第275話 手練れの新聞記者

 やはりと言うか何と言うか、デヴィッケンは2日目にも3日目にも性懲りも無くコンテスト会場に訪れ、気に入った作品を見つけてはその場で購入すると言い出し、コンテスト会場から追い出されていた。


 学習能力が無いのでは、とも思ったのだが、どうやらアレはデヴィッケンなりの意志表示らしい。

 オークションで出品されたのならば何が何でも自分が競り落とす、それを予め周囲に伝えているようにも感じられた。

 同じく購入を狙っている者達への牽制をしているように見えたのだ。


 デヴィッケンが莫大な資産を所有している事は周知の事実のようだからな。

 予め自分が競り落とすと宣言しておけば、最初から購入を諦めさせられると考えての行動だったのだろう。


 出費を抑えるためなのか、競り合う時間が煩わしいと考えているのか、いずれにせよ、大富豪の割にケチな性格である事は間違いないだろう。


 デヴィッケンは予め自分の配下にどういった作品が出品されるかを探らせていたらしい。

 まぁ、初日だけは事前情報なしでコンテスト会場を回っていたらしいが、それ以降は最初から騒ぎを起こす作品を決めて行動していたようだ。


 コンテスト3日目では、ジョゼットが懸念していた通り、エミールの作品の前で自分がこの場で購入すると言い出していた。

 尤も、煌貨を放り投げるような事はせず、大量の金貨が詰まった革袋を放り投げるだけに終わったが。


 袋に入っていた金貨を『広域ウィディア探知サーチェクション』で調べてみたが、その枚数は約500枚だ。

 ハッキリ言ってまるで金額が足りていない。


 品評会で審査員達が下した評価では、平均で金貨約2000枚の価値があると品評用紙に記載されていた。勿論、全員が金額を表記していたわけではないので、正確な価値は分からない。

 だが、少なくとも5人以上の専門家がそれだけの価値があると判断したのだ。金貨500枚で購入できるような作品ではない。


 なお、会場にいる全員から非難の視線を浴びていたのだが、デヴィッケンはまるで態度を変える様子は無かった。

 本当に面の皮が厚い男だ。ある意味大物だな。


 なお、デヴィッケンはスタッフからコンテスト会場から退場するよう告げられて素直に退場したのだが、その際にちゃっかりと自分で放り投げた金貨袋は回収している。本当にケチな男だ。


 それはそれとして、エミールが手掛けた作品『姫君の休日』の前には凄まじい人だかりができてしまっている。

 皆、その場から動けないでいるのだ。あの作品の周りだけ、異様に人口密度が高くなっている。


 まぁ、おかげで私は他の作品を快適に鑑賞できるわけなのだが、あの人だかりの最後列にいるような人間達は、ちゃんと作品が見れているのだろうか?それとも前にいる者達が移動するのを待っているのだろうか?


 まぁ、私が知った事ではないか。あの作品が素晴らしいのは間違いないが、描かれているのは私なのだ。

 そのせいか、あの場に集まっている人々ほど、私はあの絵画に関心を持つ事が無いのだ。

 既に品評会で存分に確認したから、というのも理由の一つだな。



 そうして快適な環境で美術品を鑑賞していたら、面識のない若い女性から声を掛けられた。

 種族は庸人ヒュムス、年齢は20才だ。いたって普通の女性だな。


 「あの、みなさんあちらの作品に夢中になっているようですが、アナタは見に行かなくていいのですか…?」

 「私は背が低いからね。今からあの人だかりの元に向かっても、少しも見れないんだよ」

 「あっ!?す、すみません…!」


 背が低い事を気にしているとでも思われたのだろうか?背が低いと私が伝えた際にとても申し訳なさそうに頭を下げだした。


 「気にしなくても良いよ。ところで、どうして私に声をかけてきたのか、教えてもらっていいかな?」


 今日も今日とて私達は『認識阻害リコニノベイション』を施してこの会場に来ている。人間達の目から見れば、ただの一般人にしか見えない筈だ。

 だというのに、彼女はそんなただの一般人の何処に興味があって、声をかけてきたのだろうか?


