第253話 姫様の買い物
本の複製はこれまで何度も行っていた事もあり、依頼も問題無く片付いた。
まぁ、オスカーにとって本が一瞬で複製される光景は珍しかったようで、一冊複製するたびに目を輝かせていたわけだが…。
図書館からの依頼を終わらせれば、いよいよモーダン観光である。街の人々の視線がオスカーに集まっているのは、やはり新聞の影響だろう。
オスカーを見る彼等からは関心の感情が読み取れる。
大勢の人々から視線を浴びて、オスカーはやや恥ずかしくなっているようだ。
「ちゅ、注目を浴びるというのは、こういう事なのですね…。タスク様もノア様も、よく平然としていられますね…凄いです…」
「ふふ、タスクはどうか知らないけど、私も最初は結構たじろいだものだよ。要は慣れさ。何度も同じような経験をすれば、それが当たり前になって平静でいられるようになるよ」
「だと、良いのですが…」
うん。実感、湧かないよな。私もそうだった。だが、気付けば何とも思わなくなっているのだから、慣れというものは凄いものだ。
「さ、周囲の事を気にするなとは言わないが、仕事はこなしてもらうよ?」
「は、はい!で、では、ノア様は海外の文化に興味がおありのようですので、海外の品を扱っている店を見て回りましょう!数が多いので、流石に1日で回れはしないでしょうが…」
「構わないよ。私もそのつもりだったしね。では、案内を頼むよ」
緊張してぎこちない動きのまま、オスカーが歩き始める。モーダンの街並みを見回しながら、ゆっくりと付いて行くとしよう。
やはりモーダンの街の建築物もイダルタの町と殆ど変わらないな。屋根が尖っていない。
それと、建築物には必ずこれまで見た事が無い、同じ性質の塗料が塗られている。
海に面した街というのはどうしても潮風を受ける事になるから、塩害による建築物の劣化を防ぐためだと思われる。
きめ細かく艶やかで、つい触ってみたくなってしまう表面だ。
オスカーに訊ねてみたところ、剥離性が結構強いらしく、触り心地が良さそうだからと撫でてしまうと、手に塗料の微粒子が付着してしまうのだとか。そうなると、水洗いではなかなか取れないらしい。
そうまで言われてしまうと興味が出てきてしまったので、適当な壁に右手で触れてみると、スベスベとした触り心地を感じた。
ひんやりとしていた事から、熱を弾く性質もあるらしい。断熱材としても使えるようだ。
右手を見てみればなるほど、確かにきめ細かい粉末が私の指に付着している。息を吹きかけたり指で擦ってみても、指から剥がれる様子はまるで無いな。
では次だ。小さな『水球』を発動し、手を洗ってみる。
これでも駄目か。いや、温度を上昇させてお湯で洗ってみよう…駄目だな。落ちない。どうなっているんだ?
「あの、それ、物凄く細かい粉末が人の肌が持つ僅かな脂分に付着してしまって、まるで取れなくなってしまうんです…。尤も、脂分が無くとも肌の小さな凹凸よりも小さな粒子のせいで、結局取れないんですけど…。ですので、石鹸を使っても取れないんです…」
なんてこった…。それでは触れようとするのを止めるわけだな。そしてそれだけの事をしないと塩害を防ぐことが出来ないのか…。塩害、恐るべし、だな。
まぁ、問題無い。壁に触れる前にオスカーに確認を取っていたのだ。
どれだけ擦ろうとも水洗いしようとも石鹸を使おうとも落ちない汚れでも、『
やはり全人類が習得しておくべき魔法じゃないか?この魔術は。
まぁ、そんなハプニングがありはしたものの、問題無く目的地に到着した。
辺り一面、様々な文化の品がこれでもかと陳列されている。
そして道沿いに並ぶ店舗は、どれも扱っている商品の国の建築物を参考にしているためか、統一性がまるでない。
ある意味では混沌としている光景だ。だからこそ、面白みがあるのだが。
ウルミラにこの光景を見せていたら、きっとわき目も振らずにあちこちに駆け回っていた事だろうな。レオスの時も様々な物に目移りしていたようだし。
さて、それはいいとして、何から見て行こうか…。
そうだな…異文化と言えば食事に衣服、しきたり…。
ならば、まずは異文化の服を見て回ろうか。
食事は異世界人によって世界中に様々な料理が広まっているようだし、そもそもまだ食事の時間じゃない。
しきたりは本を通して確認できるだろうし、美術品や装飾品などでも触れる事が出来そうだ。後は武具でも文化の違いが確認できるだろうな。それはいいのだが種類が多過ぎてどれから見ていいか迷ってしまう。
というわけで最初は衣服を見て回ろう。多分今日一日は衣服選びに時間を費やす事になりそうだ。
いずれ海外に向かうとして、どうせならその場所の衣装を着ていきたいからな。現地で購入するのもいいかもしれないが、気持ちの問題だな。入国前から旅行の気分を楽しみたいのだ。
