落ち着いてくだせぇ!まずは騎士なり兵士なりに伝えとかねぇと…!連中だって怪盗の奴を目の敵にしてやすから、伝えなかったらえらい面倒なことになりやすぜ!」

 「分かっておるわ!ええい、忌々しい…!あの小娘がこの国に来たのだぞ…!?あと少しで儂の野望が果たせるというところでぇ…!」


 デヴィッケンの護衛は、未だ辞職をしていなかった。

 職を辞そうにも、それを言い出すタイミングがなかったのである。

 相も変わらず金払いが良く、ここ最近はずっと雇い主の機嫌が良く平穏だったから、というのもある。

 可能ならば、ギリギリまで雇い主から金を巻き上げ、破滅の直前で職を辞する。それが、護衛にとって最善だった。

 だが、護衛はその破滅の直前を読み違えたのである。


 仮に怪盗に巨大魔石を奪われて逃げられでもしたら、ついでとばかりにこれまでのデヴィッケンの悪事を暴かれかねない。

 そうなれば、護衛をしていた自分にも、当然のように非難の声が飛び火する可能性が非常に高い。

 非難の声だけならばまだマシだ。自分もデヴィッケンの犯罪仲間だと認識されれば終わりである。


 (くっそおおおお!!辞め時読み違えたぁあああああ!!)


 今更の話である。こうなれば、怪盗を捕らえてデヴィッケンの罪を暴かれないようにしない限り、自分も身の破滅だ。

 だが、世間を騒がせる怪盗の実力は、推定で"一等星トップスター"級の冒険者と同等と見られている。簡単な仕事に胡坐をかき、碌に鍛錬を積んでこなかった自分がどうにかできるような相手ではない。

 だから、護衛は何としても怪盗を捕らえるためにも、怪盗を目の敵にしている警察組織に頼らざるを得なかったのだ。


 当然、リスクはある。デヴィッケンは騎士や兵士からいい目で見られてはいない。それどころか、裏で数々の犯罪行為を行っているのではないかと疑っているのだ。

 そしてその疑いは正しく、彼等にデヴィッケンの悪事が露見した場合も、自分の人生は終わりを迎えてしまう。


 今の状況になってから辞職を伝えるわけにもいかず、護衛はデヴィッケンに言われるままに騎士と兵士に予告状が届けられたことを伝えに向かった。



 同日、午後9時。


 既にデヴィッケンの屋敷には、怪盗を捕らえるために集められた騎士と兵士が大勢待機している。どこから現れようとも逃げ場など無い、そう思わせるような布陣だ。

 なお、屋敷にはデヴィッケンが個別で怪盗を捕らえるために、彼が雇った裏稼業の人間達も潜んでいる。


 今回集められた騎士や兵士達を指揮するのは、伯爵でありながらこの国で最も優秀な宝騎士でもある、マーホッツ=モウツグ。これまで20年以上に亘り怪盗と対峙し、多くの犯罪者を捕らえてきた凄腕騎士である。

 尤も、怪盗を捕らえられたことは一度も無いのだが。

 だが、多くの人々から[怪盗を捕らえられるのは、マーホッツ卿しかいない]と言われるほどに、彼は信頼を置かれている。


 一時期、怪盗だけは捕らえることができないため、彼等は裏で繋がっているのではないかと疑う者達もいたが、現在はその考えは否定されるようになっている。

 怪盗を後一息のところまで追いつめ、一騎打ちの状況にまで持ち込めたことがあるのだ。


 しかし、あの時は怪盗の方が実力が上だった。互いに全力で戦い、それでも届かなかったのだ。

 剣を叩き落とされ止めを刺されそうになった時、部下の救援が間に合っていなければ、自分は死んでいたとマーホッツは語っている。


 これまで一切殺人を行ってこなかった怪盗が、殺人を犯してまで排除しようとしたのだ。マーホッツ伯爵と怪盗が裏で繋がっているという説は、瞬く間にごく少数の意見となった。


