第374話 お転婆姫との再会
相変わらず、リナーシェは思い切りの良い女性だ。
彼女の現在地から地上まで30m近くあるというのに、あの場所から私の元まで飛び降りてきたのだ。
彼女の身体能力ならば問題無く無傷で着地できるだろうが、だからと言って周りの者が平静でいられるとは限らない。
事実、兵士長は私の頭上から落下して来るリナーシェを見て青ざめている。
しかも、彼女はただ落下してきているわけではない。私に向けて、落下の勢いを乗せた飛び蹴りを放とうとしているのだ。私ならばこの程度、どうとでもなると信用してくれているのだろう。
本当に元気な女性である。望み通り、彼女の蹴りを受け止めよう。
おや、私に蹴りを見切られていると判断したのか、少し予定を変えるようだな。蹴りはブラフにするつもりのようだ。
私に突き出した右足が、対応しようと頭上に掲げた私の左手に触れるギリギリのところで、リナーシェの体は吹き飛ぶような勢いで私の右手側へと離れて行った。
魔力板を生み出して左足で蹴ることで、空中で軌道を変更したのである。
私の側面へと飛び跳ねたリナーシェの先にあるのは、頑丈な城壁である。このままでは激突間違いなしだろう。
尤も、それは一般の人間の話だ。
リナーシェは体を翻して両足を城壁に着け、更にそこから私に向かって突撃するかの勢いで再び飛び蹴りを放ってきたのである。
今度の蹴りは、地面と平行に体を寝かせた状態から、両足で繰り出される強力な蹴りだ。まぁ、見切られた時点で躱されるのだが。
こちらへ突っ込んでくるリナーシェの方へと向き直り、体を傾けて彼女の蹴りを躱せば、直後、彼女の右手が私の顔面に現れた。
蹴りは囮だったようだ。蹴りを回避した場所に、手刀を置くようにして繰り出したのだろう。
相変わらずいいセンスをしている。
だが、これ以上は兵士長が卒倒してしまいそうなので、続きは手合わせの時まで我慢してもらうとしよう。
「きゃっ!?」
リナーシェの繰り出した手刀を受け止めるため彼女の右手首を掴むと、私はそのまま彼女の蹴りの勢いを利用して、一回転彼女の体を振り回した。
蹴りの勢いが失われたところで、リナーシェの体を少々強引に引き寄せて彼女の体を抱きしめる。
トレーニングを毎日続けているというだけあって、相変わらずしなやかでいて引き締まった体をしているな。以前ファングダムで別れを告げた時と、まったくと言っていいほど遜色ない体つきだ。
「久しぶりだね、リナーシェ。相変わらず元気そうで何よりだよ」
「久しぶり!ノアってば、相変わらずあっさりといなしてくれるわね。会えて嬉しいわ!」
私がリナーシェを抱きしめて背中をやさしく叩くと、彼女も私の体に腕を回して抱きしめてくれる。
うん。やはり親しい者との抱擁というのは、とても心地良いな。ニスマスにいる間は、リナーシェのことを頻繁に抱きしめてしまいそうだ。
だが、そんな私の思惑を知っていたかのように、リナーシェから衝撃の言葉を告げられてしまう。
「ノア、言っておくけど、今の私は既婚者なのよ?あまり抱きついたりしちゃダメよ?」
「…ダメなの?」
「ダメよ。抱きつくなら、他の誰かにしなさい。ああ、でもフィリップはダメよ?アレは私のなんだから!」
なんてこった。ニスマスにいる間は、頻繁にリナーシェを抱きしめようかと思っていたというのに、早速拒否されてしまった。
別に友人同士なのだから、抱きしめ合ってもいいじゃないか。
そんな私の言い分に、リナーシェは容赦なく反対意見を突き付けて来た。
「王侯貴族ってのは面倒臭いのよ。人によっては私達がこうして抱きしめ合ってる様子を見て、見当違いな妄想をしだすんだから。その妄想に付き合わされる私の身にもなりなさい?」
むぅ…既婚者と言うのは、自分の伴侶や子供以外とはあまり体を密着させたりしないというのは、本でも目にしていることではあるが…。友人との抱擁も認められないのか…。
リナーシェの言い分が正しいのであれば、私がこうしてリナーシェと頻繁に抱擁をしたりしていると、そのやり取りを見ていた者達にいらぬ誤解を与えてしまうようだ。
仕方がない。友人を抱きしめるのは、ルイーゼに会う時まで我慢しておこう。
尤も、彼女との再会もまだしばらく先になりそうではあるが。
お互いに腕を開放して距離を取ると、リナーシェの興味はすぐさまリガロウへと移った。
パレード中にも耳にしたが、彼女はこの子に強い興味を抱いているようだ。
これは、勝負を挑んだりするのか?