「今日は1日服を見て回ろうと思うよ。試着もするだろうから、時間がかかりそうなんだ。オスカーにとっては退屈かもしれないけど、よろしく頼むね?」
「滅相も御座いません!ノア様が試着という形で様々な衣服をお召しになられた姿を間近で見られるというのであれば、その時だけはぼ…私は世界一の幸せ者です!」
大げさすぎる気もしなくはないが、世間の私の評価を考えると、オスカーが嘘を言っていないと言う事は十分に分かる。
これまでの経験上、露出の多い衣服は男子には刺激が強い事が分かっているので、露出の少ない服を重点的に選ぶとしよう。
文化の違いというものはやはり面白いな。まさか服によって着用方法まで変わってしまうとは。
面白いと感じたのは前合わせの服だな。ボタンで布を止める服や紐や帯で固定する服などが合ったのだが、着用する際に頭を通す必要が無いのが気に入った。
今は問題無いとは言え、本来の私には角があるのだ。今までの衣服、雑に着用しようとすると角が引っかかってしまい、破損しかねなかったのである。
前合わせの服ならばその心配はいらなくなる。私にとって非常にありがたい服だ。
前合わせの服は、私でなくとも角のある種族には人気のあるタイプの服らしい。理由は勿論、着用時に角が衣服に引っかかる心配が無いからである。
他に面白いと感じた服は、全身に布を巻き付けた後に金具で止める、という服だ。
衣服というよりも特殊な布の巻き付け方と言った方がいいのかもしれないな。体の関節を固定する事の無いように巻き付け、それでいて局部はしっかりと隠す。長い年月の中で考え抜いて編み出した伝統的な技術なのだろう。
この技術の利点は角の問題もそうだが、尻尾や翼の心配をする必要が無い点だな。そういった種族にも考慮した巻き付け方があるらしく、家で生活する際に楽が出来そうである。
他には、店員から非常に強く薦められた衣服で水着という、伸縮性と速乾性に優れた衣服だ。
水に浸かる事が多い地域で愛用されている衣服であり、また海や川で水に浸かり暑さをしのぐ際にも使用されるのだとか。
優れた伸縮性によって肌に密着する事で動きを阻害される事が無く、非常に泳ぎやすいのだとか。
優れた衣服だとは思うが、欠点があり、どれもこれも非常に布地が少ないのだ。
私が着用する分には問題無いが、その姿を私の傍にいるオスカーに見せるのはどうかと思うのだ。刺激が強すぎる。
店員はどうやら分かっていて薦めているようだ。
いたいけな少年の心をもてあそぶつもりなど毛頭ないので、試着は丁重に断らせてもらった。試着をせずとも私ならばサイズぐらいわかるからな。
いや、まぁ、試着すると言っても、汗や老廃物を購入前の商品に付けるわけにはいかないから、試着する際には薄いシャツや下着の上から着用する事になるらしいが。
オリヴィエが言うには、人によっては体の形がハッキリと分かるだけでも刺激が強いと言っていた。
今日までは流石に大げさではないかと疑問に思っていたのだが、オスカーの反応を見る限りでは大袈裟でも何でもなく、紛う事なき事実なのだろう。
「モーダンには泳ぎを楽しむような場所があるのかな?」
「はい。少し離れた場所になりますけど、海水浴に適した砂浜があります。一年の中でも暑い時期は大勢の観光客の方が避暑のために訪れます」
この辺りの気温は、一年を通してやや高めである。それでいて海の温度が低い事もあり、海水浴に適した場所と言える。
自分の住んでいる場所が暑くなると、この街のような海水浴場がある場所に訪れて暑さを忘れに来訪するのである。
そういった時というのはモーダンの人々にとって稼ぎ時であるのか、海水浴場に飲食店や海で使用できる遊具を販売する簡易的な店舗を設置するのだとか。
その光景、是非見てみたいので、またシーズンになったら訪れてみるとしよう。
様々な衣服を見て回り、気に入った服を試着もしていると、あっという間に昼食の時間となってしまった。
見ていない衣服はまだまだ山ほどある。予想してはいたが、どうやら全ての衣服の店を見るのは一日では足りないようだ。
「ノア様…そろそろ昼食の時間となりますが、いかがいたしましょうか?」
「我慢する理由が無いからね。昼食にしよう。どの道、今日一日で全てを見て回れそうにないんだ。ああ、そうだ。ついでだから、途中でギルドに立ち寄らせてもらってもいいかな?図書館からこっちまで直接来たから、まだ依頼が完了した事を伝えていないんだ」
ついでに、新たに指名依頼が発注されていないかの確認だな。手間が掛かるようなものでなければ、受注しておこう。
「分かりました。それでは、行きましょうか」
衣服を見始めてから今現在、午前14時45分までの間、オスカーにはこちらの都合に付き合わせっぱなしである。
