第387話 救いの姫


 フィリップの過去に何が起きたのか。『真理の眼』を使用すれば分かりはするだろうが、まずは彼の話を聞くとしよう。

 彼の言葉を信用しないわけではないが、何が起きたのかを確認するのは彼の話を聞いてからでも遅くはない。


 〈使用人…ジャックは、私の不安や危機感を払拭するために、連中を徹底定期に調べると私に申し出てくれました。父上が配下に命じて、一度身辺調査を行っていただいたにも拘らずです〉

 〈その使用人は、貴方の直感について知っていたりした?〉

 〈ええ、私が彼に打ち明け、そして信用してくれました〉


 その信用も、フィリップは直観によって理解したようだな。逆に言えば、それ以外の者達は、父親であるフロドすらも完全には彼の言葉を信用していなかったと言うことでもあるのか。


 フロドがフィリップに使用人を宛てがったのは、自分の言うことを何でも聞く者を付けておけば妄言も落ち着くから、と考えていたのかもしれないな。


 〈ジャックの調査は3年に亘り続きました。その間も連中の監視は続き、危険な気配は収まるどころかますます増幅し続けていたのです〉


 それでよく平静を保てていたものだ。多くの者達から信用されていない状況で、自分だけ危機感が膨らみ続けているなど、正気でいられる方がおかしいぐらいだ。

 危機感の原因を排除しようとしても排除できないのだから、発狂してしまってもおかしくなかったというのに…・


 フィリップが平静を保てていたのは、やはり使用人・ジャックのおかげか。


 〈はい。連中の尻尾を掴むまでの3年間の間に、ジャックは私にとってかけがえのない友となっていました。それは、決して私の一方的な感情ではありません。ジャックもまた、私を信頼してくれ、友情を抱いてくれていたのです〉

 〈使用人が王族に、ね。普通ではありえない、かな?〉

 〈かもしれませんね。ですが調査を続けるうちに、ジャックも連中に危機感を抱くようになってくれたのです。その時からです。ジャックは、私と秘密を共有する同志と認識するようになってくれました〉


 同志、か。それはつまり、ジャックもフィリップと同じぐらいの危機感を抱いたと言うことか。

 徹底的な身辺調査を行ったにも関わらず不備がなかった者にそれほどの危機感を抱いたと言うことは、それなりの理由がある筈だが…。


 〈連中は、あまりにも完璧すぎました。一切の不備がないことが逆に、ジャックに不信感を抱かせたのです〉

 〈それだけで危機感を?〉

 〈最初は小さな違和感や不信感だったそうです。ですが、調査を続けていくうちに、連中が自分達だけに分かる暗号のようなやり取りで情報交換をしていることが判明したのです。それも、日常会話に織り交ぜるようにして使用していたため、判明するのに時間が掛かってしまいました…〉

 〈よくそんなことを突き止めたね〉

 〈ジャックに頼んでおいたのです。連中の会話を、一字一句聞き逃さないようにして欲しいと〉


 そこまでされていたら普通は暗号によるやり取りをしているなどとは思われないだろうな。連中もやはり相当慎重に行動していたようだ。


 だが、普通では無い者達に嗅ぎまわられていた、と。

 いくら疑ってかかっているとはいえ、日常会話に織り交ぜて使用するような暗号を解読できるような人物が、普通の筈がない。まして、会話の内容を全て記録しておくなど、流石の連中も想定はしていなかっただろうな。


 〈暗号を解読することで、私達は遂に連中がこの世界を滅ぼすことを目的に行動していることが分かったのです!ですが、私達にできるのはそこまででした…〉

 〈暗号を使用して仲間同士や外部と情報交換を行っていたことや、その暗号の内容はフロドに伝えたの?〉

 〈勿論です。ですが、そこからが悲劇の始まりでした…〉


 フロドに連中のことを伝えたことで、連中も過激な行動に出た、と言うことか?

 しかし、フィリップの言う悲劇とは?


 フィリップの家族は全員健在だ。ここまでの会話の内容では、ジャック以外の犠牲者が出ていないようだが…。

 それとも、人ではなく町や施設と言った土地関係で何か問題が起きたりでもしたのだろうか?


 〈私が父上に連中の使用していた暗号やその内容、そこから来る危険性を伝えた翌日、連中はこの城から1人もいなくなっていました〉

 〈フロドが暗部に命じて始末させたわけではなさそうだね?〉

 〈はい。そして恐ろしいことに、父上にそのことを尋ねれば、そんな者達は最初からいなかったと仰ったのです〉


 連中の存在がなかったことにされた?認識阻害の効果ではないようだな。自分達の記憶を消去させたのか?一体どうやって?やはり古代遺物アーティファクトか?

 それはそれとして、連中がいなくなったのなら、一応は喜ばしいことなのではないのか?だが、フィリップはそれを恐ろしいことだという。

 それはつまり、連中がまだ存在していると彼の直感が告げていたのか?


 〈その通りです。連中の姿が見えなくなったにも拘らず、相変わらず私の直感は危険を伝え続けてきました。連中は姿が確認できなくなっていただけで、まだ城内にいたのです!しかも、ジャックですら連中の存在を確認できなくなっていました!〉

 〈フロドは連中のことを忘れてしまったようだけど、貴方やジャックは覚えていたの?〉

 〈はい。強く意識していた者の記憶からは消去できなかったようで、私もジャックも一層連中に対して危機感を募らせることになりました〉


 元からいなくなっていたことにされていた者のことをフロドに話したとしても、再び妄言扱いされてしまうだろうな。

 とは言え、その時点で千尋の例の力の手がかりを知っているのは、フィリップだけだ。命を奪ったり強引な手段を取ることはできなかったのだろう。


 だが、フィリップ以外はそうはいかなかった筈だ。

 特に、連中は自分達の正体に近づいたジャックは、何としても排除しておきたかった筈だ。


 〈連中の記憶が私達以外の者達の頭から消えてしまってから数日後、今度は暗部の存在がこの国から無くなっていました〉

 〈…通りで、それらしい存在の気配をこの城から感じない筈だね…。連中に始末されていたのか…〉

 〈分かるものなのですか…?〉

 〈まあね。隠れている者を見つけるのは、得意なんだ〉


 この城には、多くの者が生活している。王族は勿論、彼等に仕え、彼等の生活を支える者達に城の秩序を守る兵士や騎士達。それに行政を行う者達も何人か城に宿泊することがあるようだ。これは他の国でもそう大差はない。

 だが、この城では私が訪れた他の国には無かった存在がある。


 それが、暗部の存在だ。

 ティゼム王国もファングダムもアクレイン王国も。どの国も城はおろか、貴族の屋敷にすらそういった者達は存在していたのだ。


 この国の、それも中枢とも言える王城にだけ、暗部の存在が確認できなかったのである。まぁ、それに近い役割は騎士にやらせているので、そこまで大きな問題になっていないようだが。


 フィリップは言葉を続ける。


 〈ただ無くなっていただけではなかったのです。暗部の存在すらも連中同様、始めから存在していないものとして扱われていたのです。ジャックのことも、暗部出身ではなく最初から私のための使用人として外部から雇い入れていたことにされていました…!〉

 〈フィリップ。さっき強く意識していた者の記憶からは消去できないと言っていなかった?フロドが暗部の存在を忘れるとは思えないんだけど?〉


 暗部の存在を消され、その存在がなかったことにされたというのなら、確かに由々しき事態ではある。だが、連中が認識されなくなったのと同様ならば、フロドの記憶から消えることなどあり得るのだろうか?

 ジャックも暗部のことを記憶しているようだし、連中の記憶が消えた時と同様、強く意識していれば記憶から消えないのならば、暗部の存在を知るものならば記憶から消えるとは思えないのだが…。


 〈それに関しては申し訳ありません、私達にも理由は分かりませんでした…。敢えて私の推測を上げるとするのなら、連中に対して強く意識していたからこそ、記憶から抜けなかったのかもしれません…〉


 これは、フィリップの話を聞き終わったら私の方でも『真理の眼』と『モスダンの魔法』を使用して過去を確認しておくべきだな。


 〈このような状況になっても、ジャックは連中の調査を続けると申し出てくれました。ですが、私はジャックを止めました。記憶に残っていても姿が確認できない以上、あまりにも危険だったからです〉

 〈そのジャックがこの場にいないと言うことはつまり、そういうことなんだね?〉

 〈はい…。私の制止を振り切って調査を行ったジャックは、翌日以降、私の前に姿を現さなくなりました。そしてやはり、恐れていたことが起きました…。ジャックもまた、始めから存在していない者にされていたのです…!〉


 フィリップの思念から強い悔しさが伝わって来る。秘密を共有し合える、長い時間を掛けて共に一つの物事を達成したかけがえのない友を失ってしまったのだから、当然だな。彼にとっては、この上ない悲劇なのだろう。

 この悔しさは、友を止められなかった自分自身と、友の存在を抹消した連中の両方に向けられている。


 〈このままでは、私は連中の計画に利用されて人知れず世界を滅ぼす行為に加担してしまう。そう感じた私は父上の後を継ぐことを諦め、人知れずこの国を去り、連中の眼を掻い潜って世を去るつもりでした〉

 〈貴方が国民達から禄でもない人間だと評価されるような行動をとり始めたのは、その時からなんだね?〉

 〈はい。ですが、事は私が思っていたようにはいかなかったようです〉


 フロドがフィリップを後継者から外す気がなかったことだな。リナーシェを迎え入れて性根を叩き直させようとしたと言うことは、フロドはフィリップが利発的な人物であった時のことを覚えていると言っていいだろうな。


 〈途中までは上手く言っていたと思っていました。民からは蔑まれ、城の者達からも白い目で見られ、果ては兄弟達からも呆れられるような醜態をさらし続けました。ですが、父上だけは、私を見限ることがなかったのです〉

 〈リナーシェを妻に宛てがわれたこと、そしてそれを承諾されてしまったことは、貴方にとっては予想外のことだったようだね〉

 〈ええ。子供の頃に、あの国にはかなりの無礼も働きましたし、例え父上がレオナルド王に打診したとしても、受け入れられるとは思っていませんでした…〉


 レオナルドの妻、レーネリアは尻尾を触られたと憤慨していたからな。まさかそんな人物に自分の娘を寄こしてくれるとは思っていなかったのだろう。


 だが、当てが外れた。

 当のリナーシェがフィリップをいたく気に入ってしまったのだ。瞬く間にフィリップの結婚は決まってしまった。


 しかし、フィリップのリナーシェに向けている感情…。これは、感謝か?それに、愛情も読み取れる。


 〈自分の計画が頓挫してしまった割には、リナーシェに対しては悪く思っていないようだね?〉

 〈ええ、まぁ…。彼女は、何を隠そう、私の恩人ですから…〉


 何があったのかを尋ねてみれば、出会い頭に強烈な抱擁をされたり一日中鍛錬に突き合わされたり、夜は夫婦の営みを行い続けていたりと、聞く者が聞けば惚気以外の何物でもない話をされた。

 だが、それはただの惚気話ではなかったのである。


 〈彼女のおかげで、私は連中から解放されたのです。彼女は即座に連中の存在を認識し、瞬く間に賊として姿を隠していた連中を排除してしまったのです!〉


 なんとまぁ、リナーシェらしい。

 どうやら彼女には普通に連中の姿が見えていたそうなのだ。

 おそらく、自分達を認識できなくさせていた力は、始めから何も知らない者には効果が全く適用されなかったのだろう。


 長年頭を悩ませていた存在を排除してくれたのだ。フィリップもリナーシェを慕う理由になるだろうな。


 〈どういうわけか、彼女は私のことをとても好いてくれていて…。私も、その…彼女のことはとても美しい女性だと思いますし…。夜に何度も求められるのは、少々しんどいのですが…〉


