第348話 チヒロードへ行く前に

 "ダイバーシティ"達が驚いた理由は、至極簡単だった。

 チヒロードは、彼等が活動拠点としている街であり、同時に彼等の地元らしい。特に、ティシアとアジーはチヒロードで生まれ育ったのだとか。

 そういえば、この国を訪れた目的を彼等に話していなかったな。ちょうど良いから話しておこう。


 私が洗料の製法を求めてチヒロードへ訪れるためにこの国に来たことを知ると、ティシアとアジーはとても納得した表情を見せた。


 「そういう事情でしたかぁ~」

 「そういや、ノア姫様はキャンプで風呂を用意した時も、ちゃんと洗料を持って来てたもんな」

 「あの時の貸しは、未だ返してもらってないからな」


 エンカフは、私が風呂場に入って来た時のことの原因である女性陣に対して、まだ根に持っているらしい。

 当時の事を思い出したのか、恨みがましい視線を送っていた。


 「分かってるわよ。次に受ける依頼はエンカフ優先。それでいいでしょ?」

 「…それだけか?」

 「他に何かあるの?」

 「俺としては、そろそろ"楽園"に挑みたいのだが…」


 む。エンカフは"楽園"へ行きたいのか。

 彼は貴重だったり希少な素材に目の無い人物のようだから、人間達にとって非常に有用な素材の宝庫とも言える"楽園"には是非とも足を運びたいのか。


 好きにすれば良いとは思うが、私は一緒に行くことはできないな。それは"ダイバーシティ"達だけに限らず、人間達すべてに当てはまる。

 "楽園"に住まう者達は、全員が私のことを理解しているようなのだ。人間達と共に"楽園"に入って、"楽園"の住民達に畏まった態度を取られでもしたら、どうあがいても面倒なことにしかならない。


 "楽園"へ行きたければ、私抜きで行ってもらおう。


 まぁ、今すぐというわけではないだろう。"ダイバーシティ"達は私をニスマ王国の王城に連れて行くという仕事が残っているわけだし、彼等が"楽園"へ向かうのは、私が今回の旅行を終わらせた後になるだろうな。


 ああ、そうだ。私はリガロウを蜥蜴人リザードマン達の集落に預けるつもりだったが、人間達が彼等の集落に訪れない可能性が無いわけではなかったな。

 もしも人間達が彼等の集落に訪れ、リガロウを見つけてしまった場合もまた、確実に面倒な事になる。対策を考えておく必要があるな。


 と、リガロウを人間達に認識させない方法を考えていたら、"楽園"へ向かいたいというエンカフの要望に難色を示す声が上がった。スーヤである。


 「ええー。ボク、当分"楽園"は遠慮したいんだけど…」

 「何故だ!?今の俺達ならば"楽園"の探索も十分に可能な筈だぞ!?」

 「いやそれ、ちょっと前までの、でしょ?」


 現在の"楽園"の事情は"ダイバーシティ"達も理解しているらしい。その上でエンカフは"楽園"に向かいたいそうなのだが、今すべき話ではない。


 「話が逸れてしまっているね。そろそろ話を戻してもいいかな?」

 「「はっ、ハイ!スイマセンでした!」」


 今はチヒロードについて、洗料の製法についての話なのだ。その辺りの話はまた別の機会、もしくは私のいないところで行ってもらうとしよう。

 少々強引に話をもそうとしてしまったためか、怖がらせてしまった。



 さて、洗料の製法なのだが流石にこの国の洗料はセンドー領、ひいてはニスマ王国の収入源の一つとなっている。

 そのためか、容易に製法を教わることはできないそうだ。

 というか、洗料の製法はニスマ王国の錬金術ギルドに入らなければ、基本的に教わる事ができないのだとか。


 特に商業目的で製法を知ろうとする場合、売り上げの何割かを錬金術ギルドに上納金とは別に収める必要があるらしい。

 もしも支払いがない場合は即座に指名手配され、捕らえられてしまうのだとか。


 捕らえられた者はどうなるのかと言うと、当然滞納していた料金の支払いを命じられることとなる。

 支払いを拒否するかもしくは支払えないことが分かると、所持品や財産を徹底的に調べ上げられ、製法書等を製作していないか隈なく調べられるそうだ。そして見つけ次第処分するのだとか。

 更に洗料の製法に関する記憶を消去してしまうらしい。人の精神に関わる魔術を使用するそうだが、禁呪指定されていないのだろうか?


