第319話 稽古の対価
アイラとシャーリィが客間に入室したところで、ちょうどグリューナが紅茶を淹れ終わったようだ。
相変わらずいい香りだ。これなら味も期待して良さそうだな。
以前同様、お茶請けの焼菓子も用意してくれている。今回はマフィンか。匂いからして、中にジャムが入っているな。
早速一ついただくとしよう。
おや、シャーリィもこのマフィンが気に入っているらしい。あの短時間で結構な説教を受けていたらしく、この部屋に入るまで意気消沈と言った表情だったと言うのに、もう笑顔になっている。
飛び乗るような勢いでソファに腰かけ、マフィンを手に取り口に咥えている。
行動が早いな。というか、そんな態度を取っていたら、またアイラから説教を受けることになると思うのだが、シャーリィは分かっているのだろうか?
「えっへへ、一個もーらいっ!」
「………それで、ノア様?お話って何なのでしょうか?」
マフィンを手に取り口に入れようとしたところで、アイラが訊ねて来た。
一口くらい食べさせてもらってもよかったんじゃないだろうか?シャーリィの態度に対する当てつけだろうか?
咥えようとしていたマフィンを一度口から離し、アイラの質問に答える。
「旅行で経験したことでもゆっくり話そうかと思ったんだけど、その前に3人に話したい、というよりも頼みたいことがあってね」
「ノア様が私達にですか?大抵のことならば断わる理由はありませんよ?」
「てか、私も?」
勿論、シャーリィにも話しておくべき事だろう。今回の話は3人に直接関係することなのだからな。
「3人は、この国にいる魔術具師のピリカという女性を知ってる?」
「知ってるも何も、超有名人じゃないですか。あの人の玩具を持ってるのって、学校の間じゃ、結構なステータスになってるんですよ?」
「奇抜な人物ではありますが、極めて優秀な技術者と聞いています」
「そうねぇ…。貴族の間でとても流行っている玩具があるそうですね?確か…マギモデル、でしたっけ?」
やはりピリカは有名人らしい。
魔術具に詳しい者だったり、マギモデルに嵌っている者でなければ知られていないと思っていたのだが、シャーリィ曰く非常に有名とのことだ。
シャーリィの言う玩具というのは、おそらくマギモデルのことだろうな。
玩具としての性能も値段も桁違いなのだから、所持していたらステータスになるのは、確かにその通りなのだろう。
「そのマギモデルなんだけどね、私も気に入ったから、ピリカのところで購入しようかと思ったんだ」
「えぇ…。アレって、1個金貨300枚はする超高級品ですよ?そんな気軽に買えるものじゃないと思うんですけど…」
「それで、そのマギモデルと私達に何の関係が?」
シャーリィがマギモデルはそう簡単に購入できる物ではないと言っているのだが、アイラもグリューナもまるで相手にしていない。
2人共、私がそれぐらい軽く払えてしまう資金があることは承知しているし、購入を躊躇う理由がないことも分かっているのだ。
説明の途中だったのだが、シャーリィの言葉には答えなくてもいいとばかりに話の続きを促される。
「まぁ、もう少し話を聞いて?昨日ピリカの店に顔を出して、マギモデルを見せてもらったのだけど、どれも素晴らしい出来栄えでね。どれを購入しようか迷っていたら、ピリカから迷うのなら一緒に作らないかって提案されたんだ」
「いやだから、作ろうと思って簡単に作れる物じゃないですってば!」
「だが、ノア様ならば十分可能だろう。卓越した魔術の技量に加え、非常に精密な動作も何のことも無いようにこなす御方だ。アクレイン王国の美術コンテストにノア様が出品した交易船団の立体模型は、それはもう素晴らしい出来なのだそうだぞ?」
「えっ!?」
「私も新聞で見た程度ですが、本当に見事な出来でしたよねぇ…」
「ええっ!?」
シャーリィ以外はピリカの提案を何も不思議に思っていない。というか、シャーリィは私が立体模型を作ったことすら知らないようなそぶりをしているな。
手紙にもちゃんと書いた筈なのだが、読んでいないのだろうか?
まぁいい。それに関しては後で聞かせてもらおう。
「話を続けるよ?マギモデルが欲しい私にとって、作り方を教えてくれると言っているも同然な提案に、私は渡りに船とばかりに飛びついた。そうしてマギモデルを昼食を食べることも忘れて夕方まで作っている最中にね、ピリカから一つ頼まれごとをされたんだ」
「「「頼まれごと?」」」
3人の声が見事に重なった。
さて、紅茶が冷めてしまうのは良くない。そろそろ一口いただこう。
3人は話の続きが効きたいようだが、折角出してくれた紅茶を蔑ろにするわけにはいかないのだ。
ジョゼットの屋敷で行った演奏会で、一度失敗しているからな。お茶は、冷めないうちに飲むに限る。
3分の1ほど紅茶を飲み、カップを置いて話を続ける。ところで、私以外誰も紅茶に手を付けていないのだが、良いのだろうか?
