閑話 醜悪な蛙に近づく破滅

 ―――アドモゼス歴1842年 猪の月のある日―――


 デヴィッケン=オシャントンの屋敷にて、記者ギルドの人間が屋敷の主に媚びを売るように頭を下げている。

 少し離れた場所では、部屋に展示されていた交易船団の様子を模した見事な立体模型を、キャメラを担いだ記者が何度も撮影している。


 「いやぁ、取材の御協力、誠に感謝いたします!流石は閣下!寛容な御方ですなぁ!」

 「ふん!おべっかは良い!それよりも、分かっているな!?」

 「勿論ですとも!閣下のお伝えしたい御言葉、必ずや記事に載せましょう!」


 にやけ面でデヴィッケンに感謝を述べる記者の態度。それが部屋に展示されている立体模型の撮影のためだと言うことはデヴィッケン自身も理解している。

 それは構わない。彼自身も模型の出来栄えは見事という他ないのだから。

 だが、彼はその模型の制作者に対しては良い感情を抱いていない。撮影や取材に協力したのも、自分の言葉を新聞に載せるためである。


 デヴィッケン=オシャントンは自分が周囲にどのように思われているのか、それが分からない男ではない。ただ気にしていないだけである。

 彼は自分こそがこの世で最も優れた人間だと信じて疑っていない。全ての人間は、自分の言葉に従うべきであると本気で思っているのである。

 それ故に彼の自尊心は非常に高い。例え身分が格上だろうと、内心では微塵もへりくだってはいないのだ。


 なぜデヴィッケンがそこまで自分を優れた人物であると信じているのか。

 それは、彼には他の者には使えない、唯一の魔法が生まれついて使用できていたからだ。


 他者を従わせる魔法。

 自分の言葉に魔力を込めて放つと、不思議と誰もが自分の言葉に対する疑いが薄れ、自分の言葉を信じ、時には従うのだ。


 流石に明らかに嘘と分かるような内容の発言ではあまり効果がないが、そんなものは冗談が許される子供の頃に検証済みである。

 逆に言えば、それらしいことを言ってのけさえすれば相手を信用させて、自分の言い分を押し通すことができたのだ。


 デヴィッケンは、この魔法の力を利用して様々な利益を得てきた。

 商業の取引は勿論、虚偽の情報を信じさせて自分だけが利益を独占したり、時には自分の罪を関係のない一般人になすりつけたりもした。


 自分の出来ることとできないことを見極め、身分に相応しい態度で弁えてさえいれば、実質やりたい放題だったのである。

 それは当然デヴィッケンという男を増長させ、爵位を持ったことで現在のような自分以外のすべての人間を見下す、極めて自尊心の高い人物へと至ったのだ。


 そんなデヴィッケンの自尊心は、今しがた何度も撮影されている模型の制作者に粉々に打ち砕かれた。彼の自信となっていたすべてが、模型の制作者には無意味だったのである。


 直接自分に従わせようと声を掛ければ公衆の面前で恥をかかされ、腹いせに刺客を差し向ければ、返り討ちに遭うどころか行動を開始する前に目論見を潰される始末。

 デヴィッケンは、今のところは模型の制作者に直接関るのは得策ではないと判断して、一目散に自らの拠点へと逃げ帰ることとなった。


 その経験は、これまで自分のルールに乗っ取っていればやりたい放題できていたデヴィッケンからすれば、屈辱以外の何物でも無かったのだ。

 それ故に、世間では誰からも称賛され世界中から注目を集めている模型の制作者『黒龍の姫君』ノアに対して、デヴィッケンは怨みにも近い感情を抱いている。


 デヴィッケンは、自分の屋敷に帰って来てからも今の今まで、ずっと不機嫌を隠そうとしなかった。

