第368話 ノア専用包丁"黒龍烹"
エンカフの様子を見てみれば、彼は俯いた状態で小刻みに震えている。
彼にしては珍しい素材を前にしているわけでもないのに感情が大きく揺れ動いているため、どういった感情を持っているのかいまいち分からない。
エンカフは、劇に対してどのような思いを抱いているのだろうか?
その答えはすぐに出た。
「なんっっっという!僥っ!倖っ!!この私が!『姫君』様に!初めて劇をご紹介できるとはっ!!この上ない栄誉を与えて下さった五大神に!深く!感謝!申し上げますっ!!!」
エンカフは勢い良く立ち上がったと思えば、大袈裟な身振り手振りで五大神への感謝の言葉を語り出した。
しかも普段の彼からは想像もつかないほどの大音量でだ。当然、周囲の視線が彼の元に集まる。
ただ、この反応を見る限り、劇が嫌いというわけではないようだな。
「エンカフは、劇が好きなの?」
「好きなんてもんじゃ…」
「こよなく!愛しております!!演者が身振り手振りを用いながら感情を込めて語られるセリフが!場面ごとの雰囲気に合わせて流れる、時に繊細で時に壮大な場面を盛り上げる音楽が!魔術具をふんだんに使用して表現される、迫力ある演出が!そしてなにより!それらを間近で見ているかのような臨場感が!!知っている物語は勿論!例え知らない物語でさえも!それらを視聴する者に大きな感動を与えてくれるのです!!それは!まさしく一つの芸術作品と言っても過言ではないでしょう!!!」
店中に伝わるような大声で身振り手振りをしながら、エンカフは語る。長いセリフを噛むこともなければどもることもなくスラスラと語るその様には、彼の様子を見ていた店の利用客も感心して拍手を送るほどである。
嘘偽りなく、エンカフは演劇というものをこよなく愛しているのだろう。演劇を語る姿からは、強い熱意を感じられた。
が、やはり食事の場で激しく動きすぎたようだな。
「お客様。他のお客様のご迷惑となりますので、大声で叫んだり席を立って大きな動作をするのはお控えください」
「あっ…う…す、すまなかった…」
店員に注意を受けたのだ。にこやかな顔をしているというのに、その内面は決して笑っていなかった。
大声を出せば見ての通り他の客から注目を集めるだろうし、激しい身振りを行えば食事や食器を運んでいる店員にぶつかってしまうかもしれなかった。店員が迷惑がるのは当然だろう。
指摘され、エンカフも冷静さを取り戻してそのことを認識できたようだ。自信の行動に羞恥の感情を覚えたのか、顔を赤くして店員から顔を背けている。
とにかく、エンカフは演劇のこととなると我を忘れてしまうほどに演劇にのめり込んでいると言うことは理解できた。
ならば、明日の午後の案内は彼に任せて大丈夫だろう。
ついでだ。明日の昼食は新しい包丁を使って私が用意することも、今のうちに伝えておこう。
「おおー!久々にノア様の料理が食べられるんですね!?デザートは付いて来るんですか!?」
「オメェよぉ…。遠慮ってもんを覚えろよ…」
「ドルコにも提供する予定だから、彼の好みに合わせたものにしたいな。知っていたら教えてもらえる?知らないようなら、悪いけど、調べてもらいたい」
間違いなく良いものが出来上がるだろうからな。報酬とは別に、ドルコの働きに応えたいのだ。
喜んでもらいたいのだ。
料理で喜んでもらうには、相手の好きな料理を提供するのが一番だと思う。だから、知っているのなら教えて欲しい。
まぁ、頼まなくても幻を用いてドルコの食事を観察すれば好みがわかるかもしれないが、あまり使いたい手段ではない。
そもそも、その方法では好みの傾向は分かるかもしれないが、一番の好物が分かるとは限らないのだ。
やはり分からないことを知るには、知っている者に聞くのが一番だ。
