第296話 小型高速艇に乗ろう!

 日が変わり、いつものようにレイブランとヤタールに起こしてもらうと、私はいつもとは違う行動をとる事にした。


 朝食の準備だ。折角のキッチンだからな。一度しか使用しないのはもったいない。朝食も自分で用意してみよう。


 メニューは…私が今まで宿泊先で食べてきた物で良いだろう。

 焼き立てのパンにスクランブルエッグ、それとウインナーソーセージと呼ばれている肉の腸詰。後はスープも用意しよう。


 とは言え、私が感動したあの複雑な味のスープを作る場合、今から普通に作っていてはとてもではないが時間が足りない。スープを作り終えるころには昼食の時間になってしまうと考えて良いだろう。


 そこで、だ。今回は『時間圧縮』を使用してみようと思う。ただし、効果範囲はこの部屋ではなく、スープを作るための鍋に限定して、だ。これならば問題無く朝食にあの時のスープを用意できるはずだ。

 レシピ自体は図書館で確認済みだし、家で作った事もある。魔術の影響が食材に影響がない限り問題は無いだろう。


 では、早速朝食を作っていこうじゃないか!



 朝食を作り終えてテーブルに並べていると、ドアがノックされた。何やら運んできたようだが、何を運んできたのだろう?特に頼んだ覚えは無いのだが。


 「失礼します。朝食をお持ち致しました」

 「今行くよ」


 …なんてこった。まさか朝食を用意してくれているとは。

 ああいや、だが考えてみれば何もおかしい事ではないのか。今までの宿泊先でも、注文しなくても朝食は用意してくれていたのだから、こういう店では、これが普通なのだ。


 思いのほか、私は料理という行為を楽しんでいたようだ。


 ドアを開けて朝食を運んできたと言う従業員を迎え入れると、部屋に立ち込めていた料理の香りに即座に気付いたようだ。

 そしてその直後に顔を青くさせてしまった。


 「ご、ご自分でお食事を用意していたのですか!?し、失礼しました!」


 この謝り方、この従業員は私を煩わせたとでも思っているのだろうか?


 …あり得るな。

 人間の立場で考えれば、既に朝食が用意されていて、これからその朝食を食べようとしていた時に、新たに別の食事が用意されたら、大半の人間はどちらかしか食べられないだろうからな。

 彼の報告がクラークに伝わりでもしたら、大袈裟な態度で謝罪して来る様子が容易に想像できる。


 ただでさえクラークは私をもてなせとマフチスから命を受けているのだ。不備があったら自分の首が飛ぶかもしれないと想像してしまうかもしれない。


 従業員に気にする必要は無いと安心させてやらなくては。


 「謝る必要は無いよ。むしろ感謝しよう」

 「で、ですが、既に『姫君』様は…」

 「私は食べようと思えばいくらでも食べられるからね。だから、食べる量が増えて嬉しいのさ。そちらが用意してくれた朝食も遠慮なくいただこうじゃないか。当然、美味いのだろう?」

 「も、勿論です!当ホテルのシェフが腕によりをかけて用意しましたので!」

 「ならば結構。全て平らげさせてもらうよ。後で朝食を用意してくれたシェフと手配してくれたクラークに礼を言っておこう」

 「は、はいっ!そ、それでは、ごゆっくりどうぞ!し、失礼しました!」


 大分緊張していたようだが、大丈夫なのだろうか?

 あの従業員、おそらくクラークに今回の事を報告するんだろうな。私の意見を変に曲解しなければいいのだが…。


 まぁ、今は朝食を楽しもう。なにせ私が作った料理とプロが作った料理の2種類を一度に楽しめるのだ。食べ比べといこうじゃないか。

 "ホテル・チックタック"は海岸に近い場所に建設されている。10階という高所から、海を眺めながら食事としゃれこもう。



 いやぁ、実に有意義な時間だった。

 スープの味も問題無かったし、他の料理も問題無く調理できていた。食べたいものを自分で作る事ができるというのは、実に素晴らしい!

 そしてより美味いものを作ろうと精進して次々と人間達は新しい料理を生み出していったのだろう。本当に見事だ。

 これまでの人間達の料理の歴史に称賛を送りたい!


