第271話 『姫君の休日』
審査員達は、今まで以上に期待に満ちた目で、布が被せられたキャンバスに視線を送っている。余程楽しみにしていたのだろう。
彼等とて、内容自体は知っているのだ。新聞にエミールがどのような作品を描いたのか、文章だけとは言え記載していたからな。
だからこそ、彼が最高傑作と自負するだけの作品に興味が尽きないのだ。
加えて、彼等は私の肖像画を見たいと思っているんじゃないだろうか?
私の姿は人間達からしたら非常に美しく映っているのだ。
自惚れでなければ、是非ともその目に収めて脳裏に焼き付けておきたい、とでも思っているんじゃないだろうか?
「それでは今回の品評会、最後の作品!『姫君の休日』です!!」
「「「「「おおっ!!」」」」」
イーサンが艶のある上質な布に手を掛け、勢いよくめくり取ると、審査員一同が同時に感嘆の声を上げた。
そして息を呑んで黙って作品を見続けている。
私が見せてもらった時よりも、更に完成度が増しているな。
キャンバスの大きさも相まって、実際に私がその場にいるかのようなリアリティすら感じられる。
衣服に使用されている生地の繊維、肌や髪、鱗の質感、髪や鱗が放つ虹色の光沢、尻尾の躍動感、尻尾カバー、海を眺める私の瞳、そして表情…。
どれをとっても、見事なまでの再現度である。正直、表情などは以前見せてもらった時とはまるで違っていると言っていいほどだ。
と言うか、私はあの展望台で海を眺めていた時、ああいう表情をしていたのだな。
キャンバスに描かれた私は、自分で言うのも何だがとても優しい表情を、それでいて楽しげな表情をしている。
なるほど。確かにこんな表情をして景色を楽しんでいたら、シェザンヌが私の意識を自分に向けさせようとするのも躊躇ってしまう、のか?
自分の顔だからか、良くは分からないな。他人の意見を聞いてみよう。
「オスカー、もし私があんな表情で昼食の時間も忘れて海を眺めていた場合、貴方は昼食の時間を教えようとしてくれる?」
「えっ!?ええと…。ううん……」
そこから長い時間、オスカーは黙ってしまった。
それほどまでに悩む問題だというのか?一体何故?
いや、私もあの絵に描かれている私の表情はとても楽しそうにしているとは思うのだが、だからと言って声をかけるのを躊躇うほどだろうか?
ほどなのだろうなぁ…彼等からしたら。
5分間の熟考の末、ようやくオスカーから答えが返ってきた。
「すみません…。私には出来そうにありません…」
「そっか…。うん。答えてくれてありがとう」
申し訳なさそうに答えるオスカーは、会話をしてはくれるが視線は完全に目の前にある私の肖像画に夢中になっている。
若干頬を赤くしているし、見惚れてしまっているのだろう。だが、オスカーを責める事など、誰も出来ないんじゃないだろうか?
周りを確認してみれば、この場にいる私以外の全員が私の肖像画に目を奪われてしまっている。
小声で会話をしていた事もあってか、先程の会話も彼等の耳には入っていなかったようだ。
彼等、呼吸を忘れてしまっていないか?
あまりの美しさに息を呑んだ、という表現を何度か本で目にした事があったが、今がまさにその状況、というわけか。
「「「「「………」」」」」
と言うか、拙いな。一瞬呼吸を忘れる程度ならば問題は無いだろうが、彼等、呼吸をまるでしていないではいないか!このままでは倒れてしまうぞ!?
いや、そもそも良く今まで大丈夫だったな!?
とにかく、彼等を正気に戻すとしよう。
ほんの少しの魔力を掌に込めて、両手を叩いて周囲に音を響かせる。この場が広さのあるホールのため、とても良く音が鳴り響いた。
手を叩いた事で掌に込めた魔力が爆ぜ、極小規模の衝撃がこの場にいる全員に伝わっていく。
私達の会話の声も聞こえなかった者達も、流石にこれだけの大きな音と物理的な干渉があれば、流石に意識を取り戻したようだ。
「「「「「っ!?」」」」」
「見惚れるのは構わないけど、作品を評価する事を忘れないでね?」
「は、ははぁーっ!も、申し訳ございません!」
別に謝る必要は無いのだが…。
いや、目の前の見惚れた絵画と同一人物から自身の行動を指摘され、至らなさを感じて罪悪感を覚えてしまったとでも言うのか?
とにかく、作品の品評だ。鑑賞を楽しむのはそれからでもいいだろう。
ひとまず状況は落ち着き、審査員達も真剣に作品を評価し始めている。
たまに硬直してしまい、付き人や彼等の部下に揺すられているわけだが、それほどまでに彼等にとってあの肖像画は魅力的なのか。
「不思議なものだね。絵の中の人物が今この場所に一緒にいるというのに、彼等は皆絵画に夢中になっている…。本物よりも魅力的、と言う事なのかな?」
「そういう事ではないと思いますが…」
オスカーが私のつい口に出てしまった疑問に答えてくれるが、それでも納得はしきれない。
エミールはあの時の私の表情と服装をそのまま描いたはずなのだ。
ならば、直接その時の光景を見ていた者達は、今の審査員達と同じような状態になっている筈だ。
だが、あの時私の姿を見ていた者達は、別段意識を奪われたり呼吸を忘れてしまうほど見惚れてはいないかったように思える。
なにせあの時の私は、数時間ずっと海を眺め続けていたのだ。
その光景を直接見た者達がここにいる審査員達と同様に呼吸を忘れてしまったら、間違いなく窒息死している。
だが、そうはならなかった。
それはつまり、やはりこの肖像画は、本物以上の魅力を放っているということではないだろうか?
