第282話 ボス猫のチャチャ

 思念を送るのを決めたのは良いが、ではどのような言葉を伝えようか?

 出来る事ならあまり怯えさせないように優しく語り掛けた方がいいのは、間違いないはずだ。


 ボス猫が私の顔を見上げながら、鳴き声と共に食って掛かってきている。


 「マァーオ!〈やいドラゴン!聞こえてるんだろ!?少しはコッチを見たらどうなんだ!?〉」

 〈そうだね。語り掛けて来てくれているのに無視をするのは失礼だね。それはそれとして、良く私の膝の上まで来てくれた。歓迎するよ、勇敢な猫君〉

 「ふぎゃあああああ!?〈ぎゃあああああ!?しゃべったあああああ!!?〉」


 ボス猫に視線を向けながら優しく語り掛けると、案の定飛び上がるほど驚かせる事になってしまった。

 だが、予想外な事にボス猫は私の元から逃げるつもりはないようだ。ボスとしてのプライドだろうか?

 とても勇敢なのかもしれないが、ひっくり返って腹を見せているので、非常に愛くるしい絵面ではある。


 まぁ、ボス猫がひっくり返るほど驚くのは仕方のない事だ。意思の疎通ができるなどとは思われていなかっただろうからな。

 この場合のボス猫が言う[喋った]というのは、彼等の理解できる言語(?)を私が使用した事を指しているのだろう。


 私がボス猫に向けて視線を移動させたことで、様子を伺っていた猫達が一斉に鳴き始めた。食べられてしまうと思ったのだろう。勿論食べないが。


 それよりも、ボス猫は私の膝の上でひっくり返ているのだ。背中をピッタリを私の膝に付けているのである。

 今日はロングスカートをはいているため、フサフサの感触を味わう事はできないが、ボス猫の持つ体温はしっかりと感じ取れている。人間よりも平時の体温が高く、心地良さを感じる。


 私の体温は平温で35.6℃と、人間からしたらやや低めだ。それ故か、スカート越しでもボス猫の体温がハッキリと私の腿に伝わってくるのだ。


 この状態で既に至福と言っていいのかもしれない。

 だがまだだ。折角逃げずに私の膝の上に留まってくれたのだ。ここは何としても誤解を解いて仲良くならなければ!


 「ミュー…〈ナマ言ってスミマセン!食べないでください!〉」

 〈食べないよ。私がここに来たのは他の人間と同じように、君達を撫でたり抱きかかえたりしたいからだよ〉


 ひっくり返っていたのは服従の姿勢のためだった。逃げてもすぐに捕まってしまうと思ったのだろう。彼なりに考えた結果、服従の姿勢を取って許しを請うのが最も生存率が高いと判断したようだ。


 私がボス猫に対して危害を加えるつもりが無い事を伝えても、彼はまだ私の言葉を信用できないようだった。


 〈噛んだりしない?〉

 〈しないよ〉

 〈シッポで締め付けたりしない?〉

 〈しないしない〉

 〈火を吹いてオレ達を焼こうとしたりしない?〉

 〈火は確かに吹けるけど、ここでは吹かないよ〉

 〈オヤツ、くれる?〉

 〈勿論、ちょっと待ってて〉


 ボス猫からオヤツを要求されたので、店員を呼んで猫用のオヤツとやらを購入させてもらった。


 店員は、私の膝の上でひっくり返っているボス猫を見て非常に驚きはしていたものの、素早くオヤツを用意して私に受け渡してくれた。


 オヤツを手にした瞬間、ボス猫の目がキラキラと輝きだした。この子にとっての好物なのだろう。今にも食べたそうにしている。


 〈お待たせ。食べても良いけど、君の事を撫でさせてもらえる?〉

 〈おう!好きにして良いぞ!オヤツを食べるからそれどころじゃねぇしな!〉


 すっかり調子が戻ったようで、ボス猫は私の手の中にあるオヤツを必死に食べ始めている。

 やや湿った、そしてザラついた舌がオヤツを乗せた私の左手に触れ、くすぐったさを感じる。

 許可をもらったので、オヤツに夢中になっている間に、右手で背中を撫でさせてもらおう。頭頂部から尻尾の付け根まで、ゆっくりと、優しく撫でてあげよう。


 「ミ゛ュッ!?〈おっふぉっ!?〉」


 ボス猫の背中を優しく撫でると、一度撫でただけで驚いたように顔を上げてしまったのだ。

 本に書いてあった通り、猫が気持ちよくなりやすい撫で方をしたのだが、駄目だったのだろうか?


 〈どうしたの?今の撫で方は、良くなかった?〉

 「にゃー〈い、いや、逆だ。アンタ、オレ達に触るの初めてなんだよな?〉」

 〈うん。撫で方自体は知っていたんだけどね。撫でない方がいい?〉

 「ゴロゴロ…〈んにゃ、むしろ気持ち良いからもっと撫でてくれ。オヤツを食いながらこんなに気持ちよくなったのは初めてだぜ〉」


 なんと、私の撫で方をとても気に入ってくれたようだ!素直に嬉しい!