「で、この子がリガロウね?随分とカッコイイじゃない!物凄く強いって聞いてるわよ!」
「姫様の友なのか?少なくとも、そこにいるヤツ等よりは強いぞ?」
「いいわ、凄く良い!ねぇアナタ!私と戦ってみない!?」
「リナーシェ様!お控えください!」
やはり勝負を挑みたかったようだ。ファングダムの王城で暮らしている間に何度も見た、獰猛な笑みを浮かべながら、リガロウに勝負の提案をしだした。
が、流石にこれ以上は兵士長も看過できないのだろう。
リガロウの返事を聞く前にリナーシェの行動を咎めだした。
「お堅いわねぇ~。別にいいじゃない、何も殺し合いをしましょうって申し出じゃないんだから」
「良くありません!リナーシェ様はもう少しご自分をご自愛ください!」
リナーシェは今やこの国の重要人物だからな。王太子妃という立場上、後世のためにも間違いがあって大怪我を負うような事態は何としても避けたいのだろう。
まぁ、この国に嫁ぐ前から大国の王女なのだから、国の重要人物だったのは今も昔も変わりないのだが。
兵士長の訴えにリナーシェは心底煩わしそうにしている。
"ダイバーシティ"から聞いた話だが、フィリップと結婚してからというものリナーシェは、毎夜生殖行為を続けているらしい。
それも1日につき行われる回数が1回や2回ではないそうなのだ。毎朝やつれた状態のフィリップが発見されるほどには続けているらしい。
それだけ子を作る行為に励んでいるというにも関わらず、リナーシェは今のところ子供を身ごもってはいない。
当たり前だが、彼女が子供を作れない体質というわけではない。彼女は至って健康そのものだ。
おそらく、魔力を操作して意図的に子供を身ごもらないようにしている気がする。
人間の生殖行為は強い快楽を得られるらしいので、つまるところ、リナーシェは生殖行為を楽しんでいるだけの状態なのだ。
兵士長はリナーシェが子供を身ごもった時のことを考えて発言しているようだが、子供を今のところ身ごもる気のないリナーシェには寝耳に水と言った内容なのだろう。
ふと、何かを思い出したようにリナーシェが手を叩く。
「あっ、そうだわ!ちょっとここで待ってて!」
「うん。分かった」
私達にこの場で待機するよう伝えたら、リナーシェはその場で跳び上がり、魔力板と城を交互に足場にしてあっという間に自分が飛び降りた場所まで戻ってしまった。
どうやら忘れ物があって、それを取りに行ったようだ。
忘れ物と言うのは、リナーシェが私に見せたいものなのだろう。
だとすると、リナーシェが持ってくるのは…。
「り、リナーシェ、待って!こ、心の準…ぉぁあああああっっっ!!!」
リナーシェは再び同じ場所から飛び降りた。右肩に若い男性を担いで。
かなり強引に連れてきたのだろう。彼女が飛び降りる際に大声で悲鳴を上げている。
考える間でもない。アレが噂に聞くこの国の王太子、フィリップ=ニスマで間違いないのだろう。
今度は私に向けて蹴りを放つわけでも無く、フィリップに衝撃を伝えることなく綺麗に地面に着地した。…のはいいのだが、地上30mからの自由落下、それも自分の意思ではなく強引に行われた自由落下はよほどの恐怖を覚えたのだろう。
フィリップは白目をむいて気絶してしまっていた。
「紹介するわね!私の夫であるフィリップよ!ほらフィリップ!いつまでも呆けてないでおきなさい!私の友達を紹介するわ!」
「ごっはぁっ!」
リナーシェは担いでいたフィリップを地面に立たせると、軽く背中を叩きながら微弱な魔力を彼の体に流し込んだ。
彼女流の気付けである。全身を駆け巡る微弱な魔力が刺激となって、フィリップの意識を覚醒させることとなった。
「え…?地面…?立ってる…?ワタシ死んでない…?」
「あのぐらいで死ぬわけないでしょ?しっかりしなさい!それよりも、ほら、前を見て!」
「え、前…?ぅおおぉっ!?」
意識を取り戻したフィリップは状況を把握できていないようだ。というよりも、先程の落下で死を覚悟していたらしい。自分が無事でいることが不思議でならないと言った様子である。
そんなフィリップがリナーシェに促され正面を見据えると、そこにいるのはまぁ、私だ。
彼は私の顔を見るなり後ろに後ずさりながら驚いていた。
「私はノア。周りからは『黒龍の姫君』と呼ばれている"
「アッハイ、ドウモ、フィリップデス…」
なにやら返事がぎこちないというか、私に対して酷く怯えているように見えるのは気のせいだろうか?
