第246話 海の国の楽しみ方
ファングダムで良く口にした、丼料理というものがある。炊いた米の上に米と相性の良い具材を乗せて、米と共に食すあの料理だ。
夕食のメニューに海鮮丼なるメニューが数種類あったので、それらを一通り頼ませてもらった。
昼食で魚を食べた時から思っていたのだ。コレは確実に炊いた米に合う、と。
アクレイン王国にも米があったのだ。いや、貿易が盛んな国なのだから、あるのは当然か。
この大陸から他大陸へと輸出する場合は、この国を通す必要があるようだから、この大陸の各国の特産品は、日持ちが良いものならば輸出のためにこの国に自然と集まるのだ。
アクレイン王国としてもタダで輸出をするわけでは無いだろうから、結構な額の仲介金を得たり特産品を自分の国にも卸してもらっているのだろう。だからこそ、こうしてファングダム産の白米がここでも食べられるのだ。
そして運ばれてきた海鮮丼。海の新鮮な丼、という事だな。
生の魚の切り身、刺身を白米の上からこれでもかと山盛りに乗せ、中央には魚の卵らしき、宝石の様に艶があり透明な球体が、たっぷりと乗っていた。
さらにその上から塩味の利いた液体調味料を垂らした料理だったのだが、実に味わい深かった。
柔らかいのは勿論として、脂が乗っていてとろみのあるものや確かな弾力を持ったものなど、一つ一つの刺身の味にも大きな違いがありとても楽しめた。
卵の食感も良い。鳥の卵とはまるで違い、噛まずともプチリと弾けるように潰れる食感が楽しく、溢れ出た濃厚な味わいが口に広がったのだ。
おそらく器に乗せる前に下ごしらえとして何かの調味料に漬け込んでいたのではないだろうか?何の卵なのか、そもそも卵なのかも分からないが、食感と味が非常にマッチしていた。
複数注文していて本当に良かった。どの刺身も一つの器に乗っている量は多くても5切れだったので、私には少々物足りなかったのだ。
複数の種類があったのは、丼に使用する刺身の量の割合が変わっているからだな。一つの器に乗せられていた切り身の量が物足りなかった私には、ちょうど良かった。
気付けば、シェザンヌが私を見て感心した表情をしている。
だが、彼女の視線は私の顔ではなく、私の右手に向けられているな。何かあるのだろうか?
「どうかしたの?」
「あ、いえ…。その、ノア様は随分と上手に箸を使われるのですね…」
なるほど、箸か。確かに、シェザンヌも今回は丼ものを注文しているが、彼女は箸ではなくスプーンを使用している。
私も初めは、2本の棒でどうやって食事をするのか戸惑ってしまったが、使い方を知れば、これほど便利な食器も無いだろう。
肉のような一定以上の弾力と硬さを持ったものはともかく、切る、摘まむ、刺すと言った行為が片手で出来てしまうのだ。
手を汚さずに手と同じ動作が出来るようなものなのだ。便利なのは当然である。
「本で読んだり上手く扱える人の動きを見せてもらってね。自分でもできるようにしたんだ。片手で複数の役割を果たせるこの箸と言う道具は、とても便利だよ」
「見事なものです。便利なのは分かるのですが、ナイフとフォークに慣れていますと、どうにもうまく扱えず…」
その辺りは慣れと訓練だろうな。シェザンヌも諦めずに訓練し続ければ問題無く使用できるようになるとは思うが、そこまでして扱えるようになりたいと思っているわけでは無いようだ。
まぁ、代用できる食器があるのだから、無理に覚える必要も無いだろうしな。使いたい食器を使って、美味しく食事を楽しめばいいのだ。
昼食を食べた後、すぐに魔力変換を行ってしまったため、シェザンヌは午後の間は常に空腹の状態だった。
そのため彼女はその空腹を満たすために大盛の海鮮丼を頼んでいた。とても幸せそうに食べている彼女の表情は、とても微笑ましいものだった。
「あの、あまりそうじっと見られてしまうと恥ずかしいのですが…」
「とても美味そうに食べていたからね。見惚れていたと言ってもいい」
「その言い方は、少々誤解を生む言い方かと…」
言いたいことは分かる。私がシェザンヌを口説いているように周りは聞こえていたかもしれないと言いたいのだろう。
気にし過ぎだとは思うが、そういった感性は私よりもシェザンヌの方がずっと詳しいのだ。忠告は素直に受け止めておこう。
夕食を終えて外へ出れば、既に日は沈んでいて、辺りはすっかりと暗くなり、街灯にも明かりが灯っていた。
予定通り展望台へ向かい、少しの間この町の夜景を楽しませてもらうとしよう。
図書館の閉館時間まで読書をしてからここに来ても良かったかもしれないが、あまり遅くなると街灯も家の中の明かりも消えてしまい、夜景の魅力も衰えてしまうのだとか。
今が最も夜景が映える時間帯という事だ。もしかしたら今日は図書館へ行けなくなるかもしれないが、構いはしない。
例え今日図書館へ行けなかったとしても、その時は明日の午前中から図書館を訪れれば良いだけなのだから。
思った通り、展望台から見た町の夜景は素晴らしいものだった。
街灯だけでなく、住居の中で着けた灯りが窓から零れ、それが空の星の輝きのようにも見えるのだ。
上を見上げれば雲一つない空が満天の星空が広がり、下を見れば町の明かりによって此方もまた星空に例えられるような光景を見せてくれた。
