第295話 贅沢な生活
クラークは売店に置いて来た。
ハッキリ言って、完全に自分の世界に入り浸ってしまっていたので、特に用も無いのに声をかけるのもどうかと思ったのだ。
一応、私が声を掛ければこちらに意識を向けてくれるとは思うのだが、何やら大きな商機を見出しそうだったので邪魔をしては悪いと感じたのだ。
それはそれとして、時間を潰すついでに昼食の準備をしよう。
折角豪勢なキッチンが使用できるのだ。城のキッチンに取り入れるためにも、自分で使ってみようと思ったのである。
そうそう、このホテル、私の部屋にはキッチンがあり、人を呼んで調理させることができるわけだが、当然そんなサービスがあるのは私の部屋だけだ。
他の客達は、ホテルに設けられた高級レストランで食事を取っている。勿論、私も利用可能だ。
売店で取り扱っていた食料品の中には、加工前の新鮮な食材も取り扱っていた。もしかしたら、このホテルのレストランで扱っている食材がそのまま販売されているのかもしれないな。
部屋に戻り、キッチンの前に立つ。やはり何度見ても立派な設備だ。どうせなのだ、全ての設備を使用してみよう。
全ての設備を使用して気の向くままに本で読んだ食べてみたい料理を作っていたら、あっという間に昼食にちょうどいい時間となってしまった。
10人以上の人間が余裕を持って囲めるほどの巨大なテーブルに、様々な料理が並べられている。すべて、私が作った物だ。その中には、まだ私が口にした事のない料理もある。
そういった料理は初めて使用する食材や調味料もあるため、どのような味なのか未知数である。
だが、間違いなく美味いと思えるような香りがしている。
まだ食べていない料理に関しては出来れば最初は人間が作った物を口にしてみたかったのだが、作りたい、そして食べてみたい、という欲求には勝てなかった。
我ながら、どの料理も上手く作る事ができたと思う。
様々な香りが私の鼻孔を刺激しているが、そのどれもが美味そうなのだ。正直、口の中は涎が溢れ出してしまっている。
飲み物も用意しておこう。イスティエスタで大量に購入した、炭酸飲料だ。
炭酸飲料はなにもシードルだけではなかったのだ。酒精のない子供が飲めるジュースもあったので、そちらも購入していたのだ。
純粋に酒を楽しむ事の出来ない私にとって、非常にありがたい飲料である。
さて、そろそろ辛抱堪らなくなってきた。この部屋にいるのは私だけだ。誰に気を遣う必要も無い。好きなように食事を楽しむとしよう。
「…いただきます」
料理を食べる前に、食材に対して感謝の念を込め、最も手近にあった料理、白身魚のソテーにクリームソースを和えた料理を口にする。
…素晴らしいな!
魚の身が口に入れた途端ホロホロと崩れ出し、クリームソースが満遍なく絡み合っていくのだ。派手に噛む必要などまるでない。
クリームソースの味付けも我ながら上手くできたようだ。家の皆には少し塩辛い味付けかもしれないが、私にはちょうどいい。濃厚なクリームが魚の食感をまろやかなものにしてくれる!
どの食材も、非常に質が良かったのだろうな。勿論、私の料理の腕もそれなり以上だったというのも理由の一つではあるだろうが。
やはり本だ。本の知識が、私にこの味を、この幸せを提供してくれたのだ。
先達の知識を残し伝えてくれる本という存在は、やはり素晴らしいものだな!今後も大切にしていこう。
それと、この街にも図書館がある筈だ。昼食を終えたら顔を出し、手当たり次第に複製させてもらうとしよう。
さてさて、食事の続きだ。魚を食べたのだから次は肉だ。煮込みハンバーグなるものを作ってみた。挽肉をパン粉と野菜で固めて表面を焼き、大量のとろみのあるソースで煮込んだ料理だ。
齧り付いたりナイフで切り分けると肉汁が外に出てしまいもったいないと感じたので、ハンバーグの大きさは一口サイズの物を大量に作った。まぁ、一口サイズと言っても、私にとっての一口サイズだ。人間の子供の拳分ぐらいはある。
丸々一個口の中に放り込んでハンバーグを噛み潰せば、思った通り、いや、予想以上に大量の肉汁が口の中にあふれ出し、旨味の暴力が口の中を支配した。
美味すぎるっ!至福とも言える味わいだ!
