第371話 少し早めの別れの挨拶

 演目を終えると、私は無意識の内に舞台に向けて拍手を送っていた。気付けば2時間近く時間が経過している。


 何杯目かになる紅茶に口をつけ、演劇の内容を思い返す。

 いや、想像以上にのめり込まされた。エンカフが熱弁していた通り、臨場感が凄まじいな。

 実際にその場で物語を見てきたかのような、不思議な体験を得られた。


 知っている物語の始まりから終わりまで。たった2時間でよくもここまで表現できたものだ。実に見事である。

 短時間に話を纏めるために小説に書かれていたいくつかのシーンを省略されてはいたが、話の内容を理解するうえでは何も問題は無かった。


 省略されたシーンを演じてもらえなかったことには少々残念に思うところはあるが、小説の内容をすべてを演劇で表現しようとした場合、何日も劇場に通うことになるだろう。

 それはそれで見てみたくはあるが、観客の方がついてこれないだろうな。話が長すぎるので、どうしても疲れてしまうのだ。


 実際のところ、アジーは物語にあまり興味がなかったのか、既にやや疲れ気味な様子だ。

 ソファーに体を預け、背もたれを倒し、今にも眠ってしまいそうな体勢を取っている。


 そう、このソファー、背もたれに尻尾を通せるどころか、背もたれを倒せたのである。

 これだけ据わり心地の良いソファーでそんなことをしてしまったら、本当にすぐに眠ってしまうぞ?演劇を観るための座席だというのに、それで良いのだろうか?


 私の疑問に、支配人が答える。


 「フフフ、問題ございません。世の中には、子供を寝かしつけるために横になった子供に物語を聞かせる風習がありますから。それと同じようなものです」


 あー…。それなら私にも経験がある。"ワイルドキャニオン"で毎日のようにリガロウやランドラン達に小説を読み聞かせていたからな。確かに、ランドラン達の中には途中で心地よさそうに眠ってしまう子達もいたな。今思い出してもとても可愛らしかった。

 なるほど、アレと同じようなものと考えればいいのか。


 さて、一つの演劇を終えたところなのだが、今回は20分間の休憩を挟んでもう一演目、演劇を観賞できるらしい。

 公演時間は先程の演目と同じく約2時間。観賞し終えたころには、ちょうど子供達を迎えに行く時間になる。実に都合がいいな。


 次の演目の題名は、私の知らない物語の題名だった。

 劇の脚本家が、演劇のために手掛けた物語なのだそうだ。


 そこで初めて、演劇とは小説以外の物語も題材に取り上げることを知る。

 というよりも、私は今まで物語と言えば小説しか知らなかったのだと思い知った。


 これは非常に楽しみだ。そもそもこれから知らない物語を初めて視聴することになるのだ。結果の分からない未知の物語に、私は気分を高揚させていた。


 休憩が終わり、2目目の演劇が始まる。ここまで止まることなく私の口にナッツを放り込んでいた手の動きを止め、劇の内容に集中しよう。



 演劇が終わるとともに、私は思わずソファーから立ち上がり、一人盛大な拍手を送っていた。

 いや、拍手自体は他の観客も送っていたのだが、特等席にいる"ダイバーシティ"の面々は別にソファーから立ち上がってはいなかったのだ。


 だが、内容がつまらなかったわけではないようだな。しっかりと拍手を送っているし、5人とも心から内容を楽しめた様子でもある。


 ソファーから立ち上がらないのではなく、立ち上がれないと言った方が良いかもしれない。それだけの体力が残っていなかったようだな。

 2目目の演劇の内容は、観客を笑いの渦に飲み込むような、実に愉快な喜劇だったのだ。アジーなど、1目目の時とは正反対に終始爆笑し続けていた。


 勿論、笑わせるだけの内容ではない。

 観客を笑わせながらもしっかりとしたストーリーが構築されていて、まさしく笑いあり、涙ありの物語を提供してくれたのだ。まぁ、私は涙を流さなかったが。


 だが、とても楽しめたのは間違いない。こうまで感情が揺れ動いたのは、初めてホーディを目撃した時と並ぶほどだ。


 この気持ち、支配人に伝えておこう。


 「とても楽しめたよ。おかげで演劇とはどういうものか、その一端を知る事ができた。ありがとう」

 「勿体ないお言葉です…。ですが、『姫君』様にご満足していただけましたこと、誠に恐悦至極に御座います」


 これだけの娯楽を提供してくれたのだ。今回は料金を支払わなくてもいいとのことだが、私としては感動を与えてくれたことに対して、今回の演劇に関わった彼等に何かを進呈しなくては気が済まない。