 だが、ここで調子に乗ってはいけない。猫に限らず小動物とはデリケートな生き物だ。機嫌を損ねないように魔力の流れをしっかりと見極めて、撫でて欲しい部位を正確に推し量ろう。



 至福。まさしく至福だ。何と素晴らしい触り心地なのだろう。これが猫という生き物か。

 このフワフワとした感触に暖かな体温、そして撫でられていると、とても気持ちよさそうにゴロゴロと音を出して甘えてくる…。これを可愛いと言わずして何と言うのか!?


 ボス猫を撫でて至福の時間を堪能していると、手が空いたのか、店員が隣に腰かけ話しかけてきた。


 「『姫君』様は凄いですねぇ…。その子、チャチャって言う名前なんですけど、とっても気が強い子で、滅多にお客様に甘えないんですよ?こんなに甘えているチャチャ君を見るのは初めてです…」

 「この子はこの店の猫達のボスみたいだからね。気が強いのは、頷けるかな。きっと、威厳を保つためにあまり他の客に靡こうとしなかったんだろうね」


 私の膝の上で蕩けた表情をしてすっかり甘えて来てくれているボス猫、チャチャは、普段はあまり客に対して甘えた態度を取る事が無いらしい。


 他の猫達と話していた時も強気の態度を崩していなかったし、本来は気安く触れる子では無いのだろう。


 しかし私は触り放題だ!なにせ、チャチャの方から撫でて欲しいと甘えて来てくれているからな!

 背中だけでなく顔の周りも前足の付け根も存分に撫でまわしたとも!


 抱っこだってした!とても大人しく非常に可愛らしかった!左腕で抱えて顎のあたりを撫でてあげると、とても喜んでくれるのだ!

 気持ちよさそうな表情が堪らなかったとも!


 嬉しい事にまだ正午まで時間はある!今度はどんなことをしてあげようか?

 そういえばチャチャは触り心地自体はとても良いのだが、他の猫達と比べてやや毛深く感じた。


 そういう種類なのかもしれないが、ブラッシングが不十分なのかもしれない。


 「チャチャのブラッシングっていつ頃行ったかな?」

 「それが…この子ったらブラッシングはあまり好きではないらしくって…」


 なんと。猫は確かに自分で毛づくろいをする生き物だと本に書いてあったが、それだけでは不十分だとも書かれていた。肌の負担になったりするらしいのだ。


 〈チャチャ、君にブラッシングしたいんだけど、させてもらっていい?〉

 〈ブラッシングって、あの毛が引っ張られるやつか?オレ、アレあんま好きじゃないんだけど…〉

 〈やらせてもらえないかな?私なら、人間と違って嫌だったらすぐに伝えられるだろう?〉

 〈うーん…。分かったよ。でも痛くしないでくれよ?〉

 〈ありがとう。出来るだけ優しくするからね?〉


 そう言って『収納』からキャットブラシを取り出す。

 実を言うと、猫という存在を知った時からいつかブラッシングをする時が来た時のために購入しておいたのだ。ブラシは豚毛を用いた高級品である。


 チャチャに不快感を与えないように慎重にブラシをかけていこう。ブラッシングを苦手としているなら、まずは優しく、チャチャが撫でられて喜ぶ場所からだ。


 〈おっ…ほぉー…あっ、それ、イイ!ふみゅ~…〉

 〈力加減はこれぐらいで良さそうだね?〉

 〈んぁあ~…バッチリィ~…〉


 気に入ってくれたようだ。ブラシを掛けられたチャチャはとても気持ちよさそうにしていて、今にも眠ってしまいそうな表情をしている。


 ブラシの方に視線を移せば、大量の毛が付着している。ムダ毛や抜け毛、それに余分なアンダーコートだろう。この調子で丁寧にブラッシングを続けて、チャチャの体毛をしっかりと整えよう。



 あまりにも大量に毛が取れるので、このままずっと続けてしまいたくなってしまうが、それはダメだ。本の知識ではあるが、ブラッシングに掛ける時間は3分程度で良いと記載されていた。

