第297話 深海神・ズウノシャディオン

 ズウノシャディオンが言うには、彼は本に書かれていた通り海底にいる。居場所は既に龍脈を通して確認済みだ。

 必要ないかもしれないが、尻尾を海底まで伸ばして尻尾の先端から思念を送ってみよう。この場から思念を送ったりそのまま真言で語り掛けたら、ルグナツァリオまで会話に入ってきそうだしな。

 別にそれが嫌というわけではないが、私はズウノシャディオンと話がしたいのだ。あの駄龍が会話に入ってしまうと、何かと話がそれてしまうような気がしてならない。


 『〈約束通り、海に出てきたから挨拶させてもらうよ〉』

 『ガハハハハッ!まったく、本当に律儀なヤツだなぁ!ま、歓迎するぜ!海にようこそ!気分はどうだ!?』

〈 『悪くないね。このまま海に潜ってもいいのだけど、時間を忘れてしまう可能性が高くてね』〉


 きっと、海の中の景色は、私が見た事の無いような美しい光景が広がっているんだと思う。

 アクアンに集まった美術品の中に、海の中の光景を描いた絵画があったのだ。

 あの光景を実際に見る事ができたとしたら、きっと感動でしばらくその場に留まってしまうだろう。


 私が乗っているこの小型艇には、予定していた午後5時という時間を忘れないように、音の鳴る時計が置いてある。ホテルの売店で購入したものだ。

 金額は金貨10枚。今の私からすれば安い買い物だ。


 しかし折角の時計でも、海に潜ってしまったら時間を告げる音が私の耳に届かなくなってしまう。購入した時計の音は、それほど大きくは無いのだ。


 『なぁに、お前さんの時間はたっぷりあるんだ。気の向いた時にでも潜ってみりゃあいいぜ』

 〈『そう言ってもらえると助かるよ』〉


 海に潜るのは、特に時間に縛られていない時が良いだろう。今はズウノシャディオンとの会話だけで満足しておこう。

 彼には、前から聞きたい事もあったしな。


 〈『ところで、人間達には貴方達五大神の姿は人の形をしていたけれど、アレは貴方達がそういう姿で人間達の前に現れたからなの?』〉

 『違うぜ?そもそもオレ達ゃ直接人間達の前に姿を表してねぇしな。』

 〈『それならあの姿って何?』〉


 五大神の誰もかれもが、あまりにも特徴的な容姿をしていたのだ。何故人間達がああいった姿を描いたのか、私は以前から気になっていた。

 折角当事者と話が出来るのだから、その答えを聞かせてもらおう。


 『ありゃあ、人間達が俺達の声から導き出したイメージだよ。姿は現さねぇが、声は掛けてたからな。』

 〈『人間達が皆して同じ姿を連想したの?』〉

 『だな。まぁ、声を聴きとれたのは巫覡の連中だけだ。多分だが、声を聞き取った際に俺達の気配も感じ取った結果じゃねぇか?つーか、その辺はルグの方が詳しいだろ。何でアイツに聞かねぇんだ?』


 ズウノシャディオンはその名の通り海の神だ。人間達の事についてはあまり詳しくないだろう。

 人間達の歴史について答えを知りたいなら、ルグナツァリオに聞くのが一番だ。


 そんな事は分かっているんだ。ただ、間違いなく話が長くなりそうだから避けていたのだ。それも、問いに対する答えが永くなるんじゃない。別の話で長くなると分かっているからだ。

 あの駄龍の性格上、本題以外の話をしだすに決まっているのだ。そして無駄に話が長くなる。


 『あぁ、まぁ、確かにアイツはそういうヤツだな』

 〈『だろう?それに、つい先ほど彼には話しかけて来るな、と思念を送ったばかりだからね』〉

 『ヒデェな…』


 そう言われても仕方がないのは承知しているが、そうでもしないとしょっちゅう話しかけてきそうだからな。

 ついうっかり巫覡がいる場所で話しかけたりされでもしたら、また騒ぎになってしまう。

 そんな事態は私の平穏な旅行生活のためにも、何としても避けたいところなのだ。


 ええい!さっきからその落胆したような思念や悲しみを込めた思念を送って来るんじゃない!

