第351話 センドー子爵の依頼

 センドー子爵の屋敷の大きさは、私が見て来た中でもかなり巨大な部類に入る。少なくとも、伯爵家であるカークス家の屋敷よりも巨大だ。

 それだけ、センドー子爵家の財力が強いと言うことなのだろう。


 センドー子爵家は200年前から続く、この国としてはかなり古い歴史を持つ家だ。

 初代からして優秀な錬金術師の家系であり、世界中に出回っている洗料以外にも様々な錬金道具を生み出し、莫大な富を得ているのである。


 センドー子爵の領民からの評価は、今代に至るまで総じて非常に高い。

 洗料だけでなく様々な便利な道具を作り上げ、それを領民だけでなく人類全体に良心的な価格で広めているからだ。


 無償で技術を提供するでもなく、かといって暴利を得るわけでもない。

 人類全体が快適な暮らしをするために邁進する姿勢が見受けられ、私もセンドー子爵家には敬意を払いたくなる。領民からの評判が良いのも頷けるというものだ。


 で、そんなセンドー子爵が私に渡したいものがあるという。一体何を渡してくれるというのだろうな?

 くれると言うのだから当然遠慮なくもらうわけだが、タダでもらえるとも思っていない。十中八九,何らかの対価を要求されるだろう。


 無償で何かを提供するような人間ならば、200年も家を維持することなど出来なかっただろう。技術や財産を悪意ある者に奪われて没落していたに違いない。

 ある程度のしたたかさはある筈だ。こちらを出し抜くつもりは無いと思いたいが、一応注意しておこう。



 屋敷の玄関が開いた直後、すぐさまから同年代の女性を伴った男性から歓迎の言葉を送られた。


 「こうしてお会いできたこと、恐悦至極に御座います。『黒龍の姫君』ノア様。私の要望をこうして聞き入れていただき、誠にありがとうございます」

 「初めまして。私の自己紹介は不要のようだね?貴方がセンドー子爵で間違いない?」

 「いかにも。センドー家の5代目当主を務めさせていただいている、ヒロー=センドーと申します。以後、お見知りおきを」


 センドー子爵・ヒローは、30代前半の顔立ちの整ったをした黒髪の男性だった。貴族の当主としてはかなり若く感じられるが、先代はどうしたのだろうか?


 苦笑しながら両手を広げ、肩をすくめながら答えてくれた。


 「領地の経営や他の貴族の相手は疲れるとのことで、私に家督を引き継がせて早々に隠居してしまいましたよ。まだ60にもなっていないというのに、困ったものです」


 ヒローの両親は健在らしい。聞く限りでは随分と奔放に生きているようだ。

 彼自身もそうだが、先代のセンドー子爵も優秀な錬金術師だったのだろう。おそらく、生活に困ることはないと思う。

 それどころか、隠居したことで研究に没頭できたりするのではないだろうか?


 なお、ヒローの隣にいる女性は彼の妻のナナリーであり、二人の間には息子を1人と娘を2人がいるのだとか。


 子供達は現在屋敷にはいないらしい。

 息子は騎士を目指しているらしく現在も騎士舎で稽古中だし、娘たちは揃って錬金術を学ぶために錬金術ギルドに顔を出しているのだとか。


 3人ともまだ10才に満たない年齢の筈だが、大人に混じって稽古や勉学に励めるほどに全員才能に溢れているようだ。


 「いやぁ、私は剣も錬金術もそれほど才能に恵まれなかったのですがね、妻の血筋が良かったのかもしれません!」

 「ご謙遜なさらないで?貴方だって若くして御義父様から家督を譲られるほど優秀ではありませんか」

 「ああ、ナナリー!君の優しさに私はいつも救われている!やはり君は私にとって最高の女性だ!」

 「まぁ、貴方ったら…」


 私達は何を見せられているのだろうな。いや、こういったやり取りは今までも見たことがあるから内容自体は分かるが、話が進まなくなってしまうから2人きりの時にやってもらいたいのだが…。


