第353話 異世界の言語

 早速研究資料に目を通してみるとしよう。暗号化されているとはいえ、意味不明な文字の羅列と言うことはない筈だ。


 ………これは…研究資料…なのか?

 いや、私にとって非常にありがたい資料ではあるのだが…。

 研究資料の内容に困惑してしまう。というか、この本に記載されている内容、すぐにでも試してみたくなる。


 チヒロ=センドーの残した研究資料の正体は、料理のレシピ本の山だったのだ。


 「この資料に書かれているレシピって、実際に作れるの?」

 「はい。昨晩ノア様がお召し上がりになったショートケーキやカレーライスのレシピも、そちらの研究資料に記載されておりました」


 それで現在まで秘伝のレシピとして伝わっているのか。


 大したものだな。

 この山のように積み上げられた本には様々な料理のレシピが記載されている裏で、膨大な錬金術の知識が詰め込まれているというのだから、この資料を作り上げたチヒロという人物は、相当に頭の回る人物だったのだろう。


 「まずは一通りこの本に目を通させてもらうとするよ。その後は解読をする前に錬金術を私に教えて欲しい。さっきも言ったが、私は錬金術に関しては素人も同然だからね」

 「お任せください。この屋敷には初代様の資料以外にも錬金術の資料がございます。好きに目を通して下さって結構です」


 気前のいい話だ。だが、遠慮をする必要もないだろう。この屋敷の本をすべて網羅するつもりで目を通させてもらうとしよう。


 「錬金術の知識を学ぶことに加えて解読の時間も考えると、最短でも1週間は掛かると思うよ?大丈夫?」

 「問題ございません。その間、この屋敷はご自由に使ってくださって構いません。どうぞ、よろしくお願いいたします」


 とのことなので、遠慮なく知識を吸収させてもらうとしよう。異世界人の研究資料の解析の報酬と考えれば、妥当なものだと言えるだろうしな。




 チヒロの工房へ案内されてから6日目。

 レシピ本を読破するのに約2日。錬金術の資料を読破して錬金術の概念を理解するのに3日。

 そして現在は暗号の解読作業を行っている最中だ。宿で手続した宿泊期間を終えた後は、予定通りセンドー子爵家の世話になっている。


 風呂もベッドも実に良質だ。流石、洗料を開発した家だけあって、使用されている洗料は実にいい品質だった。


 なお、洗料の製法は既に習得済みである。錬金術の知識も問題無く頭に入ったので、今後は自分で洗料を好きなだけ作り出せる。

 染料を自分で作れるようになって以降は、自分で作った洗料を使わせてもらっている。


 さて、センドー邸での生活は快適そのものなのだが、正直チヒロという人物に悪態をつきたくなった。


 何度か暗号と思わしき法則を見つけはしたのだが、解読した先に辿り着いた答えは、なんと[残念でした!]である。ダミーの暗号だったのだ。

 本を持つ手に力が入ってしまい、思わず破いてしまいそうになった私を責めないでもらいたい。


 しかも、ダミーの暗号は1種類だけではなかったのである。

 その後も錬金術の内容かと思えば、最後の最後で[結果、得られるものが何もない虚しさを手に入れられるでしょう。そう、今みたいに!]と言った内容だったりと、こちらのやる気を削ぐような暗号が非常に多いのである。


 料理のレシピの中に、よくもこれだけの内容を記載してくれたものだ。

 気晴らしに研究資料の料理を大量に作らせてもらったり、それを一人で全て平らげたりしたのは、大人げなかったのかもしれない。

 とても美味かった。何だか余計に悔しい気分になった。こうなったら意地でも完全に研究資料の暗号を解読して見せよう。ダミーも含めてすべてだ!


 解読をしている間、ずっとチヒロの工房に引き籠っていたでもない。

 ヒローの子供達からは強く興味を持たれていたので話し相手になったり、一緒にリガロウと雪で遊んだりもしていた。

 ランドラン程のサイズとは言え、子供達がドラゴンを見るのは初めてだったらしく、非常に興奮していた。しかも人語を話せるのだ。あっという間にリガロウは子供達に好かれることとなった。


 ただ、リガロウは私以外を自分に乗せる気が無いらしく、背中に乗れないと知ると子供達はとても残念がっていた。

 そこで、姉妹を両脇に抱えて息子を尻尾で巻き付けて持ち上げると、とても喜ばれた。

 まぁ、この状態で走った場合、間違いなく怖がらせてしまうだろうから、ゆっくり歩いてもらうだけにしたが。


 正直、料理を作るよりも子供達やリガロウと触れ合っていた時間の方がよほど気晴らしになった気がする。


 それと、私が解読作業をしている間の"ダイバーシティ"達は何をしていたかというと、騎士達と共に訓練を行ったりチヒロード周辺の巡回だったりと、騎士の仕事を手伝わされていた。