 家に帰る時に直接会いに行くから、それまで大人しくしててくれ!


 ああ、やっと気配が消え去った。まったく、アレで永い時を生き続けてきた神の一柱とは…。


 〈『で?なんで貴方は私にニヤけた思念を送って来るのかな?』〉

 『いやな、なんだかんだで面倒見がいいと思ってよ』

 〈『仕方がないだろう、ああでも言っておかないと、この場所にいる間、ずっとあの思念を送り続けていたかもしれないんだぞ?』〉


 そんな事になったら、鬱陶しいったらないだろう。しかも鬱陶しさに耐えかねて会話に加えたら、それまで会話に参加させなかった事をしつこく非難して来るに違いないのだ。


 それではこれまでの楽しい気分が台無しである。そういうわけだから、今回ルグナツァリオを会話に呼ぶのは無しにするのだ。


 『まぁ、ルグのヤツは昔っから話が長い奴だからな』

 〈『あまり話し込んでいると、無理にでも会話に割り込んでくるだろうから、この辺りでこの話は終わりにしておこう』〉


 むしろここまで会話に割り込んでいなかった事が不思議なぐらい、今のルグナツァリオは大人しいと言って良いだろう。気配は消えているが、私の事を見ているのは変わらないだろうからな。


 『あー、それじゃあよぁ、ちっとばかし人間達を助けてやってくれねぇか?』

 〈『どういう事?その口調からして、かなりの厄介事みたいだけど』〉


 声色だけでなく、先程までと打って変わって申し訳なさそうな思念が私に送られてきている。

 ズウノシャディオンが言うには、人間達ではどうにもならないような事が起きるらしいが、私に何をさせたいのだろうか?


 『多分、4日後ぐらいになると思うんだが、かなりでかい地震がここから町まで半分ぐらいの距離の場所で発生しそうでな』

 〈『アマーレに住む人間達を避難させるとか、建築物の倒壊を防いでほしいとか、そんな感じ?』〉


 地震か…。確か、重なり合った地表のプレートが圧力によって歪んでいき、その歪みが限界まで達した時に歪んでいたプレートが元に戻ろうと跳ね上がった際に生じる揺れ、だったか。


 この星の規模で考えれば、相当巨大な揺れになる筈だ。下手な人口建築物など、ひとたまりもないだろうな。


 『ああー、その、避難だとか建物の事はそんなに心配してねぇんだ。まぁ、崩れるモンは崩れちまうだろうが、また直せばいいだろうからな』

〈 『ああ、既に巫覡には通達済みだったりする?』〉

 『まぁな。遅くても今晩にはこの街にも連絡が届くだろ。いつもなら3週間ぐらい前には分かってたし、その都度ダンタラが何とかしてたんだけどな。ほら、ダンタラは今よぉ…』


 そうだな。今も休眠中だものな。それで連絡が遅くなってしまったのか…。そうなると、人間達からしたら騒ぎになるんじゃないのか?

 いや、そもそも、避難や建築物の防護でなければ、ズウノシャディオンは私に何をさせたいのだ?


 『地震の発生源は海底だ。つまり、この辺りの海水全体が大きく揺れる事になる。それはつまり、馬鹿みてぇにデカイ津波が発生するって事だ』

 〈『その大津波を、私に何とかして欲しいってこと?海水なんだから、それこそ貴方の出番じゃないの?』〉

 『確かに俺なら津波を防げるんだがな?ソイツはこの星の海水ほぼすべてに干渉する事になるんだよ。それをやっちまうとな…』

 〈『あー、ダンタラみたく休眠する必要が出て来るって事?』〉

 『そういうこった』


 だとしたら、私が地震そのものを止めた方が早そうだな…。

 だが、止めるにしてもどうやれば地震を止める事ができるのだろうか?


