第352話 初代センドー子爵・チヒロ=センドー


 初代センドー子爵の研究資料。それがどれほどの価値があるものなのか。


 ヒロー曰く、初代センドー子爵の知識量は凄まじく、中には街どころか国を滅ぼしてしまえるような危険な知識まであるらしい。

 そんな初代センドー子爵の知識のすべてが、暗号化された研究資料に記録されていそうなのだ。


 今代に至るまでセンドー家に生まれる者は皆、高い錬金術師の素養を持っている。初代の血筋を強く引き継いでいるらしい。

 だが、そんなセンドー家の子孫達ですら、初代センドー子爵の研究資料を解析することは未だにできていないのだ。

 勿論、解析できた知識もある。だが、それは数ある知識の中のほんの一部に過ぎないらしい。


 「後程、初代様が使用なされていた工房へとご案内いたします。研究資料は、すべてそこに…」

 「それはいいのだけど、私は錬金術に関しては殆ど素人だよ?聞きかじる程度にはティゼム王国で学びはしたけどね」

 「無論、全力でサポートさせていただきますとも。初代様の研究を解析することは、この街の錬金術を全て網羅することと変わりないことでしょうからね」

 「私が錬金術ギルドに向かって欲しくなかったのは、秘匿技術を守るため?」

 「御慧眼の通りでございます」


 国すら亡ぼせるような知識まで、ギルドに渡すわけにはいかないだろうからな。解析できたとして、それをどう扱うかは慎重に考える必要があるだろう。

 ヒローの性格ならば封印するとは思うが。


 ヒローは私に錬金術ギルドに加入させないつもりらしい。その方が上納金を支払う必要もなくなるし、こちらとしても好都合なのだが、良いのだろうか?


 「ノア様。錬金術ギルドに所属している者、即ち錬金術師という生き物は、私も含めて知りたがりなのです」

 「知的好奇心に抗えずに、知るべきでない知識を得ようとしてしまう?」

 「初代様の研究資料の解析を依頼する時点で、否定はできないでしょう?そして知ってしまったが最後、試用してみたいという欲求に抗えないのが、錬金術師というものです…」


 それもそうか。

 ヒローには、自分の領土をより豊かにしたいという願望がある。だが、彼の願望はそれだけではない。領土を豊かにしたいのならば、今ある技術を発展させていけばいいだけだ。

 彼は未知を、謎を暴きたいのだ。知らないことを知りたいのである。


 しかし自分では初代の研究資料の暗号を解読することはできない。私が思っている以上に、ヒローは悶々とした日常を送っていたのかもしれない。


 そんな時に、私がこの国に来た。私ならば、初代の施した暗号を解読できると踏んだのだろう。

 おそらく、私がチヒロードに用事がなくとも、騎士を私の元に派遣して自分の元に呼んだ可能性が高い。


 「世に出すべき知識、そうでない知識の判別は、ノア様にお願いしたくございます。私のような並みの錬金術師では、欲求に抗えないでしょうからね」


 つまり、知るべきでない知識は最初からなかったものにして欲しい、と。

 それほど危険な知識が、果たして本当に初代の研究資料に収められているのだろうか?


 「間違いありません。初代様は、その力を用いて戦争で功績を挙げ、爵位を賜ることとなったのです」

 「その力はその後、一度でも使われた?」

 「いいえ。記録には一度きりと。そして、それを知る者はもはやセンドー家の当主のみとなるでしょう」


 初代も、そんな力を後世に残す気は無かったのかもしれないな。


 なかなか責任のある願いをするものだ。

 だが、当人が望んでいる以上、やらないわけにはいかないだろう。


 私としては洗料の知識が手に入ればそれで良いのだが、他にも役に立つ知識が手に入るかもしれないしな。


 「わかった。研究資料の解析を引き受けよう。そこで得られた知識、好きに用いても良いんだね?」

 「ありがとうございます。問題ございません。天空神様からの寵愛を授かったノア様ならば、安心して任せる事ができます」


 ここでルグナツァリオの寵愛による信用が出てくるか。改めて彼が人間達から強く信仰されていると認識させられるな。



 依頼の件についての話が終わると、ヒローは模擬戦に意識を集中し始めた。


 模擬戦の方式は個人戦と団体戦、両方行うようだ。今しがた、3度目の団体戦が終了した。


 先程まで戦闘を行っていたのは、私の元に来てセンドー家の屋敷まで案内した騎士だ。

 彼の階級は二等騎士。今の"ダイバーシティ"達ならば問題無く勝てる相手だ。


 結果は言わずもがな。"ダイバーシティ"達は一切油断すること無く、堅実な戦い方をして確実に勝利をもぎ取っていた。


 「見事なものですなぁ。彼等の実力は報告で耳にしてはいましたが、これほどまでに実力を身に付けていたとは…」

 「リナーシェに勝てるように鍛えたからね。今の彼等に勝つ場合、最上位の宝騎士を3人か、もしくは大騎士を10人以上揃える必要があるかな?」

 「彼等が我が領地を拠点にしてくれていること、感謝しなければなりませんな」


 その辺り、どうなるのだろうな?