 「それは…みなさんあの絵画に夢中になっている中、特にあの絵画に興味がなさそうに他の作品を愛でていたので、不思議な人だなって思ったんです…」


 ああ、言われてみれば。


 確かに、この会場にいる者達の中には、私以外にも『姫君の休日』に視線を向けていない者がいないわけではない。

 だが、私以外の全員があの作品に興味を向けていると言っていい。


 関心を向けずに他の作品を楽しんでいる者は、皆無と言ってよかった。


 それにしても、『認識阻害』を施してフードを被っている状態の私が、作品を愛でている事を見抜くとは…。

 この女性、只者ではなさそうだな。優れた観察眼に加えて、美術品に対して強い愛着があるのかもしれない。


 「あっ!失礼しました!私、記者ギルドに所属しているイネスと申します!」

 「丁寧にどうも」


 折角自己紹介してくれたところで悪いが、私は現在周囲からの視線を集める事を避けるために姿を隠している最中である。

 名前を教えてしまったら観客達の意識が此方に向かいかねない。


 オスカーもそれを理解してくれているからか、私同様にイネスに自己紹介をするつもりが無いようだ。


 だが、私達に興味を持ったイネスは、ココで引き下がるつもりが無いようだ。


 「よろしければ、お名前を聞かせていただいても良いですか?」


 直球で私達の名前を聞きに来た。

 記者という職業は遠慮が無いと聞いた事があるが、こう言う事か。これは下手にはぐらかそうとすると、余計にこちらの都合が悪くなりそうだな。


 幸い、こちらに注目している観客はいないようだったので、彼女には正体を教えてしまおう。

 どの道今日がコンテストの最終日なのだ。コンテスト中に頻繁に声を掛けられるような事も無いだろう。


 軽くフードをはぐり、イネスに私の顔を見せながら自己紹介をしておこう。


 「知っているかもしれないけど、"上級"冒険者のノアだよ」

 「っ!?!?」


 イネスも流石に、自分が声を掛けた人物が私、『黒龍の姫君』だとは思っていなかったらしい。目一杯まで両目を見開いて驚愕している。


 その際、今にも叫びそうになっていたので素早くイネスの口に指を当て、同時に私も自分の口に指を縦にして宛がった。黙っていて欲しい、のサインだ。


 「こうして姿を隠しておかないと、みんな作品ではなく私を見てしまうかもしれなかったからね。落ち着いて作品を鑑賞するためにも、こうして姿を隠していたんだ。だから、私だと分かっていても、このまま黙っていてもらっていいかな?」

 「……ッ(コクコク)!」


 少し、驚かせすぎてしまったのだろうか?声を出すまいと呼吸すら必死に止めてしまっている。


 とりあえず、騒ぎにならなそうでよかった。


 それにしてもこのイネスという女性、やはり只者では無いのだろうな。

 私達の元に近づいてきた時の挙動からも、それは窺える。


 接近に、違和感を感じさせないのだ。

 大抵の人間の場合、気配を完全に断って接近すればその存在は把握できなくなると言っていいだろう。


 だが、中には僅かな空気の流れの変化や臭い、周囲の反響音といった環境の変化から状況を把握し、接近を察知できる者もいる。

 当然、そういった察知方法は私も使用可能だ。


 こういった察知方法を用いると、気配が全く無い存在と言うのは、かえって違和感の塊になるのだ。


 例えるなら、"楽園"という空から見たら樹木しかないような場所に、一ヶ所だけぽっかりと樹木が何もない空間、即ち私が住んでいる広場のような場所があったら目立って仕方がない。


 何もない事が、逆に目印になるのだ。


 その点、イネスは非常に巧妙に周囲の人間と同じような気配を発しながら私達に近づいて来たのだ。

 接近だったから問題無かったが、尾行ともなれば話は変わって来る。


 おそらく宝騎士ですら彼女の尾行に気付く事は難しいのではないだろうか?加えて、人混みに紛れてしまった場合は、捜索は非常に困難になる筈だ。


 これを意図的にやっているとしたら、間違いなくイネスは何らかの隠形技術を収めた手練れと言えるだろう。


 尤も、イネスが発する気配はまるで不穏なものではない。彼女の気配は善良な一般人のそれである。

 これだけの技術を持ちながら、まるで不穏な気配を持っていないことが、イネスの凄いところだと言えるだろう。


 記者という職業は、その職務内容から相手から警戒心を持たれやすい職業だと耳にした事がある。

 取材の際に警戒心を持たれないよう、必死に努力して身に付けたのだろう。


 「しかし、困りましたねぇ…。このままだと優勝候補作品と言われている作品を、一目も出来ずにコンテストが終了してしまいかねません」

 「やっぱり、記者としては直接目に収めておきたいのかな?」

 「それはそうですよ!素晴らしい物のをこの目に収め、その感動を伝える事こそ私達記者の使命の一つですから!」


 そう語るイネスの目には、まるで炎が宿っているかのように熱意が満ちている。記者のとしての仕事に誇りを持っているのだろう。

 自分の得た感動を周りの者に伝え広めたいと語った彼女の言葉に、偽りはない。


 こちらに気を使ってくれたのか、語気を強めても声のボリュームは小さく語り、周囲に注目される事を避けてくれている。


 なお、コンテストではキャメラによる撮影は禁止されている。

 立体物ならばともかく、絵画をキャメラで撮影し、それを本物と同じサイズに印刷した事例があるのだ。


 別にそれだけならば問題無いのかもしれないが、あろうことかそれを本物だと称して売り捌いた者がいたのである。


 少し調べれば分かる筈だから騙される者はいないと思うのだが、そこは妙な手間をかけていたらしい。

 偽物の表面を錬金術で生成した薬品を用いて本物同然の質感に仕上げていたそうなのだ。


 そんな事をしてまで何故偽物を売りさばこうなどと思ったのかは甚だ疑問だが、本物と遜色ない質感になってしまったせいで本物の行方が分からなくなってしまったという、非常にはた迷惑な結末になったとの事だ。


