第293話 リゾート地、アマーレ

 日が変わって翌日。朝食を済ませた私とオスカーは、ジョゼットの屋敷の玄関で彼女と別れの挨拶をしている。


 「随分と世話になったね。今日までありがとう」

 「ジョゼット様、お世話になりました」

 「なに、これぐらいはお安い御用さ。なんなら、次にこの街に来た時だって、私を頼りにしてくれたっていい。仮に私が不在の時だろうと、『姫君』様なら通すように伝えておこうじゃないか。それとオスカー、私にとって君は身内も同然だ。遠慮する必要は無いんだよ」


 礼に返答するジョゼットに、別れを惜しむ様子は無い。私が再びこの街を訪れる事を確信しているためか、随分と気前の良い事を告げてくれた。


 そして、オスカーに対しても、やはり終始身内のように振る舞っている。

 何故そこまでこの子の事を弟のように扱うのかを考えてみたのだが、ジョゼットは始めに屋敷を訪れた際に、タスクの弟分ならば自分の弟も同然だと語っていた。


 もしかすると…。


 「…タスクとは、何時か結婚するつもり?」

 「へぁっ!?」

 「おや…」


 ふと頭に浮かんだ疑問をその場でジョゼットにぶつけてみると、オスカーは驚愕し、ジョゼットは取り乱す様子も無く、とても感心したような声を出した。

 当てられるとは思っていなかったのか、それとも観念したのか、少し困ったような表情で小さくため息を吐き出した。


 この様子だと、当たっているようだ。


 「いやまいったね、『姫君』様には隠し通せないか。あの唐変木は私を友人と思っているようだけどね、私は違う。私の伴侶に相応しいのは、彼をおいて他にいないと思っているよ」

 「タスクは、受け入れてくれるのかな?」

 「受け入れさせるさ。逃がしはしないよ」

 「あわわわわ…」

 「ああ、オスカー?この事はまだタスクには内緒だよ?」

 「ひゃい!」


 今まで見せた事が無いほど獰猛な表情をしている。そのどう猛さたるや、初めて対面した時のリナーシェを彷彿とさせる表情だ。

 ジョゼットのそんな表情は、オスカーも見た事が無かったのだろう。タスクへの思いを口止めされた際には、震えあがっていた。


 …モーダンへ戻った際にジョゼットの事をタスクに聞くのは野暮なのだろうな。

 わざわざタスクに会う必要も無いのだ。モーダンでの用事を済ませたら、さっさとアマーレへと移動しよう。



 ジョゼットとの別れを済ませ、再びオスカーと共にモーダンへと戻る。

 街道は昨日私が見て回ったので、これと言った問題は無い。賊の気配も危険な魔物の気配もまるで感じられなかった。


 オスカーの運搬方法も今まで通りだ。尻尾で掴み上げてそのまま移動する。

 逞しい事に、昨日の時点では慄いていたというのに、今回は殆ど平静を保った状態だった。私が走る速度に、大分慣れたようだ。


 「おかげさまで、どんな軍馬に乗っても怯む事がなさそうです!」


 確かに、私の走る速度に慣れてしまえば、馬の走る速度では何とも思わなくなるかもしれないな。

 だが、馬に騎乗すると思いのほか視界が高くなったりする。その事も加味した方が良いと注意しておこう。

 

 「はい!軍馬に騎乗した経験もありますから、承知しています!」


 いらない心配だったようだ。


 モーダンに入った時点でオスカーとは別れる事にしていた。既にこの街は十分に案内してもらえているからな。一人でも問題無く見て回る事ができるのだ。


 イネスが新聞で今日私がこの街に訪れる事を記事にしてくれているので、住民を驚かせるような事も無いだろう。

 目的の品を手早く見繕うとしよう。私は早くアマーレに行きたいのだ。小型高速艇を乗り回してみたいのだ。


 はやる気持ちを抑えながら、オスカーとも別れの挨拶を済ませておく。


 「世話になったね、オスカー。タスクにも助かったと伝えておいてほしい」

 「そんな!お世話になったのはこちらの方です!ノア様と共に過ごした時間は、私にとってかけがえのない時間となりました!本当に感謝しています!」

 「どういたしまして。縁があったら、タスク共々また会おう」

 「はいっ!」


 いずれ、オスカーとも再開する事になるだろう。私は既に、近い内にティゼム王国へ再び足を運ぶ事を考えている。

 その時に、シャーリィにオスカーの事を話そうと思っている。もしかしたら、あの娘も新聞でオスカーの事を知っているかもしれないしな。

 あの娘の事だから、オスカーをライバル認定していてもおかしくないだろう。ピリカ共々、今から会うのが楽しみである。


 そうだ、折角ティゼム王国へ行くのだから、フウカやマーグのところにも顔を出しておこう。フウカにも海外の服を見せてあげたいし、マーグもそろそろ自分が雇っている者達の意見を一つに纏められている頃だろう。


 それに、フウカのところに顔を出すという事は勿論イスティエスタに訪れるという事だ。

 イスティエスタに訪れるのならば、是が非でも再び口にしなければならない料理がある。


 そう、ハン・バガーセットだ。私が初めて食べた人間の料理だ。実を言うと、アレの再現は未だに出来ていないのである。

 タレの材料が手に入らなかったのだ。材料が無ければいくら私でも味の再現は不可能だった。


 だが、嬉しい事にその問題も解決できそうだ。

 あのタレとの材料と思わしき食材が、このモーダンで見つかったのだ!


