第370話 特等席

 エンカフの足元に落ちた仮面を拾い上げ、彼に差し出そう。ところで、この仮面は一体何なのだろうか?差し出す前に確認してみよう。


 ……なかなか面白い仕掛けが施されているようだ。

 視界を確保する部分は特殊なフィルターが施されている。このまま仮面をつけた場合、視界は非常に狭まるし、光もかなり遮られてしまう。

 この仮面越しから見える景色は、非常に薄暗く感じるだろう。


 だが、この仮面の効果はそれだけではないようだ。

 この光と視界を遮る効果、魔力の操作、もしくは手動で解除できるようなのだ。しかも、遠くの景色を拡大する機能まで付いている。演劇を離れた場所から見る場合、重宝しそうな機能だな。


 仮面の効果は理解できた。そろそろエンカフに返却するとしよう。


 だが、仮面を返却しようとエンカフの目の前まで来ているというのに、彼はいまだに意識を取り戻せていないようだ。

 まいったな。彼には劇場までの道案内してもらいたいというのに、これでは劇場に向かえないぞ?


 やはり、声を掛けて意識を取り戻すのが手っ取り早いか。

 そう思い、エンカフに声を掛けようとした直後。


 私の背後から何かが飛来してきたので、首を傾けて回避する。

 飛来物はそのまま私の正面にいるエンカフの顔面にぶつかり、彼の体を後ろによろめかすこととなった。


 そのおかげで、エンカフは意識を取り戻したようだ。エンカフにぶつかった飛来物は私の目の前に落下して来たので、空いている手でキャッチしておこう。


 「はぅあっ!?…お、俺は一体…何を…?」

 「公演までそんなに時間ないんでしょ?いつまでも呆けてないで、さっさと劇場まで案内しなさい!」


 エンカフの状態を見かねたティシアが、彼の額に向かって自分のバッグを投げつけたのである。

 "ダイバーシティ"達は全員『格納』が使用できるため、荷物を入れるバッグは必要ないのだが、彼女がバッグを持つ理由はファッションのためである。


 バッグを投げつける前から、ティシアがエンカフの顔面に狙いを定めていたことは把握できていたため、尻尾で受け止めはしなかったのだ。


 改めて仮面をエンカフに差し出す。


 「皆準備できているよ。劇場までの案内を頼めるかな?」

 「お見苦しい姿をお見せしました。劇場までの道案内、どうぞお任せください」


 声を掛けた途端、エンカフは慌てた様子で跪き、恭しく仮面を受け取る。

 あの仮面は一体何なのだろうか?もしかしなくても、今から顔に取り付けて劇場に向かうつもりなのか?あ、普通に取り付けたな。


 「その仮面、面白い機能が付いているけど、今装着する意味あるの?」

 「フッ、むしろ今だからこそ、装着する必要があるのです」


 公演中ではなく今だから必要?本当にどういうことだ?


 「『姫君』様がドレスアップをした姿は、間違いなく意識を失ってしまうほどの美しさであることは容易に予想出来てましたからね。このマスクを装着すれば、少なくとも色彩情報は不十分となるため、この状態ならば今の『姫君』様とも面と向かって会話ができるのです」


 なるほど?

 つまりエンカフは、今の私の姿が美しすぎて直視できないと言っているのだ。

 何とも準備の良いことである。昨日劇を紹介して欲しいと伝えてから直ぐにあの仮面を用意したのだろうか?


