第274話 余程の大馬鹿者

 日が代わりついに美術コンテストが開催された。

 特に開会の言葉などは無く、時間になったら入り口が解放されるというやや味気なく感じたが、観客の入り具合は開会時の味気無さと反比例するかのように混雑している。満員御礼も良いところだ。


 出品された作品は品評会の時に全て目を通したわけだが、私も会場に入場させてもらっている。勿論、入場料を支払い、一般の客として、だ。


 イーサンが言うには私が望めば入場料を免除する事も出来たそうなのだが、遠慮させてもらった。

 それによって間違いなく私自身が注目を浴びる事になるだろうからな。

 折角美術品を見に来ているというのに、私に目が行ってしまっては色々と台無しだろう。


 現在の私の服装は平民が着るような一般的な服装だ。製作者がフウカだから、質が良いのは仕方がないが。

 それに加えて、その上からフード付きの少々私からしたら大きめのローブを着させてもらっている。尻尾まで隠せる優れモノだ。


 尤も、この状態でも隣にオスカーがいたら嫌でも私だとバレてしまうだろうから、この状態で私とオスカーに『認識阻害リコニノベイション』を施した。

 これで私達の姿を見ても話題の人物だとは分からないだろう。


 「またとんでもない魔術を使用していますね…。この魔術、やろうと思えば悪用し放題ですよ?」

 「らしいね。指名手配中の怪盗とやらが所持している古代遺物アーティファクトに、そういった機能を持った物があるそうじゃないか。それを利用させてもらったんだ」

 「…あの、今の時期にその話を出すのは、流石に縁起でも無いのですが…」


 怪盗。

 世界中で活動している、神出鬼没の盗賊である。

 顔に目元が隠れるマスクをつけ、常に帽子をかぶっている事ぐらいで、詳細は何も分かっていない。

 更に先ほど言った通り、認識阻害効果を付与する古代遺物を所持しているため、尚更正体が掴めないのだ。


 後分かっているのは、男性であり、彼が何かを盗む時は必ず予告状を獲物の所有者に届けてから行動を開始するという点である。


 ああ、それから、妙に芝居がかった喋り方をするとも記載されていたな。

 張りのある声と不透明な顔。それから細い体つきでありながら軽やかな身のこなしをするのため、一部からは美男子なのでは、との噂もある。


 彼が盗む対象は美術品だけではない。

 金銭は勿論、利権所や帳簿と言った重要書類、秘密裏に監禁されている動物や人間さえも盗んでしまう。


 基本的にあくどい手段で金儲けをしている者の元にしか現れず、真っ当な人物から物を盗むのは極稀である。

 そしてそういった場合、大抵盗まれる物自体が元々盗品だったり曰くつきの品だったりする場合だ。


 怪盗は、善良な市民に危害を加えない、所謂義賊と呼ばれる人物だ。

 それ故に、一般の人間からだけでなく、中には貴族や王族にすらファンがいるほどである。


 で、だ。オスカーがこの時期に怪盗の話をするのが縁起でもないと言っているのは、過去に美術コンテストの出品物の中に怪盗による被害に遭った事があるからだ。


 無論、盗まれるにはそれ相応の理由があった。

 盗まれた品が、出品した人物の製作物ではなく盗品であり、しかもそれが本来の所有者の親しい者の形見の品だったのだ。


 詳しく説明すると話が長くなってしまうので簡単に述べるが、本来の持ち主の事を怪盗は個人的に知っていたらしく、殺されかけていた本来の持ち主を助けるとともに、形見の品を取り返したのである。


