第280話 未だ触れること叶わぬ者

 オークションも終えて翌日。1日の始まりとして、まずは新聞をチェックする。ジョゼットは記者ギルドと何らかの契約をしているのか、彼女の屋敷には決まった時間に新聞が届けられているのだ。


 イネスはあの後記事を無事書き上げる事ができたのだろうか?今の私の一番の興味はそこにある。


 確認するまでも無かったな。イネスの制作した記事は、一面記事となっていた。

 まぁ、昨日の中で最も注目度の高い出来事と言えばオークションである事は間違い無いからな。当然と言えば当然である。


 朝食と共に用意された紅茶を口に付けながら、イネスの記事に目を通す。


 「…ふふっ、相変わらず大袈裟に書くものだね」

 「イネスさんの記事ですか…?」


 相も変わらず大袈裟に私の容姿を表現しているイネスの記事に苦笑していると、背後から声を掛けられた。オスカーである。

 起床して、顔も洗い、寝ぼけた様子は全くない。

 平時での規則正しい生活は、騎士の務め、と言う事らしい。タスクの受け売りなのだとか。


 …タスクは多忙なせいで、規則正しい生活をあまり送れていないような気がするのだが、大丈夫なのだろうか?


 「うん、コンテストの記事もそうだったけど、どうもイネスは私を褒めるのが好きらしい。おはよう、オスカー」

 「おはようございます、ノア様。本日はどの辺りを見て回りますか?」


 オスカーの問いかけに答えながら挨拶を交わすと、今日の予定を尋ねられた。

 今日の午後はジョゼットの屋敷、即ちこの場で私が楽器の演奏を披露すると約束している。2、3日程度だったとは言え、私は楽器の演奏が、音楽がすっかり好きになった。

 午後、夕食の時間になるまで心行くまで演奏をさせてもらうつもりだし、その事はジョゼットにも伝えている。意外な事に大歓迎されてしまった。


 午後の予定が決まっているのだが、午前の予定はまるで決まっていない。オスカーが訊ねているのは、まるで決まっていない午前中の過ごし方である。


 とりあえず、冒険者ギルドには顔を出しておこうと思っている。何らかの指名依頼が入っている可能性があるからな。まぁ、受ける受けないは私が決めるが。


 冒険者ギルドを出た後の予定はどうしようか?

 品評会が始まるまでは午前中は図書館で過ごし、午後からアクアンを案内してもらっていた。そのおかげで、アクアンの図書館に収められている書物は禁書とされている書物以外は既に複製済みである。


 となればやはりアクアンの街並みを堪能するのが一番だろう。たかが5日程度見て回っただけでは、王都という街は回り切れなどしないのだ。


 「最初は冒険者ギルドに顔を出そう。そうしたら、まだ見ていないアクアンの街並みを案内してもらえるかな?」

 「承知しました。それでは、朝食を片付けてしまいますので、もう少々お待ちください」

 「私もゆっくりと食べるつもりだから、急がなくても良いよ。どうせまだ冒険者ギルドも戸を開けないだろうしね」

 「おはよう。相変わらず2人とも早いね。ふぁ…」


 私の朝食を食べるペースを考えて急いで食べようとしていたオスカーを宥めていると、ジョゼットが食堂に入ってきた。

 彼女は今目覚めたばかりらしく、まだ目が覚め切っていないのか、それとも単純に寝足りないのか、あくびをしている。


 「おはよう、ジョゼット。新聞、読むかい?貴女の事も記載されているよ?」

 「ああ、だけどその前に、目覚めのコーヒーをいただくとするよ」


 なんと。コーヒー、朝でも飲めたのか。知っていたら頼んでいたのに。

 コーヒーの香り、結構気に入ったので飲めるのなら飲ませてもらいたいのだ。


 コーヒー豆、頼んだら譲ってもらえたりしないだろうか?というか、この街に販売している店は無いのだろうか?