 そんなマーホッツ伯爵は現在、デヴィッケンの部屋にいる。

 怪盗の標的である巨大魔石は、彼がいる部屋に厳重に保管されているからだ。

 非常に高価な結界発生装置によって部屋全体を防護されているだけでなく、巨大魔石は自分達の目の前に置かれたアダマンタイト製の金庫に保管されているため、如何に怪盗と言えど容易に手出しすることができない。デヴィッケンはそう考えている。


 部屋にいるのはマーホッツ伯爵と、彼の部下の中でも特に優秀な者達が10人。デヴィッケンの護衛、デヴィッケン本人。そして、彼が雇い部屋に忍ばせている裏稼業の人間達。彼等は気配を遮断しているため、殆どの者からは気取られていない。

 正確に部屋の人数を把握できているのは、マーホッツ伯爵だけである。


 気配を潜めている者達を警戒して、自信ありげなデヴィッケンに向かって、マーホッツ伯爵が警告する。


 「デヴィッケン卿。くれぐれも余計な真似はしないように」

 「ふんっ!卿等が怪盗を捕らえられるのであるならばな!」


 例え格上と言えど、他者から指図をされることを嫌うデヴィッケンは、不愉快さを隠そうともしない。あわよくば怪盗を捕らえ、その栄誉を持って自分の地位を高めようという算段なのだ。


 屋敷に人員を配置してから既にそれなりの時間が経過しているにも拘らず、怪盗が姿を見せる気配はない。

 あまりにも何事もないため、デヴィッケンの護衛が愚痴を漏らし出した。


 「しっかし、怪盗のヤツはいつんなったら出て来るんすかねぇ」

 「それは奴次第だ。しびれを切らし、集中が途切れたところで奇襲をかけるのが奴の常套手段だ」

 「んじゃあ、こうして気を張り続けてたら、いつまで経ってもヤツは来ねぇってことですかい?」


 怪盗が現れた場合、高確率で自身の身の破滅が待っていると恐れるデヴィッケンの護衛は、楽観的な、彼からすれば希望を込めた意見を口にする。

 だが、その希望は容赦なく打ち砕かれる。


 「いいや、奴が予告を反故にしたことはない。奴は必ず現れる!」

 「そんなら、さっさと出てきて欲しいんすけどねぇ…」

 「では、リクエストに答えよう!」


 デヴィッケンの護衛が愚痴のように怪盗の襲来を望む言葉を発した直後、何処からともなく、部屋全体から張りのある芝居がかった声が響き渡った。


 「「「っ!?」」」

 「こ、この声は!?」

 「来たぞ!!総員!厳戒態勢!!」

 「ど、どこだ!?どこにいる!?」


 いつ怪盗が襲来しても言いように気を張り巡らせていたマーホッツ伯爵が、怪盗の声を聴いた直後に部屋にいる全員に指示を出す。


 直後、指を鳴らしたような音が部屋中に響き渡ると、部屋の至る場所からけたたましい音が鳴り響き、不規則な風が発生し始めたのだ。

 更に、部屋全体が一切の光を許さないほどの漆黒に包まれ始め、全員の視界すらも阻害され始める。


 「な、なんだ!?部屋が、真っ黒に…!?」

 「ええい、何をしておる!さっさと怪盗を見つけて捕らえぬか!!」

 「くっ!怪盗の居場所は!?」

 「そ、それが、観測魔術が阻害されて察知ができません!」


 マーホッツ伯爵が観測魔術が得意な部下に怪盗の居場所を聞くも、魔術の発動自体を阻害されているのか、怪盗の居場所を把握ができないでいる。

 勿論、マーホッツ伯爵も何もしていないわけではない。僅かな音も聞き漏らさず、小さな空気の振動も逃さずに周囲の状況を把握しようとするが、部屋全体から鳴り続ける音や不規則な風によってそれすらも困難にされている。