 当然出品者は怪盗を非難したわけだが、直後号外新聞がコンテスト会場に配られる事で、出品者の罪が公にされたのである。

 本来の所有者から強奪した事に加えて、これまで犯してきた罪も含めて全てだ。


 出品者はその場で捕えられ、法律の下、裁きが下された。

 こういった話があったため、怪世間一般から見た怪盗はヒーローなのである。


 オスカーが縁起でもないと言ったのは、怪盗が出品した作品を奪うと予告状を出した場合、出品物が厄介な問題を抱えている事の証明となってしまうためである。


 品評会で作品を見た限りでは特に問題は無かったようだし、怪盗に狙われる心配は無いと思いたいな。


 「まぁ、出品物に関しては問題無いよ。どうしても気になるなら、私が詳しく調べてみようか?」

 「い、いえ!ノア様のお手を煩わせるつもりはありませんっ!」


 まぁ、オスカーならそう言うだろうな。

 ただ、私としては怪盗という存在に少々興味があるのだ。今度、先程述べた彼の活躍が小説として販売されるらしく、是非とも読んでみたいと思ったし、本人にも会ってみたいと思ったのだ。


 まぁ、だからと言って怪盗が出て来る必要がある状況になって欲しいとまでは思っていないが。


 ここからは改めて純粋に美術品を鑑賞させてもらうとしよう。勿論、判を押す事も忘れずにだ。



 非常に有意義な時間だ。

 誰かに意識される事なく、好きなように美術品を眺める事の出来る時間は、家の皆と戯れている時ほどではないが、至福の時間とも言える。


 隣にいるオスカーがやや退屈そうにしているため、少し悪い気がするが、これも私の付き人をすると決めた彼の仕事だ。私に付き合ってもらう事にしよう。


 おや、私の作品の前にジョゼットがいるな。

 相変わらず私達は彼女の屋敷で世話になっているわけだが、彼女とは一緒には行動していなかったのだ。


 ジョゼットが美術コンテストに訪れる事は、予め周囲に伝え広まっているし、彼女の屋敷に私達が宿泊している事もまた同様だ。

 彼女と共に行動していたら、折角の『認識阻害』が無駄になってしまう可能性が高いのだ。


 それ故に、ジョゼット共に行動するつもりは無かったのだが、ここにきて何やら騒ぎが起きているようだ。


 ジョゼットは随分と肥え太った男性と口論をしているようだ。


 「ジョゼット様、誰かと揉めているようですね?」

 「外国の大富豪らしいね。オスカー、オシャントンって名前に聞き覚えはある?」


 私がその名前を出した途端、オスカーは分かり易いほどに表情をしかめた。

 つまり、ジョゼットと揉めているオシャントンという男性は、この子も良く知っている名前だし、まるで良い印象を持っていない人物、という事である。


 「よりによってあの人ですか…。正直、関わりたくないですね…」

 「そんなに嫌な人なの?」


 デヴィッケン=オシャントン。

 ニスマ王国に拠点を構える、大商会であるオシャントン商会の会長だ。莫大な資産の持ち主であり、数十枚の煌貨を所持しているとの噂もある。

 それだけならば聞こえはいいのかもしれないが、このオシャントン商会、冒険者間で非常に評判が悪い事で有名なのである。


 嫌われている理由は、割の合わない依頼ばかり発注するだけでなく、護衛にしろ納品にしろ、非常に口うるさい事で有名なのだ。

 冒険者に対して非常に態度が悪いのである。


 そして莫大な資産を持っているのを良い事に、自分以外の誰に対しても横暴に振る舞っているのだ。

 それは、相手が貴族であっても変わらない。


 マコトが言っていた、私がどういった人物か分かっているうえで絡んで来ようとする余程の大馬鹿者というヤツだ。オスカーが顔をしかめてしまうのも頷ける。


 一部の人間からは、その容姿からボットンガエルと呼ばれているらしい。


 …あのカエル、見た目は悪いが味は良いと聞いている。少しボットンガエルに失礼だと思ってしまったのは、流石に非道いのだろうか?