 私の案内とは別に、ヒローから報酬が出されるらしい。


 この時期は雪に埋まって姿を隠す魔物や賊が多いらしい。魔物は体色を白くするし、賊は白い外套や白い毛皮を被るのだそうだ。大抵の人間はそれで殆ど視認できなくなってしまうらしい。それ故に被害に遭う一般人は多いそうだ。


 だからこその騎士であり、高ランクの冒険者の出番というわけだ。

 彼等に掛かれば魔物や賊の魔力を察知してを見つけることなど造作もないことだ。しかも、彼等にはランドランがいる。


 ランドランは人間よりも嗅覚が良い。ランドランの中でも優秀な者達ならば、隠れ潜んでいる魔物や賊の姿をすぐさま察知できるのだ。

 勿論、"ダイバーシティ"達のランドラン達もその部類だ。騎士や"ダイバーシティ"達が魔物や賊の魔力を察知するまでもないのである。


 そんな日常を送りながら、夕食を取り風呂の時間まで再びチヒロの工房に向かおうとしたところ、ヒローから1枚の用紙を渡された。

 私が解読作業を進めている間、彼には何でもいいのでチヒロに関する手がかりを探してもらっていたのだ。


 「以前初代様が使用していた部屋を隈なく探している際に、このようなものを見つけまして…」

 「コレは…何かのメモ?」

 「どうなのでしょう…少なくとも、私には理解できまませんでした…」


 渡された用紙には、小さな文字らしきものがびっしりと書き連ねられていた。

 文字らしきもの、と判断したのは、私が知るどの言語にも該当しない形状をしていたからだ。


 これはまさか…異世界の文字なのか?だとするのなら、この文字を解読するよりも知っている人物に聞いた方が早そうだな。


 時間は午後8時。今の時間ならば声を掛けても問題無いだろう。まずは彼の元に姿を現していいか、マコトへ『通話コール』を掛けることにした。


 〈マコト、ちょっといいかな?〉

 〈おや、ノアさん?どうかなさいましたか?なんだかすごいドラゴンを従えたみたいですね〉

 〈リガロウなら今度会わせてあげるよ。正直、自慢したい。それよりも、今から貴方のいる場所に幻を出してもいいかな?見てもらいたいものがあるんだ〉

 〈すみません、今はちょっと客の対応中なので…〉


 危ないところだったな。何も考えずにマコトの元に幻を出していたら、間違いなくマコトが対応しているという客を驚かせるところだった。

 同時に、私が離れている場所の相手と連絡が取れることが露見してしまうところでもあった。やはり確認は大事である。


 〈午後12時以降なら、いつ来てくれても構いませんよ?〉

 〈それはもう寝る時間だろう。ただでさえ多忙な身なんだから、風呂に入って休みなさい。明日の早朝、貴方の元に幻を出すよ〉


 まったく、マコトの仕事異存は相変わらずのようだな。少しは仕事が減ったと思いたいが、この分だと自分から仕事を増やしてそうだ。


 しっかりと休むように念を押してから『通話』を解除した。


 「この紙に書かれた文字に関しては、少しだけ当てがある。もしかしたら解読が一気に進むかもしれないね」

 「おお!本当ですか!?」

 

 自分の行動が役に立つかもしれないからか、ヒローは嬉しそうだ。この用紙に書かれた文字を知ることで、進展があれば良いのだが…。



 翌日、午前6時。

 宣言通りマコトの元に幻を出して、センドー家のことについて訊ねてみた。


 「まず最初に、貴方はニスマ王国のセンドー子爵を知ってる?」

 「勿論知ってすよ。有名な家系ですからね。あの家が世に広めた錬金道具は、若い頃に僕も何度かお世話になってたりしましたからね」


 まぁ、流石に知っているか。マコトもセンドー子爵家も、有名なようだからな。

 では、初代についてはどうだろうか?