 その正体は、とある豆である。調味料にもできて、栄養満点な、あの豆である。

 一部の豆を食べた時に、ほんの僅かではあるが、あのハン・バガーを食べた時と同じ風味を感じる事ができたのだ。


 何をどうしたら豆があのタレになるのかはまだ分からないが、だからこそ何度も食べてその方法を精査しようと思う。流石に、宿の主人兼料理人であるトーマスからレシピを聞くような真似はできないからな。


 ハン・バガーセットを食べに行くという事は、当然シンシアやジェシカに会いに行くという事だ。今度は顔を隠さず、ちゃんと挨拶しに行こう。


 いかんな。このままだと、他の見知った顔にも顔を出したくなってきたぞ?特にエリィを始めとした、あの街の冒険者達や、シンシアの友人である子供達がどんな反応をしてくれるのか、気になってきてしまっている。


 いきなり顔を出してしまったら、驚くのは間違いないだろうな。あまり驚かさない方法は無いだろうか…。


 良し、手紙を送ろう。私が宿泊した宿、"囁き鳥の止まり木亭"にでも近い内に顔を出すと手紙を送っておけば、極端に驚かせるような無いだろう。我ながらいい案だ。


 そんな事を考えながら一通り欲しい食材を購入したところで、私の視界にデンケンの姿を確認した。

 以前見かけた立派な装いをした服装ではなく、半袖のシャツにハーフパンツのみという、非常に軽快な服装だ。

 今日は休日なのだろうか?だとしたら、今話しかけたとしても問題無いだろうな。


 私は、デンケンに声をかける事にした。


 「やあ、デンケン。久しぶり。随分と寛いでいるみたいだね」

 「よぉ!『姫君』様!ガハハ!こっちでやる仕事は殆ど終わらせちまったからな!帰国するまではバカンスってワケよ!」


 デンケンに驚いた様子は見られない。新聞を読んで私がこの街に再び訪れる事を知っていたからだろう。

 先程海外の食材を購入していた殆どの店では、店員達に緊張させてしまっていた事を考えると、彼の対応はありがたい。


 「新聞読んだぜ?今度はアマーレに行くんだってな!」

 「ああ、以前使わせてもらった高速艇、アレがとても楽しかったからね。楽しみにしているんだ」

 「ま、レジャーとして楽しむなら、あの街の小型高速艇は大したもんだ。きっと『姫君』様も気に入ると思うぜ?」


 そう語るデンケンは少しだけ悔しそうである。やはり船としての技術は自分達に一日の長があると考えているからだろう。


 「オルディナン大陸にも、似たようなレジャーがあったりするの?」

 「そうしてぇのは山々なんだが、んなことするぐらいなら貿易に力を入れろってのがウチの国の方針でなぁ…」

 「スーレーンの造船技術が世界有数のものなら、きっと凄い性能の小型高速艇を造れるんだろうね」

 「どうかねぇ?確かにスーレーンの造船技術は胸張って自慢できるが、小型艇の開発ってのは大陸間を横断するような大型船ほど進んじゃいねぇからなぁ…。小型船の開発に力を注いできただろうアマーレの船には、ちと出遅れるかもしれねぇ」


 意外だな。デンケンならば自分達ならばもっといい船を造れると豪語するかと思ったのだが、消極的な意見が出た。ある意味、謙虚と言えなくもない。


 「『姫君』様が乗っちまったらどんな船だって世界最速の船になっちまうだろうからな。変に意地を張るのがバカバカしくなってくるんだよ」

 「私が原因なの?」

 「おう、『姫君』様のせいとも言えるし、おかげとも言える。ま、少なくとも船の事に関しちゃあ、くだらねぇ偏見で物を見ることは無くなったよ」


 デンケンにとって、私と共に小型艇で沖まで出たのは、自分の考えを改めるほどに衝撃的な体験だったらしい。


 そう語るデンケンは晴れやかな表情なのだ。良い事だと思う事にしよう。


 それから少し世間話をしてからデンケンとも別れ、アマーレへと向かう事にした。なお、デンケンは私が船団の立体模型を作っていた事を知らなかったためか、新聞で見た時は非常に驚愕していたらしい。