 ヒローの子供達を迎えに行く時間まで、まだ少しだけ余裕があるのだ。


 うん。決めた。やはりこういう時は、絵を描こう。

 少々勝手な行動を取らせてもらうが、彼等の演劇によって、私達がどのような反応をしたか、その様を絵に描いて渡すのだ。


 『収納』から紙と色鉛筆を取り出して、手早く先程までの私達の姿を描いていく。

 私が紙と色鉛筆を取り出したことで、支配人もこれから私が何をするのか理解したようだ。黙って私が絵を描き終わるのを待ち続けていた。


 絵が完成した。支配人に渡しておこう。


 「これを。役者達だけでなく、今回の公演に関わった全ての人達に向けて渡して欲しい」

 「こっこれは…っ!………委細承知いたしました。此方の絵画、責任をもって必ずや劇団員達に届けましょう!」


 役者だけでなく、公演中に流れた音楽の演奏者達や部隊の小道具の制作者、それに演出の幅を広げた魔術具を製作し操作していた魔術具師。そして、演劇の話の流れや時には一つの物語を作り上げる脚本家。

 彼等は、劇団という一つの団体らしい。今すぐ劇場から立ち去るわけでもないというのに、支配人は彼等に絵画を渡すことを至上の任務か何かだと捉えているように見える。


 なにやら今まで以上に態度が恭しいのだ。今しがた私が絵画を渡したことで、支配人の琴線に触れるようなものがあったのだろうか?それとも、絵画の内容にそういったものがあったか?


 「『姫君』様はこれまで感動を覚えた事柄には、その都度絵画を描きそれを感動を与えてくれた者に渡すことで感謝の気持ちを伝えていると聞き及んでいます。なれば、かの劇団員達は最大の栄誉を受け取ったも同然でしょうからね。それだけ、私の責任は重大なのです」


 なるほど…なるほど?

 言い分は分からないでもないが、それにしたって支配人からは必死さを感じてしまう。原因は何だ?


 「『姫君』様がこのように感情を露わにした表情をなさるのは、極めて珍しいことだったかと」


 言われて改めて自分の描いた絵画を確認してみる。絵を描いていた時は、記憶していた状況を再現、出力していただけであり、あまり自分の表情などを意識していなかったのだ。


 ……うん。確かに、今まで私はこんな表情をしたことがあっただろうか、と問いたくなるぐらいには感情豊かな表情をしているな。

 自分のことの筈なのに、コレは本当に私なのかと疑ってしまうぐらいには、表情が変化している。


 もしかしたら、ホーディやラビックと初めて出会った時なんかは同じような表情をしていたかもしれないが、自信が無いな。

 あの時は、どちらの時も相手を驚かせないように極力表情を動かさないように努めていた記憶がある。


 ならば、自然に私にこの絵画に描かれているような表情をさせた彼等劇団は、凄いなんてものじゃないだろう。

 いかんな。そう考えると、今描いた絵画以外にも彼等に何か渡したくなってしまったたぞ?


 しかし、これ以上すぐに私が渡せるようなものなど思いつかない。

 私が彼等にできることを考え、支配人に伝えておこう。


 「あの劇団に、名前はあるの?」

 「はい。ミニア・トゥガーテンと申します」

 「その名前、覚えておくと伝えておいて。彼等の演劇、また観てみたい」

 「おお…!それほどまで…!彼等も、きっと喜ぶでしょう!」


 今は、これぐらいにしておこう。今後またどこかで彼等ミニア・トゥガーテンの演劇が観られたのなら、その時も再び今回のように感動を得られたのなら、その時は。

 その時こそ、絵画以外で私の精一杯の気持ちを形に表して彼等に渡すとしよう。迷惑がられなければいいのだが…。そこはまぁ、私のネームバリューとやらを信じようじゃないか。



 劇場から出ると、街の雰囲気は歓喜と落胆の2つの感情が渦巻いていた。

 私達が劇場で演劇を楽しんでいる間に、街で一体何があったのだろうか?


 事情を確認したいところだが、今の格好で街の人達に聞き込みをしたら、どのような反応をされるか分かったものではない。


 『真理の眼』で何が起こったのか確認すれば済む話だが、止めておこう。多分だが、そんなことをしなくても明日にでもなればすぐに分かることだから。

 気にはなるが、全体的に街は期待の感情で満ち溢れているのだ。決して悪いことではないと信じよう。


 さて、普段の服装に着替えて子供達を迎えに行く前にエンカフに一言、礼を言っておかないとな。


 「今日はありがとう。おかげで良いものを知れたよ。今後の旅行の楽しみが増えた。劇場や演劇は、この国だけのものではないのだろう?」

 「勿論です!劇という娯楽は、世界中に広まっております!少なくとも、それなり以上の裕福な国の首都であれば、劇場があると見て良いでしょう!『姫君』様が演劇をお気に召して下さったこと!誠に!誠に嬉しく思います!」


 今にして思うのだが、エンカフのこの大袈裟な身振りと張りのある声で語る様子は、劇の役者を意識した喋り方だったのだな。

 彼は役者に憧れていたりするのだろうか?


