第367話 火の精霊

 私が料理に使用する万能包丁。ドルコはそれをアダマンタイトとミスリルの合金で作るつもりのようだ。

 費用は金貨1000枚。払えない金額ではないので、問題無い。


 炉は2つの金属の融点を超えた温度に達している。

 ミスリルはともかく、アダマンタイトの融点を超える熱を生み出せる炉は、非常に珍しい。それだけ扱いが難しいからだ。


 それに、それだけの熱を生み出すための燃料、もしくは魔力が必要になる。更には、炉が生み出す熱に耐えられるだけの強靭な肉体も要求される。

 強力な炉は、誰にでも扱えるようなものではないのだ。


 ドルコが炉の前で跪き、両手を組んで祈りの言葉を捧げている。


 「業火に宿る火の精霊様。この度、いと尊き御方のための品を作り奉りたてまつります。何卒、何卒精霊様の御力をお借りしたく存じます…。どうか、御力添えをお願いいたします…!」


 祈りの言葉は、精霊に対する願いの言葉だった。

 炉の内部に意識を集中してみれば、確かに精霊が存在していた。ドルコの言葉通り、火の下位精霊だ。尻尾の先端に火を灯した、赤色のトカゲの姿をしている。つぶらな目をしていて、とても可愛らしい外見だ。


 あの子にはドルコの声、というよりも願いが聞こえているのだろう。彼の願いを聞き入れ、瞬く間に炉の温度を上昇させてく。

 ミスリルはおろか、アダマンタイトすらも溶解させるだけの熱が炉に入る。

 知ってか知らずか、ドルコは火の精霊の力を用いて炉の熱を確保しているようだ。

 

 これからドルコは2つの金属を融解させ、均一に混ぜ合わせることでアダマンタイトとミスリルの合金を作るつもりのようだ。

 だが、炉の内部は硬度も融点も人間が知る金属の中では最も高いアダマンタイトすら溶解させる超高温。融解した金属をどうやって回収するのか。


 その答えは、魔術による付与だ。

 高熱耐性を魔術によって付与されたアダマンタイト製の容器に、2つの金属のインゴットを投入して融解、その場で均一に混ぜ合わせるのだ。


 例え2つの金属が融解したとしても、炉から取り出して混ぜ合わせはしない。炉から取り出した途端に、アダマンタイトの状態が固体に戻ろうとするからだ。

 そのため、容器と同じく高熱耐性を付与されたアダマンタイト製の器具を用いて炉の内部で融解した2つの金属を均一に混ぜ合わせる必要がある。


 当然、ドルコはその作業をするために炉の前に立ち続ける必要がある。

 窟人は種族特性として他の人間よりも高熱に対して耐性があるようだが、それでも大量の汗を流すだけの熱量を浴びている。高ランクの冒険者とて、そう耐えられる温度では無い筈だ。


 均等に融解した金属が混ざったようだな。容器を取り出し、それを急ぎ耐熱処理を施した砂の型枠に注いでいく。融解した金属が凝固すれば、アダマンタイトとミスリルの合金の完成だ。

 砂の型枠は既に板の形状をしているため、後は合金を鍛造によって可能な限り強固に鍛えるのみだ。


 金属の衝突音が、大音量で工房内に響き渡る。先程ドルコが製造したアダマンタイトとミスリルの合金を槌で叩きつけて鍛えている音だ。

 きっと、途轍もなく強固な包丁が出来上がるだろう。完成が楽しみだ。


 包丁を受け取ったら、早速料理を作らせてもらおう。ただ、流石に今日の昼食には間に合わないだろうから、料理を振る舞うのは明日以降となるな。夕食はセンドー家で食べることだし。

 勿論、ドルコにも提供しよう。そもそも彼が鍛えた包丁で作られた料理だ。当然彼にも食べる権利があると思う。

 包丁に対する感謝を込めて、一番最初に彼に振る舞うとしよう。


 ところで、先程から炉の中から火の精霊が私の方を見つめている。気になることでもあるのだろうか?