 そういった事件があったせいで基本的に美術品、特に絵画の撮影は禁止されているのが人間の常識だ。


 ついでとばかりに本物同然の質感を再現させる錬金アイテムは禁制の品となってしまった。

 とんだとばっちりである。まぁ、その錬金アイテムも何故生み出されたのか、それもまた甚だ疑問ではあるが。


 そういうわけでイネスもキャメラを持って来ていないので非常に軽装だ。所持品と言えば記事を作製するにあたって要点を纏めておくためのメモ帳ぐらいか。


 さて、本題に入ろう。

 新聞を毎日愛読させてもらっている身としては、質のいい新聞記事の作成は是非とも協力したくなってくる。


 「あの作品を目にすることが出来れば良いんだね?」

 「え?は、はい…。あの、何を…?」

 「なに、新聞を愛読している者の一人として、取材の協力をね」

 「っ!?」


 私の申し出にイネスは非常に驚いている。思わず叫びそうになってしまったほどである。両手で口を塞ぐ事で声が外に出る事は無かったが。


 イネスは私の協力を得られるとは思っていなかったのだろう。

 ただし、彼女の想像する協力方法は、観客の注意を私に向けるものだと思っているようだ。流石にそんなことはしない。


 「よろしいのですか?折角静かに美術品を堪能していたようですが…。」

 「構わないさ。ただし、注目を集めるのは避けたいからね。声は出さないようにしてもらうよ?」

 「えっ?は、はいっ!分かりました!一言も喋りませんっ!」


 ここまで言って、私のイネスへの協力がフードをはぐり私に注目を集めると言う事ではないと理解したようだ。

 私がたまに常識外れの行動を起こす事は、彼女も知っているのだろう。返事をするとともに緊張しだした。


 まぁ、別に変な事をするつもりはない。ローブから尻尾を出し、彼女を抱えて宙に上げるだけだ。

 1mも上に上げれば問題無く絵画を確認する事ができるだろう。


 「…っ!…っ!?」


 何をするか告げずに行動を起こしてしまったため、叫ばれてしまう事を覚悟していたのだが、イネスは宣言通り一切声を上げなかった。


 何か突拍子もない事をすると覚悟していたとは思うが、それでもイネスの胆力大したものだと思う。やはり彼女は只者では無いのだろうな。

 それは彼女を持ち上げてから僅か10秒足らずで既に落ち着きを取り戻して絵画を確認する事に集中しだした事からも察する事ができる。


 一通り記事にする内容をメモする事ができたからか、私に視線を向けて、降ろしてもらいたいという意思を伝えてきた。

 そうまでして喋らないという自分の言葉を守ろうとするとは、律義な女性だ。


 「もうよかったの?」

 「贅沢を言えばまだしばらく目に収めておきたかったです」


 そう語るイネスからは明確な未練が感じ取れる。彼女も美術品が好きなようだ。仲良く出来そうである。


 「ですが、あの体勢は嫌でも目立ちますからね。私の我儘でノア様の事が知れ渡ってしまったら、申し訳が無いにもほどがありますから」


 こちらの気を遣ってくれていたようだ。

 まだ見ていたかったとは言っていたが、その目にはしっかりと絵画の内容が焼き付いているようだ。


 良いものを見た。心の底からそう言っているような表情をしている。そんな表情をしてくれると、モデルとなった私も、少し嬉しく思う。


 イネスを掴んでいた尻尾を離してローブの仲へと仕舞うと、彼女は深々と頭を下げだした。


 「ノア様、この度はご協力、誠にありがとうございました。後程、何かしらの形でお礼をしたいと思います」

 「どういたしまして。それなら、面白い記事を期待させてもらうよ」

 「お任せください!必ずや、ノア様を楽しませる記事を書いて見せます!」


 そう宣言し、イネスは非常に満足気にコンテスト会場を去っていった。明日の新聞が楽しみである。



 コンテストは無事終了し、多くの者達が予想していた通り、優勝作品はエミールが手掛けた『姫君の休日』となった。


 ちなみに、ホーカーのブローチは5位という結果となった。優に100を超える作品がある中5位という記録は、胸を張っていい結果だろう。

 今後、彼には装飾品の注文が殺到する筈だ。私も注文させてもらうとしよう。


 コンテストが終了した後も祭りの気配は収まらない。今度はコンテストに出品された作品が、自分の物に出来るかもしれないオークションが開催されるからだ。


 屋敷に帰ったらジョゼットに詳細を聞かせてもらい、可能ならば私も参加させてもらうとしよう。

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