 と思ったらされていた。国の監視下の元、厳重に扱いを管理され、必要な時以外は使用してはならないと法律で決められているのだとか。

 しかも使用する際にも国に対して使用料を支払う必要があるらしく、錬金術ギルドとしてもなるべくなら取りたくない手段らしい。


 これは信用のおけない者に製法を教えてしまったことに対する、錬金術ギルドへのペナルティでもあるらしい。



 これは少し困った。そうなると、私は今後3ヶ月に一度はニスマ王国に訪れ、錬金術ギルドに上納金を支払い続けることになるのだろうか?


 錬金術ギルドに加入すること自体は別に苦では無いのだが、支払いの場所をニスマ王国に限定するのは、少し面倒だ。

 いや、待てよ?洗料を用いて商売を行う気はないから、売上金の一部をニスマ王国に収める必要は無いのなら、いちいちニスマ王国に訊ねなくてもいいのか?


 洗料の製法を知っているエンカフに訊ねてみたら、例え商売を行っていなくても一定の金額を支払わなければならないとのこと。なんてこった。


 「その場にいなくとも料金を支払える制度があればいいのに…」

 「え?ありますけど?」


 あるんだ…。

 本で読んだ限り、そのような制度を見た覚えが無いのだが、一体いつの間にそんな制度ができたのだろうか?


 「一般的な話ではありませんからね。早い話が、前もって複数回分の料金を支払っておく、というだけの話です。まぁ、商売を行った場合は、別途売上金の一部を治める必要があるのですがね」


 そういうことか。それもそうだろうな。そうでなければ、錬金術ギルドに所属しているエンカフのような冒険者は活動を大きく制限されることとなってしまう。

 結局のところ予め支払った料金が無くなったら、再びニスマ王国には訪れる必要はあるのだろう。

 だが、それでも大分訪れる回数を減らすことができる。不安は払拭されたといっていいだろう。



 食事を終えたので、予定通り冒険者ギルドに訪れて手ごろな依頼がないか探してみることにした。

 "ダイバーシティ"達は私が依頼を探している間に、修業の際に回収した魔物の素材を卸して来るようだ。


 なお、彼等は風呂上がりの自由時間の間に斃した魔物の解体を済ませていた。駆け出しの冒険者ならば重労働になるような作業でも、彼等ならば大した労力ではないだろうから、許可をしたのだ。

 その際、自分達の体を魔術で防護していたので、風呂上がりの体が魔物の体液で汚れるようなことはなかった。


 そのため、買取にそれほど時間を取られるようなことにはならないだろう。


 一方私の方はと言うと、やはり図書館から本の複製依頼が出されていた。これは当然受注する。

 その他にも、"ワイルドキャニオン"の素材の納品依頼があったので、規定数所持している素材があったので、いくつか受注して早速納品しておいた。


 納品物の査定も終らせてロビーに戻ってくれば、予想通り上機嫌の"ダイバーシティ"達が出迎えてくれた。魔物の素材は、いい値段で買い取って貰えたらしい。

 だが、すべての素材を卸したわけではないようだ。


 量が多すぎたため、値崩れを起こさないように全てを卸さないようにしたようだ。残りはチヒロードと王都で降ろすつもりらしい。

 それでも素材を降ろしきれなかった場合は、別のギルドに訪れた際に卸すつもりのようだ。


 今回だけでも相当な金額を得られたようなので、当分は素材を卸す必要が無いだろうし、何も困る事は無い筈だ。


 では、次は図書館だ。

 図書館に訪れると、いつぞやの時のように、職員全員で迎えられてしまった。そんなに待ち焦がれていたというのか?