そして幸いにもドルコの好物はアジーとスーヤが知っていた。
「それならアタシ等が知ってますよ!あの親方はとにかく肉料理が好きっス!」
「特に好きなのは食べ応えのある骨付きの肉だったね!香辛料たっぷりのヤツ!大仕事が終わった後とか、いつも食べてるみたいですよ!」
香辛料たっぷりの骨付きの肉か。私の所有する食材は毎回肉と骨を分別させてしまっているからな。今は所持していなかったりする。
この街で取り扱っているものを購入しても良いが、幻を街の外に出現させて魔物の部位を回収させるという手段もある。
確認してみればこの街で取り扱っているし、問題無く手に入るとのこと。
ならば、悩む必要は無いな。撮影に向かう前に取り扱っている店を案内してもらい、購入しておこう。
昼食を終えてリガロウに満足いくまで食事を与えたら、明日の昼食用の食材を買い揃えて撮影に向かう。
今回の店は、前2軒とは少し雰囲気が違うようだ。どういうわけか、エンカフとスーヤは入ってはいけないらしい。
何のことはない。今回の撮影で身に付ける衣服は、布面積がこれまでの店と比べてかなり少ないのだ。
どの程度少ないかと言えば、私が初めてティゼム王国に訪れた際に着用していた服と同等か、それよりも更に露出が多いのだ。シンシアが見たら、卒倒してしまいそうだな。
それだけ露出が多いというのに、紹介された衣服は別に下着というわけではないらしい。
というか、人間達にとっては服を着込んで寒さを凌ぐであろうこの季節に、この手の衣服は需要があるのだろうか?
「勿論です!寒さなど魔術や魔術具でどうとでもなってしまいますからね!美を求める者には寒さ程度、どうと言うことはないのです!」
「『姫君』様の美しさを世界中に知らしめるためにも、何卒よろしくお願い致します!」
世界中に知らしめると来たか。大げさなものだな。
別に露出の多い服を着るのが嫌だというわけではないので、彼等がこうまで頭を下げずとも提供された衣服は躊躇うことなく着用させてもらう。
とは言え、この手の衣服は人によっては着用を拒む場合がある。シンシアなどは、まず着用を拒むだろう。
そういえば、エンカフとスーヤは男性であるがゆえに入店できなかったようだが、記者も撮影者も男性である。それについては構わないのだろうか?
「まぁ、そういう仕事の人達ですし…」
「写真集が発売されたら結局性別問わず皆買うでしょうから…」
「ま、あの2人を店に入れなかったのは、アタシ等の気分の問題っス」
とのことらしい。3人とも、あの2人に私の露出の多い姿を直接見せるのは気が進まないらしい。
仮に今回の衣服を着用した姿を彼等が見た場合、どのような反応をするのか彼女達は理解しているのだろう。チヒロードに向かう途中、私が雪で遊んでいた時の彼等の視線を考えれば、容易に想像がつくというものだ。
まぁ、撮影には関係のない話だ。今回もやることは変わらない。
布の生地の量など関係ないとばかりに、提供された衣服やアクセサリーには、それを手掛けた職人の思いが込められているのだ。
今回もその思いに応えるように、私も感情を込めて撮影に挑むまでだ。
無事撮影が終わる頃にはやはり夕食時となり、周囲は暗くなり始めていた。
子供達を迎えに行きセンドー邸へと戻りたいところなのだが、今回は子供達を迎えに行く前によるべき場所がある。
冒険者ギルドだ。
図書館の依頼達成の報告もあるが、それはあくまでついでだ。絵画を描く日時を伝えるのが本来の目的である。
絵画を描くのは、明後日の午前中にしようと思う。今のところ特に予定はないし、この街についてもあらかた案内してもらったようだからな。
絵画を描き終わらせてヒローに渡したら、そのまま王都に移動しようと思う。
いい加減待ちくたびれているであろうリナーシェに会いに行くのだ。