「好みの造形のマギモデルを作るために、貴女達に交渉をしてきて欲しいと頼まれたんだよ」
「我々に交渉、ですか?」
「ええ…どういう事なの…?なんでマギモデルを作るのに私達と交渉しなきゃいけないの…?」
「そういう事ですか。私としては、断る理由はありません。おそらくそれを条件にシャーリィの稽古をつけるのでしょうし」
アイラは私の目論見に気付いたようだな。先程の好みの造形という言葉で、理解したようだな。
私がピリカから求められたこと。それは、最高のマギモデルを作るにあたって、外見をどうするかの問題である。
この国の人間でかつ人間達から一番強く、有名な人間を選ぶとなった時。それは当然一人しかいない。
そう、アイラの夫であり、シャーリィの父親でもあるマクシミリアン=カークスその人だ。
本人が存命ならば直接本人に交渉すればよかったのだろうが、生憎と彼は既に故人である。だからこそ、身内であるアイラとシャーリィに交渉するのだ。
マクシミリアン=カークスの外見をしたマギモデルを作らせてほしい、と。
さらに言うなら、グリューナも同じである。彼女の外見をしたマギモデルを、ピリカは制作したいのだ。
ピリカの作るマギモデルは、細部まで非常に精巧な作りをしている。つまり、手で持てるサイズとは言え、当人とそっくりな造形をした模型が出来上がるのだ。
自分の姿が勝手に使われると言うのは、あまり気持ちがいいものではない筈だ、とピリカは言っていた。
だから、3人に許可をもらってきて欲しいと頼まれたのである。
「さて、話は変わるけど、今しがたアイラが言った通りだ。シャーリィもグリューナも、私に稽古をつけてもらうことを所望しているよね?」
「え?私はそうだけど、グリューナさんも!?」
「勿論だ。私はまだ自分が限界だと思っていないからね。それに、本人の前で言うことではないかもしれないが、シャーリィにはまだ私を超えてもらいたくなくてね」
「ええ…」
客間に移動する際にグリューナから教えてもらっていたが、本人にも隠さずに伝えるのだな。てっきり黙っているものかと思っていた。
本人が聞いたら結構複雑な気持ちになる話だと思ったのだが、グリューナはお構いなしである。
案の定、シャーリィは何とも言えない表情をしてしまっている。
折角縮まってきた実力の差が、再び開いてしまうことが面白くないのだろうな。
「『姫君』だのと呼ばれて一国の姫と同等の扱いを受けていたとしても、私の身分は冒険者のままだ。つまり、私に何かを要求する場合、報酬が必要だ。そこで、今回稽古をつける報酬として、こちらの要望である、マクシミリアンとグリューナの造形をしたマギモデルを制作する許可をもらいたい」
「勿論、私は構いません。むしろ光栄な事です。なにせカークス団長と同列に扱っていただけると言う事でしょうからね。そして何より、ノア様からの要求なのです。それがピリカ殿の願いと言えど、私に断る理由はありません」
「ええっと…?お、お父さんのマギモデルを作るの…?良いと思うけど、なんで私達の許可がいるの?」
思った通り、グリューナは迷わず即答で許可をくれた。そしてこちらも予想通り、シャーリィはいまいち許可を求めた理由が分かっていないようだ。
どう説明しようかと悩んでいたら、アイラがシャーリィに例え話をして納得させてくれた。
「あら、シャーリィ。貴女、自分とそっくりの人形が勝手に作られて、それを好き勝手にいじられても平気でいられる?」
「い゛っ!?それ、な、なんかやだ。気持ち悪い」
「でしょう?だから、そういった物を作ってもいいか、ノア様やピリカさんは許可を求めているのです。ああ、私は承認しますよ?小さなサイズとは言え、あの人の姿を見ることができるのですから、むしろこちらからお願いしたいです」
「そういうことなら、私も断る理由はないわ!でも、お父さんの姿を作るのなら、ちゃんとカッコよく作ってくださいよ!?じゃないと認めませんから!」
「勿論。本人そっくりに仕上げよう。幸い、資料となる彼の姿絵や写真は大量にあるのだからね」
まぁ、姿絵や写真がなくとも私は彼の姿を死体とは言え直接見ているし、今もしっかりと記憶している。
私とピリカのどちらが外見を仕上げるのかは分からないが、少なくとも私が仕上げる場合は、本人と全く遜色なく作り上げて見せよう。
さて、これで話はひとまず終わりだ。先程から話を促されて口にできなかったジャム入りのマフィンをいただくとしよう。
そう思ってマフィンを口に近づけたところで、今度はシャーリィから質問を投げかけられた。
「先生、質問!完成したお父さんのマギモデルって販売されるの!?」
「……どうだろうね?ピリカ曰く、最強で最高のマギモデルを作るって息巻いていたから、作るマギモデルは確実に特別なものになるよ。おまけにグリューナの物もだけど、一品物だ。販売しようとしたら、貴族達がこぞって欲しがろうとするのは、間違いないだろうね」
「お、お母さん…」
「想定される最低の金額でも金貨700枚は必要になるかしら…。なにせピリカさんとノア様の合作なのですし、それで従来の物よりも高性能。更には1点物。……確か、あの人の部屋に煌貨があったわね…」
「お母さん!?」
いくら何でも煌貨が必要になる値段にはならないだろう。それほどまでに、アイラはマクシミリアンのマギモデルが欲しいのだ。
いや、マギモデルというよりは、精巧なマクシミリアンの立体像が欲しいのだろうな。アイラは今でも亡き夫を愛しているのだ。
彼の亡き今、姿絵や写真だけでなく立体的な何かがあれば、是が非でもほしいと願うことは別におかしなことではない。
逆を言えば、マギモデルでなくとも精巧なマクシミリアンの立体像があれば、アイラは満足すると言うことでもある。
ならば、マギモデルを制作した後で、関節を動かせるマクシミリアンの人形でも作ってみようか?
っと、いかんな。件のマギモデルも完成していないと言うのに、もうその後のことを考えてしまっていた。
「完成したマギモデルをどうするのかは、ピリカ次第になるだろうね。今日も夕食後はマギモデルの制作を行うことになっているから、その時に価格も含めて彼女に確認を取っておくよ」
「よろしくお願いします」
頭まで下げるとほどなのだ。販売するとなったら、本気で煌貨を使用する気だな。今晩、必ず確認を取るとしよう。
さて、もう質問は無いな?
そろそろマフィンを食べさせてもらうぞ?
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