第325話 カレーライス!

 町に入る前から私には食欲をそそる香りを知覚していたのだ。町の中に入れば、私の思考は匂いの発生源にしかいかなくなることは、当然の帰結だった。

 理性を失いかけているといってもいい。早く、早くこの匂いを放つ料理を食べさせて欲しい。


 「す、すぐに到着しますから、もう少しの辛抱ですよ!」

 「ボ、ボク、先に店に行って料理を用意しておくように伝えて来る!」

 「あっ!?スーヤ、テメェ!」


 今の私は、"ダイバーシティ"の面々からはどのように映っているのだろう?全員もれなく怯えの感情が窺えるのだが…。

 今の私の雰囲気に耐え切れなかったのか、スーヤが店まで先行して、料理を用意するように伝えに向かった。

 見たところ、殆ど全力疾走と言っていい。ものの数秒でスーヤの姿は見えなくなってしまった。


 「………逃げたな…」

 「え、ええっとですね?い、一度に大量に作れる料理なので、注文しておけばすぐに用意してもらえるとは思うんです!ですので、店に着く頃には既に料理が用意されていると思いますよ!?」

 「…そう…。楽しみだね…」


 楽しみなのは間違い無いのだが、至る所から漂ってくる同じようでそれぞれ違う匂いに、私の思考は正常ではいられなくなっている。

 "ダイバーシティ"達の案内から外れて近くの匂いの発生源に足を運んでしまいたくなってしまうのだ。


 何とか抗えてはいるが、コレはかなり辛い。

 ああ、そうか。私の城で料理をしていた時の皆の反応も、こんな感じだったんだろうな…。改めて、私の行った行為がいかにあの子達に辛い思いをさせていたのか痛感させられる。


 今度城で料理を作る時は、最初から匂いを遮断した状態で料理を作るか、作りかけでも味見という形で食べさせた方が良いのかもしれない。


 ああ、それにしても、まだ店に着かないのだろうか?いっそのこと、鼻を摘まんでしまおうか?それとも周囲に匂いを遮断する結界を張ってしまおうか?


 いや、駄目だ。今更匂いを遮断したところで、私は既にこの匂いを覚えてしまっている。匂いがしなくなった程度で、匂いの発生源を食べたいと思う欲求を消す事など、できはしない。


 「これから紹介してもらう料理は、外国にも広まっているのだろう?どうして、私の訪れた国にはこの匂いを発する料理がなかったのだろうね?」

 「えっ!?ええっとですね…。実を言いますと、結構複雑な事情がありまして…」

 「話を聞いている間に、店に着きそう?」

 「はっ、はいっ!ええ、そうです!って言うか、もう着きました!ここです!ここ!この店です!」


 慌てた様子で到着を告げるティシアが紹介した店は、一番いい店と言うだけあってかなり大きな店だった。100人ぐらいならば余裕で入る事ができるだろう。ようやくこの堪らない香りの料理を口にする事ができそうだ。


 しかし、ひとつ懸念がある。

 現在時刻は正午過ぎ。つまり、多くの者達が昼食を取る時間なのだ。店が満席で、しばらく待たされる可能性があるのではないだろうか?


 「だ、大丈夫です!確かにこの時間帯は普段から込みますけども、だからこそスーヤが急いで店まで先行したのです!ノア様のことは店の者も当然知っているでしょうから、すぐにでも食べられますよ!ええ!私達の分までは用意されていないかもですが、そこはお気になさらず、思う存分召し上がってください!」


 待つ必要はないらしい。確かに、扉越しに店の人間らしきものが姿勢を正して待機しているのが確認できる。準備は万端のようだ。

 順番待ちをしている者には悪いが、私もそろそろ我慢の限界だ。遠慮なく案内してもらうとしよう。


 「『黒龍の姫君』様、ようこそ当店へお越しくださいました。早速お席へご案内いたします。どうぞ、こちらへ」


 扉を開けると、直後白を基調とした衣服を身に纏った人物が丁寧な礼をして私を迎え入れてくれた。

 そしてティシアが言っていた通り、すぐに案内してくれるようだ。店中から視線が集まるが、まったく気にならない。それよりも扉を開けた瞬間からより一層強くなった香りに私は夢中である。


 「これほど食欲をそそる香りは初めてだよ。白状すると、町に入る前から気になって仕方がなかった」

 「おお…!それは光栄でございます!当店の誇る料理は香りは勿論、味にも絶対の自信を持っております。既に料理はご用意できています。存分にお楽しみください」


 なんとありがたいことなのだろう。これもティシアが言っていた通りだった。案内される席には、既に出来立ての料理が用意されているらしい。先行してくれたスーヤに感謝だな。