 まぁいい。とにかくエンカフも今の状態ならば、我を失うことなく面と向かって私と会話ができるそうなのだ。

 全員の準備が整ったことだし、そろそろ劇場に向かうとしよう。



 当然の話だが、ドレスアップした6人組と言うのは目立つなどという言葉では済まないほど注目を浴びる。それがこの街で有名な者達ならば尚更だ。


 多くの視線は狙い通りに私に集まっているが、中には"ダイバーシティ"達に視線を向ける者達もいた。

 そういった者達は以前からファンだったのだろう。ドレスアップした彼等を称える声が私の耳に入ってきた。



 「ティシアちゃん、やっぱかわええわぁ…」

 「あの小柄な女の子って、まさかココナナさんなのか…!?あの重厚感たっぷりな鎧の中身って、あんなに可愛い女の子が入ってたのか!?」

 「アジー姐さんがメチャクチャ美人に見える…」

 「スーヤくん、かーわいー!」



 "ダイバーシティ"達を称えているのは、彼等の後輩の冒険者達でもあるのだろう。彼等に向けられている視線からは尊敬と憧れの感情が読み取れる。


 そして"ダイバーシティ"達にも彼等を称える声は耳に入っているのだろう。

 ティシアは得意気になっているし、それとは正反対にアジーやココナナ、スーヤは恥ずかしそうにしている。


 なお、エンカフは仮面を身に付けているせいかあまり話題にされていないようだ。

 あの仮面には特に認識阻害の効果があるわけではないのだが、案内役として私の前を歩いているため、部外者とでも思われているのかもしれない。


 ちなみに、エンカフ以外のメンバーは私の後ろを歩いている。それ故か、余計にエンカフの話題を出され辛いのかもしれない。


 「くっふふぅ~!コレよコレコレ!この優越感、堪んないわぁ~!」

 「アンニャロウ共…。アタシのことジロジロ見るわスーヤに色目使うわ…。後で覚えてやがれよ…!」

 「うぅ…落ち着かないぃ~…」

 「なぁんでエンカフにはあんま注目が行ってないんだろうねぇ…」


 ティシア以外のメンバーはこうして注目を浴び慣れてはいないのだろう。もしくは抵抗があるかだ。

 あまり話題に上げられていないエンカフに恨みがましい視線を送っていた。


 「貴方達はこれから沢山の活躍をして、今後貴族や王族に表彰されたりする機会も出てくるんじゃないかな?いい機会だから、ここで注目を浴びることに慣れておくと良い」

 「うひぃ~~~…」

 「ノア姫様はアタシ等側だって思ってたのに…」

 「慣れだよ、慣れ。私だって最初は煩わしく思っていたりもしたさ。だけど、何度も経験するうちにどうでもよくなってくるものだよ」


 本当に、慣れてしまえばどうと言うことはなかったのだ。この言葉を私に送ってくれた、イスティエスタのタニアには感謝だな。


 そもそも、先程の声と言うのは、私に向けられた多数の称賛の声の影に隠れて聞こえてきた、本当に小さな声だったのだ。

 もしも彼等が今後冒険者として大きな活躍をして王侯貴族に表彰されたりする場合、浴びせられる称賛の声は、こんなものでは無い筈である。その時私は、彼等と共にいないだろうからな。 


 それに、こういった状態にも利点はある。

 道行く人々が、自然と道を譲ってくれるのだ。おかげで劇場までの道のりは非常にスムーズである。


 盛大に注目を集めることになりはしたが、エンカフの工房を出てから劇場に到着するまでの時間は、僅か15分足らずだった。



 初めて見ることになるが、非常に大きな建造物だな。

 流石に城ほどの大きさや面積があるわけではないが、広さだけならば下手な貴族屋敷の敷地よりも広いぞ、この範囲は。一体どれだけの観客が入れるのだろうな?


 劇場に到着したら到着したで、やはり多くの視線を集めることとなった。

 劇場の係員達など、私の姿を確認した瞬間、私に向けて跪いてしまうほどだ。少しやり過ぎただろうか?


 しかし、こういう時でも無ければマーグに献上されたアクセサリーを使用する機会もないだろうからな。気にせずそのまま歩を進めることにした。


 そういえば、劇場に入るためにドレスコードを求められるのであれば、当然座席の予約なども必要ではないのだろうか?

 劇場で演劇を鑑賞すると決めたのは昨日の今日である。そう都合よく席を取れるのだろうか?


 私の疑問に、エンカフは自信満々で答えてくれた。


 「何の心配もいりません。私はこの劇場の常連ですからね。席の確保など容易なのです。『姫君』様がご来場なさることを話せば、向こうから進んで特等席を用意してくれましたよ」


