第397話 ニスマスでの買い物

 店長と思わしき人物に案内された先にあったベッドは、私が昨日使用させてもらった王城のベッドに引けを取らない大きさのベッドだった。つまり、このベッドならばリガロウと一緒に寝ることができると言うことだ。


 その時点で非常に素晴らしいのだが、店長が自慢する理由はベッドの大きさではないようだ。ベッドに乗せる敷布団の役割を持つマットレスにこそ、自慢の理由があるようだ。


 「此方は当店の優秀な技術者達が新たに実現させた、新技術を用いて作られたマットレスとなります!『姫君』様のために特注サイズのベッドフレームを作成し、それに合わせたサイズのマットレスをご用意させていただきました!」


 新技術によるマットレスか…。

 見たところ、綿や羽毛を用いて作られたマットレスではないようだが…。

 四角い形状をしっかりと形成していて、一見するだけでは固そうにも見えるな。


 「触ってみても?」

 「勿論です!どうぞ、お好きなように触れてみて下さい!」


 感触を確かめたくなり店主に許可を求めれば、非常に得意げな様子で許可を出してくれた。

 そういうわけなので、紹介されたベッドに手をついて、体重を掛けてみよう。


 これは…っ!?この感触は…っ!?

 私はこの感触を知っている!この国で体験した、あの感触、そう、雪の感触だ!


 まるで雪に触れた時のようにきめ細かい感触が手に伝わってくる!それに、指と指の間にもマットレスが入り込んでくる!しかも、雪のように一度圧を加えたら形状が変化して固定されるのではなく、手を離せば元の状態に戻っていくのだ!

 それはつまり、何度でも雪の感触を楽しめると言うことじゃないか!


 ま、まさか…。このベッドに頭から飛び込んだら、雪にダイブした時と同じような感触を楽しめるというのか!?


 やってみたい…!この巨大なベッドに、思いっきり頭から飛び込みたい…!

 いてもたってもいられず、店長に視線を送る。彼は今の私の様子を見ても全く動じることなく、恭しい態度で私の欲しい言葉を放ってくれた。


 「此方のベッドは先程も述べました通り、『姫君』様のためだけに用意したベッドでございます。どのように扱われになるかは、『姫君』様の自由です。何なりと、当店自慢のベッドを御堪能ください」


 いやっほぅっ!その言葉が聞きたかった!!


 周囲の視線も気にせずにベッドに飛び込めば、あの時私が感じた時のように、このベッドは私の全身を優しく包み込んでくれた!


 た…堪らん…!何と言う心地良さだ!このきめ細やかな触り心地に柔らかさ…!まさに雪そのものだ!少しでも気を抜いたら、すぐにでも意識を手放してしまいそうになる!


 このベッドが雪の感触と違う点を挙げるとするならば、それは一点、温度だ。

 このベッドに雪のような冷たさはない。別にそれが悪いことではない。それだけ快適な睡眠を約束されると言うことだろうからな。

 感触を楽しみ続けたければ、魔法なり魔術なりを使用してベッドを雪と同じ温度になるまで冷たくしてしまえばいいだろうしな。


 つまり、このベッドは雪の感触を何度も楽しめる最高のベッドだと言うことだ!


 なんて素晴らしいベッドなのだろうか!?こういうことがあるから私は人間と関わりたくなるんだ!

 このベッドに使用されている技術。帰ったら皆にも見せて、絶対に再現できるようにしよう!"楽園"の素材で、家の寝床を新調するのだ!