 それが今日は不思議なことに、若干機嫌が良さげなのである。だから、こうして取材にも応じたのだ。



 記者達が一頻り取材を終えて屋敷から立ち去った後、デヴィッケンは使いの者が戻ってくるのを今か今かと待ち構えていた。


 そうして待つこと1時間。部屋の扉が勢いよく開かれる。

 扉を開けたのはデヴィッケンが護衛として雇っている正規の冒険者であり、デヴィッケンの裏の顔を知る者だ。

 彼は、大切そうに両手で抱えるほどの大きさの木箱を抱えていた。


 「だ、旦那!お待たせしやした!」

 「遅い!!報告が入ってからどれだけ時間が経ったと思っている!?」

 「す、すいやせん…!こればっかりは連中の腕次第でしたんで…!」

 「チッ…!荷運びも満足にできんとはな…!」


 デヴィッケンの機嫌が良かったのは、待ちに待ったとある品が、今日届くと知っていたからだ。そして護衛に怒鳴り散らしているのは、その到着が予定よりもかなり遅れたためである。


 デヴィッケンは自分が雇っていた裏稼業の組織を、アクレイン王国に滞在している際に全て失った。そしてニスマ王国に帰国後、その損失を補うために即座に新しい組織と関係を築いていたのである。


 契約を交わした後、早速護衛の冒険者が大事そうに抱えている品を入手するように命じ、それをデヴィッケンが住まう街まで送り届けさせたのだ。

 しかし、新たに契約していた者達は、以前契約していた者達よりも遥かに腕の劣る者達だった。

 他人に察知されることなく手に入れた品をデヴィッケンの護衛に届けるのに、時間が掛かってしまったのだ。


 気の済むまで文句を言い続けている最中に、護衛はデヴィッケンの机に木箱を静かに置く。デヴィッケンの愚痴を聞くのも、彼の役目なのだ。

 既に何度も経験していることであり、護衛の表情は無新そのものである。


 「まったく、あれもこれも、全てあの小娘のせいだ…!だが…」


 1時間以上に亘る愚痴を言い終わると、デヴィッケンは醜く顔をにやけさせながら木箱の蓋を取り外す。

 木箱の中には、上質な布によって中身を保護された、球状の巨大な水色の魔石が収められていた。

 直径にして10㎝弱。魔石にしては異常なまでに巨大である。


 「ぶふぉほほほ…!コレよ!この輝きよ!コレさえあれば、あの忌々しい小娘も儂の前に跪かせることができる…!ぶふぇひゃははは!!!」


 デヴィッケンの目論見は、魔石の持つ強大な魔力を用いて自身の魔法の力を極限まで強化し、誰にも自分の言葉に逆らえなくすることである。それこそ、かの『黒龍の姫君』すらも従わせようとしているのだ。


 当然、この魔石はタダの魔石ではない。そしてその入手方法も。



 デヴィッケンの元に送られた魔石は、古い歴史を持つとある商家の家宝であり、今の今まで日の目を見ることのなかった一品だ。

 代を重ねるごとに経営が低迷し、先祖が築き上げてきた貯蓄を崩しながら経営を続けて来ていたのだが、最近になって商売が立ち行かなくなってしまったのだ。

 既に私財は軒並み売り払ってはいたが、それでもまだ資金難だった。

 自分に付いて来てくれた者達にせめて最後の給金を払おうとして、商家の長は遂に家宝の魔石を売りに出そうとした。


 その話を聞きつけたデヴィッケンは、待っていたとばかりに商家の長を自分の屋敷に呼び出した。多額の金を用意して、魔石を買い取ると取引を持ち出したのだ。

 従業員達に給金を支払い、しばらくの間家族を食べさせていけるだけでなく、新たに商売を始められそうなほどの額だ。しかも、魔石の現物は無いというのに、先に料金を支払ってくれると言うのだ。