 「フッ…。流石は『姫君』様。隠し事はできませんね…。私も、いつかはああいった舞台に立って様々な役を演じてみたく思います!」

 「なら、貴方が何時か舞台に立つ時が来るのを楽しみにしていよう」


 エンカフは年若い妖精人エルブだから、これから数百年は生きていくことになる。彼以外の"ダイバーシティ"のメンバーはそこまで長命ではない。故に、いつかは冒険者を引退して、劇団に入って役者となる未来も考えられるのだ。


 今の情熱を失わなければ、きっとその望みは叶うと思う。私はどう考えてもエンカフ以上に長生きできるので、気長に待たせてもらうとしよう。


 一度エンカフの工房に戻り、それぞれ普段の服装に着替えたら子供達の迎えに行き、センドー邸まで戻った。


 私達がエンカフの工房から劇場へ移動するまでの間の騒動は、錬金術ギルドや騎士舎にいたヒローの子供達にも伝わっていたらしく、私の姫らしい姿を目にしてみたかったと残念がられてしまった。

 というか、ヒローやナナリーまで残念がっていた。そんなに見たいか?私の姫らしい姿?


 移動中、キャメラを抱えていた記者の姿を確認できたので、確実に明日の新聞に写真が載るだろう。センドー家の者達には、その時まで我慢してもらおう。


 それよりも、だ。明日の話である。

 午前中に絵画を描くので、明日はセンドー家全員でチヒロードへと向かうことになるのだ。そして絵画を描き終わったら、そのまま王都へと移動する予定でもある。


 子供達には惜しまれるだろうが、事前に伝えておかなければスムーズにことが運ばなくなるような気がするのだ。


 「そうですか…。いよいよこの街を発ってしまうのですね…」

 「ノア様、この街は楽しめましたか?」

 「勿論。この街にはまた訪れたいと思ったよ。その時には、この子達はすっかり大人になってしまっているかもしれないけど」


 今伝えれば、この場で別れを惜しまれるのは分かり切っていたことだ。今にも泣きだしそうな子供達の顔を見ると、後ろ髪が引かれる思いになる。


 だが、やはりヒローの子供達はとても聡い子達だった。

 例え別れを惜しんでいても、泣き出す子達は一人もいなかったのである。


 「約束しよう。ヒロー、ナナリー。必ず貴方達が生きている間にこの国を、この街を再び訪れると」

 「ノア様…。いけませんね…。子供達が涙をこらえているというのに、私の方が泣いてしまいそうです…」


 年を取ると涙もろくなるといつか本で目にしたことがあるが、今ものその状況に当てはまるのだろうか?

 ヒローもナナリーも、必死に涙を流すことを堪えている。


 涙を堪える必要など無いと思うのは、私だけだろうか?


 「今は我慢する必要なんて、ないんじゃないかな?」

 「ノア様?」

 「私だって、別れの間際に涙を流して別れを惜しまれてしまうと、別れるのが辛くなってしまうよ。だけどね、別れの時まではまだかなり時間があるんだ。むしろ、私としては今のうちに思いっきり泣いて、別れる際には笑顔で分かれたいと、そう思っているよ」

 「ノア…様…!その言い方は、ズルいです…!」


 子供達に向けて両手を広げてこちらに来るように促せば、3人とも堪え切れなくなって泣きながら私にしがみついて来た。


 随分と、慕われたものである。あまり関わった覚えはないのだがな。

 3人まとめて優しく抱きしめよう。好きなだけ泣かせてやるとしよう。お互い、明日は笑顔で別れられるようにするために。


 10分ほど、子供達を抱きしめ続けていただろうか?気付けば、子供達は泣き疲れて眠ってしまっていた。

 まだ風呂にも入っていなかったのだが、この子達をこのまま寝かせてしまって大丈夫だろうか?『清浄ピュアリッシング』を掛ければ問題無いか?


 「普段ならば起こして風呂に入れさせますが、今回はこのまま寝かせましょう」

 「目覚めた時に、また泣き出したりしないかな?」

 「大丈夫でしょう。この子達は、強い子達ですから」


 そう語るヒローとナナリーも、私が子供達を抱きしめている間に涙を流していたようだ。

 気のすむまで泣きはらしたようで、今では2人とも晴れやかな表情をしている。


 「今日はもう、風呂に入って休むとしよう。明日を楽しみにしていて欲しい」

 「はい。ノア様がこの街の絵画を描き上げる様子、家族一同でしっかりと見届けさせていただきます!」


 明日は子供達も一緒に私が絵画を描くところを観賞するらしい。


 すでにどのような内容にするのかは決めてある。


 街の人々やヒロー達の思いを一つにまとめ、この街にとって最高の絵画を描き上げよう。

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