 敵意は感じないな。それどころか、強い興味を抱かれているようだ。


 炉に宿る精霊の外見はトカゲのそれだが、あくまでも外見だけだ。あの子にドラゴンの因子があるわけではない。そのため、あの子が私に対して何かを感じることはないと思うのだが…。


 いや、待てよ?

 現在、私の家の広場には、大樹に宿った精霊であるオーカドリアがいる。

 それだけじゃない。私に仕えるラフマンデーが下位精霊を使役しているせいか、彼等も私に対して非常に恭しい態度を取っているのだ。


 まさかとは思うが、それが影響しているのか?

 なんにせよ、今はドルコが作業を行っている最中である。彼の邪魔をするわけにはいかない。私に用があるのなら、ドルコの作業が終わってからにしてもらおう。



 そうして作業を開始してから7時間。ようやく鍛造が終わったようだ。だが、これで終わりではない。成形、焼き入れ、焼き戻しの作業を行った後、包丁全体のひずみを取り、その後に丹念に包丁を研ぐことで刃を作る。

 その後、柄を入れてようやく完成だ。


 ひとまずキリの良いところまで作業が進んだので、ドルコもこれから昼食にするようだ。私達も昼食を取るとしよう。

 なお、アジーとスーヤなのだが、彼等はこの場にはいない。炉の生み出す熱が届かない、私達がドルコと挨拶を交わした接客部屋とでもいうべき場所で待機している。


 7時間も待たせてしまっているので、さぞ退屈な思いをしていたことだろう。後で謝罪しておこう。

 別行動を取っているティシア達には、フーテンに思念を送ればいい。思念を受け取ったあの子が、ティシアに連絡が来たことを伝えて合流できるはずだ。


 鍛造の工程は非常にスムーズに終わらせていたが、ここからの作業、かなりの時間が掛かる筈だ。どれだけ早く包丁を作れたとしても、完成は明日以降となるだろう。


 「とても良いものを見せてもらったよ。完成は、明日以降になるかな?」

 「お疲れさまでした。『姫君』様のためですからね。今晩中に終わらせる予定でございます」

 「そう。無理はしないようにね?それと悪いのだけれど、午後からは予定があるから、今日はこれ以降の見学ができないんだ」


 鍛造作業、実に面白かった。

 私が金属製品を用意する場合、金属そのものを自在に操作できる『我地也ガジヤ』があるため必要のない技術なのかもしれないが、金属製品を生み出すうえで今回の知識は必ず参考になる筈だ。