フィリップとは当然これが初対面だし、彼に対して威圧的な魔力を放っているわけでもない。だというのに、これほど怯えられる理由は何だろうか?
「リナーシェ、彼に私のことなんて説明したの?」
「んー?[私よりも強くて、気に入らない相手には一切容赦しないヤツよ]って説明しただけよ?」
「それだけ?」
「後は、[気に入られたらすっごい面倒見てくれる]ってことも説明したわ!」
怯えられる原因だと予想されるリナーシェに問い合わせてみれば、そこまで恐怖を煽るような説明はしていないように感じられるな。
そしてその説明も、短いながらも的確な説明だと自分のことながらに思う。
では何故、私はフィリップからこうも恐れられているのだ?
生憎と私は魔力の状態から感情を読み取ることはできるが、心を直接読み取れるわけではないので、フィリップが私をこうまで恐れる理由が分からないのだ。
「あのー…。そろそろ城内へご案内してよろしいでしょうか…?」
フィリップが私を恐れる理由を考えていると、兵士長がおそるおそると言った様子で私達に尋ねて来た。
多分だが、私達はこのまま国王の元まで案内されることになると思うのだ。
パレードまで行って私達を城まで案内したからな。ただリナーシェに会わせるためだけにそこまでする必要はないだろう。
とは言え、流石に途中で説明ぐらいはするつもりだったのだろう。
私に対して不意打ち気味に国王と謁見させるつもりは流石にないと思いたい。
私の予測が正しければ、兵士長としては早いところ私達を国王の元まで私達を連れて行きたいだろう。
リナーシェどころかフィリップまで高所から飛び降りる様を見せられ、気が気でない様子の兵士長が段々と不憫に思えてきた。
多分だが、リナーシェとしてはこの程度は日常茶飯事なのだと思う。兵士長だけでなく、他にも大勢の人間が彼女に振り回されている気がしてならないのだ。
ここは兵士長を助けるつもりで、話を進めさせてもらうとしよう。
「私は問題ないよ。国王の元まで案内してもらえる?」
「っ!?お、お気づきでございましたか…!」
「だから言ったじゃない、ノアに隠し事はできないんだって」
リナーシェは王城にいる者達に私のことを色々と話しているようだ。
というよりも、ニスマ王国側が直接私と交流を持った経験があるリナーシェに、私の情報を求めたと考えた方が良いかもしれないな。
リナーシェの性格だから、求められたら隠す事でもないだろうし、洗いざらい自分の思ったことを機のすむまで話しただろう。
もしかしたら、私の自惚れでなければ、オリヴィエの話をする時のように何時間も長々と説明していたのかもしれない。彼女はそういう人だ。
別にそれが悪いと言っているわけではない。
私は行動はともかく、リナーシェの人間性は信用している。
私の情報を伝える際、虚偽の情報を伝えて印象を悪くするようなことはしないと確信している。やる意味がないからな。
だとすれば、城の人間達は私のことをある程度把握しているだろうから、話をスムーズに進められる筈だ。煩わしい思いをしなくて済むと思いたい。
それがリナーシェのおかげであるならば、彼女に感謝しても良いぐらいだ。
リナーシェとフィリップもついでとばかりに一緒について来るようだ。まぁ、フィリップに関してはリナーシェが半ば強制的に連れて行くようだが。
話はまとまったのだし、兵士長に続いて国王の元まで移動するとしよう。
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