 まだまだ続けていたいが、我慢である。


 ブラッシングを終えたチャチャはとてもスッキリしたような表情をしている。やはり自分で行う毛づくろいだけでは不十分だったのだろう。


 「ふみゃあ~〈ああースッキリしたぁー!アンタがやるブラッシングならまたやってもらうのも悪くねぇな!〉」

 〈それは良かった。だけどゴメンね。私はこの街に住んでいるわけじゃなくてね、少ししたら別の街に行ってしまうんだよ〉

 「にゃあ~〈そっか~。なぁ、もうここには来ないのか?〉」

 〈いいや。しばらくしたらまた来ようと思っているよ。その時はまたこうして撫でたり抱きかかえたりブラッシングさせてもらえるかな?〉

 「にゃん!〈いいぜ!でも、アンタだけ特別だからな!オレは気安く触られるのは嫌なんだ!〉」


 気前よく、胸を張って答えてくれるチャチャは、どこか誇らしげだ。

 約束を守るためにも、1年以内にはまたこの店に訪れよう。



 正午まで存分にチャチャと触れ合い、存分に猫の可愛さを堪能した私達は、昼食を取るために屋敷に戻る事にした。

 なお、チャチャとは大分打ち解ける事ができたのだが、他の猫達が私の元に近づく事は一切なかった。


 まだ怖がられているのかと思ったのだが、どうやらチャチャが近づかせないようにしていたようだ。


 あの子は私の膝の上や腕の仲が気に入ったらしく、他の猫に自分の場所を取られるのを嫌がったのである。

 他の猫達が近づいて来てくれないのは寂しかったが、それだけ一匹の猫から信頼を得られたと思えば、やはり嬉しいものなのだ。喜びの方が勝っていた。


 屋敷へ移動している最中のオスカーに目を向ければ、この子はこの子で存分に猫と戯れていたらしい。表情が今朝とは見違えるほどに朗らかになっている。どことなくツヤがあるようにも見える。


 やはりオスカーは猫が大好きなのだろう。


 「はぅうう~。可愛かったですねぇ~…。何だか昨日までの疲れが一気に吹っ飛んでしまったような気さえします!」

 「それは良かった。私も可愛らしい猫と戯れる事ができてとても満足しているよ。オスカー、いい店を案内してくれてありがとう」

 「ひょあっ!?ど、どういたしまして…」


 しまった。ついうっかりとオスカーの頭を撫でてしまっていた。

 ついさっきまでチャチャを撫でまわしていたからか、オスカーを撫でる事に抵抗が無くなっていたようだな。


 ああ、オスカーが顔を赤くしてしまっている。

 礼を言われながら頭を撫でられた事がかなり効いてしまったらしい。この状態になってしまったら、[照れるな]と言っても無理なのだろうな。


 こういう事になるのなら、普段からオスカーの頭を撫でて、慣れさせた方が良かったのだろうか?

 いや、そんな事をしてしまったらオスカーが私の事を異性として意識してしまい、恋慕の感情を持たれてしまう可能性がある。だから今までオスカーの外見が可愛らしくとも触れようとはしなかったのだ。


 つまり、今回のこれは私のミスである。気を付けなければならないのだろうが、可愛らしい動物と触れ合った後だと難しいだろうな。何か対策を考えておこう。


 「ち、昼食後は、いよいよノア様の楽器による演奏ですよね!?た、楽しみにさせていただいております!」

 「ありがとう。人に聴かせた事は無いから、喜んでもらえるかは少し疑問があるけど、なるべく期待には応えさせてもらおう。少なくとも、私の耳には演奏をしていて楽譜通りに演奏できたと思えたからね」

 「ならば心配はありません!きっとジョゼット様も絶賛して下さります!」


 だといいのだが。


 絵画や彫刻、模型に装飾品と言った美術品や、武器や防具などの装備、何かしら作り上げる物には思いが宿る。

 

 私は思うのだ。音楽のような形のない物にも、思いは宿るのではないかと。思いを込めて演奏すれば、それを聴く者に思いが伝わるのではないかと。


 どうせ聴かせるのならば良い音楽を聞かせたい。私の思ういい音楽とは、ただ楽譜通りに音を出せばいいものではないと思っている。

 道具と同じく、強い思いが込められた音楽の方が、ただ音を出すだけの音楽よりもいい音楽だと思っているのだ。


 だから、今回は精一杯思いを込めて演奏しようと思っている。とはいえ、まだやった事のない試みだが。


 大丈夫だ。強い思いを込める事で実際に思いの効果を実現させる、魔法剣だって作れたのだ。音楽だってきっとうまくいくだろう。




 気が早いかもしれないが、やる気を出して屋敷に戻ると、明らかに不機嫌そうな表情をしたジョゼットが私達を出迎えてくれた。


 「『姫君』様。招待状が届いているよ」

 「招待状?貴女のその表情を見る限り、あまりいい相手ではなさそうだね?」

 「私では断れない相手だからね」


 となると、相手は大体察しがつくな。招待状の送り主は、ジョゼットよりも身分の高い存在と言う事だ。


 「一応聞くけど、送り主は?」

 「リアスエク=アクレイン。我等が国王陛下だよ」


 なるほどな。

 これは実質王命で、私を自分の元まで連れて来てほしいと言う事なのだろう。

 これから昼食を食べた後夕食の時間まで、思う存分音楽を奏でようと思っていたというのに。


 なんてこった。

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