 案内された席に置かれた料理は、かなり特徴的な料理だった。

 米を使用した料理なのだが、私の知る丼料理とは違う料理のようだ。

 米は横長の器に6割ほど盛り付けられており、残りの半分にはシチューのようなとろみのある、具だくさんの茶色いスープが盛り付けられている。


 この茶色いスープこそが匂いの発生源だ。案内してくれた店の者が味にも絶対の自信を持つといっていたのだ。期待させてもらうとしよう。


 席に着き、スプーンを手に取りまずはとろみのあるスープのみを少しだけ掬って口に運ぶ。

 この料理は丼料理と同じく米と一緒に食べる料理なのだろうが、それでも一口だけでいいから、このスープだけで食べてみたかった。

 私の思考をかき乱し続けていた匂い。その味の正体を知りたかったのだ。


 スプーンを口に含み、とろみのあるスープを舌にのせた瞬間、私は驚愕した。

 急ぎスプーンを机に置き、左手で口を押えずにはいられなかったのだ。


 案内してくれた人物が真剣な表情で私を見つめているが、心配しないでほしい。決して不愉快になったわけでも、吐き出そうとしたわけでもないから。


 手で口を押えなければ、あまりの美味さに叫んでしまいそうだったのだ。


 いやはや、人間の料理のなんと素晴らしいことか。私も3つの国への旅行を経て、様々な料理を口にしてきたと自負していたのだが、まったくもって自惚れだったな。

 まさか、まだこれほどの料理があったとは。


 一言で言うなら、この料理は非常に辛味の強い料理だった。だが、辛いの一言だけで済ませられる料理では、断じてない。

 この料理はただ辛いだけでなく、甘さも、塩味も、旨味もある。その配合が絶妙なのだ。


 一体どれだけの種類の香辛料を使用しているのだろう?間違いなく10種類以上は使用している筈だ。おそらくだが、アクレイン王国で見かけなかった香辛料も使われている。

 いくつもある香辛料を組み合わせ、この絶妙な味に仕上げているのであれば、この料理を作った人物は相当な試行錯誤を繰り返したに違いない。その味に対する探究心にはまったくもって恐れ入る。


 さて、感動も落ち着いたところで今度は米と一緒に食べるとしよう。一口口にしただけで分かったが、どう考えても米、と言うか穀物全般に合う料理だ。美味くない筈がない。


 では、いただきます。



 気が付いたら、器が空になっていた。

 はて?米と一緒にこの料理をスプーンで掬い、口に運んだところまでは覚えているのだが…。


 おかしい。そこから今の状況に至るまでの記憶がない。

 だが、口の中に残る多幸感からして、間違いなく私は器に盛りつけられた料理を完食したのだ。


 それはつまり、あまりの美味さに我を忘れていたということか!?。何という恐るべき料理だ!


 「よろしければ、追加で料理をお持ちしますが…?」

 「お願いするよ。正直、コレを口に運んでからの記憶が曖昧なんだ」

 「かしこまりました。そうおっしゃるだろうと思いまして、追加の料理を大盛りでお持ちしております。どうぞ、ごゆっくり…」


 なんて気が利く店員なんだ!

 正直この香りにはまだ慣れていないのだ。味を知ってしまった今、追加の料理が運ばれてくるまの僅かな時間でさえ、私には苦痛に感じる可能性があったのだ。

 待ち時間なく追加の料理が食べられるのは、ありがたいことこの上ない!しかも大盛りときた!店員の気遣いには感謝しかないな!


 そうして私の前に置かれた器は、先程の器よりも全体的に一回り大きな器だ。大きく、広く、そして高さがある器だ。

 更に盛り付けられている米も山盛りにされている。これは食べ応えがありそうだ。早速いただくとしよう!


 これは素晴らしくも恐ろしい料理だ!食べたところから手が止まらない!食べた先から次が欲しくなる!見事!実に見事だ!


 流石に意識を失わないように気を張っていただけあって、2度も我を忘れるようなことはなかった。だが、逆を言えば気を張っていなければ再び我を忘れて完食していたに違いない。

 まったく、ティシアもとんでもない料理を教えてくれたものだ!この礼は必ずしなければ。そうでなければ私の気が済まない。


 料理の味を堪能しながらも、この料理にどういった食材が使用されているのか確認することも怠らない。

 これだけの味、必ず再現して見せる!そして家で皆に振る舞うのだ!