 勿論、ホテル側で用意してくれた朝食も言うまでも無く美味かった。そして理解したのだ。料理にも、思いを込める事ができる、と。

 料理を手掛けた者の、喜んで欲しい、美味いと思ってほしい、最高の料理を振る舞おうという気持ちが、これでもかと伝わってきたのである。


 考えてみれば当然の事だった。

 創作物はおろか、音楽にすら思いを込める事ができたのだ。料理だけ思いを込める事ができないなど、ありえないのだ。


 新たな発見ではあるが、なぜ今更になって理解したのだろうな?昨日の夕食も同じ人物が作っただろうから、昨日この事実を理解してもおかしくない筈だったのだが…。


 違いがあるすれば、私の料理と食べ比べたことぐらいか。


 私とて何も思わずに料理を作っていたわけでは無いのだが、如何せん込められた思いの強さがまるで違う。品評会の時と同じだな。私の料理は、ホテルの料理人の料理ほど思いが込められていなかったというわけだ。


 だが、おかげで良い事を知れた。家の皆に料理を振る舞う時には、精一杯思いを込めて料理を作るとしよう。



 さて、朝食も済んでようやくアマーレの観光だ。

 やはりこの街の目玉となる催しは小型高速艇だろうな。乗船、操船を体験できるだけでなく、定期的に速さを競うレースも行っているらしい。そのレースの順位を予測する賭博まで行っているようなのだ。

 街が賑やかなのは、それが理由と見て良いだろうな。


 賭博にはあまり興味を持てないが、レースそのものは気になる。人間の操船技術を是非とも見せて欲しいところだ。


 が、残念な事に、今はレースのシーズンではないらしい。次にレースが開催されるのは2ヶ月後なのだとか。

 流石にそんなに長時間滞在するつもりはない。旅行も楽しいのは間違いないが、それでも私の最優先順位は"楽園"であり、家の皆だ。

 旅行を楽しみたいと思うと同時に、早く帰って皆に私が体験した事を伝えたいという気持ちもある。


 今回を逃したらもう体験できない、というわけでは無いのだ。この街には必ず再び訪れるので、レースはその時に見学しよう。


 アマーレの街を見て回ったのだが、一つ困ったことが発生した。

 小型高速艇以外、見るべきものが無いのである。


 いや、店が立ち並んでいないだとか、活気が無いだとかそういう話ではない。私にとって見る物が無いのだ。


 その理由も明確で、この街の店に並んでいる商品は、全て"ホテル・チックタック"の売店により良い品質の商品が揃っているのだ。

 昨日既に売店を一通り見て回り、めぼしいものを購入してしまった私にとって、この街の商品を見て回る理由が無くなってしまったのである。


 これと言って目立つランドマークのようなものも無いので、少し早いかもしれないが、小型高速艇を見に行くとしよう。



 小型高速艇のレジャーにはいくつか種類があり、船を単独で貸し切り、好きなように乗り回せるプランや、プロに操船を任せて自分は船の高速移動を体験しながら周囲の景色を楽しむようなプランがある。


 私が選ぶのは当然自分で乗り回すプランだな。モーダンの時はデンケンやオスカーに気を遣っていたため、あまり派手な動きはできなかったのだ。

 今回は好きなように操船が出来るのだ。思いっきり楽しもうじゃないか!


 貸し切りコースの料金は、1時間に付きなんと金貨5枚と超高額だった。だがまぁ、その理由も分からなくはない。


 小型高速艇自体がアマーレの技術の粋を集めた超高級品なのだ。その制作費は金貨5枚どころか500枚ですら成し得ないんじゃないだろうか?

 仮に壊してしまった場合、どれほどの賠償を請求されてしまうか分かったものでは無いな。

 乗り回す前に、『不懐こわれず』の魔法を施しておこう。


 操船方法はモーダンで動かした小型艇と原理も勝手も変わらないようだ。これなら特に問題無く操船可能だろう。


 だが、私が乗り込んだ船の傍には、従業員がいるのだ。この場でいきなり高速で移動したら、推進力のために排出された大量の水が、従業員に思いっきりかかってしまう。


 濡れてしまっても問題無いような恰好をしているようだが、やはり大量の海水を浴びせてしまうのは失礼だろう。少し離れるまではゆっくりと動かそう。


 ある程度陸地から距離が空いた事を確認したところで待ちに待った高速移動だ。船に取り付けられた魔術具に魔力を流し、魔術具が許容する最大出力で海水を噴射させる。

 直後、私を乗せた小型高速艇は浮力を得たかと錯覚するほどの加速を行う。速度は全くと言って良いほど及ばないが、まるで噴射飛行を行っている気分だ。

 自分の体をまるで動かさずにこの感覚を体験できるのは、実に面白い!


