第298話 海の中で語らう
この街を大津波から守ると意気込んだのはいいのだが、大津波が発生するのは当然地震が発生してからだ。そして地震が発生するのは数日後となる。それまではこの街で待機していなければならない。
「地震が発生するまでの間、予定通りホテルで生活させてもらうよ?」
「勿論です。変わらず、最大限のもてなしを約束いたします」
「それじゃあ、予定通りに夕食としよう。こう見えて楽しみにしていたんだ」
「はっ!直ちに準備を致します!」
このまま予定通りに宿泊を続けると告げれば、クラークはいつもの調子を取り戻して駆け足でホテルへと戻り出した。
私の事を信用してくれているのだろう。彼だけでなく、私に平伏していた他の者達も今は津波による恐怖の感情が無くなっている。
この思い。裏切らないためにも確実に津波を食い止めよう。
それはそれとして、ホテルでの生活や街の観光は存分に楽しませてもらうがな!
駆け足で戻って行ったクラークに対して私はゆっくりと歩いて自分の部屋に戻ったためか、私が部屋に戻った時には既に手配していた料理人が扉の前で待機していた。
手には『格納』の効果が付随された鞄を持っている。アレに食材や彼が使用する調理器具が入っているのだろう。
とりあえず、待たせた事を一言謝っておこう。
「すまない。待たせてしまったかな?」
「とんでもございません。全てはノア様の御都合のままに。それに、それほど待機していたわけではありませんので」
そんな事は無いだろう。この昇降機の稼働速度を考えると、1階から10階まで移動するのに3分はかかる。
昇降機の数は1つなので、先に料理人が到着していたという事は、最低でも6分間はこの場で待機していたという事になる。
ゆっくり歩いてきたとはいえ、私もそこまで遅く行動したつもりはないが、クラークがホテルに戻ってから10分以上は経過してからホテルに戻っているのだ。
クラークは私の期待に応えるために、ホテルに戻って直ぐに料理人を手配したに違いない。
申し訳ない気持ちが湧いて来るが、料理人がこういった態度を取っている以上、しつこく謝る事はかえって逆効果だろう。
私がやる事は早急に扉を開いて料理人に料理をさせてやる事だ。
「では、早速料理を始めてもらって良いかな?メニューは昨日打ち合わせた通りで頼むよ?」
「かしこまりました。今しばらくお待ちくださいませ」
早速料理人がキッチンへと設備の状態をチェックしている。完璧な料理を作るために、少しの不備も見逃さないようにしているのだろう。
点検をしている料理人の目は、私と会話をした時とは打って変わって鋭く真剣だ。流石はプロだ。彼の作る料理にもがぜん期待が持てるというものだ。
点検が終わったようだな。鞄から手早く食材と調理器具を取り出している。
さて、私は料理が提供されるまで未読の本を読んでいるとしよう。
読書を始めてからどれぐらいが経過しただろうか?気付けば食欲をそそる匂いが私の鼻孔を刺激している。
この匂いは、牛肉の脂だな?それに魚を焼いている香りもする。他にも、大きな鍋からは甘じょっぱい香りが漂ってきているし、オーブンからはチーズの香ばしい匂いが伝わってきている。
料理人は複数の料理を同時進行で行っているようだ。『幻実影』も使用していないというのに、見事な手腕だと言わざるを得ない。
いかんな。口の中で涎が溢れてきてしまって仕方がない。うっかり口を開けようものなら口から涎が垂れてしまいそうだ。気を付けなければ。
料理の匂いに気付いてからは、もう読書どころではなくなってしまっていた。
一品でも良いから早く食卓に上がってこないものかと、今か今かと待ち構えてしまっていた。少々みっともなかったかもしれない。
何とか口を開かないように四苦八苦していると、遂に待ちに待った料理が運ばれてきたのだ。
「お待たせいたしました。今更料理の説明をするのは、ノア様には野暮というものでしょう。どうぞ、お召し上がりください」
「ありがとう。早速いただくよ」
料理人は非常に気の利く人物だった。目の前に料理が並べられた状態で長々と料理の説明をされても、頭に内容が入ってくるはずがない。
食材と料理人に感謝をして、早速いただくとしよう。
今回提供してもらった料理に前菜と呼ばれる類の料理は無い。スープ以外は全てメインディッシュと呼べるような料理だ。
牛肉のステーキに魚のポワレ。ピッツァにパスタやシチューと、より取り見取りである。全て、私が注文した料理だ。
コース料理では食欲を活性化させるために、まずは食前酒や前菜と言った料理を提供するようだが、私にそのような手順は不要である。
遠慮なく好きなものを好きなだけ食べさせてもらうとしよう。
決めた。絶対にまたこのホテルに宿泊しよう。勿論部屋はこの部屋だ。料理人を呼んで、私が美味いと思った料理や、料理人の創作料理を提供してもらおう。
クラークが手配してくれたのは、一流の料理人だったのだろう。
どの料理も、私がレオスやアクアンの王城で食べた料理やジョゼットの屋敷で食べた料理と比べても、勝るとも劣らないほどの料理だった。
そのうえでまさか、デザートまで用意してくれるとはな。
提供されたデザートは、卵と牛乳をふんだんに使用した、プリンと呼ばれる滑らかな食感の菓子だった。
口の中に入れた瞬間に口の中で蕩けて、あっという間になくなっていくのだ。舌に残る味わいが忘れられずに、すぐにもう一口を食べてしまう。
悲しきかな。提供されたプリンの量は、風呂上がりのフルーツミルクよりも体積が少ない。沢山味わいたいというのに、あんまりである。
いつもの調子で口に入れたら、それこそあっという間になくなってしまうので、少しずつ大事に食べるのに必死だった。
「とても美味しかったよ。是非また貴方の料理を食べさせてほしい」
「恐縮に御座います」
「どの料理もとても素晴らしかったけど、最後のプリンが特に良かった。出来ることなら、お土産に持ち帰りたいぐらいだよ」
「そうまで言っていただけますと、料理人冥利に付きますな。分かりました。ノア様のために、数を揃えましょう」
なんと!言ってみるものだな!料理人はお土産用にいくつかプリンを用意してくれるというのだ!
