第308話 広場での日常

 昨日と同じように朝を迎え、皆に挨拶をして日課の訓練と修業をこなした後だ。

 今日先ず行うべき事は城のキッチンの改良である。"ホテル・チックタック"のキッチンは実に使い勝手が良かったからな。アレと同じ物を城に設置するのだ。


 家に設置してもよかったのだが、今にしてみれば私が建てた家は非常に単純な作りをしている。

 キッチンを設置するには少々不向きなのだ。いっそのこと、あの家はホテルにあった、寝室という扱いにしてしまっても良いのかもしれない。


 〈就寝のための部屋ですか?人間というのは、デリケートなのですね〉

 〈でもさ、ボク達も寝床って寝ること以外には使わなくない?〉

 〈うむ…言われてみればそうだな…〉


 そう。私の家はあくまでも寝床として建築したのだ。

 それ故に、未だに家には寝床以外の家具が無い。テーブルも結局必要が無いと判断して作っていないしな。


 それに、人間達の施設には必ずと言って良いほどトイレと呼ばれる排泄用の設備が設けられていたのだが、この家にはそれが無い。

 皆排泄をする場合は外でしてきてしまうのだ。というか、皆排泄行為自体をあまり行わない。


 それというのも、皆にも私と同じく摂取した物を魔力に変換する能力を所有しているため、排泄物が食べた量に反して殆ど生成されないのだ。


 そういえば、ルイーゼが魔王を引退したらここに住むと言っていたが、ルイーゼ用にトイレを作っておいた方が良いのだろうか?

 人間にとって、人前での排泄行為は強い羞恥心を抱く行為だ。そもそも局部を露出することになるため、犯罪行為として扱われる。


 人間と魔族の感覚は近いようだし、その辺りはルイーゼも変わらない筈だ。彼女がこの地に住む事になったら、トイレを設置しておこう。



 やはり『我地也ガジヤ』は極めて便利な魔術である。

 使用したい素材も、作り出す形状も思いのままだ。30分もしない内にキッチンの改良が終了してしまった。まぁ、改良というよりも総入れ替えになってしまったが。


 新しいキッチンは、"ホテル・チックタック"で私が宿泊した部屋のものと遜色ない物、というか同じ物にしてある。それだけ使い勝手が良かったのだ。


 キッチンも完成した事だし、早速料理を作らせてもらうとしよう。皆に振る舞って喜んでもらうのだ。

 勿論、味付けは塩分控えめである。皆ならば私好みの塩分濃度の料理を食べても健康に害が出るわけでは無いのだろうが、単純に好みの問題だ。

 手早くキッチンが完成した分、手の込んだ料理を沢山作って振る舞うとしよう。


 調理を始めてから2時間半。

 味見と言いつつ一品丸ごと平らげそうになってしまうのを必死に耐えながら調理を続けていると、匂いに誘われたのか皆がキッチンに集まってきた。


 いかんな…。料理が出来上がるまでもう少し掛かってしまうんだが…。あの子達の物欲し気な視線を浴び続けていたら、流石に耐えられそうにないぞ?


 「料理が出来上がるまでもう少し掛かるんだ。悪いけれど、別の場所で待っていてもらっていいかな?」

 〈どれぐらいで出来るのかしら!?〉〈とっても美味しそうな匂いなのよ!?〉

 〈この匂いを前に我慢しなければならぬのは、辛いものがあるな…〉

 〈ご主人~。何か食べるものないの~?〉


 『収納』空間に保管してあるすぐに食べられる物を渡して、あの子達に気を紛らわせてもらう手段もあるにはあるが、それでは今作っている料理を食べてもらった時の感動が薄れてしまいそうだ。

 何かあの子達に我慢してもらえる、良い方法はないものか…。


 ああ、そうだ。匂いに誘われてここに来たのだから、匂いがしなければいいのだ。

 匂いを遮断する結界を張っておけば、あの子達も匂いを嗅ぎ取れなくなって我慢する必要も無くなるだろう。

 既に漂っていた匂いに関しては、『清浄ピュアリッシング』によってかき消してしまえばいい。少しだけ可哀想な気もするが。


 思いついた対処法を早速試してみれば、忽然と料理の匂いが消えてしまったことにみんな困惑してしまっている。

 匂いの発生源がキッチンである事は分かっているので、皆してキッチンに近づこうとしていたのだが、ここは匂いとは別に物理結界を展開させることで接近を拒否させてもらった。


 悲し気な視線を送られるのがとても辛い!