 確かに"ダイバーシティ"達は現在チヒロードを拠点にしているようだが、彼等はリナーシェのお気に入りだ。もしかしたら、もっと頻繁に自分の所に来させるために王都に移り住まないか提案してくる可能性がある。


 ヒローもその懸念はあったようだ。


 「嬉しいことに、現在彼等は王都に移り住まずにチヒロードにいてくれています。おそらく、ランドランを与えられたのが大きいでしょうね」

 「だとすると、リナーシェは元から王都に来させるつもりは無かった?」

 「その可能性が高いかと。非常に苛烈で好戦的な方ではあるようですが、思慮深い方だと私は思います」


 …私はリナーシェのことをあまり理解していなかったのかもしれないな。彼女を軽く見ていたようだ。心の中で彼女に謝罪しておこう。


 個人戦でも問題無く"ダイバーシティ"達は勝利を収めているようだな。戦い方に容赦がないし、表情が終始必死だ。よほどペナルティが嫌なのだろう。


 すべての模擬戦が終わる頃には既に辺りは暗くなっており、夕食の時間を過ぎていた。

 これから街に戻って夕食となると、すぐに夕食にありつけるかどうか疑問である。


 だが、その心配はいらなかった。こうなることは元から狙っていたようだ。


 「夕食の用意ができています。よろしければ、召し上がって行きませんか?」

 「その訊ね方は、いかにも貴族的だね。初めから私達を夕食に招待するつもりだったのだろう?」

 「これは失礼いたしました。ノア様に隠し事はできませんね。センドー家に伝わる秘伝の料理を用意いたしました。是非ともご堪能ください」


 それは楽しみだ。そこまで言うのであれば堪能させてもらうとしよう。

 どうやら初代センドー子爵は、錬金術だけでなく料理の腕も良かったらしい。研究資料を解析することで、秘伝料理などのレシピも分かれば儲けものだな。


 食事を取りに屋敷へ入ると、たちどころに非常に食欲をそそる香りが私の鼻孔を刺激した。

 この香りは、知っている香りだ。私を魅了した料理の香りだ。


 ヒローはセンドー家に伝わる秘伝料理と言っていたが、だとしたらあの料理は初代センドー子爵がもたらした料理なのか?


 「ノア様もこの国に訪れて真っ先に堪能されたと聞き及んでおります。初代様がダニーヤに齎した始まりのカレーライス。是非、御賞味下さいませ」


 始まりのカレーライス、か。つまり、ダニーヤで私が口にした物とは異なる味の可能性が高いと言うことだな。


 面白い。どういった違いがあるのか、確かめさせてもらうじゃないか。



 食堂へ移動すると、食卓には既にヒローの妻であるナナリーとその子供達である少年少女たちが席についていた。

 子供達3人は私の姿を見るや否や、目を輝かせてこちらまで駆け寄ってきた。


 駆け寄ってきたとは言っても、その仕草は丁寧なものだ。シンシアやピリカのように体当たりをするような勢いでも無ければ、ましてやシャーリィのように木剣で切りかかってくるようなことも無かった。

 椅子から降りる時もなるべく音を立てないようにしていたし、マナーの教育はしっかりと行き届いているようだ。


 元気な声で挨拶をされるかと思っていたのだが、思いのほか丁寧な挨拶をされてしまった。

 年齢はそれぞれ上から9才、8才、6才。真ん中が息子である。

 上2つはともかく、一番下の年齢で上の子達と同じような挨拶が出来るのは、少し驚きだ。


 どうやら教育が行き届いているというよりも、姉の真似をしているといった印象だな。そして真似ることでそれが実際にできてしまえる辺り、末の子供は天才と言っていいだろう。

 これだけ利発的な子達ならば、錬金術ギルドに顔を出したとしても疎まれるような事も無さそうだな。


 ちなみに、"ダイバーシティ"達も一緒である。子供達は彼等と会うのが初めてではないようで、とても気に入っているようだ。


 特に、ココナナの人気が凄い。

 まぁ、当然だな。"魔導鎧機マギフレーム"はとてもカッコいいからな。息子が気に入るのは言うまでもないだろう。

 それに、"ワイルドキャニオン"にいる時に聞かせてもらったのだが、"魔導鎧機"は魔術具だけでなく錬金術の知識や技術もふんだんに使用されているようなのだ。

 娘達の興味が向かわない筈がなかったのである。


 子供達の要望もあって、"ダイバーシティ"達も同じ食卓にことになったのである。尤も、そうでなくとも同じ食卓に着いていた可能性は高いが。


 挨拶も済ませて席に着けば、早速器に盛られたカレーライスが配られていく。

 一目見て、ダニーヤで食べたカレーライスとは異なる者だと理解できた。


 確かに、目の前の料理が発している香り自体はカレーの物だと分かる。

 提供されたカレーライスに使用されているカレーは、ダニーヤの物よりも明るい色をしている。そして使用されている具材だ。


 ダニーヤのカレーには肉が大量に入っていたのだが、このカレーライスには肉以外にも一口サイズにカットされた野菜が入っていたのだ。どの具材にもしっかりと味がしみ込んでいて、とても美味そうである。


 食前の挨拶も済ませ、早速スプーンで掬って一口。


 うん!やはりカレーライスは美味い!手が止まらなくなってしまうな!