 商家の長は迷うことなく取引に応じた。デヴィッケンの魔法の効果も当然あったが、それだけ逼迫した状況だったのである。


 魔石の料金を受け取った商家の長はすぐに自分の家がある町に戻ると、従業員達に給金を支払い、家宝の魔石を取り出して大切に懐にしまい込んだ。

 歴史のある商家ならば持っていてもおかしくない『格納』の効果を持った鞄も、既に売り払ってしまっているのだ。


 護衛の冒険者を雇い、再びデヴィッケンの元まで魔石を届けに向かう途中、商家の長は賊に襲われた。


 襲撃に逢うことも懸念して雇った護衛だ。

 "上級ベテラン"冒険者10名に加えて"星付きスター"冒険者も1人雇っていた。デヴィッケンの支払った金額は、それだけの余裕を商家の長に与えたのだ。

 商家の長は、不安など微塵もなかった。賊など、腕利きの冒険者達がすぐに蹴散らしてくれる。そう信じていた。


 だが、護衛は失敗に終わった。

 薄紫の煙が辺りに立ち込めたかと思うと、護衛の冒険者達が次々と力なく倒れだしたのだ。煙を吸ったものを深い睡眠へといざなう魔術、『眠煙スリープヘイズ』である。


 賊達は護衛の冒険者達には目もくれず、商家の長を襲い昏倒させた。彼の意識が戻った時には、大切に懐に収めていた魔石は既に無くなっていた。それどころか、護衛達の姿もいなくなっていた。


 這う這うの体でデヴィッケンの元に辿り着き、事情を説明して魔石を取り戻す協力を要請しようとしたところで、絶望的な言葉が送られてきた。


 「残念だ。貴方を信用した儂が間違っていたようだ…。その様子だと、支払った額の返金も望めそうにない…。貴方に支払った金額は、こちらで採算が取れるように回収させてもらおう。儂の金で給金を受け取った貴方の従業員達は、儂が雇わせてもらう。それと、貴方の妻と娘達。彼女達は儂の方で預からせてもらおう」

 「っ!?お、お願いしますっ!魔石は必ず取り戻します!どうか!どうか私にもう一度チャ」


 チャンスを。そう言いかけたところで、これまで温厚な様子を見せていたデヴィッケンが豹変した。


 「黙れっ!!品物も満足に運べない商人もどきが囀るなっ!!魔石を取り戻すだと!?貴様から魔石を奪った賊が何者か、貴様に分かるのか!?よしんば分かったとして、奪い返せるだけの力が貴様にあるのか!?」

 「そ、それは…!ぼ、冒険者を…」

 「その金は誰が用意する!?貴様に頼るぐらいならば、この儂が直接冒険者に依頼を出すわ!!」


 尤もな指摘に、商家の長は言葉を返す事ができない。そして、人を人とも思わないような罵倒を浴びせ続けたところで、デヴィッケンは部屋から立ち去って行った。

 商家の長は魔法を使用した度重なるデヴィッケンの罵倒を受け続け、既にまともな精神状態ではなくなっていた。デヴィッケンの姿を見送ることすらできずに、その場にひれ伏すことしかできなかったのだ。


 商家の長の家族、妻と娘は奴隷として引き取られ、彼の店の従業員だった者達も半ば強制的にデヴィッケンの管理下に置かれて過酷な労働を強いられることとなった。


 この出来事。全てはデヴィッケンが裏で仕組んでいたことだった。

 そもそもの話、かの商家の商売が立ち行かなくなったこと自体、デヴィッケンが裏で動いていたことが原因だったのだ。

 商家が私財を投げ売る際にも可能な限り安く買い取り、余裕を持たせないようにした。どうあっても、家宝である魔石を手放すように動いたのである。


 先に多額の金を支払い、従業員に給金を支払わせたのも、後に引けなくするためのものだ。

 更に言えば、賊はおろか商家の長が雇った冒険者達すらデヴィッケンの手の者達だった。もっと言うのであれば、彼等は『眠煙』で眠らされてすらいなかった。意図的に、商家の長を襲わせたのである。


 そんなことをすれば冒険者としての信用など無くなってしまうが、まったく問題がない。何故ならば、彼等は冒険者ですらなかったのだから。


 予め殺害した冒険者達のギルド証を奪い、姿を偽って冒険者に成りすましたのだ。

 ギルド証を精査すれば成り済ましも当然見抜くことができるが、一度しかギルドに顔を出さないのであれば、精査のしようがないのである。

 襲撃を終えて変装を解き、ギルド証を冒険者達の死体に戻してしまえば、護衛依頼の最中に賊に襲われ命を落としてしまった、として処理されてしまうのだ。


 だが、そうして強奪した魔石は、簡単に人の目に見せられるものではない。

 万が一にも他者の目に移ることを避け、慎重に慎重を重ねて街に侵入したため、デヴィッケンの元に届くのが遅れたのである。



 現在、デヴィッケンの元にある水色の魔石には、そこまで強力な魔力が宿っているわけではない。自ら魔力を生み出す魔宝石では無いのだ。十全に魔石の力を用いるには、魔石に魔力を補充する必要がある。