 デヴィッケンも自身が雇っている者達に怪盗を見つけ出すように指示を出すが、彼等は動かない。彼等も怪盗の居場所を見つけ出せずにいるのだ。


 デヴィッケンは使えない者は容赦なく切り捨てる。

 仮に彼に言われるままに怪盗を捕らえるために迂闊な動きをして逆に自分達が捕らえられた場合、どさくさに紛れて侵入してきた賊として処分されるのは、間違いないのだ。

 それ故に、彼等も怪盗の居場所が把握できない今、身動きが取れずにいたのだ。


 部屋が漆黒に包まれてから30秒ほど経過したところで、部屋は何事もなかったかのように静寂を取り戻した。漆黒に染まっていた部屋も元通りだ。


 周囲の変化は一切ない。だが、安心はできない。

 こういった異変が収まった時、標的が既に奪われているという事態は、これまで何度もマーホッツ伯爵は経験しているからである。


 マーホッツ伯爵が懸念していた通り、再び部屋のいたる所から怪盗の声が響き渡った。


 「予告通り、目的のものは頂いたよ。ついでだ。デヴィッケン=オシャントン、醜き化けガエルよ!貴様のこれまでの罪も暴かせてもらうとしよう!」

 「バカなっ!?」

 「抜かせ!卑しい盗人が!金庫はまるで無事ではないか!貴様が予告通り魔石を盗んだというのなら、その証拠を見せてみろ!」

 「勿論だとも、意外と簡単だったよ」


 見た限りでは、アダマンタイト製の金庫は一切手が付けられた様子が無いのだ。デヴィッケンが強気の姿勢に出るのも、当然だった。


 そんなデヴィッケンの態度に動じる様子もなく、怪盗の声が部屋中に響き渡るとともに、誰が触れるでもなく金庫の扉が開かれた。


 「なっ!?なんだとぉっ!?」

 「………っ!待てっ!金庫の中に何かあるぞ!」

 「っ!どけっ!」


 金庫が開かれたことに驚愕する一同ではあったが、金庫の奥に光を反射する何かがあることを、マーホッツ伯爵は即座に見抜いた。


 マーホッツ伯爵の言葉に、護衛を突き飛ばしてデヴィッケンが金庫の中身を確認する。

 そして金庫の奥で光る何かを掴み取ると、それを掲げて怪盗に怒鳴り散らした。


 「お、脅かしおって!!なぁにが魔石は手に入れただ!!魔石はこうして無事ではないか!!」

 「フッフッフッ…!これからすべてを失う貴様への、私からのせめてものプレゼントというヤツさ。今貴様が手にしている石は精巧に作られた偽物、ただの石なのだよ!宝石としての価値すらもない、ね!」

 「なっ!?なにぃっ!?」


 一体、何故そんなことをする必要があるのか。そんな疑問も浮かび上がるが、本物と偽物をすり替える手段を怪盗は取ったことがある。

 マーホッツ伯爵が確認のため、部下に目配せをしてデヴィッケンの元へと向かわせる。


 「魔石が偽物かどうか、『鑑定アプレイザ』を掛けます!」


 そう言ってデヴィッケンから魔石を受け取ろうと手を出したが、デヴィッケンは魔石を渡す様子がない。


 「デヴィッケン卿?」

 「ようやく尻尾を出したな怪盗め!貴様は確認と称して儂から魔石を奪う目論見だったのだろうが、そうはいかんぞ!やれ!!」

 「なっ!?がっ!!」


 デヴィッケンが指示を出すと、デヴィッケンの元に向かわせた部下の心臓部と頭部に手槍が突き刺さる。即死だ。

 マーホッツ伯爵は怪盗の動きに警戒していたこともあり、身を潜ませていた者達への対応に遅れてしまったのだ。


 部下を殺害された怒りに、マーホッツ伯爵はデヴィッケンを切り伏せたくもなったが、それでは怪盗の思う壺。

 そう思い怒りを抑え、それでも声を抑えきれずに得意げな表情をしているデヴィッケンを怒鳴りつける。


 「デヴィッケン卿!!貴公自分が何をしたのか、分かっているのか!!?」

 「ぐひゅひゅ、抜かったなぁ、マーホッツ卿。卿の代わりに、儂が怪盗を仕留めてやったぞ?怪盗は変装の名人らしいからな。卿の部下に変装していたのだろう。見つからないわけだな。ん?ぶぇっふぇっふぇっ」