シェザンヌ曰く、この町はそれほど大きな町ではないため、海沿いの都市、例えばモーダンのような都市から見た夜景はもっと素晴らしいのだとか。
明後日にはモーダンへと移動するので、覚えておこう。
なお、夜景に夢中になり過ぎてこの日は図書館へと向かう事が出来なかった。
町の人々が就寝し始め、家屋の明かりを消し始めてようやく私の気が済んだからである。
家屋の明かりが消える時間と言うのは即ち、図書館の閉館時間とほぼ同じ時間だったのだ。
昼間の時のようにシェザンヌが申し訳なさそうな表情をしていた。
夜景に夢中になっている私に声を掛けて注意を惹く事に抵抗があったようだ。
私は気にしないどころかシェザンヌを遅い時間まで付き合わせてしまっているので、むしろ私の方が彼女に謝罪しなければならないのだが、それについては頑なに固辞されてしまった。
「私は望んでノア様の案内を買って出たのです!どのような事であれ、私に対する謝罪は不要!どうぞ、この身を好きにお使いください!」
聞く者が聞けば誤解を受けそうな言い方のようにも聞こえるが、そこはお互い様だし、今は周りに人はいない。気にしないようにしておこう。
そうして翌日。昨日決めていたように朝食を宿で済ませたらまず最初に向かったのは勿論図書館だ。
早速『水中行動』の魔術書を複製させてもらい、ついでに習得させてもらった。
私が自分に使う事は無いだろうが、一時的に私と行動を共にする者がいた場合、その者に使用するかもしれないからな。
障壁を張れば問題無いかもしれないが、全身に障壁を張ったとして、呼吸の問題は解決しても行動がとれるかどうかは分からないからな。
それに、『水中行動』は多分溺れてしまった者を救助する際にも利用できる。いざという時にはきっと役に立ってくれる筈だ。
そして新聞だ。図書館も今日の新聞を購入して既に新聞置き場に設置している。
記事を見てみれば、私が断崖塔を訪れた事や展望台から見る景色を楽しんでいた事に加え、エミールが美術コンテストへ出品する作品が決まった事などが取り上げられていた。
シェザンヌも言っていた事だが彼は相当人気のある画家らしく、記事には優勝はほぼ間違いないだろう、とまで記載されていた。
ついでに、私が彼の作品を運搬する事も。
彼の作品を預かっている私は、責任重大というわけだな。確実に王都のコンテスト会場に届けよう。
「こうして周囲に伝えておけば、エミール氏に対してよからぬ事を企む者などいないでしょうからね。後は彼自身が賊に襲われない事を願うばかりです」
「まぁ、その点は大丈夫だよ。彼に何かあればすぐに分かるから」
王都へ向かったエミールを心配するシェザンヌを安心させるために簡単に問題が無い事を説明したのだが、何やら興奮させてしまったようだ。
「おお!そうなのですね!?流石はノア様!やはりその事を私達に伝えなかったのは、不届き者共を敢えておびき寄せて一網打尽にするつもりなのですか!?」
「…まあね」
流石に羨望の眼差しをこちらに向けるシェザンヌに対して、単純に忘れていた、などと伝える事はできず不本意にも嘘をつく事になってしまった。心苦しい。
それと、話は図書館に戻るのだが、私が本の複製を魔術で出来る事を図書館に勤める司書が知っていたらしい。
指名依頼を出しているから本の複製をして欲しいと頼まれてしまった。
もしかしたら、ファングダムで立ち寄った街にも同じような指名依頼が出ていたのかもしれない。
そういえば、今のところ指名依頼を出された場合全て受注していたな。
断ったりそもそも発注されていた事を知らなかった場合、その依頼はどうなってしまうのだろうか?
後でマコトに…聞くのは止めておこう。
私がティゼム王国に、それもティゼミアにいるのならまだいい。
別の国にいると言うのにこの程度の事で一々連絡を取っていては、マコトも気が休まらないだろうからな。
この町にもちゃんとギルドはあるのだから、このギルドの人間に聞けばいいだけの事なのだ。
と言うわけで、本の複製の指名依頼を受けるついでに指名依頼についても私が気になった事を聞いてみた。
発注された依頼を断った場合はその時点で依頼書は破棄。
3ヶ月間同じ冒険者に同じ内容の依頼を発注する事はできないとの事。逆を言えば、時間さえ経てばもう一度同じ依頼を発注できるという事でもある。
勿論、受けるかどうかは指名を受けた側にゆだねられるが。
そしてそもそも発注を知らなかった場合。
こちらは依頼者が依頼を取り下げない限りは冒険者ギルドが管理し続け、指名された冒険者がギルドに訪れた際に受注の是非を問う、との事。
今度ファングダムに訪れた時は、一回は冒険者ギルドに顔を出して指名依頼が来ていないかを確認しておこう。
本の複製依頼も問題無く終わらせ、図書館での用事を済ませた後は、この町の停泊所に訪れてみた。間近で船を見てみたかったのである。
船は全体的に木製のようだな。そして船体に魔力が浸透しやすい塗料を塗り込み、船に魔力を流す事で強度を増幅させているようだ。
そうでもしなければ簡単に魔物に破壊されてしまうのだろう。
船尾に当たる部分には何やら箱状の魔術具のような道具も取り付けられていた。あれで何をするのだろう?