今回の彼女との手合わせでは、先日"ダイバーシティ"達にも使用した合体蛇腹剣を使用するつもりである。どんな反応をするか楽しみだ。
そうだ。リナーシェは甘いものが好きだろうから、この街にいる間にショートケーキを作って保管しておこう。きっと気に入ると思う。もしかしたら、もう知っているのかもしれないな。
知っていようがいまいが、また何かしらの条件を付けて達成したら提供しよう。
流石に毎回トラブルがあるわけでもないので、今日は何も問題無く子供達をセンドー邸へと連れ帰ることができた。
センドー家の食事を楽しみ、リナーシェのためのショートケーキを作ったら風呂に入って今日を終えるとしよう。
翌日。チヒロードに到着するなり早速ドルコの工房に向かわせてもらった。今回も同行者はアジーとスーヤである。
アジーとスーヤの武器のメンテナンスは昨日の午後に済ませてしまったようだ。3人で工房に入るなり、手早く受け渡されていた。
「それじゃあ、昨日の続きから見学させてもらうよ?」
「ははぁーーーっ!引き続き、全身全霊を込めて製造させていただきます!」
鍛造作業は昨日の内に終わらせているので、炉を使うことはない。そのうえ、午前中は私の包丁に専念するためか炉には火が付いていない状態だ。火の精霊が退屈そうにしていた。
だが、私が作業場に足を踏み入れるなり、火の精霊は昨日と同様に私の体に嬉しそうに飛び込んで来た。随分と懐かれたものである。
作業の邪魔になるわけでもないので、今回はこのままこの子を抱きしめて見学させてもらうとしよう。
火の精霊は、今でこそ私に甘えて私から離れようとしていないが、ドルコのことは十分認めているようだ。
作業中の彼を見つめるこの子の目からは、尊敬の念が読み取れる。
そんな作業に勤しんでいるドルコの表情は真剣そのものだ。
少しのひずみも許さず、丁寧に丁寧に満遍なく刃を研いでいく。使用されている金属が非常に強固なため、砥石だけでは研磨できないのだろう。頻繁に研磨剤を投入している。
視覚だけに頼っているわけではないようだな。手に伝わる感触からも、刃の状況を把握しているようだ。まさしく、熟練の技というヤツなのだろう。
火の精霊と共に、見入ってしまう光景だ。
少しずつ、本当に少しずつ、製作者が思い描いていた形が出来上がっていくその光景は、私に瞬きを忘れさせてしまうほど魅力的な光景だった。いつまでも見ていたくなるような光景だ。
どうやら、火の精霊もこの時間が好きらしい。
ドルコが作業を始めるまではひたすらに私に甘えていたというのに、今では作業を続けるドルコの背中しか見ていない。
自分が関与した物が一つの作品として仕上がっていくことに、喜びを感じているのだろう。
今ここに、ドルコの新たな作品が完成しようとしていた。
作業開始から6時間。どうやら全ての工程が完了したようだ。
ドルコは跪いて頭を下げ、両手で包丁を捧げるようにして私に差し出してきた。
「お待たせいたしました。此方が『姫君』様のために作り上げた鍛冶師ドルコの全身全霊の作品。"
差し出された包丁を両手で丁寧に受け取り、全体をじっくり確認させてもらう。
刀身はアダマンタイトを基調としているため漆黒である。だが、この包丁はミスリルが均一に混ざり合った合金だ。光の当たり具合によって仄かに虹色の輝きを放っている。私の髪や鱗と同じと言っていいだろう。
狙ってやったのだろうか?だとしたら、見事としか言いようがない。ただアダマンタイトと混ぜ合わせれば出るような色では無い筈だ。
柄の近くには銘が彫られているな。ドルコが口にしていた通り、ニスマ王国の言語で黒龍烹と刻まれているな。
包丁としては間違いなく破格の性能をしているのだろう。と言うか、下手な武器よりも強力なんじゃないだろうか?多分だが、スーヤが愛用している短刀よりも性能が良い気がする。