 「戯言を抜かすな!この者達は私が屋敷に入る直前に身元を精査している者達だ!今更怪盗が成り代わることなどあり得ぬ!」


 すっかり怪盗を討伐した気になっているデヴィッケンだが、マーホッツ伯爵は彼の言葉など最初から信じていない。

 宝騎士とまではいかずとも、彼等も大騎士に届くほどの実力者達なのだ。例え怪盗と言えど、先程の部屋の異変の間に成り代わることなど出来はしない。

 しかも怪盗は異変の間に施錠されていた金庫まで開錠させていたのだ。成り代われる余裕など、考えられなかった。


 そして、そんなマーホッツ伯爵の言葉に味方するように、部屋中にまるで様子の変わらない怪盗の声が響き渡る。


 「愚かだな。デヴィッケン=オシャントン。貴様が殺めた者は私ではない!貴様が殺めた者の姿、良く確認してみるがいい!貴様は自ら破滅の道を歩んだのだ!」

 「な、なんだと!?そんな馬鹿な!?」


 デヴィッケンが指示を出して殺害した人物。マーホッツ伯爵が分からないわけがない。彼は、自分よりも身分の高い侯爵家の次男坊だったのだ。

 例え嫡子でなくとも、侯爵の子であることは変わらない。デヴィッケンは、多くの証人がいる中で自ら罪を犯したのだ。


 「余計な真似はするな。そう、最初に伝えた筈だ。デヴィッケン卿。まずは卿を拘束させてもらう。殺害の件もだが、公務執行妨害だ!」


 デヴィッケンを拘束するためにマーホッツ伯爵の部下達が動き出す。その表情には、明確に怒りの感情が込められている。

 身分に差はあれど、彼等は皆、マーホッツ伯爵に憧れ、彼の隣に建てることを誇りに思っていた仲間であり友だったのだ。

 勝手な妄想と独断で仲間であり友を殺害されて、怒りを覚えない筈がないのだ。


 現状を受け止められずに、デヴィッケンが狼狽している。


 「ば、馬鹿な!よ、よせ!来るな!…クソッ!かくなる上は…!」


 最後の切り札とばかりにデヴィッケンが懐から何かを取り出し天井に掲げると、その何かが瞬く間にデヴィッケンの手から飛び跳ねるようにして離れて行った。


 「んなぁっ!?!?」

 「改めて、予告通り大空の如き魔力の結晶、頂戴したよ」


 デヴィッケンが懐から取り出したのは、巨大魔石だ。そう、金庫に保管していた物はすり替えられていようがいまいが、関係がなかった。

 初めから偽物だったのだ。それこそ怪盗が述べていた通り、宝石としての価値すらない、精巧に作られたただの石である。


 巨大魔石に充填していた魔力を併用した自身の魔法を使用し、この場を切り抜けようとした矢先、先端に粘着物を取り付けたワイヤーによって巨大魔石を奪われたのである。


 巨大魔石が移動した先は、部屋の照明であるシャンデリアの上。そこに、今日初めて現れる怪盗の姿が現れた。


 「な…!か…怪盗…!」

 「ほ…ホントに出た…!」


 先程まで、その場には誰もいなかった筈だというのに、始めからその場にいたかのように、怪盗はシャンデリアの上に佇んでいる。


 怪盗の姿を確認してからのマーホッツ伯爵の動きは早かった。


 「ようやく姿を現したか!ルード、シシリー、ゲイト、私と共に物理結界展開!残りはデヴィッケンを捕らえよ!」

 「「「「「了解!」」」」」


 マーホッツ伯爵が部下と共に使用したのは、人類ではまだ使用例がない極小範囲での物理結界だ。それを怪盗の全周囲に物理結界を張り巡らせることにより、その場からの移動を封じたようとのである。