 ああ…それにしても、何と言う心地良さ…。そろそろ…限界が…近い…。


 このまま…意識を…。


 手放そうとしたところで私の体は宙を浮き、リガロウの背に預けられた。

 私が寝てしまう前に、リガロウが私の体を咥えて自分の背に乗せたのである。


 「姫様。流石にこの場で今寝てしまうのは、どうかと思います。購入予定なのは、このベッドとか言う寝床だけではないのですよね?」

 「…うん。その通りだ。ありがとう。危うく折角の一日を台無しにしてしまうところだったよ」


 実に的確なフォローだ。しかも私はリガロウに[私が眠ってしまいそうになったら起こして欲しい]、などとは一言も伝えていないにも拘らずだ。

 この子は、昨日私と共にベッドで寝た時に、私がすぐに寝てしまう体質だと理解したのだろう。


 体を起こして、リガロウの首筋や頭を撫でてあげよう。


 紹介されたベッドを購入するのは確定として、リガロウに指摘された通り、私が求めているのはベッドだけではないのだ。


 快適な睡眠には、首を預ける枕やベッドに接触していない部分を覆うための掛け布団が必要になるのだ。それらを購入せずして、寝具を揃えたとは言える筈もない。

 

 リガロウから降りて、店長に要望を伝えよう。と思ったら、先に店長の方が先程のマットレスの感想を訪ねてきた。


 「当店が新たに開発した製品。如何でしたか?」

 「素晴らしい。その一言に尽きるよ。是非購入させて欲しい。だけどその前に、掛け布団と枕も紹介してもらえるかな?」

 「おおっ!ありがとうございますっ!勿論、どちらも『姫君』様のためだけに用意した特注品がございます!ただいまお持ち致します。その間どうぞ、そちらのベッドで好きなようにお寛ぎください!」


 店長の気持ちはありがたいのだが、このベッドで寛いでいたら横にならずとも腰かけるだけで眠ってしまいそうだからな。手で触れて雪のような感触を楽しむだけに留めておくとしよう。それだけでも十分に素晴らしい感触なのだ。


 紹介された枕と掛け布団も、店長が自信を持って勧めるだけあって素晴らしい品質だった。


 まず枕なのだが、これは使用されている素材がベッドのマットレスと同じだったのだ。文句無しに寝心地が良いのは当然だった。


 マットレスにも言えたことだが、使用されているカバーも実に素晴らしい。きめ細やかな触り心地をしながらも伸縮性を持っているため、雪と思わせるような感触が損なわれることがないのだ。


 そして羽毛の掛け布団。こちらは流石にマットレスと同じ素材というわけにはいかなかったが、使用されている羽毛の品質が凄かった。


 羽毛の密度が大きいので保湿性があり、その上で極めて軽いのだ。店長曰く、世界中で見ても最上級の羽毛が使用されているのだとか。


 そんな羽毛を使用した掛け布団。当然のように先程のベッド、即ちリガロウと一緒に寝られる大きさのベッドを余裕をもって覆ってしまえるサイズだ。

 これだけの大きさがあるのなら、この掛け布団をリガロウにもかけてやることができるだろう。この子に掛け布団が必要かどうかは別として。


 カバーの質感も悪くない。当然だな。カバーに使用されている素材はやはりマットレスや枕に使用されている物と同じだったのだから。


 全て言い値で購入することを伝えれば、店長はとても嬉しそうに購入手続きを行いだした。寝具の総額は金貨500枚だ。


 この価格を安いと捉えるか高い捉えるは人によるとしか言いようがないだろうな。如何に睡眠に対して真剣であるかだ。 


 私は文句無しに安いと言わせてもらう。倍額払っても構わないほどの価値を見出したほどだ。

 だが、一般的な金銭感覚で言えば贅沢の極みなのだろうな。


 寝具の金額は、一般常識ならば金貨1枚ですら超高級品なのだ。寝具に金貨数百枚も使うような者は、それこそ高位貴族や王族ぐらいしかいないだろう。

 だが、私も姫なのだから、それで良いのだ。


 購入手続きを終えた私に、寝間着姿のリナーシェが声を掛けてきた。


 「ノアは随分と思い切った買い物をしたわね。そんなに凄かったの?」

 「暖かい雪に包まれる感覚と言えばいいのかな?至福だったよ。リナーシェはその寝間着を買うの?」

 「ええ!フィリップとお揃いよ!後は二人で使える枕ね!」


 リナーシェは服の上から寝間着を着ている。生地が非常に薄く透けているので、下に着ている服が全く隠れていない。その寝間着に服の意味があるのだろうか?