 残念なことに今日も写真の撮影があるため、昼食を終えた後は鍛冶の見学ができないのだ。精霊と戯れるのも、明日以降になりそうだな。

 この後の作業もとても興味深かったので、非常に残念だ。


 「左様でございましたか!であれば、残りの作業も明日以降『姫君』様がご来訪なさった後に行いましょうか?」

 「良いの?」

 「勿論で御座います!包丁ができるまでの過程をご覧になるのが『姫君』様の望みであれば、それに応えるのが我が勤め…!」


 何ともありがたい提案をしてくれたものだ。是非ともその好意に甘えさせてもらうとしよう。


 「それじゃあ明日も同じぐらいの時間…いや、もう少しだけ早く工房に訪れさせてもらうよ?」

 「承知いたしました。ご来訪を心よりお待ちしております!」


 ドルコと別れを告げ、接客部屋へと移動しよう炉に背を向けたその時、強い視線を感じて思わず足を止めてしまった。


 火の精霊である。

 私がこのまま立ち去ってしまうのを、とても悲しい目で見つめているのだ。私にここから立ち去って欲しくないらしい。

 足を止めてしまった私に対して、ドルコが不思議そうにしている。


 この際だ。ドルコに精霊を知覚できているかどうか尋ねてみよう。


 「『姫君』様。どうか、なさいましたか?」

 「…ドルコ、一つ確認したいのだけど、貴方は精霊を知覚できる?」

 「いえいえまさか!精霊術師でも無いのですから、分かりませんよ!作業の前に精霊様への祈りを捧げていたのは、まぁ、ゲン担ぎみたいなものですから!」


 つまり、ドルコは無自覚に精霊を使役していたことになるのか?いや、そもそも使役していたのではなく、火の精霊にとってドルコの扱う炉の中の居心地がいいだけなのかもしれないな。


 それにしても、困った。

 精霊の見た目が可愛らしいから、悲しそうな表情をされるとどうしても構ってしまいたくなる。


 少し昼食が遅れるぐらい、まぁ、良いか。


 炉の前に立ち、両手を前に出して精霊を迎え入れる。


         おいで 抱きしめてあげよう


 オーカドリアと意思の疎通を繰り返していたからか、精霊の意思疎通方法を習得できてしまった。

 普通に声を発しても火の精霊には聞こえるのだろうが、この方が明確に意思が伝わると思ったのだ。


 こちらの意思を伝えた途端、火の精霊は勢いよく私の胸に飛び込んできた。そのまま優しく抱きしめると、とても嬉しそうに全身を私の体にこすりつけてくる。

 よほど私に触れたかったようだ。とても可愛らしいので、思わずこのまま連れて行きたくなってしまったが、そんなことをしてしまったらドルコの仕事に支障が出るなんてものではない。

 この子の気が済んだら、炉に返してあげよう。


 ただこのやり取り、ドルコからは精霊が見えていないので、私がいきなり炉の前で不審な動きをしているようにしか見えないのだ。


 心配そうに声を掛けられてしまった。


 「あの…『姫君』様?一体、何を…」

 「とても良い炉だね。この炉に宿っている精霊も、とても張り切っていたよ」

 「えっ?はっ!?せ、精霊様!?」


 事実を伝えれば、こうもなるか。

 ドルコからしたら、炉に向かって精霊に祈りをささげるのはゲン担ぎだと言っていたからな。実際に精霊が宿っているなどとは夢にも思わなかったのだろう。かなりの衝撃を受けてしまっているのか、絶句してしまっている。


 おや、精霊が私の魔力を欲しているようだ。私に触れて嬉しそうにしていたのは、それが原因か。

 魔力を与えること自体は構わないのだが、今の私の魔力をこの子に与えても、あまり糧にはならなさそうだな。

 この子は火の精霊だから、当然赤色の魔力を好むだろうからな。どうせなら赤色の魔力を与えてあげたい。


 しかしこの場にはドルコがいるから、彼の目の前で自身が持たない魔力を生み出すわけにはいかない。さて、どうしたものかな?


 そうだ。ドルコもこれから昼食を取るのだから、まずはこの子を炉に戻して、この場を離れよう。

 そうしてこの場に誰もいなくなったら幻を出現させて幻を介して赤色の魔力を与えてやればいい。『幻実影ファンタマイマス』が使える私には簡単なことだったな。つくづく反則的なまでに便利な魔術だ。