野菜と肉の旨味がたっぷりと含まれた肉汁は、ソース無しでも十分すぎるほどの美味さを私に伝えてくれた。
人間でこれを体験してしまった場合、きっと口の中が大変な事になっていただろう。何せ湯気が立っているような出来立ての料理だ。熱々の肉汁が口の中に広がり、口内全体が火傷を負ってしまったに違いない。
まぁ、魔力で保護すればその心配は無いかもしれないが。
口内が高温になっているので、今度は冷たいものを口に含むとしよう。炭酸飲料、ジュースの出番である。
コップに8割程度注いだ後に魔法で凍らない程度にジュースを冷やす。
私は思ったのだ。風呂で温まった体に冷たいものを飲んだら快感を得られるのであれば、熱い物を食べた後に冷たいものを食べたら同じように快感を得られるのではないかと。そして逆もまた然りではないかとも。
そう思って、結露現象によって既に表面に水滴がついているコップを手に取り、思いっきり口の中に流し込んでいく。
思った通りだ!温まった口内に冷たいものを口に入れると、それだけでも凄まじい快感を得られる!
しかも口内や舌、喉を炭酸が刺激して、とても爽快感があるのだ!これはもう堪らないな!食が進む!
コップに注いだジュースを一回で飲み干し、残りの料理もどんどん口の中に運ぶ。口の中に熱がこもって来たら、再び冷えに冷えたジュースを口の中に流し込む。その繰り返しだ。
手も口も止まらない。只々美味いという快感の波が立て続けに押し寄せてくる。
幸せだ。実に幸せだ!
美味いものを誰に気を遣うでも無く好きなだけ飲み食いする今のこの状況は、正に至福の時間である!
今回もまた、この場所に訪れて良かったと、心の底から言えるだろう。
10品以上あった料理を全て平らげ、キッチンや食器に隈なく『清浄』を施して料理をする前の状態に戻しておく。心行くまで食事を楽しんでいたからか、既に時間は午後1時を過ぎてしまっていた。
だが、後悔はない。時間を忘れてしまうほど、満足のいくまで食事を堪能したという事なのだ。後悔など、する筈がなかった。
食事も終えて、いよいよアマーレの観光、といきたいところだが、その前にまずは冒険者ギルドと図書館である。
私がこの街を訪れる可能性が高いと街中に広まっているのなら、図書館の者が冒険者ギルドに本の複製依頼を出していてもおかしくないのである。
どうせ図書館に訪れるのだから、先にギルドに立ち寄って依頼が来ていないか確認してからの方が効率がいいと考えたのだ。
案の定、受付に訊ねてみれば図書館から指名依頼が発注されていると伝えられた。依頼内容は勿論、本の複製依頼だ。断る理由は無い。当然受注しよう。
図書館に顔を出すと、今まで訪れたどの図書館よりも盛大な歓迎を受けた。図書館の職員総出で出迎えるってどうなってるんだ?図書館では静かにするものではなかったのか?