 「初代センドー子爵については?」

 「同郷の者だったのではないか、と予想しています。確信が持てないのは、初代センドー子爵の情報って、殆ど出回ってないからコレという証拠がないからです」


 おお、それなら話は早い。変に驚かせて事情を説明する必要もないだろうし、マコトにチヒロの用紙を見てもらうとしよう。


 「私は今センドー家の世話になっていてね、現当主のヒローから初代が残した研究資料の暗号解読を依頼されているんだ」

 「初代センドー子爵のですか?凄腕の錬金術師って伝わってますし、解読には流石のノアさんでも手こずりそうですね…」


 錬金術師の研究資料というのは、錬金術師にとっての財産だ。その為、自身の研究を盗まれないために暗号を用いるなどして隠蔽することが殆どなのだとか。

 当然、腕のいい錬金術師ほどその研究内容を秘匿するために高度な隠蔽処置を施すのだとか。


 私が解読を行った結果をマコトに伝えたら、よほど面白かったのか、堪え切れずに噴き出して笑っていた。


 「私としては笑い事では無いのだけどね?必死になって解読できたと思ったら人を小馬鹿にするような文章で不正解を伝えてくるのだから…」

 「いや、すみません。思った以上に、初代センドー子爵は愉快な方だったんでしょうね」


 否定はしない。そして極めて慎重な人物と言わざるを得ない。

 事情も一通り説明した事だし、そろそろマコトに例のメモを見せるとしよう。


 「結論から言うと、私は初代センドー子爵、チヒロ=センドーは異世界人だと思っているよ。コレを。貴方ならソレが読めるんじゃないかな?」

 「チヒロ!?今チヒロって言いましたか!?それに、この文字はっ!?」


 私が初代センドー子爵の名前を呼びながら彼女のメモをマコトに手渡すと、目を見開いて驚愕していた。マコトの知り合いなのだろうか?

 しかしチヒロがこの世界に来たのは200年も前だ。マコトとは年齢が合わない気がするのだが…。


 とにかく、今はマコトがチヒロのメモを読み終わるのを待つとしよう。


 メモを渡してから約40分、マコトは黙ってメモを私に返してきた。

 顔は俯いている。だが、彼が瞳に涙をためていることは理解できる。


 少しして、声を震わせながら私に訊ねて来た。


 「ノアさんは、僕に、何を求めますか…?」

 「この紙に書かれている文字を教えて欲しい。貴方の故郷の言語なのだろう?」


 マコトが涙を流したのは、長年触れることのなかった自身の故郷に関わるものを触れることができたからだと思う。望郷の思いと言ったところか。

 マコトが落ち着くまで少し待つとしよう。



 結局のところ、私の要望は快諾してもらえた。やはりメモに書かれた文字のようなものは、異世界の言語だったのだ。

 だが、残念ながら全てを教えてもらえるわけにはいかないようだ。


 異世界にも複数の国があり、国によって使用されている言語が違うらしいのだ。

 しかも場合によっては文法まで異なるため、そういった国の言語を学ぶのは大変なのだそうだ。


 チヒロはやはり極めて用心深い人物だった。あのメモに書かれている文章は、異世界の、それも複数の言語で記載されていたのだ。

 そして残念ながらマコトは自分の国と親しい国の言語はともかく、他の国の言語まで習得しているわけではなかったのである。


 異世界の言語というだけでも分からないというのに、その上で違う国の言語まで使用するとは、よほど知られたくない内容なのかもしれないな。


 「だけど、マコトはこちらの世界に来て様々な国の言語を話せるだろう?元の世界にいた時は覚えようとしなかったの?」

 「う゛っ…それを言われると耳が痛いのですが…。元の世界では特に多数の言語を覚える必要がなかったものですから…」


 それだけ自分の国だけで物事が完結できるほど、マコトの故郷は豊かな文明だった、と言うことか。


 そう考えると、マコトやチヒロは異世界に来た当初はとてつもなく苦労したのではないだろうか?

 以前彼から異世界の話を聞いた限りでは、彼の故郷は、少なくとも彼が住んでいた国はこちらの世界と違って非常に平穏な世界だったと感じられた。


 そんな国で平穏に生活していた一般人が、突如言葉も分からない、伝手も無い、文字通り右も左もわからない状況で見知らぬ土地に立たされたら?しかも故郷と違い、魔物や賊に頻繁に襲われるような場所だったら?


 人によっては、何もできずに息絶えていたかもしれないな。

 マコトが言うには、この世界に来た時点で身体能力が飛躍的に上昇していたので何とか助かったらしいのだが、それを加味しても苦労したのは間違いないと思う。


 マコトを労おうと思い頭を撫でようとしたら、顔を赤くして物凄い勢いで距離を取られてしまった。恥ずかしいらしい。


 まぁ、それはいいか。


 早いところ、マコトに異世界の言語を教えてもらうとしよう。

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