 怪盗を捕らえるために極秘で開発し続けていた、マーホッツ伯爵の切り札である。


 だが、追い詰められている筈の怪盗に、焦りの様子はない。それどころか、デヴィッケンが捕らえられる様子を楽し気に観察している余裕すらある。


 「くそっ!放せ!放せぇええええ!!」

 「大人しくしてろっ!」

 「貴様!誰に向かって口をきいている!儂はデヴィッケン=オシャントンだぞ!?」


 デヴィッケンが拘束される様子を確認した後、怪盗はようやく、初めてマーホッツ伯爵に視線を向ける。


 「久しいね、マーホッツ卿。君とこうして対峙するのも何度目だったかな?」

 「随分と余裕そうにしているな。今がどういう状況か、分かっているのか?デヴィッケンは当然裁くが、貴様もそれは同じだ!」


 マーホッツ伯爵の眼には、怒りの感情が籠っている。どういう理由であれ、怪盗が原因で大事な部下が一人命を落としたことには変わりがないのだ。

 マーホッツ伯爵には、デヴィッケンが自分達の前で自ら罪を犯すように怪盗が誘導したようにしか見えなかったのだ。


 「言い訳をさせてもらうがね、私とてそこの化けガエルがあのような凶行を取るとは思っていなかったのだよ。本来ならば、得意気になって金庫の中にあった物は偽物だと宣言したところで、こうして本物の魔石を奪う予定だったのだよ」

 「仮にそうだったとしても、貴様が原因で部下が命を落としたことには、なんの変わりもない…!」


 マーホッツ伯爵が自分の感情を怪盗にぶつければ、怪盗は大袈裟な動作で心打たれるような動きをした後、深々と頭を下げた。


 「…君の言い分も尤もだ。誠心誠意、謝罪しよう。君の大切な部下、サム=ジェリコフが命を落としたのは、偏に私が化けガエルの動向を読み違えたからだ。誠に、申し訳なかった」

 「貴様…っ!」


 怪盗の謝意は本物なのだろう。若き騎士が命を落としたことに心を痛めたことも、紛れもない事実なのだろう。

 だが、だからこそ、マーホッツ伯爵は怪盗を許すことができなかった。

 自分達を下に見られている気がして、我慢がならなかったのだ。


 しかも、現在は物理結界によって怪盗は移動ができない状態である。にも拘らず余裕の態度を崩さない怪盗に、苛立ちを隠せなかった。


 怪盗が余裕を崩さなかった理由は、すぐに判明した。それも、マーホッツ伯爵にとって最悪の形で。


 「では、私はそろそろ失礼させてもらうよ。君達はそこの化けガエルの処分を頑張りたまえ!」

 「なっ!?ば、馬鹿な!?」


 怪盗が、何事もないように物理結界をすり抜けたのである。

 そんなことは、自分を含めて騎士団の中にできる者は一人もいなかった。

 物理結界は、周囲の物理的な干渉を防ぐと同時に、内外への移動も遮断してしまう筈なのだ。


 目の前の光景が信じられないマーホッツ伯爵に、怪盗が得意げに理由を説明する。


 「なに、頑張ればできないことでもないさ。物理結界の原理を理解して、干渉できるだけの魔力操作能力があれば、この程度のことはね」

 「ぐ…!」

 「マーホッツ卿!取引だ!儂の配下に怪盗を捕らえさせる!!」


 怪盗にこのまま逃げられてたまるものかと唸るマーホッツ伯爵に、拘束されながらもデヴィッケンが魔法を使用しながら取引を持ち掛ける。

 自分の配下が怪盗を捕らえたのならば、その功績に免じて自分を無罪にしろと言っているのだ。


 魔法を使用しているとはいえ、現在のマーホッツ伯爵のデヴィッケンに対する心象は最悪である。効果は非常に薄い。


 「卿は私に余計な真似をするなと、何度言わせるつもりだ?」

 「今はそんなことを言っている場合では無い筈だ!このままでは卿はまたしても怪盗に出し抜かれるのだぞ!この屋敷に他に待機させている雑兵共では、怪盗を捕らえることなどできまい!」