 が、ここは我慢だ。料理を食べた時の皆の喜ぶ顔を想像しながら、料理を完成させてしまおう。


 皆がキッチンに集まってから更に1時間半。ようやく料理の完成だ。


 味もあの子達が好む塩分控えめであることを確認したし、いよいよ料理を振る舞おうと思っていたのだが、既に皆はキッチンからはいなくなっていた。


 料理の匂いもしなくなっていたし、私が料理に集中しているから声も掛けられなかったのだろう。

 皆それぞれの日課をこなしに散り散りになってしまったのだ。ちょっと悲しい。


 しかし、好都合でもある。今のうちに料理を盛り付けてすぐにでも食べられるようにしておこう。食べる場所は、オーカドリアの下で良いだろう。

 あの子もこの広場の住民なのだから、食事は一緒にとろうと思ったのだ。


 まぁ、オーカドリアの精霊が料理を食べるわけではないが、あの子が望むならばまた私の魔力を提供しようと思っている。



 オーカドリアの元まで移動して料理を並べれば、やはり匂いに釣られて皆すぐに集まってきた。

 皆して待ちに待っていたとでも言わんばかりの表情をしている。


 〈待っていたのよ!〉〈おいしそうだわ!〉

 〈匂いもしなくなって近づけもしなくなった時はどうしようかと思ったけど、待ってた甲斐があるね。とっても美味しそう〉

 〈妾まで同席させていただけるとは…!〉

 「皆、待たせたね。時間もちょうどいい頃合だし、早速いただこうか」


 全員で[いただきます]の言葉を発すると、物凄い勢いで料理を食べだした。夢中になって料理を口にする皆の姿が、とても可愛らしく愛おしい。時間をかけて料理を作った甲斐があるというものだ。


 さて、オーカドリアの様子はどうだろうか?尻尾で触れて確認してみよう。


           皆とても楽しそう  幸せ


 楽しんでくれているようでなによりだ。所で魔力を渡さなくて大丈夫だろうか?


          いいの? それなら ちょうだい?

           貴女の力はとってもおいしい


 ということなので尻尾から魔力を流して好きなだけ摂取してもらうとしよう。


 さて、眺めているだけでも大変心が満たされるわけだが、せっかく作った料理、そろそろ私もいただくとしよう。

 私だって料理を作っている時は、確実に美味いと分かる食欲をそそる匂いでどうにかなってしまいそうだったのだ。遠慮なく食べさせてもらうとも。


 私は自分で自分の学習の力や模倣能力を大概だと常々思っているが、こういう時は自分のそういった能力の高さを褒め称えたくなるな。

 我ながら、作った料理はどれも絶品だったのだ。


 塩分控えめにしているため、少し物足りなくもあるが、それでも美味いと感じられる味である。

 それに、この程度であれば後から調味料を加える事で自分好みの味にする事も可能なのだ。調味料の在庫も潤沢なので、まったく問題無い。


 食事を堪能していると、尻尾から魔力が吸われていく感覚が無くなったので、オーカドリアも満足してくれたのだろう。


     ごちそうさま  どうもありがとう  貴女は優しいね


 どういたしまして。君にはこれから美味い果実を実らせてもらい、沢山の綺麗な花を咲かせてもらいたいんだ。その助けとなるなら、私の有り余る魔力、喜んで提供するとも。


 実際のところ、オーカドリアに吸われている魔力は、周りから見れば相当な量だ。仮に私が渡した魔力と同等の量をルイーゼが渡そうとした場合、確実に健康状態に影響が出ていただろう。