 〈『一度でもダンタラが地震を止めているところを見ていればな…』〉

 『流石にぶっつけ本番じゃ無理そうか?』

 〈『地震を止めるには、跳ね上がるプレートを揺れが起きないようにゆっくりと元の位置に戻す必要があるだろうからね。少しでも力加減を間違えたら、より大きな地震が発生してしまうかもしれない』〉


 そんな事になりでもしたら二度手間だ。それならば最初から地震の発生は受け入れて、津波を何とかする事に集中した方が良い。


 〈『分かったよ。津波は私が何とかしよう。そもそも、ダンタラが休眠してしまったのは私が彼女に無理をさせたのが原因だからな。その責任は取らせてもらおう』〉

 『ありがとよ。ところでノアよぉ。ダンタラが眠っちまったのは、別にお前さんの責任じゃなかったりするぜ?』


 いや、流石にそれは無いだろう。あの時は緊急事態だったし、すぐに対応してもらうようにダンタラに頼んだのだから。


 『それな。キュピィに聞いたと思うが、ダンタラのヤツ、お前さんに頼みごとをされたのが嬉しくって必要以上に力を使っちまったんだよ。地盤だってすぐに崩落するわけじゃなかったんだし、ゆっくりと強度を上げてきゃ別に休眠が必要なほど消耗する事も無かったんだよな。つまり、年甲斐も無くはしゃいじまったアイツが悪ぃ』

 〈『そういうものなの?』〉

 『おうよ。大体、俺達の力はほぼ同じなんだぜ?この星の海全体に一度に干渉できる俺と同等の力を持ってるヤツが、たった一つの国の地盤に干渉するだけで休眠が必要になるものかよ』


 そうか…。意外とダンタラもやらかす神だったのだな…。

 会話の内容からしっかり者のイメージがついていたが、思い返してみればそこまで多くを語り合った仲でも無いのだ。知らない部分など、これからもいくらでも出てくるのだろうな。


 〈『言いたい事は分かったよ。だけどダンタラにそうさせたのは、やはり私が原因なんだ。彼女には今後気を付けてもらうとして、私にも責任はあると思うよ』〉

 『まったく、気にしなくて良いってのに、強情だなぁ。ま、コッチとしちゃあありがてぇけどな!ああ、そうだ!それからよぉ!』

 〈『何?』〉


 話はコレで終わりかと思ったのだが、最後の最後で呼び止められてしまった。何か言い残した事があるらしい。


 『さっき俺が年甲斐も無くって言ってた事は黙っててくれねぇか?アイツ神のくせにメッチャ年齢とか気にするんだよ』

 〈『………うん。まぁ、分かったよ………』〉

 『…なんかやけに間があったな…。マジで頼むぜ?アイツ説教が長ぇんだよ』


 女性は自分の年齢を気にする者が多い、と本でよく目にしていたが、ダンタラもそういった部分を気にするのか。早速私の知らない一面が分かってしまったな。


 私は黙っていよう。だが、恐らく私達の会話を聞いていたルグナツァリオがどう出るかな?


 『ルグにもきつく言っとくから心配はいらねぇよ。てか、ダンタラの説教を一番多く受けてるのがアイツだからな。巻き添えを食らわないためにも、黙っててくれるだろうぜ』


 何なのだろうな。この妙な信頼感は。2柱の関係は何と言うか、悪友という言葉が一番似合う気がする。


 もしかしたら、2柱揃ってダンタラに説教をされた経験があるのかもしれない。



 ズウノシャディオンとの会話を終え、セットした時計のタイマーがなるまでは引き続き高速小型艇を乗り回したり波に揺られてのんびりしたりを繰り返していた。


 そしてもっとこの贅沢を味わっていたいと思っていたところで、売店で購入した時計がややけたたましい金属音を鳴り響かせた。


 名残惜しいが、街に戻る時間である。


 帰還の際にはあまりスピードを出し過ぎないようにする必要がある。

 推進力が水の噴射による反動なのだ。高速移動で街に戻って止まろうとしたら、どれだけの水しぶきを陸地に振り撒く事になるか分かったものではない。

 出発時に私がずぶ濡れにさせてしまった者達の比ではない筈だからな。少なくとも、陸が見えてきたらスピードを落とすようにしよう。


 発進した場所に戻ると、街の様子は騒然とした様子だった。全体的に人の数が少なくなっているようにも感じる。

 近い内に地震が発生する事を伝えられたのだろうな。行動が早い者は既に避難を始めているのだろう。


 船着き場には、クラークが待機していた。私の帰還を待っていたのだろうか?