 「………」


 それでも、状況を正確に把握して事実を突きつけるように取引を持ち掛けることで、マーホッツ伯爵はおろか彼の部下すらデヴィッケンの言葉に耳を傾けてしまっている。


 これがデヴィッケンの魔法の力だ。

 彼はこの魔法の力と己の話術で、何度も窮地を脱してきたのだ。今回もきっとこの状況を切り抜けられる。そう信じて疑わなかった。


 だが―――


 「配下というのは、ここでまとめて縛られている者達のことかね?」

 「なっ!?なぁにぃいいいっ!?!?」


 デヴィッケンにとっては信じられない光景が広がっている。

 彼が雇った裏稼業の者達が、全員頑丈なロープでひとくくりにされているうえに昏倒していたのだ。


 デヴィッケンが指示を出す前に、怪盗はデヴィッケンが雇った裏稼業の者達を全員捕らえてしまっていたのである。


 「マーホッツ卿。この連中のこと、隈なく調べてみると良い。そこの化けガエルが裏で雇っていた者達だ。さぞ、面白い情報が大量に出てくることだろう!」

 「そうか。そうさせてもらおう…」

 「よ、よせぇ!!おい!何をしている!早く奴を捕らえろ!!」

 「あ、あのぉ…マーホッツの旦那ぁ…」


 このまま自分の雇った裏稼業の者達を調べ上げられた場合、これまでの罪が明るみに出る可能性が非常に高い。

 なんとしてでもそんな事態を避けたいデヴィッケンは、彼の護衛に一縷の望みを託して怪盗を捕らえるように命じる。


 だが、そんなデヴィッケンの命令をよそに、これまで空気であることに勤めていた護衛はマーホッツにおそるおそると言った様子で声を掛ける。


 「なんだ?」

 「アッシはしがねぇただの護衛の一人でして…人様に顔向けできねぇことは一切合切やってねぇです…。へぇ、そりゃあもう、天空神様に誓って」

 「何が言いたい?」

 「デヴィッケンの旦那が捕まっても、アッシは見逃してもらえます?」

 「はぁあああああっ!!?!?」


 ここにきて急な裏切りとも言える発言に、流石のデヴィッケンも驚愕の声を上げることしかなかった。


 そんなデヴィッケンの絶叫を無視するように、マーホッツ伯爵は護衛に事実だけを伝える。


 「取り調べ自体はする。だが、貴公が真に罪を犯していないというのであれば、貴公が罪に問われることはない」

 「ま…マジっすか…!や、やった…!…あ、デヴィッケンの旦那、長いことお世話んなりやした!怪盗を取っ捕まえんのは協力しやすが、まぁ、あんま期待しねぇでくだせぇね?」

 「貴っっっ様ぁあああああ!!!これまで散々いい思いをさせてやった恩を忘れたかぁあああああ!!!」


 あまりの身の代わりの速さに、拘束されながらも自分の護衛を罵倒するが、重荷をおろしたように晴れやかな表情をしている護衛にはまるで効果が無い。


 「いやいや、良い思いをさせてもらったのはその通りなんすけど、それはそれっすよ。巻き添えはゴメンですわ。んじゃ、マーホッツの旦那、怪盗の捕縛に協力させていただきやす!」