 「ノア様、ジョゼット様は何故オシャントン会長と揉めているのですか?」

 「ん?ああ、私が製作した立体模型をあの会長が欲しがってね。その場で購入しようとしたらしいんだ」

 「………」


 ジョゼットとデヴィッケンが揉めている理由を知り、オスカーは絶句してしまっている。

 それもそうだろうな。美術コンテストに出品されている作品は、その場で購入できるものでは無いのだ。


 出品された作品が欲しければ、まずは出品者に掛け合い、販売許可を得るところから始まる。

 例えどれだけの大金を積まれたとしても、出品者が首を縦に振らない限り購入する事は叶わないのだ。


 販売許可が下りたらすぐに購入希望者の手に渡る、というわけではない。

 ジョゼットも言っていたが、販売許可が下りた作品は、オークションに出品されるのだ。

 一品しかない品を欲しがる者は大勢いる。だからこそ、コンテストの最中にその場で購入する事は禁止されているのだ。


 それは美術コンテストが初めて開催されてから今日まで、ずっと続いている伝統と言っていい。


 デヴィッケンもその事実を知っている筈なのだが、それでも彼は私の作品を購入しようとしたらしい。


 なるほどな。アレは間違いなく私の事を知ったら、私に絡んでくる。

 あしらう事など容易にも程があるが、それでもああいった手合いの相手をするのは面倒だ。今から対策を考えておこう。


 それにしても、デヴィッケンは怖いもの知らずだな。若い女性とは言え、ジョゼットは紛う事ない高位貴族だぞ?よくもまあ、あれほど高圧的な態度を取る事ができるものだ。


 一応、デヴィッケンも爵位を持っている事は持っている。20年ほど前に金で購入したらしい。


 尤も、国からはそれほど信頼されていないためか、領土も無ければ国からの仕事も与えられていない、名前だけの貴族だ。階級は子爵だったか。

 男爵位を購入するだけでも相当な金が掛かる筈だが、一体どれほどの資金を投入したのやら。


 ああ、騒ぎもそろそろ収まりそうだな。ジョゼットが正真正銘の侯爵だと知って自分の置かれている状況が不利になっていると気付き始めたようだ。


 典型的な悪役の台詞を言い放ち、不愉快さを隠そうともせずにコンテスト会場から立ち去っていく。

 こちらには向かってこないようだ。『認識阻害』を施しているし、フードを被っているから私だとは気付かれないだろうが、とにかく面倒な事になら無さそうで良かった良かった。


 状況が落ち着き、ジョゼットも溜息をついている。デヴィッケンの相手は疲れたようだ。屋敷に戻ったら労いの言葉を掛けておこう。


 さて、気を取り直して美術品の鑑賞を続けようか! 



 美術品の鑑賞を楽しんでいると、不意にローブを引っ張られる感覚を覚えた。

 意識をそちらに向けてみると、オスカーが申し訳なさそうに私のローブを摘まんで引っ張っているではないか。

 それだけではない。周囲を見渡してみれば、観客は大分少なくなっているし、空は日が沈みかけている。


 なんてこった。またやってしまったのか?


 「ノア様…その…そろそろお夕食の時間です…」

 「………オスカー、私、昼食を食べた記憶が無いんだけど…?」

 「食べていないので、はい…」


 本当になんてこった!貴重な食事の機会を一度失ってしまっただと!?なんて失態だっ!