 座席は問題無く確保できたらしい。しかも劇場側から席を用意してくれたとは。

 やはり私が訪れて劇を鑑賞するという事柄自体に意味があるのだろう。おそらく、宣伝効果かもしくは売名効果が大きいのだろう。


 劇場内に入ると、すぐさま身なりの良い男性が5人の部下らしき人物を引き連れて私達を出迎えた。


 「当劇場に、ようこそお越しくださいました。我々一同、『姫君』様御一行を心より歓迎いたします。早速お席へご案内させていただきます。どうぞこちらへ」


 私達一人につき、一人の人間を劇場にいる間の使用人として宛がうようだな。

 ティシアは非常に嬉しそうにしているが、アジーやココナナは気後れして動きがぎこちなくなっている。

 私には私を出迎えた身なりの良い男性が付くようだ。劇場の支配人だろうか?周りの人間の様子から見て、それで合っているようだ。


 案内された特等席とやらは、一般の観客席よりも高い位置に設置された、約36㎡ほどの個室だった。

 舞台がある方向には開閉可能なガラスの窓が設けられており、劇を観賞するのに不自由ない空間と言えるだろう。


 一人一人に一人用の豪華なソファーが用意されている。座り心地はかなり良さそうだな。しかも傍にテーブルまで設置されていて、飲食も可能になっているようだ。

 飲食物のメニューも美味そうなものが多く、なかなかに興味が惹かれる。まさに至れり尽くせりである。


 見れば私達に付いた使用人達は、全員が『格納』を使用できるようだ。飲食物は、彼等の格納空間に収納してあるのだろうな。

 間違いなく手練れである。使用人としてだけでなく、この個室を使用する者の護衛の任にでもついているのだろうか?


 演劇はまだ始まる様子もないので、とりあえず軽くつまめるものと紅茶を用意してもらうことにした。

 先程十分に食事を取った後のためか、私以外は誰も飲食物を頼んでいないな。


 まぁ、2,3時間もすれば自然に空腹も覚えてくるだろう。折角の特等席だ。次はいつこの席を利用できるか分からないのだ。一品ぐらいは口にしておいた方が良いだろう。


 さて、演劇を観賞する準備が整ったところで、ひとつ疑問が浮かんできた。

 私達の席から演劇を行う舞台まで、かなりの距離があるのだ。

 私の視力と聴力ならば問題無く視聴できるが、果たして窓を解放するからと言って、一般の人間がこの位置から不自由なく演劇を楽しむことができるのだろうか?


 その疑問に答えてくれたのは、やはり劇場に通い詰めているエンカフだった。


 「問題ありません。ホールの作りは音がよく響く作りになっておりますし、役者もホール中に声を届けさせる訓練を積んでいます。更には『遠見ディスタビュ―』を使用できない者のために無償で簡易望遠鏡の貸し出しもされています。視聴できないと言うことはありませんよ。ちなみに、この座席を利用する者には、無償で簡易望遠鏡を贈呈してもらえます」


 望遠鏡はガラスを用いた製品のため、この国ではまだ高額品だというのに、それを貸与ではなく贈呈するのか。随分と気前がいいのだな。それだけ、この座席の料金が高額だと言うことだろう。

 支払いはどうしたのだろう?既に支払い終えているのだろうか?


 「ああ、いえ、今回は無償です。『姫君』様が初めてご利用成されると言うことで、サービスなのだそうです」


 つまり、これはアクレインでのアマーレと同じと考えていいのか?

 やはり私が利用することで大きな宣伝効果と売名効果が見込めるのだろう。


 それだけではないな。

 支配人は、私に再びこの劇場を利用してもらうために最大限のもてなしを、と考えていると見てよさそうだ。


 提供された軽くつまめるもの。甘じょっぱく濃い目に味を付けた食用の種子、ナッツを一粒ずつ口に含みながら、今回の演劇のスケジュールと演目を聞かせてもらうとしよう。


 それにしてもこのナッツ、かなり美味いな。濃い目の味もそうなのだが、噛み砕いた時の舌触りが実に良い。ついつい手が進んでしまう。あっという間になくなってしまった。

 この手の進み方は、ハン・バガーセットのポテトを彷彿とさせる。食べ足りないので追加で頼むとしよう。


 紅茶もいい味だ。茶葉も良いが、淹れ方自体が良いのだろうな。紅茶を淹れる専門の職業があるようだが、私達に付いた使用人達は、全員がその資格を持っていると考えて良いかもしれない。

 そしてナッツの味が強い分、紅茶の苦味と旨味が良く引き立てられる。良い組み合わせである。


 ソファーの座り心地も良いものだ。非常に気の利いたことに、背もたれの一部を取り外すことができ、そこに尻尾を通すことで尻尾を持つ種族でも問題無くソファーの座り心地を堪能できるのだ。


 背もたれに穴のあるソファー、思った以上に良いな。こうして背中を預けて全身を柔らかく受け止められる経験をするのは、初めてかもしれない。

 アマーレの小型高速艇でも似たような機能を持った椅子はあったが、あの椅子はやや硬めだったからな。快適さで言えば、圧倒的にこちらの方が上なのだ。


 特等席の居心地を堪能していると、ホール全体が暗くなり、先程まで観客の話し声で騒然としていたというのにピタリと静かになってしまった。


 演劇がこれから始まるらしい。


 演目は、知っている小説の題名だった。


 知っている物語の演劇が、どのような感動を私に与えてくれるのか、是非見せてもらおうか。

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