 ジョゼットに確認してみれば、ちゃんと販売している店があるらしい。


 「販売してはいるけど、かなり割高だよ?どうせならモーダンで購入した方がいいんじゃないかな?貴女ならここからモーダンまですぐだろう?」

 「確かにね。ふむ…、そうだね。なら、オスカーをモーダンに送るついでに、コーヒー豆を可能な限り購入しておくとしよう。いや、コーヒー豆だけじゃないな。海外のお茶もあれば購入しておこうか」


 オスカーに案内をしてもらうのは王都までのようだからな。王都を出て、アマーレへ向かう前にモーダンへとオスカーを送り返すとしよう。


 「その、よろしいのですか?」

 「報告は早い方がいいだろうし、オスカーも正式な騎士だろう?私の案内役と言うのは、本来の仕事じゃない筈だ」

 「ええ、まぁ…」


 どうにも受け答えに歯切れが悪いな。それに、どことなくオスカーの表情が寂しそうにしているように見える。何か不満があるのだろうか?


 「ああ、オスカー。君はこのまま『姫君』様と一緒に居たいんだね?」

 「ジョ、ジョゼット様!?」

 「ハハハ!恥ずかしがる事は無いじゃないか!これほど美しい姫君と共に行動できる機会なんて、滅多にないんだよ?別れたくないと思うのは当然さ!私だって君達にこのままここで暮らして欲しいと思っているのだからね!」


 ジョゼットの指摘にオスカーはたちまち顔を赤くする。どうやら別れを惜しんでいる事を知られたくは無かったようだ。


 それにしても、私はともかく、オスカーにもこのままこの屋敷で過ごして欲しいとは。ジョゼットは余程この子の事を気に入っているのだな。

 そういえば昨日のオークションでの衣服も予め用意されていた物だったな。まさか、いつでも宿泊しても良いように常に用意しているのか?


 とにかく、別れ話をするのはまだ早い。まだこの街に滞在する理由があるのだ。


 「まぁ、王都を出る話をしてしまったけど、オークションの落札物のやり取りも残っているんだ。すぐにこの街を出るつもりはないよ」

 「それを聞いて安心したよ」


 オークションの出品物を考えると、落札物が全て私の手元に届くまでに最低でも3日は掛かる筈だ。それまではゆっくりとアクアンを、貴族の屋敷での生活を堪能させてもらうとしよう。


 そうそう、私の作成した立体模型だが、意外な事に金貨3500枚で落札された。

 審査員達の評価では、価格はもっと低かったのだが、デヴィッケンが競りが始まった直後に宣言したのである。


 仮に落札した際の表情をイネスやジョゼットが見ていたら、不快感を隠そうともしなかっただろう。

 それほどまでにあの時の彼の表情は卑しく歪んでいた。『広域ウィディア探知サーチェクション』を使っていたから私には分かってしまったのだ。


 正直、あまり見ていて気持ちのいい顔ではなかった。

 汚いものを見た後に美しいものを見るとより一層美しく見えるというジョゼットの言葉に、とても納得した瞬間である。


 なお、私がオークションで落札した額は合計で金貨3000枚だ。結果的に出費よりも収入の方が多くなってしまった。


 朝食を終え、身支度を済ませて私とオスカーは冒険者ギルドだ。

 ジョゼットは侯爵としての仕事があるらしいが、意地でも午前中で終わらせるらしい。憂いなく私の演奏を楽しむためらしい。


 「あっ!ノア様!おはようございます!新聞、読みましたよ!凄いですね!おめでとうございます!」

 「おはよう。実際のところはそこまでの価格ではない筈なんだけどね。余程手に入れたかったんだろうね。それで、今日は指名依頼は入っているかな?」


 冒険者ギルドに足を運ぶなり、受付嬢が挨拶と共に早速オークションの話を切り出してきた。

 新聞には私の作品の落札価格も、誰が競り落としたのかも記載されていたので語らずにはいられなかったのだろう。


 なにせ金貨3500枚など大金も大金だ。特に国の一大事に関わるような事件を解決したわけでもないのにそれだけの収入を得るのなら、話題にしないわけにはいかないのだろう。