実際、私自身が鏡で自分の姿を見るよりも、この肖像画は魅力があるように思えているのだ。
「そ、そうだとしても!ノア様が美しい事には変わりません!」
「ありがとう」
褒めてくれるのは素直に嬉しいのだが、別に私はエミールの作品に対して嫉妬しているわけでも無ければ、まして拗ねているわけでもない。
むしろこれほどまでに魅力的に表現してくれた事を嬉しく思っているほどだ。
後でエミールには何か礼をしなければ私の気が済みそうにない。
私は、エミールへの礼をどうすべきか考えながら、彼の最高傑作を存分に鑑賞する事にした。
流石に今日は品評を行う作品が一品のみだったため、品評会は午前12時までには終了していた。
昼食までの3時間で他の審査員達の評価を参考に、自分の評価を再考するわけだが、今回の作品ばかりは文句無しに全員が10点を付けていた。
勿論、評価内容も納得の内容だ。
私を題材にした作品ではあるが、私も不思議とこの作品を評価するのに抵抗を感じなかった。
この作品にも当然ながら強い思いが込められていたので、当然と言えば当然かもしれない。
題材となった私の容姿はともかくとして、色彩や配置のバランス、筆の扱い方だけでも十分すぎるほどに出来の良い作品だった。
この作品に限っては、おそらくは全員評価を変える事は無いだろう。
全ての作品の評価を再考も含めて終わらせたら、今日はもう自由時間だ。
明日は美術コンテストの開催日だからな。それまでゆっくりと休んでもらう、と言う事なのだろう。
いや、コンテスト当日に私達審査員が会場で特に何かをするわけでは無い。
一応、会場に顔を出すことぐらいはするだろうが、当日の私達の役割などそれぐらいだ。
だが、体を休める意味は十分にある。
世界中の美術品を鑑賞出来てとても充実した時間を過ごせたし、程度の違いはあれど、それは他の審査員達も同じだとは思う。
午前から午後まで真剣に作品を一つ一つ評価し、夜には他の審査員達の評価を確認して自身の評価を再考する。
こんな事を10日間続けていれば、人間、誰でも消耗はするものだ。
それが例えタスクのような宝騎士でもあってもだ。
人前に姿を出す以上、消耗した状態で顔を出して万一にも倒れてしまっては事である。
そのためにも、ゆっくりと休み英気を養ってもらいたい、というのがアクレイン王国としての意見だろう。そのための客室での歓待でもあるのだ。
まぁ、私は昼食をいただいた後はジョゼットの所へ顔を出してのんびりと過ごそうと思っている。
ようやくまとまった時間が空く事になるからな。そろそろ彼女の研究の手伝いでもしようかと思っているのだ。
手伝いをするのも、当然善意だけではない。海外の植物を詳しく知る事ができれば、私の広場でも栽培できるかもしれないのだ。
勿論、植えた植物が魔物化してしまったところで私ならばどうとでもなる。
と言うか、家の皆があっという間に片付けてしまうだろう。
だが、いちいち魔物化されるよりも問題無く作物が育ち、収穫できた方が楽な事には変わりない。もしかしたら、植物に詳しい魔物が新たに広場に住んでくれるようになるかもしれないしな。
ラフマンデーがついでとばかりに作物の管理を行ってくれるのかもしれないが、彼女にはハチミツの製造を任せているし、そちらの作業に専念してもらいたいのが私の望みだ。
我儘を言わせてもらえば、私にとっての最良の環境。
それは新たな仲間に魔物化した作物を制御してもらい、私が美味いと感じた部位を定期的に提供してもらう、といった環境だな。
だから私としては、別に海外の作物を魔大陸で栽培すると魔物化してしまう原因を探る必要は、厳密には無いと言ってしまえばない。
だが、私の知識欲が魔物化する原因を知りたがっているのだ。
私が人間と関わろうと決めたのは、人間達の知識や技術を学ぶためだからな。
新たな知識を得られる機会ともなれば、見逃す理由が無いのだ。
美術コンテストが始まってしまえば、私は一般観客として会場で作品を鑑賞するのは間違いないだろうし、時間のある今のうちにジョゼットとその辺りの打ち合わせをしておくとしよう。
それに、ジョゼットは私と単純に話をしてみたかったそうだしな。
今日まで色々と忙しくしていたせいで、碌に彼女の相手をしていなかったのだ。
『幻実影』で幻を出してジョゼットの話し相手をすれば、問題無く対応も出来ただろうが、流石にそこまでする義理は彼女に対して感じていない。
『幻実影』はその性能故に知られれば間違いなく大事にされる魔術だ。
ティゼミアの冒険者達にはある程度知られてしまっているが、だからと言ってむやみやたらに周囲の人間に教えてやる必要も無い。
素性を隠している今は、明け透けに使用すべき魔術では無いのだ。
まぁ、ジョゼットには色々とフラストレーションを溜めさせてしまったかもしれないので、手製の菓子や紅茶を用意して機嫌を直してもらうとしよう。
彼女にも当然、紅茶を淹れてくれる使用人はいるだろうが、私が用意すると言えば、きっと任せてもらえる筈だ。
ジョゼットの元へと向かうとしよう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます