第384話 フィリップと話そう
一度に大量のケーキを口に含んだことで、口の中に残るクリームの油分がやや不快に感じたのだろう。フィリップはカップに手を伸ばし、紅茶をすすっている。
フィリップ=ニスマ。
この国の第一王子、王太子でありリナーシェの夫だ。種族は
だが、フィリップにはその2人のように女性からの人気は殆ど無い。理由は、彼の人柄である。
国民からは総じて禄でもない人間という評価をされているのだが、解せないことに私が見る限りでは彼が国民達が言うほどの、禄でもない人間には見えなかったりするのだ。
これは一体どういうことだろうか?数か月間リナーシェに鍛えられて、心変わりでもしたというのだろうか?
それにしては、相変わらず国民からの評価は低いままな気がするのだが…。
ケーキを食べながらもフィリップの様子を確認していると、リナーシェから文句を言われてしまった。
「ちょっとノア?フィリップはダメよ?私のなんだから、あげないわよ?」
「誤解をさせてしまったね。フィリップが欲しいわけじゃないんだ。ただ、興味があるんだよ」
「興味ぃ?詳しく説明してもらおうかしら?」
ありえない筈なのだが、リナーシェは私がフィリップに恋慕の感情を抱いているように見えているのだろうか?
身柄を欲していないと言ったにも関わらず、彼女は警戒を解く様子はなく、眉根を寄せて私の発言の真意を問い詰めてきた。それだけ、本気でフィリップのことを愛しているのだろう。独占欲が非常に強いと言わざるを得ない。
そんなリナーシェからの誤解を払拭するためにも、私のフィリップに対する思いを詳しく説明しないとな。
「フィリップは世間から禄でもない人間と以前から評価されていて、それは今でも変わらないだろう?それなのに私が見たフィリップの印象は、臆病で大人しくはあるが貴女のことをちゃんと愛している特徴のない男性、といったところかな?私と世間一般のフィリップに対する評価が一致していないから、解せないんだよ」
「ぐふぅっ!?」
私がフィリップを見た印象をリナーシェに話すと、彼はうめき声を上げて俯いてしまった。別に聞こえないように話したわけでも無かったので、評価が当人にまる聞こえなのである。
私がフィリップに対して恋慕の感情がまるでないと分かると、彼を見つめていたことに対する憤りは鳴りを潜めたのだが、今度は別の方面で憤りを感じたらしい。
「特徴がないとは、言ってくれるわねぇ…。フィリップはちゃんと面白い人よ?特徴がないようにノアが思うのは、フィリップがノアの前だから大人しくしてるだけなのよ」
「そもそも、なぜ私の前では大人しくする必要が?フィリップ、この際だから聞くけど、貴方は私のことを恐れている、というか怯えているだろう?理由を聞かせてくれる?」
「っ!?!?」
フィリップが私に対して怯えていることを指摘すると、目に見えて狼狽しだした。怯えの感情が私に伝わっていないとでも思っていたのだろうか?
緊張のあまり手にしたカップが大きく震え、まだな紙のは言っている紅茶が零れそうになっている。
「あっ、いや、その、これは…っ!」
「そりゃあ、ノアってばまず間違いなく人類最強でしょ?力を抑えてても怒らせちゃダメだって気を遣ってるんでしょ」
「は、はいっ!そうです!そういうことですっ!」
言葉が詰まって答えられなくなっていたフィリップに変わってリナーシェが理由を述べてくれた。それに呼応するように彼女の言葉を勢いよく肯定するフィリップ。
嘘は言っていないようだが、馬鹿正直にリナーシェの言葉を肯定するフィリップを信用する気にはなれないな。なにせ、これ幸いとばかりに調子が戻ったように見えるのだから。
まだ何かがある。ここまで冷静さを失い、過剰なまでに私を恐れる何かが。
折角友人と楽しいお茶会を開いているのだ。あまりこういった話を長く続けるのは面白くない。
さっさと原因を解明してしまおう。
フィリップに対して『モスダンの魔法』を使用する。
良いところが何一つない、と辛辣な評価を国民からされているフィリップが私を恐れ怯える理由は一つ。
彼には他人には無い、彼固有の感覚があるのではないかと判断したのだ。
これで何かわかれば話は早いのだが…。
………これは、少し拙いかもしれないな。
どうやらフィリップには、私がドラゴンとまではいかずとも、人外の何かだということが理解できてしまっているようだ。
そして正確にではないが、私の力がどの程度なのかも…。
人類最強とされていたマクシミリアン=カークス。彼の強さは、彼が最高品質の装備を全身に纏ったうえでなお"楽園浅部"に住まうあの宝石のような鱗を持った
オーカドリアの影響で"楽園"全体の魔力濃度と"楽園"に住まう住民達の強さが上昇した以上、今では完全にあの戦士長はマクシミリアンよりも強くなっていることだろう。リガロウの良い稽古相手になりそうだ。
フィリップから見た私は、そんな宝麟蜥竜人の戦士長よりも遥かに強力な魔物に見えているようだ。
私が懸命に魔力を抑えていてもこれである。
『真理の眼』も併用して彼の見た私の脅威度を確認してみたが、彼は私がゴドファンスぐらいの魔物に見えたようだ。
怯える筈だな。
現状、私の知る限り人間達ではどうやっても一国だけではゴドファンスに勝てる手段がない。
"ヘンなの"を作り上げたヴィシュテングリンですら、かろうじて傷をつけられるかどうかというレベルだ。
人間達がゴドファンスに勝利しようとした場合、それこそ魔大陸中の人類達による総力戦でもしない限り勝利を収めることはできないだろう。
そんな想像を絶する魔物が、自分の妻と穏やかに談笑している状況が、フィリップにとっての現実である。
恐ろしいと感じるのは無理もないし、私が急に癇癪を起して暴れ出したりしないか、気が気でないのだろう。
フィリップのこの感覚は、魔法や
魔法と言って遜色ない能力だが、魔力を一切使用していないのだ。彼の直感は、彼の類稀なる体質や魂に起因する能力なのだろう。
とにかく、フィリップは私のことを人外として判断している。いずれ人間達に私の正体を伝えるつもりではあるが、それは今ではない。
国民からの評価が低いフィリップの発言ならば、信じる者は殆どいないかもしれないが、間違いなくリナーシェはフィリップの言葉を信用する。そして、リナーシェの言葉ならば、国民達も信用する可能性が大きい。
だから拙いのだ。彼には悪いが、黙ってもらう他ないだろう。後で私の正体について黙っておくように願い出ておこう。
無いとは思うが、その際に禄でもない要求をしてくるようならば、自分の直感の良さを後悔してもらうとしよう。
私をゴドファンスのような強大な魔物と認識した直感が正しくもあり、間違っていることを教えてあげるとしようじゃないか。
問題は、いつフィリップに願い出るかだな。
リナーシェが彼を大いに気に入っているため、常にベッタリなのだ。私室から飛び降りて私を迎えた際に、再び部屋に戻ってフィリップを担いで降りてきたことを考えると、あの時もフィリップはリナーシェの私室にいたのだろうな。
こっそりとフィリップと一対一で会話をする機会が得られないのである。本当にどうしたものやら…。
そうだ!風呂に入る時にでも幻を向かわせよう!
久しぶりに一緒に風呂に入れるのだし、リナーシェも断りはしないだろう。"ダイバーシティ"達も今日は王城で過ごすだろうから、彼女達も一緒に風呂に入ろう。完璧じゃないか!
早速リナーシェに今晩一緒に風呂に入ろうと誘ったのだが、私の計画はその瞬間に脆くも崩れ去った。
「ダメよ。お風呂はいつもフィリップと入るようにしてるの。最近はトレーニングの成果もあって結構筋肉がついて来たのよ!その場で襲いたくなっちゃうぐらい色っぽいんだから!」
「……そう…」
なんてこった!風呂は基本的に異性で入らないものではなかったのか!?それとも夫婦だから許される行為だとでも言うのか!?このままではリナーシェに私が魔物であるという事実をフィリップから伝えられてしまう!
どうする…!考えろ…!いっそ今からフィリップに対して『
例え『通話』を使用した際に事前に音を通達されるとはいえ、何も知らない者からすればとつぜん声を掛けられることと何も変わらないのだ。
突然自分にだけ頭の中に私の声が聞こえてきたら、フィリップは仰天して倒れてしまってもおかしくない。
私の様子を不審に思ったのか、リナーシェが声を掛けてくる。
「ノア?さっきからどうしたの?妙に焦ってない?」
「リナーシェと風呂に入れないからね」
焦っているんだよ!実際に!
くそう、リナーシェめ…。夫婦仲が良いことは喜ばしいことだとは思うが、もう少し一人の時間を与えてあげてもいいんじゃないか?
…こうなったらやむを得まい。調整が非常に面倒臭いからあまり気は進まなかったが、私とフィリップに効果を限定して『
そのうえで彼に『通話』を掛ける。それでフィリップにどのような反応をされようとも、『時間圧縮』の効果が掛かっていない者からすれば一瞬にすら満たない瞬間に起きた出来事だ。例えリナーシェと言えど認識することは不可能だろう。
普通に声で会話をするわけにはいかない。私とフィリップに掛ける『時間圧縮』の効果範囲は、周囲の変化を限りなく小さくさせるために、それぞれの周囲に別々に施すからだ。
声というものは空気の振動によって伝わるのだ。違う『時間圧縮』の効果範囲から発せられた音声は、いつまで経っても別の『時間圧縮』に到達しないのだ。
幸い、現在はケーキと紅茶を食べるために2人は隣同士の席に座っていはいるものの、密着しているわけではない。多少は効果範囲を限定するのも容易と言える。
後は、フィリップがどのような反応をしようとも『時間圧縮』の効果範囲内から出ないように結界を張っておけばいいだろう。
…良し。問題無く魔術も結界も行使できたようだな。フィリップも周囲の動きが止まったかのように見える今の状況に気付いたようだ。左右に首を振って状況を確認しようとしている。立て続けに驚かすことになって悪いとは思うが、このまま『通話』を掛けさせてもらうとしよう。
急に頭の中に鈴の音が聞こえてきたことで、余計に混乱してしまっているな。更に首を激しく周囲に振って状況を確認しだす。
そして、この状況を生み出したのが私だと判断したようで、フィリップの視線は私に固定された。声が届かないので、黙って頷いておこう。
自分の頭を人差し指で軽くたたいた後に口を動かす動作をすることで、これから頭の中に声をかけるというジェスチャーを取る。美味く伝われば良いのだが…。
〈急にこのような状況にして驚かせてしまったことを、まずは詫びさせてもらおう。悪かったね〉
〈おっぼぶぁあっ!?!?〉
口の動きからして、頭の中で考えたことと口から発した言葉は同じだろう。思った通り、フィリップはとてつもなく驚いている。ジェスチャーは美味く伝わらなかったようだ。
物凄い驚きぶりだが、心臓は大丈夫だろうか?人間は、精神的な衝撃が強すぎると最悪の場合、死に至る可能性がある、と本で読んだことがあるのだ。今のでショック死してはいないよな?
…どうやら大丈夫なようだ。では、本題に入らせてもらうとしよう。
〈フィリップ。こんな手段を取ってしまったのは、貴方とまともに一対一で会話をする機会がなさそうだと判断したからなんだ〉
〈リ、リナーシェを風呂に誘ったのも、それが理由ですか…?〉
ほう。それが分かるとは。思った以上に察しが良いな。ならば、さっさと要件を伝えてしまうとしよう。
〈そう。今はまだリナーシェ、というか人間達に私のことを詳しく知られたくないからね。貴方が気付いた通り、私は人間ではない。その正体を語るつもりは無いけどね〉
〈………っ!〉
これは…驚いたな。禄でもない人間と評価されている割には、良い表情をするじゃないか。今のフィリップは、大切な者を守ろうとする表情をしている。
その対象がリナーシェか自国民かはいまいち分からないが、彼は国民が言うような人間ではないのかもしれないな。
尤も、彼がそういった判断をされる原因となった行動をとっていたことは事実なのだが。
まぁいい。話を勧めさせてもらおう。
〈私の正体は勿論、私が普段は何処に住んでいるかも、将来的には包み隠さず話すつもりだ。フィリップ、貴方にはその時まで私のことを黙っていて欲しいんだ〉
〈それを伝えるためだけに、わざわざここまでのことを…?〉
〈解せない、と言った表情をしているけどね、こうでもしないと貴方だけに私の意思を伝えられなかったんだ。貴方が一人になる時間があるのなら、幻でも用意して伝えればよかったんだけどね〉
〈…それはそれで恐ろしすぎるんですが…〉
ああ、確かに。少し配慮が足りないか?
そもそもフィリップは私を恐れているのだ。私と一対一になる状況は極力避けたいのか。
となると、やはりこの手段が最適だったのかもしれないな。
〈あの…わざわざこんなことをしなくても、私の言葉など誰も耳を傾けないと思うのですが…〉
〈多くの人間にとってはそうだろうね。だけど、リナーシェは違うだろう?そして、彼女の言葉ならば耳を傾ける人間はいる。違う?〉
〈………仰る、通りです…〉
うん。フィリップは私とリナーシェが別行動を取ったら、すぐにでも私が人外だと彼女に伝えていただろうからな。その考えを見抜かれていると分かったのか、恐怖心が一層増したように見える。
私の力を完全にではないとはいえ理解できるのならば、こうして恐れるのは理解できるが、やはり敵対者でも無い者に極度に恐れられてしまうというのは面白くないな。
なにかこう、フィリップと仲良くなれる手段があれば良いのだが…。困ったことに彼と仲良くなり過ぎると、今度はリナーシェから激しい嫉妬の感情を向けられそうで仕方がないのである。
〈先に言っておくと、禄でもない要求をしない限りは相応の対価を用意するつもりだよ?〉
〈い、いえ!結構です!必要ありません!黙ります!黙ってます!貴女のことは誰にも言いません!〉
私が人外であることを黙ってくれることに対する対価を、物凄い勢いで拒否されてしまったな。原因はなんだ?
〈絶対にリナーシェから対価について言及されます!そうなったら私は黙っていられる自信がありません!むしろ白状する自信なら大いにあります!〉
少々情けないことを堂々と言うが、対価を渡さない方がどちらにとっても都合が良いようだ。
〈そういうことなら、対価は用意しないよ?だけどもしも口外したら…〉
〈それに関しては黙ります!言及されることもないですから、黙っておける自信があります!〉
ふむ。嘘を言っているようではないし、本当にフィリップは私のことを黙ってくれるようだ。
やはりこの男、ただの暗愚ではなさそうだぞ?
折角だ。この際だから、もう少し話をさせてもらおう。
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