「海水を吸い上げて勢いよく放出する事で高速移動するための装置ですよ。補強してあるからとは言え、強力な魔物に遭遇してしまったら逃げるしかないですからね」
「つまりこの魔術具を使用すれば、そんな強力な魔物から逃げられるだけの速度を出せる、という事?」
「ええ。少なくとも、普段この海域に生息している魔物からはほぼ振り切れると言っていいでしょう。尤も、中には同じ種族で強い力を持った個体がいる場合があるので、確実とは言えないのですが…。」
だとしたら凄いな。是非とも一度は乗ってみたい。
昨日は大きな船の上で釣り糸を垂らしながら読書を楽しむ想像をしていたが、2、3人乗りの小型船で、高速で海面を移動すると言うのもとても面白そうだ。
と言うか、多分海の魔物と戦闘をする場合、この高速移動をほぼ確実に使用する事になるんじゃないだろうか?
「そういった強力な個体を討伐するのが、この町の高ランク冒険者の主な仕事になりそうだね」
「まさしくその通りです。時には複数のパーティが徒党を組んで討伐に挑まなければならないほど強力な魔物が現れる事もあります」
良いなぁ…。いや、依頼を受けた冒険者達にとってはただ事では無いのだろうけれど、高速で海面を移動する体験が出来る彼等が少し羨ましく思えたのだ。
そんな私の気配を読み取ったのか、シェザンヌが嬉しい情報を提供してくれた。
「あー…それでしたら、この国の海岸都市であるアーワイヤに行く事をお勧めします。あの街にはレジャー施設として一人乗りの高速艇を楽しめますから」
「一人乗りの高速艇かぁ…。いいね、とても面白そうだ。美術コンテストの作品を出品し終わったら行ってみるよ」
「はい!きっとお気に召していただけると思いますよ!」
楽し気なシェザンヌの表情を見るに、彼女も高速艇を乗り回した経験が過去にあるのだろう。きっとその時の事を思いだしたのだろう。
とりあえず、この国でやりたい事がまた一つ増えたな。
いいぞいいぞ。旅行らしくなってきたじゃないか。この調子でこの国の良いところをドンドン見つけて行こう。
なお、停泊所にも当たり前のようにズウノシャディオンの像が建てられていた。
ここに建てられた像は特に何かに乗っているわけでは無いが、私が昨日見た置物と同じく非常に眩しく熱量を感じる笑顔をしている事は変わらなかった。
「本で見た時もそうだったけど、深海神・ズウノシャディオンって、基本的に笑っている神なの?」
「ええ、何時も豪快に笑い、私達のように海に住まう者達を見守ってくださっているそうですよ?この国に勤める巫女様も、いつも深海神様の笑い声を聞き取っているそうです」
なるほどぉ…。ズウノシャディオンは非常に豪快で陽気、と。海に出た時にでも声を掛けてみようか?
『別に今声を掛けてくれてもいいんだぜ!?ってもう俺が声を掛けてるか!ガハハハハハッ!!』
こういう性格らしい。多分巫覡に感じ取られない距離にいるから声を掛けてきてくれたのだろうけど、今はシェザンヌと会話中なのだ。
船に乗って海に出たら声を掛けるから、それまで待っていて欲しい。
『あいよ!んじゃ、またなぁーっ!』
そして神々は皆心を読み取る力を持っているようだな。別に読まれて困る事は無いが、それで唐突に声を掛けられると、たまたま外出していた巫覡がいた場合、大事になりかねない。
基本的に巫覡は王都の教会に勤めているらしいが、だからと言ってそこに引きこもっているわけでは無いのだ。
停泊所を見て回った後は昼食を取り、市場を見て回り、この町の住宅地を見て回って夕食までの時間を過ごした。
夕食の後は今日複製した本の中でこの国で活動するにあたって有用そうな本を重点的に読んだ。
就寝前に『清浄』を施し、オーカムヅミを食べ、ベッドに寝転べばすぐに意識がまどろみ、あっという間に日が昇った。
レイブランとヤタールに起こされ、宿をチェックアウトする。
そろそろモーダンに他大陸からきた交易船が到着する頃だ。
この町、イダルタを出て、モーダンに向かうとしよう。
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