 出来れば昼食の時間になった際にオスカーに教えてもらいたかったが、この子では無理だったのだろうなぁ…。昨日自分には出来そうにないと言っていたし。


 それでも夕食の時間を教えてくれたのだ。むしろここはオスカーに謝罪して労うべきだろうな。


 「済まなかったね。私が昼食を取っていないと言う事は、オスカーも食べていないのだろう?お腹は空いていない?良ければ何か出すよ?」

 「い、いえ!大丈夫です!任務の中には一日食事が出来ない事も、時にはありますので!それに屋敷に行けばすぐに夕食が用意されるでしょうから!」


 気を使ってくれて入るが、腹が減っている事には変わらりは無い筈だ。後ろ髪を引かれる気持ちはあるが、コンテストは今日だけではない。

 明日も、明後日も訪れて作品を堪能させてもらうとしよう。


 しかし、イダルタの時と言いモーダンの時と言い、こうも時間を忘れてしまうのは問題がある。

 かと言ってオスカーに無理強いはできない。ここは一つ、私に頼られたい者達に一仕事頼むとしよう。


 というわけで、レイブランとヤタールに『通話』を行い、明日と明後日だけで良いから昼食の時間と夕食の時間に連絡を入れて欲しいと頼めば、快く彼女達は引き受けてくれた。

 お礼として、あの娘達に何か用意してあげないとな。


 そうだ。オークションに出品される品物に、あの娘達が喜びそうな品が出品されたら購入しようか?オークションという催し自体、私は興味があるのだ。


 他にも案はある。ホーカーだ。彼にレイブランとヤタールが好きそうな装飾品を制作してもらうという手もある。

 いや、いっその事私の分も彼に制作してもらおう。きっといい作品を作ってくれる筈だ。


 私は既にホーカーの作品のファンである。

 コンテストが終わった後にでも交渉し、彼が故郷に帰った後にでも制作してもらうとしよう。



 屋敷に戻りジョゼットにデヴィッケンとの揉め事について労えば、彼女はむしろ私が彼に絡まれなくて良かったと気遣われてしまった。


 やはり、ジョゼットもデヴィッケンならば確実に私に絡んでくると確信しているのだろう。


 私の姿を見なかった事を訊ねられた際に認識阻害の魔術が使用できることを伝えたら、コンテスト中は使用する事を強く薦められた。

 ジョゼットが言うには、明日以降も何食わぬ顔でデヴィッケンはコンテスト会場に入場して来るらしい。とんでもない面の皮の厚さだ。


 「この分だと『姫君の休日』を見た途端、煌貨を放り出して購入させろと言い出しかねないだろうからね。まったくもって困った男だよ。」

 「捕らえてしまう事はできないの?」

 「残念ながらね。外国の貴族と言う事もあるけど、迷惑行為は行っているけど、一応犯罪行為は行っていないんだよ。確実に不正も行っているだろうけど、その証拠も見つかっていないしね。」


 人間が法律の下人間を捕える場合、証拠が必要となるからな。証拠がない以上、捕らえる事はできないか。


 …『幻実影ファンタマイマス』の幻を使って、一通り証拠を回収してやろうか?


 そんな考えが頭をよぎったのだが、ジョゼットに感づかれたようだ。意外な事に私が干渉する事を止められてしまった。


 「貴女の手を借りてしまうわけにはいかないよ。貴女の力を借りれば容易にあのカエルを社会的に抹殺できるだろうけど、それをした場合、私達は貴女に頼り切りになってしまうだろうからね。」

 「そう言うのなら今のところ私は動かないけど、デヴィッケンが私に不用意に絡んで来たら、その限りでは無いからね?」


 ジョゼットは人間全体が堕落してしまう事を恐れているようだ。シェザンヌも同じ考えを持っていたな。

 自分達の事は、なるべく自分達の手で解決したいのだろう。


 ならばその意志を尊重しよう。尤も、それは私に関わってこなかった場合だ。

 関わって来るのなら容赦はしない。まぁ、対応が面倒臭いから私からは関わらないようにはするが。


 その事を伝えれば、ジョゼットは上機嫌に私の方針を歓迎してくれた。


 「勿論だとも!その時は思いっきりやってしまってくれ!似たような連中への見せしめにもなるだろうからね!」


 ああ、これはジョゼット、本心ではデヴィッケンが私に絡んでくることを望んでいそうだな。大義名分というヤツだろう。

 願う事ならば私の不興を買って滅んで欲しいと望んでいるようだ。酒が入っているため、本心が漏れ出てしまったのだろう。


 ここにいるのは私とジョゼットとオスカーだけだ。不満も溜まっているようだし、存分に吐き出してしまうと良いさ。


 夕食が終わったら、今日もいつものように稽古をして風呂に入り、一日を終わらせるとしよう。

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