 「ぐひゅひゅひゅひゅ…!今に見ておれ、小娘が…!必ずや、必ずやあの時味わった恐怖と屈辱を何倍にもして貴様に返してやるからなぁ!ぶぁ~~~っはっはっはっはあっ!!!」


 既に勝利を確信しているかのように、デヴィッケンの濁った笑い声が部屋中に鳴り響く。なお、部屋には防音処置が施されており、彼の笑い声は部屋にいる護衛にしか聞こえていない。


 (そろそろ、潮時かもなぁ…)


 護衛の冒険者は、それなりの年月デヴィッケンの護衛を務めているだけあって優秀である。それこそ、デヴィッケンの護衛をせずに真面目に冒険者として活動していれば"三つ星トライスター"に届くほどだ。

 彼はノアと直接会ったことはないが、その実力がどの程度のものなのかはある程度把握している。


 そして確信しているのだ。

 仮に魔石の力を使ってデヴィッケンがノアを従わせようとしても、それは無駄に終わると。


 護衛の判断は正しい。

 デヴィッケンが最大限まで魔石に魔力を充填してその魔力を用いて魔法を使用しても、ノアを従わせることはできない。

 それどころか、魔石は負荷に耐え切れずに粉々に砕け散り、魔法を使用したデヴィッケンは、魔法を使用した反動で脳に深刻な障害を負うことになる。


 金払いが良く、楽な生活ができていたためこの仕事を続けていたが、デヴィッケンが破滅する時に自分も巻き込まれては堪ったものではない。

 鈍く濁った高笑いを続けるデヴィッケンを前に、護衛は雇い主の破滅を予期して、密かに辞職を決意していた。



 それから少し時が経ち―――


 ―――アドモゼス歴1843年 鼠の月 10日―――


 ニスマ王国のとある町の路地裏。

 体はやせ細り、髪は伸ばし放題、髭も生やし放題となって生きる気力を無くした表情の浮浪者が、建物の壁を背にして座り込みうな垂れている。

 そんな浮浪者の元に近づく、ローブを纏った人物の姿があった。

 浮浪者の元に人影が近づくと、ローブの人物が身を屈めて浮浪者に気さくな口調で語り掛けた。


 「探しましたよ。久しぶりに店を訪れたら、店は無くなっているわ誰もいないどころか、貴方の奥さんや娘さんが奴隷落ちしているじゃありませんか。おかげで常用している商売道具が手に入れられずに、大変苦労しましたよ」

 「………」


 ローブの人物の言葉に、浮浪者は何も返さない。家族の言葉が口に出された際に、ほんの僅かに体が動いただけである。既に、全てに絶望しているのだ。


 それでも、ローブの人物は声を掛けるのを止めない。


 「何があったのか、説明してください。貴方に、拒否権はありませんよ?」

 「………」


 小さく、普通の人間ならば認識できないほど小さく、浮浪者の口元が動き、微かな音が漏れている。

 ローブの人物は静かにその音を拾い上げ、浮浪者に何が起きたのかを把握する。

 話を聞き終えると人影は立ち上がり、静かな闘志をたぎらせて小さく呟く。


 「なるほど。…ようやく、この時が来ましたか…」


 ローブを勢いよくまくり上げると、そこには誰もいなかった。いや、ローブをまくると同時に屋根の上に飛び移っていたのである。


 「よもや、奴を陥れる動機が、我が友人になろうとは!これもまた運命か!」


 芝居がかった口調で語りながら、ローブを羽織っていた人物の人影は、人知れず屋根を飛び移りながら移動する。


 「デヴィッケン=オシャントン!醜い化けガエルよ!裁きの時は来たっ!!」


 人影が一層高く飛び上がり、月を背にした瞬間、人影の姿は元から何もなかったかのように消え去った。



 その3日後。


 デヴィッケン=オシャントンの屋敷、彼の机に、人知れず予告状が届けられた。

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