 「ただいま、クラーク。街の雰囲気、穏やかじゃないね。人の気配も午前中の時より少なくなってる」

 「はい。深海神様より信託が下りたのです。このアマーレの近くで、近々大きな地震が発生すると」

 「それで街の人達は避難を?」

 「はい。主に耐震性のない家屋に住まう者達です」


 クラークがこの場に待機していたのは、私が沖から帰って来たら真っ先に何か伝えたい事があるからだと思う。

 まさか、安全のためにホテルから退去しなければならないのだろうか?


 それは困るな。


 私はあのホテルの設備を気に入ったのだ。ホテル全体に『不懐こわれず』の魔法を施してでも退去を拒否させてもらうぞ?


 「ホテルの方は大丈夫?」

 「その心配には及びません。当ホテルの耐震性はアクレインの中でも有数だと自負しておりますので。ですが…」

 「問題は地震の後にくる津波だね?」

 「はい…」


 地震が発生した後に大きな津波が発生する事はクラークも理解しているようだ。避難している者達も、おそらくは建物の倒壊よりも津波を警戒しているのだろうか?

 もしかしたら、過去にも津波による大きな被害があったのかもしれない。


 「それで、ホテルからは退去した方が良いの?」

 「…耐震性はともかく、津波ばかりは我々人間ではどうしようもありません…。おそらくは世界最高の魔術師の1人であられるエネミネア様ですら、それは同じ事でしょう…」


 クラーク、悔しそうだな。私を精一杯もてなすというマフチスからの命を守れない事を、とても悔やんでいるようだ。

 私がホテルの施設を楽しんでいた事を知っているから、余計にだな。


 見ていていたたまれないな。

 どれ、ここはひとつ盛大に勇気づけてやろうじゃないか。


 「クラーク、私は何者だい?」

 「は?」

 「私は何者か、と聞いているんだ」


 エネミネアでは津波をどうにもできない、か。それは事実なのだろう。だが、この場にいるのはエネミネアではない。


 「そ、それは、『黒龍の姫君』様。二柱の神から寵愛を授けられ、"一等星トップスター"冒険者をも容易く凌駕する存在です…!」

 「だろう?これからくる津波、私が何とかしようじゃないか。流石に地震そのものを止めて欲しいと言われても困ってしまうがね。津波なら何とかする算段があるよ」

 「ま、まことでございますか!?」

 「ああ、ちょっと荒っぽくなるけれど、津波がこの街に押し寄せるよりも遥かにマシだろうね。どうだい?私に任せてみてはくれないかな?」

 「おお………!」


 初老の男性が少年のように目を輝かせて両手を組む姿というのは、若干違和感を覚えてしまうが、どうやらクラークは私を信じてくれるようだ。

 ついにはその場で跪いて懇願しだしてしまった。


 「ノア様…お願いします。どうか、どうかこの街を、津波による災害からお救いください…」

 「任せてもらおう。この街、私が守ろうじゃないか」

 「ああ…!ありがとうございます!ありがとうございます!」


 感謝してくれるのは良いんだが、拝むのは止めて欲しいんだが。私は神じゃないんだから。拝むのならズウノシャディオンに拝んでやってくれ。


 さて、気付けばクラークだけでなくいつの間にかこの場に集まった他の住民や観光客達まで私に跪いて、と言うか平伏して懇願している。


 自分達が助かりたいという思いが強いのもあるが、純粋にこの街の景色を失いたくないのだろう。

 その強い思い、無下にする事など出来るものか。


 ズウノシャディオンとの約束もある。


 この街を襲う津波、私が何とかして見せよう!

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