 食べながらも味の解析は行っておく。

 初代がダニーヤに齎したと言っていたことから、おそらく初代の研究資料にこの料理のレシピが記載されている可能性が高い。

 そもそもこうして提供されている以上、彼等はレシピを知っているのだから、資料の暗号を解読するまでも無いのだと思う。


 だが、それでも解析せずにはいられない。後で分かることだと理解出来ていても、この料理をいち早く自分で作れるようになりたいという欲求が溢れ出ているのだ。


 カレーライスを食べる子供達も非常に良い顔をしている。料理を口に運ぶたびに満面の笑顔になるのだ。とても可愛らしくて、見ていて幸せな気持ちにさせられる。


 私もカレーライスを堪能していると、ヒローから味の感想を訊ねられた。


 「いかがですかな?初代から伝わる、始まりのカレーライスの味は」

 「とても美味しいよ。ダニーヤのカレーライスと比べて、辛味が少ないんだね。それに沢山の味の染み込んだ野菜。良く煮詰まっていて、簡単に口の中で崩れる。始まりのカレーライスは、とにかく食べやすく作られているようだね」

 「それを理解なさって下さるとは、素晴らしい」


 ありのままの感想を告げただけなのだが、何故かヒローとナナリーは感極まった反応をしている。


 「使用している香辛料は、ダニーヤで振る舞われているカレーライスの方がずっと多いですからね。我が家で客をもてなす際に提供しても、物足りないと述べる者が多いのです」

 「理解はできますが、辛味が苦手な者や子供には、刺激が強すぎる味でもありますからね…。事実、もてなした客の子供の大半が、ダニーヤのカレーライスを食べられません」


 人間の子供は、大人よりも味覚が敏感だと本で読んだことがある。ダニーヤのカレーライスは、人間の子供にとっては刺激が強すぎるのだろう。


 「始まりのカレーライスを広めるつもりは、私達にはありません。しかし、初代様の残した、誰にでも、子供にも好まれ食べ易くしようという心遣いを理解していただけたことが、とても嬉しいのです」

 「カレーライスを食べた時の子供達の笑顔は、初代様が私達に残して下さった財産だと思っています」


 子供の笑顔が財産、か。良い事を言うじゃないか。

 この人の良さが、ヒローが、ひいては代々のセンドー子爵家が慕われる理由なのだろうな。私も気に入った。


 食事も終えた後、ヒローからこのまま宿泊していかないかと提案されたのだが、生憎と私は既に宿泊手続きをしている宿があるのだ。

 勿論キャンセルすることも可能なのだが、その場合、宿の人間を落胆させることとなってしまう。


 相手が悪人であるならば遠慮なくキャンセルもするが、そうではないのだ。少なくとも、手続きした3日間はしっかりと宿泊させてもらう。


 貴族の屋敷ならば当然風呂も設置されているだろうから興味を惹かれはするが、風呂に入っていた場合、確実にチヒロードの城門が閉じてしまう。

 城壁を飛び越えては入れないこともないが、それは街のルールを違反した行為だ。やるべきではない。


 3日後、まだチヒロードに用事が残っている場合は、遠慮なくヒローの屋敷の世話になろう。ジョゼットの時と同じである。



 チヒロードに戻り、図書館で時間を潰してから"ダイバーシティ"達と別れた後は、風呂に入り宿で就寝だ。


 なお、リガロウの食事は屋敷の者達が十分な量を用意してくれたようで、私が提供する必要はなかった。この子も満足げである。

 …私が食事を与えて、食事中に好きなだけ撫でるという機会が失われてしまったが、時間を取られなくて済んだと納得しておこう。多分、下手をしたら門が閉じていただろうからな。


 翌日、早速センドー邸へと顔を出せば、再び"ダイバーシティ"達は騎士達の相手をさせられることになってしまった。


 騎士達の訓練にもなるのだろうが、何よりこれからセンドー家の秘匿情報に触れることになるのだ。私から離しておきたかったのだろう。


 センドー家の地下にある工房に案内されると、そこには大量の本が山のように積み上げられていた。


 「コレがそうなの?」

 「はい。初代センドー家当主。"何処からともなく来た"チヒロ=センドーの研究資料のすべてとなります」


 そういうことか。


 初代センドー子爵は、異世界人だったのだ。

 それはつまり、カレーライスも異世界の料理だったと言うことになるのだろうな。


 そして戦争で振るわれたという強大な力。本来であれば、この世界で振るわれるべきでは無い力だったのだろう。


 願っても無い。


 異世界の知識、アグレイシアに対抗するためにも、是非とも調べさせてもらおうじゃないか。

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