 まぁ、1月前に私は一度この街に訪れ、再び戻ってくると告げていたのだ。その時に図書館にも立ち寄ると予測していたのだろう。

 私のこれまでの活動内容をこの街の図書館員が知っていたと考えれば、ほぼ確実に訪れると予測していたとしても、何ら不思議ではない。


 彼等の要望通りに本を複製し、後は自分の時間だ。"ダイバーシティ"達には悪いが、少しの間、この場で待機してもらっていた。


 と思ったら、エンカフとココナナ、そしてティシアも本を読み始めだした。エンカフとココナナは自分達の専門分野、即ち錬金術と魔術具の本だ。

 ティシアが読んでいる本は、アレは多分ファッション誌だろうか?表紙には"猪の月号"と記載されているので、月ごとに出版される本なのだろう。


 新聞を読み進めていると、私達が"ワイルドキャニオン"にいた1ヶ月間、この国で何が起きていたのかが大体理解できた。

 当然だが、既に国中に私達が"ワイルドキャニオン"で修業を行っていることが伝わっている。そして今後私達がどこへ向かうのか誰もが注目しているようだ。


 これは、記者に次の目的地を伝えておいた方が良さそうだな。

 そうすれば、チヒロードに訪れたその日に冒険者ギルドへ図書館から依頼が発注され、依頼を受注できるだろう。


 まだ新聞記事の作成は終わっていない筈だ。彼等を驚かす事になるかもしれないが、遠慮せずに訪れさせてもらうとしよう。


 1ヶ月分の新聞を一通り読み終えてから記者ギルドに訪れると、やはり驚かれてしまった。私に取材を行っていた記者達は既にギルドに戻ってきており、記事の執筆を行っている最中だったようだ。


 リガロウのことと"ソニド・デラ・ミュジカ"に渡した絵のこと。どちらを一面記事にするか非常に迷っているようだった。どうやら、私が指揮者に渡した絵もしっかりとキャメラに収めたらしい。


 「演奏を行ったことはアリドヴィルの人達しか知らないだろう?だけど、リガロウのことはこの国の皆が知りたがっていることだと思うから、そちらを一面記事にしたらどうかな?」

 「おおっ!仰る通りですね!分かりました!そうさせていただきます!」

 「ええっと、それで…『姫君』様は、それを伝えるために当ギルドを訪れたわけでは無いのですよね?」

 「うん。次の目的地について、予め教えておこうと思ってね」


 記者達は、本当に私のことなら何でも知りたいようだ。次に訪れる街の話をしたら予想以上に喜ばれてしまった。

 まぁ、嫌がられるよりはずっといいだろう。


 ついでだから、聞きたいことがあったら答えるとしよう。その分彼等の仕事が増えてしまうだろうが、嬉しそうにしているから何も問題ないだろう。

 何も、今から彼等が訊ねた内容を明日の新聞ですべて記載するわけではないのだ。


 取材が終わる頃には、辺りはすっかりと暗くなってしまっていた。夕食の時間である。

 私が宿泊する宿は当然夕食が用意されるので、ここで"ダイバーシティ"達とは一度別れることとなった。


 夕食後はどうするのか訊ねられたのだが、流石にこの時間になると殆どの店が店じまいをしてしまう。観光は明日以降で良いだろう。

 夕食後は、リガロウの様子を見て図書館で過ごし、閉館時間になったら風呂に入って睡眠である。案内の必要はない。


 "ダイバーシティ"達には、今日はもう思い思いに過ごしてもらえばいいだろう。


 夕食後、リガロウの元に行けば、この子はとても腹をすかせた様子を見せていた。預り所に提供された食事の量では物足りなかったのである。

 この子はランドドラゴンの時よりも体は小さくなったが、食べる量はむしろ増えたのである。

 満腹になるまで食事を提供しよう。


 「やっぱり姫様の食事の方が断然美味しいです!」

 「それは良かった。だけど、ここの人間達に文句を言ってはいけないよ?彼等には、別に悪意があるわけではないのだから」

 「はい!」


 最初に注意したからか、この子は人間達に対して悪態をついたりはしていなかったようだ。

 私の言うことを守ってくれているようでとても嬉しい。優しく抱きしめて、沢山撫でておこう。



 翌日になり、朝食を済ませて宿の外に出ると、既に"ダイバーシティ"達が宿の前で待機していた。彼等は思った以上に早起きだったらしい。

 聞けば、普段は朝5時に起きて朝食前に2時間ほど訓練を行うのだとか。


 真面目なものである。彼等が順当に"二つ星ツインスター"冒険者になれたのは、この真面目さがあったからだろうな。

 