 直接見てみたかったと落胆させてしまった。


 残念ながら、アレは既にデヴィッケンの所有物だ。それを知っているからか、非常に悔しそうにしている。

 デヴィッケンの悪名は海外にも伝わっているようだ。少なくともデンケンは、資産に物を言わせた強引なやり口が気に入らないらしい。



 デンケンと別れてモーダンでの用事も済ませたので、いよいよアマーレに向けて出発である。

 デンケンからタスクに顔を出さなくて良いのかと聞かれたが、必要は無いと答えておいた。


 タスクが知りたい事は、全て手紙という形でジョゼットがオスカーに渡しているのだ。報告はそれで満足してもらうとしよう。


 何事も無くアマーレに到着したのはいいのだが、街の入り口で私を出迎えのは質の良い燕尾服を着こなした、初老の男性だった。


 私がこの街を訪れると知って出迎えに来た、というのは分かる。だが、何故騎士や兵士ではなく、荒事とは無縁そうな人物が?


 初老の男性は、私が質問をする前に恭しい態度で答えてくれた。


 「『黒龍の姫君』ノア様。ようこそ、アマーレにお越しいただきました。私、"ホテル・チックタック"の支配人、クラーク=タックと申します。移動用の馬車を用意しております。どうぞ、ご乗車ください」

 「そのホテルの支配人が、どうして私の出迎えを?」


 ホテル…確か、宿泊宿の別称だったな。わざわざこうして出迎えに来たという事は、自分の宿に宿泊して欲しいという事だろうか?


 馬車に乗りながら質問をしてみれば、私の予測を肯定するようにクラークが頷きながら質問に答える。


 「領主であらせられるカーワウン伯爵閣下より、ノア様がこの街にご来訪なされた際は最上位のもてなしをするよう、仰せつかっております故…」

 「つまり、貴方の経営するホテルはこの街で一番の宿泊施設、という事でいいのかな?」

 「はい。仰る通り、当ホテルはこの街一番の宿泊施設と自信を持ってお答えし致します。ノア様にこの度宿泊していただくのは、その中でも最上位の部屋。広々とした部屋や風呂場は勿論、遊泳をするためのプールも設置されています。また、キッチンも設置されておりますので、人を呼んでその場で食事を調理させることも可能でございます」


 凄いな。風呂はともかく、キッチンまで設置されているのか。しかもその部屋の利用客のためだけに料理人を呼んで食事を用意してくれるらしい。

 プールとやらも気になるが、私はそれ以上に部屋に設けられたキッチンについての興味が勝っていた。


 「キッチンを自分で使用することはできるの?」

 「勿論で御座います。ノア様は、料理を?」

 「うん。自分で食べられる程度はね」


 私の料理を人間に食べさせたことが無いから、人間にも美味いと言ってもらえるかはまだ分からない。なので、ここはやや曖昧な回答をしておくとしよう。


 「これはまた、記者が喜びそうなノア様の新たな一面を知る事ができましたな」

 「やっぱりネタにされる?」

 「当然です」


 以前、マコトが私の事ならば人間達は何でも知りたい筈だと言っていたが、そんな事まで知りたいとはな。


 そうだ。人間達はことある毎にコンテストを開いているようだし、料理コンテストなんかも開催されるのだろうか?

 牛肉のコンテストがあるぐらいなのだ。料理のコンテストが無い方がおかしい。


 そんな確信を持ちながらクラークに確認してみれば、彼は嬉しそうに頷いた。


 「はい。3年に一度、美食の国・レステラルトにて開催されています。過去には魔王陛下も審査員として参加した事がございます。美食家であらせられるノア様にも、必ずや審査員として招待される事でしょう」

 「審査員をした魔王って、今の代の?」

 「いえ、先代の魔王陛下でございます」


 となると、ルイーゼの母親になるのか。新聞によると、ルイーゼが魔王に就任したのが10年近く前になるから、それ以前の話なのだろうな。

 ルイーゼも審査員として参加したいと思ったりするのだろうか?


 「次の開催日は?」

 「再来年の牛の月、15日となります」

 「その時には、レステラルトに訪れたいものだね」


 今回ばかりは開催されるのが当分先で助かった。

 レステラルトは他の大陸にある国なので、来年の牛の月に開催されるようでは間に合いそうにないのだ。


 行けないことも無いだろうが、私はこの魔大陸を見て回ってからデンケンの船に乗せてもらって別大陸に移動すると決めているのだ。

 余程の理由でもない限り、それを破るつもりはない。



 料理コンテストについて話をしていたら、いつの間にか今回私が宿泊する施設、"ホテル・チックタック"に到着したようだ。


 では、マフチスが手配するほどの宿泊施設の快適さ、存分に教えてもらうとしようじゃないか。

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