ならば、もう少し我儘を言わせてもらおう。
「少し待っていて」
「はっ」
料理人の目に届かない場所まで移動して、『我地也』を発動させる。生み出すのは、ガラスの容器だ。
家の皆にもあのプリンを食べてもらいたくはあるが、私が食べた量だと、ゴドファンスやホーディには一口分にもならないからな。
あの子達が満足するだけの量の容器を作製するのだ。勿論、私の分も含めて。
料理人の目につかない場所に移動したのは、勿論『我地也』の事を知られないようにするためだ。
ティゼム王国ですら異常な魔術と判断されたからな。この魔術を見せたら下手をしたら卒倒させてしまうかもしれなかった。
まぁ、他言に無用と言っておけばそれを守ってくれるとは思うが、それはそれで精神的負担になるだろうからな。
今後も十全に料理の腕を振る舞ってもらうためにも、余計な精神的負担は掛けたくなかった。
製作したガラス容器を料理人の前に提供すれば流石に驚かれたが、それでも私が危惧したほどの驚きではない。
むしろ、ガラス容器を満たせるほどの量を作って欲しいと頼んだ時の方が引きつった表情をしていたぐらいだ。
水に換算してその量およそ100ℓ。やはり難しいのだろうか?私から食材を提供した方が良いのだろうか?
そう思って食材の提供を打診したのだが、断られてしまった。
食材にこだわりがあるらしいし、何より私の手を煩わせたくないそうなのだ。
ならば、彼がプリンを制作し終わった時には、せめてもの労いに私が彼の疲れを取り除くとしよう。
自分の料理にこだわりがあるのならば、身体能力を上昇させたとしても感覚が狂ってしまうかもしれないからな。余計な手出しはしない方が良い筈だ。
なお、別れ際に先程私に提供したプリンのサイズのガラス容器を大量に生産する事は可能かどうかを訊ねられたので、容易に可能だと伝えておいた。
おそらく、明日以降にガラス容器の製作依頼が発注されるだろう。今のうちに100個ほど制作しておこう。
さて、今日も今日とて風呂とプールを存分に堪能して眠りにつくとしよう。
日が変わって翌日。
ルームサービスの朝食を取ったら、冒険者ギルドへと足を運ぶ。
指名依頼が発注されていないかを確認してみれば、やはり料理人から私に対してガラス容器の製作依頼が発注されていた。
数は50。既に制作済みである。直接渡しても構わないが、この場で納品してしまった方が早いだろう。
受注と同時に納品をすると受付からは大層驚かれたが、こうなる事を予め予想していたから昨日の内に制作していたと伝えれば、受付も納得してくれた。
ギルドを後にして、海の様子を確認しに昨日小型高速艇を借りた場所まで移動する事にした。
街の様子は、やはり昨日とは比べ物にならないほど静まり返っている。住民も観光客も、大半が街から避難しているのだろう。
私が対処するのはあくまでも津波だけだ。地震まではどうにもならない。
この街の建築物すべてに『不懐』を施して倒壊を防ぐ事も可能ではある。だが、流石にそれは甘やかしだと判断して止めておいた。
まぁ、それを言ったら津波を止めること自体が甘やかしかもしれないが、こちらはズウノシャディオンからの頼みでもある。
見捨てる理由も無いし、何より気に入った街並みが津波で流されてしまうのは、私としてもいたたまれない。
津波を食い止めるのは、私自身のためでもあるのだ。
小型高速艇を取り扱っている店に顔を出したのだが、生憎と店は閉じていた。従業員も避難してしまったのだろう。
無理もない。店舗の状態はお世辞にも頑丈とは言えず、子供が体当たりをした程度の衝撃でも揺れてしまうほどなのだ。今回の地震にはとてもではないが耐えられないだろう。もしかしたら、これを機に建て直しを考えているのかもしれない。
小型艇を使用できないので、魔力板を制作しながら海へ歩を進めていく。
僅かに残った人間達が海面を歩いている私を見て驚いているが、特に気にする必要はない。
実力のある人間ならば、魔力で足場を形成して水面はおろか空中で行動する事も可能だと知られているのだ。
私ならば出来てもおかしくない、とそのうち納得してくれるだろう。
ある程度歩を進めて街の人間達から私の姿を視認できない位置まで移動したところで、服を脱いで海に潜ってみた。
昨日尻尾を海に沈めた際に、プールに浸かった時の様な心地良さを尻尾で感じ取ったのだ。今回は全身でその快感を味わってみたくなったのだ。
海水とは、思った以上に冷たいものなのだな。まさか私が宿泊している部屋のプールよりも水温が低いとは。
とは言え、冷たければいいかと言われれば、そうでもないようだな。
水温が低いのは分かるが、それだけだ。感じ取れる快感はプールの時とさほど変わらない。
だが、海中というものはプールとは明確に違った魅力があった!