 それでは、早速アリドヴィルを案内してもらおう。といきたいところだが、現在時刻はまだ午前7時を回ったばかり。この街の店は、どこも開いていないのだ。


 仕方がないので、一度冒険者ギルドに訪れることにした。依頼が更新されていないかをチェックしておくのだ。


 この街の冒険者達は、風呂施設があるおかげなのか、清潔な者が多い。おかげで臭い思いをしたり、不衛生な者を目にして不愉快な気分になることはなかった。

 やはり、風呂は偉大である。イスティエスタにも必ず取り入れてもらうとしよう。


 さて、特に依頼は発注されていなかったので次は図書館だ。店が開く時間になるまではここで時間を潰させてもらうことにした。


 嬉しいことに図書館と記者ギルドは何らかの提携をしていたらしく、最新の新聞が既に蔵書されていたのである。早速読ませてもらおう。


 …こうして改めて見てみると、リガロウはとてもカッコイイな。あの子の内面を私は知っているから、直接目にしてしまうとどうしても可愛いという感情が強くなってしまうのだ。


 …うん。私、物凄く恵まれているな。あんなにカッコ良くて可愛い子を、今後は自由に乗り回して移動が出来るのだ。

 きっと、今後は今まで以上にとても楽しい旅になるに違いない。

 今からあの子に乗ってチヒロードへ向かうのが楽しみである。


 図書館の本をあらかた複製し、その後は読書を続けること約3時間。時間は午前10時。

 ようやく店が開く時間となったので、早速ティシアに案内してもらうことにした。目的はこの国で流行っている衣服だったり装飾品、その他もろもろである。


 ファッションに詳しいと言っているのだから、是非とも教えてもらうとしよう。まぁ、ここで購入した服は試着はするが、常用はしないのだが。


 今のところ、私が着用する衣服はフレミーとフウカが制作した服以外は常用しないようにしようと思っている。彼女達の思いを無下にしたくはないからな。今回購入した衣服も、彼女達に渡すつもりだ。

 彼女達には様々な国の衣装を知ってもらい、自分達の作る衣装のバリエーションを増やして欲しいのだ。


 そうして色々と紹介されている間に、面白いものを見つけてしまった。


 グラシャランの置物である。

 かなり外見が簡略化されており、一目見ただけでは彼とは分からなかった。本物の彼はもっと凛々しい顔立ちをしていたからな。

 置物の顔は、凛々しいという言葉とはかけ離れ、可愛いとすらいえる外観だった。


 今度グラシャランに渡してあげるとしよう。どんな反応をするのか楽しみだ。


 彼の精巧な置物でも作って店主に渡そうかとも思ったが止めておいた。どう考えても複製は困難だし、そもそも売れる気がしないからだ。


 いや、人間達の私に対する評価を考えると、私が作成したという置物を欲しがる者達がいるのかもしれない。

 だが、そういった者達が欲しがっているのは、あくまで私が作ったという事実、情報だけだ。グラシャランの精巧な姿が欲しいというわけではない。


 それはグラシャランに対して、無礼なのではないかと思ったのだ。

 だから、彼の精巧な置物を作って店主に渡すのは止めた。作って渡すのなら、グラシャランに直接渡そう。


 この街で見たいものは見終えたといっていいので、そろそろチヒロードへ移動を開始しよう。



 道中、リガロウに跨りチヒロードへと移動をしていたのだが―――


 「リガロウ、ちょっと止まって!」

 「はい!」


 視界に移った景色に、私は目を奪われた。

 この景色が一瞬で見終えてしまうにはあまりにも惜しかったので、リガロウに足を止めてもらったのだ。

 並走していたランドラン達が、皆して困惑してしまっている。あの子達には見慣れた光景なのだろう。


 「ノア様?そちらの方に、何かいるんですか?フーテン、何か見える?」


 ただ景色を楽しんでいただけなのだが、ティシアからすると、視線の先に何かを捉えたように感じたのだろう。

 フーテンに何が見えるのかを訊ねている。


 だが、フーテンは私と同じだったようだ。


 〈う、美しいですぅっ!こんな美しい景色、ワタクシ見た事ありませんよっ!?感動です!姫様もコレは初めて見るのですね!?〉

 「え?この景色が?」

 「そうだね。本で知識だけは頭に入っていたけれど、これほどのものとは思っていなかったよ」


 フーテンも初めて見る景色だったらしい。私も視界に映る景色に感動している最中だ。


 私の視界に映る景色。

 それは、辺り一面が太陽の光を反射する、銀色の平原だった。


 そうか。


 これが、雪というものか。

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