彼等は私が依頼を受注して訪問したのがとても嬉しかったようだ。先に図書館に顔を出していたら、落胆されていたかもしれないな。
なお、騒がしかったのは最初だけで、図書館内部に案内されてからはとても静かだったし、担当者以外は皆持ち場に戻って行った。そうだよな。図書館の職員たる者、そうでなくてはな。
複製する本の量自体は他の場所で受注した依頼とそう変わらない内容だった。つまり、需要の多い本を複製して欲しいという内容だ。勿論、国や街によって需要に違いがあるので、全て同じ本を複製するわけではないが。
アクレイン王国全体で見ても、需要のある本に違いがあるな。
魔術書だけで見ても海に面したイダルタやここアマーレでは水を操作したり水上や水中で活動できる魔術書に需要があり、アクアンでは生活環境を快適にするような魔術に需要があったのだ。
住む場所の環境で生活の仕方も変わるので需要に違いが出るのは当然ではあるが、やはり面白いものである。
本の複製依頼を終わらせたら、そのまま図書館で他の本を複製させてもらった。アマーレの図書館の広さも私が訪れた他の街とそう変わらない規模だ。
既にほかの場所で複製済みの本もある以上、今の私ならば夕食までにすべての本を複製できる。夕食までに余った時間は、大人しく読書でもしておこう。
本の複製を終え、部屋に戻る前に忘れずにギルドに依頼の完了を報告しておく。いつものことながら本の複製依頼は結構報酬が良い。
場所によって金額に多少の差はあるが、大体一度の依頼で金貨10枚ほど受け取っているのだ。
"
夕食は今回は部屋に料理人を呼ばずにレストランで取る事にした。
間違いなく他の客から注目を浴びる事になりはするだろうが、そんなものは気にする必要は無いのだ。
ホテルの利用客は漏れなく新聞の読者だと思われる。今日の新聞では、私の不興を買ったデヴィッケンの身に何が起きたのか、憶測の面が多かったが記載自体はされていた。
それを知りながら私に不用意に声をかけて来るような者はいないと信じよう。
食事を終えてレストランを出ると、クラークに声を掛けられた。どうやら自分の世界から帰ってきたようだ。
「おお!ノア様!午前中は申し訳ございませんでした!ノア様のあまりにも斬新な発想にまたとない商機を見出してしまい…」
「良いよ。気にしてはいないさ。それで、その商機とやらは上手くいく見込みはあるのかな?」
「おお、なんと寛大な…!ありがとうございます!熟考した結果、現状ではまだ何とも…。成し遂げるには、かのマギモデルの始祖、ピリカ氏の協力が必要不可欠と判断いたしました」
ピリカの協力かぁ…。多分、難しいんじゃないかなぁ…。彼女は今、マギモデルで演劇を行う企画に夢中になっているだろうからな。
だが、永遠に不可能という事は無いだろう。今の企画が落ち着けば、必ずピリカはクラークが思いついた企画にも食いつく筈だ。私だってマギモデルで小型艇の玩具を動かすところを見てみたいしな。
とは言え、今度ピリカに会う時にこの話を伝えるのはやめておくべきだな。
今回クラークが検討した企画も、彼女は確実に乗り気になるとは思う。だが、その結果どっちつかずになってしまっては元も子もない。ピリカという人物は一人しかいないのだ。
「確かにそれは難しいだろうね。だけど、それは現状での話だろう?」
「勿論です。今後も時間を見つけて企画を練り固めて行こうと思います」
いいぞ。クラークはまるで諦めている様子ではない。いつか彼の企画が通る時を期待しておくとしよう。
「ところでノア様、当ホテルの食事はいかがでしたか?」
「勿論、文句なしに美味かったよ。明日の夕食には、部屋に呼んで調理してもらおうと思う。手配を頼めるかな?」
「なんと!?ありがとうございます!」
その後、軽く明日の夕食の段取りをした後に部屋に戻る事にした。
昨日までは夕食後はオスカーと冒険者達に稽古をつけていたので、正直何をしようか迷ってしまうな。
そうだ。風呂に入ってしまおう。
風呂に入って温まった後にプールに入ってみようと。決めていたではないか。それをやってみよう!
そうと決まれば早速入浴だ!体を洗ったらじっくりとお湯に浸かり、体の内側までしっかりと温めるのだ。
きっと、その方がプールに入った時に気持ちがいい筈だ。
私の予測は、間違っていなかった…。
火照った体で冷たい水に沈むのは、途轍もない快感だったのだ。
あまりの気持ちよさに、プールで体を冷やした後、再び風呂に入って体を温め、またプールに入る。気が付けばそれを5回も繰り返してしまっていた。
私に風呂の存在を教えてくれた、異世界人であるマコトは、この事を知っているのだろうか?
興味深いな。今度ティゼミアに訪れた際には、マコトのところにも顔を出して訊ねてみようか?
何度もお湯に入ったり水に入ったりを繰り返していたら、すっかり外は暗くなり、寝る時間になってしまった。
今日はもう、オーカムヅミを食べて寝るとしよう。
明日はいよいよアマーレの街を見て回るのだ。そして小型高速艇を乗り回そう!
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