 私の魔力がもらえず、とても残念そうにしている火の精霊を断腸の思いで炉に返し、この場を離れる。


 「そろそろ昼食に行くとしようか。かなり空腹なんじゃないかな?他の"ダイバーシティ"のメンバーも一緒になるだろうけど、貴方もどう?」


 声をかけると、そこでようやくドルコが意識を取り戻したようだ。ただ、私からの誘いを受けて気が動転しているようだ。


 「い、いえ!『姫君』様と同じ食卓に着くだなど、恐れ多すぎます!」


 私は別に構わないのだがな。私に対する世間の評価がそれを許さないのかもしれないな。こういう時は、高い身分というのは不便なものだ。

 まぁ、それ以上に良い思いをさせてもらっているので、文句を言うのは我儘が過ぎるというものか。


 ドルコは自分の行きつけの飲食店へ、私達はティシアと合流してスーヤが勧める飲食店へと移動することにした。


 さて、これでドルコの工房には人が誰もいない状況だ。幻を出現させて、存分に火の精霊を可愛がろう。

 不法侵入も良いところなのだが、特に何かを持ち去っていくわけではないので容赦してもらいたいところだな。多分、火の精霊も今までより強い力を得るだろうし。


 改めて炉の前に立って火の精霊を迎えると、先程以上の勢いで胸に跳びつかれてしまった。この子は随分と甘えたがりのようだ。

 誰もいないので遠慮はいらない。赤色の魔力を人差し指から生み出して、少しずつ火の精霊に分け与えていくとしよう。


 鳴き声や言葉は伝わってこないが、それでもこの子がとても喜んでくれていることは容易に分かる。

 赤ん坊が母親から授乳するかのように、私の指先から魔力を取り込んでいる。見た目がトカゲなだけに、少々不思議な光景だ。


 それはそれとして、とても優しい気持ちになれるな。母性本能というヤツなのだろうか?ますます可愛がりたくなってしまう。


 だが、あまり可愛がり過ぎるのも問題になるのだろう。この子の居場所は、信仰される場所はこの炉の中なのだ。この子も、この炉の中が自分の住むべき場所だと認識している。私が連れて行ってしまうわけにはいかない。


 この子の望みとしては、私にずっとここにいてもらいたいのだろうが、残念ながらそれはできない。私にもやりたいことがあるからな。

 根気よく説得して、納得してもらうとしよう。



 さて、場所は変わってスーヤに案内された飲食店である。現在は食事を取りながら今後の予定について話をしている最中である。


 「写真集の撮影は今日で最後、と言うことで良いんだよね?」

 「はい。今日の店での撮影が終わったら、晴れて依頼達成です!うへへ…ノア様が着用したのと同じ服やアクセを一番にできるこの優越感…!くぅううう~~~!たぁまんないわねぇ!」


 一口も酒を飲んでいないというのに、酔っぱらいのようなテンションだ。

 どうやら無料で大量の衣服やアクセサリーが手に入るだけでなく、今後流行になりそうな商品をいち早く手に入れるられたことをとても喜んでいるようだな。


 私がとやかく言うことでは無いな。私は同じ物はおろか、店内で気に入った商品を無料で受け取っているのだ。

 記者が想定する写真集の売り上げで考えれば、微々たるものだろうが、私にとっては十分すぎるほどの報酬だ。

 なにせ、フレミーやフウカの制作する衣服にさらにバリエーションが増えることになるだろうからな。今後が楽しみである。


 さて、写真集の撮影が今日で終わるのなら、明日の午後は好きにな場所へ行けると言うことだな?

 明日は早朝からドルコの元で包丁が出来上がる様を見学させてもらうから、午前中の予定は埋まっている。

 ともなれば、自由時間はこれまでとは反対に午後からとなる。


 明日の案内はエンカフの案内になる筈なのだが、彼には悪いが我儘を言わせてもらうとしよう。


 「明日の午後は案内してもらいたい場所というか、見てみたいものがあるのだけど、紹介してもらっていいかな?」

 「勿論です。この街に存在するものでしたら、必ずや『姫君』様の要望にお応えしましょう」


 流石、この国のことならば案内出来ないものはない、と豪語するだけのことはあるな。


 では、遠慮なく要望を伝えさせてもらおう。


 「この街に劇場があるのなら、そこを案内してもらえるかな?劇を見たいんだ」

 「劇場で…劇を…?」

 「「「「あっ…」」」」


 劇場という言葉を耳にした瞬間、エンカフの目つきが鋭くなり、他のメンバーが何かを察したような表情となった。


 何か拙いことを言ったのか?

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