 "ダイバーシティ"達も呆れた視線をヒロー達に送っている。多分だが、彼等は以前依頼を受けた際にもこのやり取りを見せられているのだろう。


 しばらくこのやり取りを見せられるのかと思っていると、執事らしき初老の男性がやや大きな咳ばらいをして2人の意識をこちらに戻してくれた。


 「お二方。仲がよろしいのは大変結構でございますが、現在はノア様の御前でございます。今のような態度は、いかがなものかと…」

 「ハッ!?こ、これはノア様には大変失礼を…!」


 2人揃って頭を下げる様子は、夫婦と言うか双子の兄妹にすら思えた。

 この2人の付き合いはそれなり以上に長いのだろうか?彼等の意識を戻してくれた執事に訊ねてみた。


 「昔からこんな感じなの?」

 「それはもう。ご当主がまだ私の腰にも満たないほど小さな頃から、お二方は愛し合っておられましたから」


 初老というだけあって彼は先代からセンドー家に仕えていたようだ。しっかりとヒローが幼い頃の様子も語ってくれた。


 流石にヒロー達も自分達の幼い頃の話をされるのは恥ずかしいのだろう。やや慌てた様子で話を切り替えようとした。


 「そ、そろそろ移動をしましょうか!応接室に紅茶を用意させています!そちらで本日こうしてノア様をお呼びした理由をご説明いたしましょう!」


 まぁ、エントランスで、しかも立ち話でする事ではないだろうからな。案内に従い、応接室まで足を運ぶとしよう。

 この国の貴族が飲んでいる紅茶がどれほどのものなのか、確かめさせてもらうとしよう。



 応接室に案内され、早速既に用意されていた紅茶を一口味わう。

 うん。悪くない味だ。この家に仕えている者は優秀なのだろう。


 茶菓子として出されたケーキも、大変美味だった。と言うか、初めて食べたスイーツだった。

 スポンジケーキの表面に滑らかに泡立てられたクリームを均一に塗りたくり、更にみずみずしいカットフルーツまで添えた非常に贅沢と言えるショートケーキと呼ばれているスイーツだ。


 正直、誰もが虜になりそうな味だと感じた。

 "ワイルドキャニオン"でパルフェを食べた時にも思ったことではあるが、クリームとスポンジケーキのバランスが絶妙なのだ。そのうえ、カットフルーツによる甘酸っぱさが非常に良いアクセントになっている。


 応接室まで同行した"ダイバーシティ"達にもショートケーキは提供され、全員がとても嬉しそうに口に運んでいる。 

 騎士が私をセンドー家に招待した際に嬉しそうにしていたのは、このショートケーキを食べられると思ったからなのだろうか?


 確かに、それだけの価値はありそうだ。

 お代わりも可能だったようだが、まずはヒローから用件を聞くとしよう。いつまで経っても話が進まなくなってしまう。


 「ノア様がチヒロードに訪れるまでの間に、貴女様が我がセンドー家の洗料の製法をお求めになっていると耳にしました」

 「うん。出来れば、チヒロードに到着したらすぐにでも錬金術ギルドに向かいたかったのだけどね」

 「事情が重なりギルドに向かうのが遅れてしまったこと、誠におそれながら、私にとっては幸いでございました」


 騎士も言っていたが、錬金術ギルドに向かう前にヒローは私に会いたかったようだ。その理由は一体何だ?今から説明してくれるのだろうか?


 「錬金術ギルドの制度、洗料の製法を教わる上での決まりは、ご存知ですか?」

 「うん。エンカフから聞かされたよ」

 「その制度、様々な国を渡り歩くノア様にとってはこの上なく煩わしい制度と見受けます」


 その通りだ。エンカフから前払いの制度を聞くまでは製法を知るのを諦めてしまおうか本気で悩むところだったからな。

 製法を学ぶだけならばそれほど大した金額は必要ないようだし、金貨の10枚ほど最初に渡しておけば数年間は顔を出す必要がない。

 それ故に私は錬金術ギルドで洗料の製法を学ぶことを改めて決意したのだ。


 だが、そんな話をヒローがすると言うことは、まさか…。


 「話は変わりますが、ノア様をこうして私の屋敷にお招きさせていただいたのは、実はノア様にお願いがあったからなのです」


 やはり、な。

 おそらく、ヒローは私に洗料の製法を教える為に自分の家に招いたのだと思う。

 だが、タダではない。私に対して何らかの要望がある様で、その要望に応える報酬として洗料の製法を教えるつもりなのだろう。


 「聞くだけ聞かせてもらうよ」

 「ありがとうございます。決して損はさせません」

 