一応大丈夫そうだが、退屈していなかっただろうか?食後も再び衣服を見て回る予定なので、この子を退屈させないためにも、何かいい案があれば良いのだが…。
ひとまず、食事を楽しむとしようか。
今回の食事は魚の煮込み料理と焼き魚だ。
私も家の近くに流れる川から取って来た魚を食べて知っているのだが、脂の乗った新鮮な魚というものは、塩を振りかけて焼くだけでも絶品なのである。
なお、飲食店に立ち寄る前にギルドに向かい状況を確認したのだが、特に新しく指名依頼が発注されているという事は無かった。
話を料理に戻して煮込み料理だ。此方も大変すばらしい。香草の香りで魚特有の臭みを取り除き、更に魚の身には一緒に煮込んだ野菜の旨味がこれでもかと染み込んでいる。
口の中に入れるだけでホロホロと崩れる食感も相まって、今回も非常に味覚を満足させてくれた。香草の香りに関しては、今まで嗅いだことのない香りだったので、もしかしなくても海外の品を用いたのだろう。
「新聞や噂で見聞きましたし、実際に昨晩もご一緒させていただきましたけど、本当に沢山お食べになるのですね…」
「まぁね。美味いものならいくらでも口にできる気がするよ。この話をすると、決まって羨ましがられるけどね」
「当たり前じゃないですか‥。美味しいものを好きなだけ食べられて、それでも太らないとか、羨ましいなんてものじゃありませんよ?」
やはりその辺りは皆同じ考えを持っているようだ。私自身、好きなだけ美味いものを食べられる自分の力というものをとても気に入っているぐらいなのだから。
まぁ、満腹感を得られないという欠点はあるが…。
食事が終わったら再び衣服を見て回ろう。結構遠慮なくオスカーを振り回してしまったからか、彼の方も遠慮が少し無くなってきている。いい傾向だ。少しは打ち解ける事が出来たのかもしれない。
文化によって衣服のデザインが変わる事はよくあるが、構造自体は例え海を越えてもあまり変わる事が無いようだ。
やはり着用する人間の構造が同じだからなのだろうな。効率を求めていくと、行きつく先は同じ形になるのだろう。勉強になる。
そして私にとって重要なのは構造よりもデザインの方になるな。
国によって意匠が変わって来るのだ。大陸が変わればそれだけで模様や象徴とする物にも変化が出てくる。
そういった変化を見比べるのが以外にも楽しい。今度フウカに見せて新作の参考にしてもらおう。
ちなみに、私が試着した衣服は全て購入させてもらっている。手にした時点でそれなりに気に入っているからな。
資金が有り余るほどにあるうえに『収納』があるから保存する場所に困らないのだ。少しでも欲しいと思ったら購入させてもらった。
おかげで一つの店舗にいる時間がかなり長くなり、オスカーには大分退屈をさせたような気がする。
気になってオスカーの様子を確認してみると、特に不満を感じている様子はない。
それどころか、かなり嬉しそうにしているというか、とても満たされているように見える。
「退屈じゃなかった?特に何もする事が無かっただろう?」
「滅相も御座いません!午前中にも言いましたが、様々な衣装を身にまとったノア様の姿を見る事が出来て、本当に嬉しいんです!」
「そう?多分、明日もこんな感じになると思うけど、大丈夫?」
「勿論です!どうぞ、ノア様の思うままにモーダンを御堪能してください!」
試着した姿は全てオスカーに見てもらっていたのだが、そのどれもがあの子にとっては高評価だったらしい。というか、私が色々な格好をしていたのが嬉しい、と言った印象だな。まぁ、喜んでくれたことに変わりはない。
今のところオスカーからは尊敬や敬愛の感情を向けられてはいるが、恋慕的な感情を向けられている気配はない。この調子で1週間過ごす事が出来れば、きっと良い関係が築けるだろう。
夕食を終えた後は昨日と同様冒険者ギルドの訓練場を借りてオスカーに稽古を付ける事にした。
今回オスカーに課したのはティゼミアの冒険者達に行った午前の部の稽古、重力負荷を加えた状態での型稽古や追いかけっこ、そして技の打ち込み稽古だ。
ただ、ファニール君はウルミラに渡してしまっているうえ、あの娘が大層気に入ってしまっているので持ち出す事が出来ない。
というわけで私を追いかけるようにしてもらった。体のどこでも良いから指先が触れるだけでも合格と認めるという条件で、だ。まぁ、結局触れられなかったが。
稽古が終わる頃には流石のオスカーも大量の汗を流していたので、お互い風呂に入り体をリフレッシュさせてから解散となった。
多分だが、明日も一日こんな感じになるだろう。だが、悪い気はしないしオスカーも嫌がっていないのだ。
明日も遠慮なく楽しませてもらうとしよう!
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