 だが、私からすればそれすらも微々たる量だったりする。


 私の魔力の総量がどの程度なのか、皆も完全には把握できていない。

 それでも、この程度ではまるで私に影響がないことを理解しているので、まったく心配していないのである。

 ただ、私からオーカドリアに渡った魔力量を感知して驚いてはいるようだ。


 〈オーカドリア様はまだ成長途中とは言え、あれほどの魔力を一度に取り入れてなお平然としているとは…〉

 〈あれだけの果実を一晩で大量に生み出すだけのことはあるな!将来が実に楽しみではないか!〉

 〈きっと世界中で注目を浴びる事になるよ!世界で一番大きい樹だーって!〉


 ウルミラは"楽園"の外に出たことがあるからか、自分達に対する人間達の反応に興味があるらしい。

 他の子達も興味が無いわけではないが、人間達ではこの場に訪れる事ができないと認識しているためか、ウルミラほどの興味は持っていないようだ。


 「オーカドリアも"黒龍城"のことも、一部の人間達は把握しているよ。ルイーゼに聞いたけど、とても驚いているって言ってた」

 〈ほう!人間達が"黒龍城"を!それは結構な事ですなぁ!〉

 〈精を出して建築した甲斐があるというものです〉


 そうか。皆も人間達が"黒龍城"を観測したことを知らなかったんだった。

 それにしても、脅威に思われているだろうと言うのに、なんだか嬉しそうだな。特にゴドファンス。


 〈"黒龍城"は主の威を示すための城だからな。観測した者が脅威を感じたのならば、それは我等の望んだ通りの結果なのだ〉


 料理の味に気分を良くしたホーディが教えてくれる。皆の中ではホーディが一番前足を器用に扱うためか、料理を食べるのが早い。

 料理によっては、器を前足で抱えて口に流し込むようにして豪快な食べ方をしたりもしていた。

 その際、口から料理が零れてしまわないかやや不安だったが、私の心配とは裏腹に少しも零す事なく綺麗に流し込んでいた。


 滅多に見られないホーディの一面を見ることができて、私は大変満足である!

 勿論、他の皆の食べっぷりにも満足している。夢中になって料理を食べている皆の姿は本当に可愛らしかった。今後も定期的に料理を作っていこう。



 とは言え、しばらく料理を作るつもりはない。

 それというのも、今回作った料理は今振る舞っている量だけでなく、もっと大量にあるからだ。

 私の『収納』空間には、今回振る舞った料理の5倍以上の料理が保管されている。


 料理とは、基本的に時間の掛かる作業だ。それは魔術で時間を短縮したとしても変わらない。

 私には料理以外にもやりたい事があるのだ。


 例えば魔術の開発だ。

 そう、私が同時に使用できる魔術の数は今や10を軽く超えるのだ。私が理想とする飛行手段を行うための魔術も、問題無く使用できるのである。


 食事を終えてからというもの、その日はレイブランとヤタールと共に翼指から噴射させるための魔術の開発に勤しんだ。

 ティゼム王国へ向かう前から開発は進めていたのだが、持続的に噴射させ続けると言う効果がなかなか得られずに開発が難航していたのだ。

 結局この日だけでは完成には至らず、翌日以降も魔術の開発を進めていくこととなった。


 魔術だけでなく体術もやりたいことだ。

 ラビックに人間達の武術書を渡したわけだが、ホーディも武術には興味があったようで、ラビックが読了した後でホーディもラビックから武術の指導を受けていたようだ。


 ホーディにラビックから武術書を借りなかったのかを聞けば、自分で読むよりも実戦で見せてもらった方が早いとのこと。ラビックはものを教えるのが上手いらしい。


 そうして体得した武術を稽古という形で彼等は私に披露してくれる。

 勿論、武術書は私も目を通しているので、彼等がどのような武術を身に付けたのか、大体分かっていた。


 しかし、私がラビックに渡したのはあくまでも人間用の武術書だ。ラビックはそれを自分の体の構造に合わせて最適化して見せたのである。

 武術書の動きとは違った、それでいて武術書通りの効果をもたらすその動きに、感心せずにはいられなかった。

 稽古が終わった後はラビックを抱きかかえて盛大に撫でまわして褒めちぎった。


 創作もやりたいことの一つだ。

 ゴドファンスは城に美術品を飾ってからというもの、創作に興味を持つようになったのである。

 特にやる事が無い場合、彼は『我地也』を使用して見事な装飾が施された食器や壺、器などを作り上げたのである。


 〈人間は筆と塗料を用いて絵を描きますが、それは儂には出来ぬ事です。ですが、これならば儂にもできます。今はまだ拙い出来栄えでしょうが、いつかはおひいさまの目にも留まるような作品を生み出してごらんにいれましょう〉


 私がレイブランとヤタールに装飾品を渡した時はそれほど興味があったようには見えなかったが、ネフィアスナが描いた絵画や、今回旅行で持ち帰ってきた美術品がいい刺激になったのだろう。

 ゴドファンスも美術品の魅力に気付いたようだ。


 フレミーの要望に応える事も忘れてはいけない。

 彼女から受け取った彼女が製作した服を着て見せるのもそうだが、今回の旅行で私が購入した服を着て見せるのもまた、彼女の要望なのだ。

 別に着て見せなくても服の作りや構造は分かるらしいのだが、単純に私が色々な服を着ているところを見ておきたいらしい。


 購入した衣服を着て見せている私を見つめるフレミーからは、私が購入して来た服よりも良い服を作ることに、熱い闘志を燃やしているようにも見えた。


 購入した衣服はフレミーに渡さなくてもいいらしい。フウカにも見せてあげるつもりだったので、正直ありがたかった。




 そんなこんなで思い思いの生活を続けて2ヶ月近い時間が経過した頃である。

 私にとって由々しき事態が発生した。


 洗髪料や石鹸が、底を尽きかけてきたのだ。

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