尤も、この"黒龍烹"は武器ではない。使用するのは料理をする時のみである。本当に良いものをこしらえてくれた。
「見事。この一言に尽きるよ。気に入った」
「ははぁーーーっ!お褒め頂き、恐悦至極に御座います!」
「料金を渡すのは当然として、私の気持ちを伝えたい。早速この包丁を使ってみたいのだけど、この工房に調理場はある?」
「粗末なものならばありますが…。まさか『姫君』様!?この場で料理を!?」
早速使いたいのだから、それ以外にないだろう。食事に誘ったら昨日のように断られてしまうかもしれないが、ここは我儘を通させてもらう。
例え同じ席で食事を取らなくても、作った料理は口にしてもらう。
「貴方が丹精込めて作った包丁だ。その包丁で作られた料理、やはり最初に口にする権利を持っているのは、貴方を除いて他にいないさ」
「な、なんと!?『姫君』様の料理をいただけるだけでなく、最初に…!?」
断られるかと思ったが、意外にもその様子は無さそうだ。隠す様子もなく私の料理を食べられることを嬉しそうにしている。
ならば遠慮はいらないだろう。ドルコは粗末な調理場だと言っていたが、ある程度であれば魔術でどうとでもなる。
この包丁、"黒龍烹"に相応しい料理を存分に作り上げるとしよう。
今度は私が腕を振るう番である。
完成した食事は作業場で提供させてもらうことにした。
作業後であるため、色々と散らかっていはいるが、その辺りは『
アジーとスーヤには悪いが、接客部屋と作業場の境には匂いを遮断する結界を張らせてもらった。
一番最初は、やはりこの場にいる者達だけに食べて欲しいと思ったからだ。
この場にいる者達。そう、ドルコだけでなく、火の精霊にも料理を用意した。
勿論、人間達が食べるような普通の料理ではない。人間では食べられないことはないが食べてもあまり食べた気がしないと思われる料理だ。
魔力の塊を食材の形に再現して調理したので、殆ど非物質と言っていい存在だ。昨日の火の精霊の反応からして、多分喜んでもらえると思っている。
「『姫君』様?そちらの器は?」
「"黒龍烹"を作るにあたって大きく貢献してくれた火の精霊に対してだよ。魔力の塊みたいなものだから、喜んでもらえると思う」
「おお!確かに!精霊様の御力添えなくして、"黒龍烹"は完成しませんでした!そうか…!この誰に対しても配慮の心を忘れない姿勢こそ、『姫君』様が尊く感じる理由なのか…!」
ドルコは一人納得しているが、それはドルコの考えであって、答えは人それぞれだとは思う。皆が皆が私のことを尊い者だと思うなどとうぬぼれるつもりは無いし、そう捉える理由も人によって変わる筈だ。
まぁ、そんなことはどうでもいい。今は作った料理を楽しんでもらおう。
その辺り、火の精霊の方が素直だな。
炉の前に精霊用の料理を出せば、迷わず炉から顔を出して料理を食べ始めた。昨日私から魔力を摂取していた時よりも勢いが良い。
初めての試みだったが、上手く行ったようだ。
「お…おおおおお…!おおおぉ~~~ん!!!」
私が精霊に食事を与えている間に、ドルコも料理を口にし始めたらしい。一口料理を口に入れるたびに、奇声とも感嘆とも言える声を上げている。
防音処置を施しておいて正解だったな。
今のドルコの声をアジーとスーヤが耳にしていたら、何事かと思って作業場へと駆けつけてきた事だろう。下手をしたら大事になっていたかもしれない。
まぁ、先述の通り匂いも音も遮断しているので、2人には作業場の様子などまるで分からないのだが。
今の彼等の食事を邪魔する者は誰もいない。
心行くまで存分に堪能してもらおう。
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