 「うむ。だが、こちらの指示には従うように」

 「へぇ!そりゃあ勿論!」


 こんなやり取りをしている間も、怪盗は部屋から脱していない。むしろ彼等のやり取りを楽し気に眺めていた。

 そしてマーホッツ伯爵の視線が自分に向けられた時、怪盗は拍手をしながら彼等に語り掛ける。


 「いやぁ、素晴らしい!実に愉快な喜劇だったよ!今回の一件、演劇の項目にでもすれば高収入が見込めるだろうね!そうなれば、是非私も拝見しようじゃないか!」

 「逃がさん!総員!怪盗を捕らえよ!!!」

 「「「「「おおおおおーーーーーっ!!!」」」」」


 マーホッツ伯爵が号令をかけた直後、屋敷に配置させたすべての人員が怪盗に殺到するが、怪盗はまるで動じる様子がない。


 デヴィッケンから取り上げた巨大魔石を手にしながら、怪盗は魔術構築陣を構築していく。


 「さて、早速この力を使わせてもらうとしよう。これだけの魔力が充填されているのであれば、私でも…!」

 「やらせるな!奴の手にした魔石を奪え!!」

 「それではマーホッツ卿、また会おう!!」


 魔術構築陣が完成し、怪盗が魔術を発動させると、まばゆい光が発生した。

 直後、怪盗の姿はおろか気配すら微塵もなくなってしまったのだ。


 「探せぇ!!そう遠くに逃れた筈はない!!この屋敷の全てを探し出せぇ!!」


 マーホッツ伯爵が声を荒げて部下達に命じているが、こうなった時に怪盗が見つかる可能性は極めて低い。

 それは幾度となく怪盗と対峙している彼自身が一番分かっているのだ。


 それはそれとして徹底的にデヴィッケンの屋敷を捜査するのは、当然、彼の犯罪の証拠を調べ上げるためだった。



 場所は変わって、ここはデヴィッケンの屋敷の屋根の上。その最も高い位置に、忽然と怪盗が姿を現す。

 怪盗は巨大魔石に充填された魔力を利用して、短距離ではあるが転移魔術を成功させたのだ。怪盗が終始余裕の態度を崩さなかったのは、このためである。


 屋敷の内部では、未だにマーホッツ伯爵を含めた騎士や兵士達が慌ただしく怪盗を探している。

 そんな様子など気に留めることなく、怪盗は虚空に向かって声を掛ける。どうやら、遠距離通信手段を怪盗は持っているようだ。


 「ああ、終ったよ。無事回収した。後はいつも通り、マーホッツ卿が進んで後始末をしてくれることだろう。まったく、彼には足を向けて眠れないな。………何?いや、私は今ニスマ王国にいるのは分かっているね?ソッチに着くまでにどれだけ時間が掛かると思っているのかね?…ああ、分かった、分かったとも!行けば良いのだろう、行けば!まったく、君は非常に危険なことをしている自覚があるのかね?私が到着するまで最短でも2ヶ月は掛かるのだぞ?くれぐれも、その間余計なことはしないようにしてくれたまえよ!?」


 怪盗が通信を終えると、怪盗は自身が着用していた服の胸元のボタンを外し、大きく息を吐きだした。


 「ふぃいい~~~っ!苦しかったですねぇ…!この装備、非常に優秀なのは良いのですが、サイズの調整ができないのがネック過ぎます…!」


 先程の芝居がかった態度とはまるで別人のように口調が変わっている。怪盗の仕事はもう終わり、そう言いたげである。


 怪盗だった人物は、屋根の上から名残惜しそうに街を一望すると、誰に語るでもなく自分の心境を吐露しだす。


 「せめて、あと1月はこの国に滞在していたかったのですがねぇ…。はぁ…仕方がありません。適当に野良のランドランでも捕まえて、とっとと次の目的地に移動するとしましょうか!」


 屋根から跳躍し、人知れず、音もなく、怪盗が街の外へと移動する。


 「ドライドン帝国ですか…!全く、私が到着するまで、本当に無茶な真似はしないで下さいよ!」


 自分と通信を行っていた人物の無事を願い、怪盗は次の目的地へと移動を開始した。


 ドライドン帝国。


 そう遠くない未来、かの国で何かが起こる。

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