それは海中の景色である。
思った通りだった。海の中の景色は、地上ではどうやっても見る事が叶わないような絶景で広がっていたのだ!
光の屈折率からか、海中の景色は基本的に私の目には青く映っている。その範囲はどこまでも広く、終わりが無いかのように錯覚を覚える。
水深が深まるにつれて日光が届かなくなり、徐々に海水が暗い色へと変わっている。人間の目から見たら、真っ暗に映っているのかもしれない。まぁ、それでも私の目にはハッキリと映っているのだが。
そして、それ故に魚の持つ色も良く分かる。
こうしてみると、色だけで見ても魚の種類は多種多様だ。
銀色を主体とした魚がいれば、少し深く潜ったところには赤や黄色の魚もいる。
どうやら海水の深さで生息する魚の体色が異なるらしい。
日光が届きやすい深さの魚は銀色の者が多いようだ。
そういえば、自分の体を日光に反射させる事で、彼等は自分よりも大きな魚を追い払うと本に書いてあったな。
とにかく、海の中の光景を、私は気に入った。水の中にいる浮遊感を味わいながらこの景色を見られる事も、私を感動させている要因の一つだろう。
時間を忘れてしまう可能性はあるが、その辺りはズウノシャディオンにでも教えてもらえばいいだろう。
〈『というわけで、夕食の時間、人間達で言うところの午後6時頃になったら教えて欲しいんだ』〉
『構わんがよぉ…。お前さんぐらいだぜ?カミサマを時計代わりにするようなヤツはよぉ』
それにしても、こうして魚の動きを見ていると、魚もなかなかに愛嬌のある生き物だと言わざるを得ないな。
私にとって魚は食料である事は変わらないが、彼等が懸命に海中を泳ぐ姿は、私に保護欲を駆り立てさせる。
私は今後の事を考えてズウノシャディオンに声を掛けた。
〈『ちょっといい?この辺りの海に住まう生き物達を、一時的に違う場所に移動させる事はできる?』〉
『できるが、何でまたそんな事を?』
〈『大きな津波が押し寄せるという事は、この辺りにいる者達も陸地に打ち上げられるという事だろう?そうなったら、彼等は無事では済まないじゃないか』〉
『慈悲深い事だな。お前さん、過保護さで言えばルグといい勝負だ』
〈『過保護と言われるのは慣れているからね。否定はしないよ』〉
今更である。これから私が行う事を考えると、私の手で彼等の命を奪う事になる。
言い訳を言わせてもらうと、食べる分の命は遠慮なく奪うが、そうでもない命までを奪うつもりはない。と言うか、これからも末永く繁殖を続けて私に食料を提供して欲しい。
そのためにも、彼等にはこの辺りから非難してもらいたいのだ。
まぁ、白状してしまえば、可愛いと思った生物達が一度に大量に死んでしまうのが嫌だと思ったからである。我ながらつくづく甘いと思う。
だが、これぐらいの我儘は通させてもらおう。津波を防ぐことによる、私への報酬だと思ってもらいたい。
『あいよ。ま、明日にはこの辺りの連中は安全なとこまで移動してるだろうぜ。津波の影響が収まったら、また戻ってくるようにしといてやるよ』
〈『それで頼むよ。ありがとう』〉
『礼を言うのはコッチの方だっての』
これで津波の対処を行う際の憂いは無くなったと言って良いだろう。
地震も津波も、来るなら来るがいい。
〈『地震は予定通りに発生しそう?』〉
『おう。3日後の昼前だな人間の時間で言えば、午前14時48分ってところだ』
細かい時間まで分かるのは有り難い。その時間になる頃には、津波を迎え撃てるようにしていないとな。
私が津波に対して行う対処法。クラークにも言ったが、少々荒っぽい手段を取らせてもらう。
そう、ドラゴンブレスである。
大丈夫。今の私は自分の力を正確に推し量れるのだ。
雨雲を消し飛ばした時のような、多くの樹木達の命を終わらせてしまった時のようなミスはしないとも。
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