 これは普通に惚気だな。長年の悩みから解放されて、少し浮かれているのかもしれない。

 だが、これまで城にいた連中を排除出来たらそれで終わりというわけではないのだろうな。


 フィリップの話は続く。


 〈リナーシェは私の知る連中を、ジャックの仇を全て討ち果たしてくれました。ですが、それで終わりではありません。連中が外部と連絡を取り合っていたと言うことは、いつでも新たな刺客を送ってこれると言うことですから〉

 〈貴方の直感による危機感はまだ完全にはぬぐえていない…〉


 黙ってフィリップが頷く。

 もしも追加で"女神の剣"の刺客が送られてきて、その連中も前任者達と同じく任意の記憶を消去できるような者達だったのなら…。


 今度はリナーシェもその効果の対象となってしまう。リナーシェが排除されてしまう可能性があるのか。


 〈今のところ、危機感はありますが、連中の存在は確認できません。ですが、いつ連中が再び送られてくるかは、私には分からないのです…〉


 フィリップの事情は大体分かった。あと分からないことと言えば、彼が"女神の剣"の名を知っている理由だな。今のところ、その名を知った理由を聞かせてもらっていない。


 〈実を言うと、その名を知ったのはつい最近だったりするのです〉

 〈それって、いつ頃の話?〉

 〈去年の亀の月の終り頃ですね。唐突に巫覡ふげきから呼び出され、一枚の紙を渡されたのです〉


 巫覡から?つまり、五大神が関与したと言うことか?彼等がフィリップに連中のことを教えたと言うことか。


 〈紙には、何か書かれたりしていた?〉

 〈はい。短く、[“女神の剣”。それが敵の名だ]と。不思議なことに、その文字は私以外の者には読めませんでした〉

 〈巫覡にも?〉

 〈巫覡にも、です〉


 決まりだな。私が『真理の眼』で知り得たアグレイシアの情報は五大神達にも共有している。彼等が、というかルグナツァリオがフィリップに教えたのだろう。


 〈巫覡から他に何か伝えられた?〉

 〈[しばし後に、救いの姫が現れる]と。少し前まで、それはリナーシェのことだと思っていたのですが、ようやくわかりました。救いの姫とはノア様。貴女のことだったのですね…〉


 多分、そうなのだろうなぁ…。まったくルグナツァリオめ。用件を伝えるならもう少し分かり安く伝えれば良いものを…。


 これでフィリップの事情は分かったな。誤解も解けたようだし、今後は必要以上に怯えられる事もないだろう。いつの間にかフィリップから様付で呼ばれることは、もう放っておこう。


 一度、『時間圧縮タイムプレッション』を解除しよう。このまま過去に何が起きたのかを調べても良いが、それではフィリップを野放しにすることになるからな。

 彼に過去に何が起きたのかを教えたければ、今度は了承を取ってからまた『時間圧縮』で一対一の状況を作ればいい。


 〈フィリップ。私は過去の出来事を観測できると言ったね?この国の暗部やジャックに何があったのかを調べて、それを貴方に伝えられるかもしれない〉

 〈ほ、本当ですかっ!?〉

 〈辛い事実を伝えることになるだろうけど、それでも知りたい?〉

 〈勿論です!私の制止を振り切り私の元から立ち去ったジャックがどうなったのか、その最期を、私は知るべきだと思っています!〉


 ならば、後で伝えておくとしよう。そのためにも、再び今と同じような状況を作ることと、予め『通話コール』で通達することを伝えておかないとな。


 〈それなら、貴方は常にリナーシェと一緒にいるから、伝える時にはまた今と同じ状況にさせてもらうよ?それと、この状況にする前に、今行っているように思念で貴方に連絡をするね。鈴の音が頭に響いてきたら、思念が送られてくる合図だ〉

 〈分かりました。ノア様からの報告を、お待ちしております!〉


 さて、それでは『時間圧縮』を解除するか。


 私は、まだ紅茶を飲み終わっていないし、皿の上のケーキだって食べ終えていないのだ。


 そろそろ楽しいお茶会の再開といこう。

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