 「フフン!分かってないわねぇ。スケスケ衣装でフィリップを悩殺するのよ!」

 「…なるほど?」


 要するに、夜の営み用の寝間着らしい。実際に使用する際には寝間着の下には何も身に付けないだろうからな。過激な姿をフィリップに見せることで、より円滑に営みを行うのだろう。

 フィリップは普通にリナーシェに好意を抱いているから必要はないと思うが、それは私が口を挟むことではないな。


 それはそれとして、リナーシェが枕を求めるのなら、私が購入した枕と同じ素材の物がないかを訪ねてみよう。


 リナーシェに枕を触らせてみると、その感触や触り心地をすぐに気に入ったようだ。早速店長に二人で使えるサイズのものはないか尋ねている。


 残念ながら、二人で使用するような枕は現在在庫がないようだ。


 「大変申し訳ございません。王太子妃様が望まれるサイズの物は特注品となるため、すぐにご用意は…」

 「構わないわ。作れるのよね?」

 「勿論で御座います!必ずや満足のいく製品をご提供させていただきます!」

 「なら問題無いわ!」


 と言うことで、リナーシェも私が購入した物と同じ材質の枕を購入した。完成は1週間後らしい。使用した感想を話し合うのは、またの機会になりそうだ。


 "ダイバーシティ"達はこの店では特に買い物をするつもりは無いらしい。如何に"二つ星ツインスター"冒険者の彼等と言えど、この店の商品は高額すぎるようだ。



 寝具の店での買い物を終え、次に私達が向かったのは美術品を取り扱う店だ。

 アクレイン王国で大量に購入したとはいえ、それが美術品の全てではないし、新しい発見があるかもしれないと思ったので、私以外の者達はあまり興味がなさそうだったが向かわせてもらった。

 その際、予め美術品を長時間眺めて時間が掛かるかもしれないとは伝えている。


 案内をしている"ダイバーシティ"達はともかく、リナーシェからは断られるかと思ったのだが、意外なことに了承してくれた。


 「私だって美術品を楽しめないわけじゃないのよ?それよりも体を動かす方が好きなだけ。それに、フィリップがいてくれるんだからそれだけでも十分よ!」

 「こんな感じで私達は問題無いので、どうぞお楽しみください」


 フィリップも美術品が楽しめないわけではないようだ。それならば思う存分見て回らせて盛ろうとしよう。


 店に展示されていた作品は絵画と陶器が過半数だった。だが、これでもだいぶ減ったそうなのだとか。

 つい最近まで、店で扱う絵画と陶器の割合は9割近くあったそうなのだが、最近になって新しいジャンルの美術品を取り扱うことになったのである。


 そのジャンルとは、立体模型だ。


 私が美術コンテストで交易船団の立体模型を出品してからというもの、数多くの芸術家達が影響を受けて立体模型を作り出したのだとか。


 難易度が高く製作時間も掛かるジャンルではあるが、自分の表現したいものを立体的に生み出せるこのジャンルは、多くの芸術家達の創作意欲を刺激したらしい。

 その結果、この店には多くの立体模型が並べられることとなった。どの作品も完成度が高く、見ているだけでどんどん時間が経過していく。


 なにせ美術品に興味がなさそうなアジーですら感心して眺めていたからな。やはり立体物というものは関心を惹きやすいのだろう。


 私の行動がこのような結果を生み出すのは、何処か感慨深いものがあるな。

 おかげでこうして多数の名作を目にすることができるのだから、当時の自分を褒め称えたいぐらいである。


 絵画に陶器、それから立体模型を気のすむまで眺め、それぞれ特に気に入った作品を3点づつ購入した頃には、3時間が経過していた。


 時間は午前12時。ちょうどいい時間かもしれないな。


 城に戻って、リナーシェにフルルのフルーツを用いた特別なショートケーキを振る舞うとしよう。

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