 それにしても、やはり貴族というのはもったいぶった話し方をする。

 相手を納得させるための手段として有効なのかもしれないが、結論や要件を最初に分かり易く説明する話し方の方が私は好きだ。


 まぁ、結論や用件だけを手短に説明されただけの場合、ちゃんと説明して欲しい、と文句を言うだろうが。


 「それで、そのお願いと言うのは?」

 「はい…説明をする前に…」


 そう言って言いよどむと同時に、ヒローは執事に目配せをする。彼等の意識は"ダイバーシティ"達に向けられているな。彼等には聞かれたくない話なのだろうか?


 執事が小さく頷き、口を開いた。


 「突然では御座いますが、"ダイバーシティ"の皆様のご活躍、新聞にて拝見させていただきました。つきましては、我が屋敷に在中している騎士達にその実力、修業の成果というものを披露していただければと存じます」

 「え、ええっと…今からですか?」

 「はい。食後の運動には、丁度よろしいかと」


 なるほど。良い物を食べさせたのだから、こちらの要望を聞いてもらう、と言ったところだろう。

 "ダイバーシティ"達にまでショートケーキを振る舞ったのは、この要望を断らせないようにするためか。


 彼等の現在の実力を知りたいのも勿論あるだろうが、やはり一番の目的はヒローの私への願いの内容を知られたくないからだろうな。

 どういう形になるかはまだ分からないが、"ダイバーシティ"達に実力を披露させている最中に要望を伝えられるのだろう。


 「良いんじゃないかな?リナーシェと戦う前の予行練習にもなるだろう。修業の成果、存分に見せてあげるといい」


 この屋敷に仕えている騎士は尤も実力のあるものでも一等騎士相当のようだ。今の"ダイバーシティ"達が苦戦するようなことはまずないだろう。


 だが、それ故に油断して思わぬ結果になる可能性もある。念のために発破を掛けておくとしよう。


 「そうだね。もしもここで無様を晒してしまう様なら、その時は…」

 「そ、その時は…?」

 「明日の午前中はリガロウと一緒に雪原をランニングといこうか」


 勿論、ランドラン達は一緒ではない。"ワイルドキャニオン"で行った時と同様に、リガロウと彼等を魔力のロープで繋ぎ、私が『傀儡糸マリオネイトストリグ』で彼等の肉体を操作して強制的に走らせるのだ。

 今の彼等に、その程度のランニングでは鍛錬にもなりはしない。単純なペナルティであり脅しである。


 そしてその脅しは十分に効果を発揮したようだ。

 全員の目に闘志が宿っている。これで少なくともつまらない失敗はしないだろう。


 「…お手柔らかに頼むよ…」


 少し発破を掛け過ぎてしまっただろうか?まぁ、万が一にでも重傷を負うようなことがあれば、その時は責任をもって私が治療しよう。


 『不殺結界』を使用すればいいだけの話ではあるが、それはしない。

 あの魔術はティゼム王国の秘匿技術らしいからな。流石に他国の貴族の前で使用するわけにはいかないだろう。



 "ダイバーシティ"達の実力の披露は、模擬戦という形で行われることとなった。

 場所はセンドー家の敷地にある訓練場だ。当然、周囲に被害を出さないように防護結界も展開している。


 私とヒローも彼等の模擬戦の内容を見学することとなった。

 まぁ、見学はあくまでも建前。全員が模擬戦に集中しているこの間に、要望を伝えるつもりなのだろう。

 念のため、防音結界を張っておくことにしよう。


 「それじゃ、そろそろ説明してもらっていいかな?」

 「はい。ノア様には、我がセンドー家の初代当主が残した研究資料の解析を行っていただきたいのです」


 ほう。


 それはつまり、初代当主の研究内容を私に教える、と言うことだな?

 その願いを聞き入れない選択肢は無いな。


 詳しく話を聞かせてもらおうじゃないか。

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