 まぁ、購入したのがデヴィッケンなので、受付嬢も台詞ほど嬉しそうにはしていないのだが。


 オークションでの話もほどほどに、指名依頼の有無を訊ねれば、今日のところは指名依頼は入っていないと告げられた。


 ならば、特に依頼を受ける必要もないだろう。早々に冒険者ギルドを後にして、オスカーにアクアンを案内してもらうとしよう。



 街を案内するオスカーの足取りは非常に軽い。表情からして、とても嬉しそうにしているのだ。

 とても楽しみにしているようだが、一体何を見せてくれるのだろう?


 「きっとノア様はお気に召していただけると思います!」

 「オスカーがそこまで言うのは珍しいね。なら、期待させてもらうよ?」

 「はい!」


 どうやらオスカーが嬉しそうにしているのは、今回案内する場所で私が大いに喜ぶと確信しているからのようだ。一体何を見せてくれるのだろう?


 冒険者ギルドから30分ほど歩いていると、目的の場所に到着した。


 「今日はお昼の時間まで此方で過ごしましょう!」

 「………ここは…店、で良いのかな?どういう店なの?」


 案内されたのは大きな看板が立て掛けられた、一般的な大きさの家屋だ。


 看板には未だに一度も実際に見た事が無い、その存在を疑いつつある動物の絵が描かれている。実物に似せているためか、非常に可愛らしい。

 そして看板には短く、"猫喫茶"とだけ書かれている。


 そう、猫。

 私が図書館で目にして、一度は触れてみたいと思いながらも、今まで一度もその姿を確認した事のない動物だ。


 いや、確認した事が無いというのは語弊があるな。『広域ウィディア探知サーチェクション』で認識自体はできているのだ。だが、肉眼で見た事は一度たりとも無いのである。


 猫の因子を持った獣人ビースターならば何度も見かけてはいるのだが、猫自体はまるで肉眼で見た事が無いのである。


 基本的に全長30~40㎝と非常に小さく、また体重も4~6㎏ととても軽い。

 基本的に身軽で俊敏、そしてとても愛嬌のある顔をしているのが特徴だ。


 そして、何と言っても猫はモフモフなのだ!フサフサしているうえに、フワフワしているのだ!


 撫でたい…!抱きかかえて愛でたい…!

 一目、本でその姿を確認した時から、私はその欲求に支配された。


 さて、目の前の看板にはその私が撫でたくて抱きかかえたくて仕方がない猫の絵が描かれ、あまつさえ"猫喫茶"という文字が書かれている。

 この店は一体どのような店なのか?


 私の疑問に、オスカーが答えてくれる。


 「はい!こちらのお店は、人懐っこい可愛らしい猫さん達と触れ合えるお店です!喫茶という名前の通り、名目上は喫茶店なので、お茶も飲めますよ!」

 「触れ…!?撫でていいの!?抱く事は…!?抱っこはできる!?」


 なんだその店!?私の理想郷か!?動物と触れ合いながらお茶を楽しめるとか、どういう生活を送っていたらそんな店を思いつくんだ!?


 「え、えぇっと…無理矢理でなければ…」

 「しないよ。無理矢理は良くないからね」

 「猫さん達は、基本的に気まぐれな子達なので…あっ!ですが、ノア様って動物と意思疎通ができるのですよね!?お願いすれば、抱っこもさせてもらえるかもしれませんよ!?」


 そうか!その手があったか!アクアンに訪れてからというもの、度々世話になっている馬と同じように語り掛けてみればいいのか!


 これから念願の猫に触れる事ができると思うと、緊張して来るな…。まるで初めてホーディの存在を知覚した時のような緊張感だ。


 落ち着こう、冷静になって、扉の先で待っている猫達を驚かさないようにしなければ…。深呼吸、深呼吸だ!


 良し!落ち着いた!


 さぁ!猫に会いにこう!

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