 が、やはりこの料理の味はあの子達にはやや濃すぎるだろうな。甘味や旨味はともかく、塩味と辛味が強すぎるのだ。

 決して食べられないわけでも無ければ健康に害があるわけでも無いのだが、塩味や辛味の強い味は、単純にあの子達の好みでは無いのだ。


 私はあの子達に無理に好みではない食べ物を食べさせるつもりは無い。必要が無いからな。


 人間達はよく子供に食べ物の好き嫌いをするなと教えるが、それは健康に育つために必要な栄養素を含む食材が、子供にとってあまり美味いといえる味や食感では無いからだ。

 主に野菜だな。イスティエスタでトミーが野菜を嫌っていたという話が、既に懐かしく思えてくる。


 だが、あの子達は問題無く必要な栄養素を摂取出来ているのだ。ならば嫌いなものを食べさせる必要などないだろう。



 舌に意識を集中し、味も食感も、しっかりと覚えながら料理を楽しみ、最後の一口を飲み込んだところだ。


 残念ながら、あれだけ味を解析しようと舌に意識を集中していたというのにも関わらず、味を再現できる気がしない。

 それと言うのも、舌に意識を集中した事で味をより強く認識できてしまったことで、解析どころではなくなってしまったからだ。本末転倒である。


 だが、とても美味かった。とても満足できた。

 いや、相変わらず私は満腹にはならないので、まだ食べられるのだが、これ以上一人でこの料理を味わう気がなかったのだ。


 私が料理を楽しんでいる間も、"ダイバーシティ"の面々はまだ料理にありつけていないのである。店に先行したスーヤもだ。


 これだけの料理だ。彼等だって楽しみにしているだろう。そんな中、彼等に見せつけるように私1人で料理を楽しみ続けるのは、罪悪感が込み上げてくるのだ。


 どうにかこの匂いに対する欲求も少しは落ち着いて来たので、これ以降は"ダイバーシティ"達と一緒に楽しむとしよう。


 スプーンを置き、口元を拭うと、私を案内してずっと私が料理を食べる様子を見守り続けていた店員が、感想を訊ねて来た。


 「当店自慢の料理、カレーライス。ご満足いただけましたか?」

 「貴方の言う通りだった。香りも、味も、正に見事の一言に尽きるよ。この料理、カレーライスを産みだした人物と、今、私にカレーライスを提供してくれた料理人、そしてこの店そのものに感謝するよ。…これを」

 「っ!?つ、謹んで頂戴いたします…!」


 店員が驚いているが、無理もないだろう。私が感想を述べた後に渡したのは、1枚の金貨だ。


 アクレインでは金貨を大量に消費したので忘れてしまいそうになるが、金貨1枚は相当な大金である。

 この店の繁盛具合から見れば、金貨1枚分の売り上げなどわけもないだろうが、そこから支出の分を考えた金貨1枚分の収益は、それなりの額になる筈だ。


 私の気持ちとしてはもっと大量の金貨を渡してもよかったのだが、大量の金貨をこういった場所で出すのは、いささか品が無いように思えたのだ。

 後程、寄付という形で金貨を100枚ほど送らせてもらおう。それほどまでに私は感動を覚えた。


 …そうだな。思い付きの行動だから今初めて行ったが、ハン・バガーにも私は同じぐらいの感動を覚えたのだ。

 "囁き鳥の止まり木亭"にも同額送っておくとしよう。


 「私をこの店に案内してくれた冒険者達と一緒にこの料理を堪能したいのだけど、いいかな?」

 「は、はい!勿論で御座います!」


 ちょうど"ダイバーシティ"達も順番が回ってきたからいいのだが、店員の慌てぶりを見るに、例え順番でなくとも案内されていた可能性があるな。少し軽率だったかもしれない。

 気を付けているつもりではあるが、やはり気持ちが高ぶっていると自分の願望を優先させてしまうな。注意しよう。


 さて、私が今座っている席は一人用の席だ。

 "ダイバーシティ"達と共に食事をするのであれば移動する必要があるだろう。


 と思ったら、店員が机と椅子を運んできて私の机と繋げてしまった。


 なにやら随分な我儘を言ってしまったようだが、今更取り消す事など出来ないのだ。動く手間が省けたと開き直ろう。

 いや、本当に自分の発言には気を付けないとな。


 …気持ちを切り替えよう。

 今度は"ダイバーシティ"達と会話をしながらの食事だ。


 彼等は皆、個性的な冒険者だ。


 きっと、楽しい食事会になるだろう。

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