 だが、高速移動を行うには、まだまだ陸から距離が近かったようだ。魔術具の性能が高かったのが原因だろうか、勢いよく排出された海水は、従業員だけでなく私の姿を見に来た街の住民や観光客にまで浴びせる事になってしまったのだ。


 意図せぬ結果に申し訳なく思う限りである。

 すぐに戻って、謝罪した後に彼等の服を乾かそうと思ったのだが、『広域ウィディア探知サーチェクション』で確認してみれば、彼等は何故か非常に喜んでいる。何故だ?


 会話を聞き取ってみれば、誰もが私が船の性能を最大限引き出した事に、称賛を送っていたのだ。



 「いやはや、凄まじい迫力だねぇ!あんな距離からここまで排出された水が届くなんて、今までにあったかね!?」

 「いいや!私が見てきた中では一度たりともなかったとも!やはり『姫君』様は素晴らしいな!一等席のレースでだって、こんな迫力のある発進を見る事なんてできないぞ!?」

 「見て下さいな!もう麦の一粒ほどの大きさにまで…!『姫君』様がレースに出場したら、間違いなく優勝ですわね!」

 「おいおい、それは流石に他の選手達が可哀想だろう」



 なかなかに楽しそうに会話をしている。しかし、客の一人が気になる事を言っていたな。

 私がレースに出場してしまっても良いのか?

 いや、良くなさそうだな。連れの男性が女性の発言を窘めている。


 少なくとも、私が出しているこの速度は、レースに参加している選手には出せない速度らしい。

 つまり、この船に搭載されている魔術具の強度は、人間の魔力になら問題無く耐えられるという事か。改めて凄まじい技術だ。


 さて、まっすぐ進むだけでは芸が無い。もっといろいろな軌道をとって操船を楽しむとしよう。

 だが、あまり陸から放れないようにしないとな。


 このレジャーで扱っている小型高速艇には、安全と防犯のために、陸から離れすぎると自動操縦に切り替わり陸地まで戻されてしまうのだ。

 自動操船機能で陸地まで戻ってしまうと、どれだけ料金を支払っていても陸地に到着した時点でサービスが強制終了となってしまう。


 私は奮発して午後5時までの料金を支払っているのだ。時間いっぱいまで楽しめない事態など断固阻止すべきである。


 一応、自動操船に切り替わる距離は船自体が音で知らせてくれるし、海面にも領域を示すためのブイと呼ばれる目印が浮かんでいる。

 そのため、盗犯目的だったり意識を失ったりしたわけでも無ければ、自動操船機能が働く前に軌道修正する事が可能である。



 思う存分操船を楽しみ時刻は正午。昼食の時間である。

 だが私は陸まで戻る気は無い。今日の昼食はここで食べるのだ。今日はこの場所で新鮮な魚を好きなだけ捕ろうと思っていたのだ。

 魚の生息も『広域探知』で確認済みだ。


 勿論、船に乗る前に魚を取っても良いのか確認は取っている。

 そういった楽しみ方をする者もいると、従業員が大きく頷いてくれた時は、このレジャーを発案した者を心の底から褒め称えたくなった。


 イダルタで購入した釣竿を用いて釣りを楽しむのも良いが、今回は尻尾を使って捕ろうと思う。


 折角誰にも見られていない場所にいるのだ。角も翼も出して、開放的な気分を味わわせてもらうとしよう。


 今の私は尻尾を伸ばせる長さにも制限が無いみたいだしな。浅い層から深い層まで、得られる魚はより取り見取りである。

 さぁ、新鮮な魚をいただこう!



 魚の味を十分に堪能し、仰向けになって日光を浴びる。

 この船に取り付けられた座席は倒す事ができるし、尻尾のある種族のために背もたれの一部を取り外して尻尾を通す事ができるのだ。

 これによって仰向けになる事だ可能なのである。


 燦々と降り注ぐ暖かな刺激がとても気持ちがいい。

 先程まで高速移動をしていたというのに、今度はゆったりと海の波の揺れを楽しむ…。実に贅沢な事じゃないか。これも人間達が私の事を姫として扱うように決めたおかげなのだろうな。


 つまりそれは、私に強力な寵愛を授けたルグナツァリオのおかげでもある。少々癪ではあるが、彼にも感謝をしなければならないな。

 ああ、いちいち声をかけに来なくても良いぞ?どうせ私の事を見ているだろうし、私の心境も確認しているだろうがな。


 ………やたら落胆した気配を感じたが、無視しておこう。

 そうだ。神といえば、イダルタで海に出たらズウノシャディオンに声をかけると約束していたんだったな。


 これだけ距離を取っていれば巫覡ふげきに神の気配を気取られる事も無いだろうし、声をかけておくか。

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