第244話 芸術の国

 展望台の端、落下防止の柵がある場所まで行き、海と呼ばれるものを一望する。


 私が初めて意識を覚醒させた翌日、初めて見た川。あの時も、水面が光を反射して煌めいていたな。

 今回の海は別段透明感のある液体と言うわけでは無いので、水の中が見えるわけでは無い。


 それでも。

 それでも、視界いっぱいに広がる水面が日の光を反射して煌めく光景は、あの時見た光景に勝るとも劣らない感動を私に与えてくれた。


 なんと広大な事だろう。遥か彼方昔、人間達は海の先は崖になっていると考えていた者達もいたそうだが、そう思ってしまっても無理はない光景だ。

 なにせ、私の視界に映る水平線の先には、何も確認出来ないのだから。


 勿論、今でも海の先は崖である、などという者は既にいない。この地が星であり、球の形状をしている事も証明されているからだ。何より、五大神がこの星は球状をしている事を認めているからな。

 信仰心が厚い人間達は、それだけでも十分信用する理由になるのだ。


 話がそれてしまったが、とにかく私はこの目に映る海の景色にとても感動している事は間違いない。

 なにせ、まったく変化のない景色、と言うわけでも無いのだから。


 海中の魚が海面から飛び出す事がある。どうやら他の自分よりも大きな魚に襲われていたらしい。

 体長50㎝ほどの、銀色の魚だ。脂が乗っていて、とても美味そうだな。他の魚が食べたくなるのも当然か。今日の食事にも、あの魚は出て来るのだろうか?


 大型の魚の追跡から逃れ、一命をとりとめたかに見えた魚だったが、彼に悲劇が襲い掛かる。

 魚を狙っていたのは、海の中の生物だけでは無かったのだ。


 白い体に黒い翼を持った体長1mほどの海鳥が、海面から飛び出た魚目がけて急降下していったのだ。

 見事海鳥は自分の嘴に魚を捕らえ、魚を自分の住処へと連れ去ってしまった。


 魚が飛び出た場所からやや離れた場所には、船が確認できる。大きさからして、乗員は3名と言ったところか。

 ああ、なるほど。沖まで出て釣りを楽しんでいたようだ。釣り上げた魚を仲間に見せて喜んでいる男性の姿が確認できた。


 また別の場所、おおよぞ500㎞ほど離れた場所では、先程の船とは比較にならないほど巨大で頑丈な船が、隊列を組んでこの国の陸に向けて進んでいる。進行方向からして、この町が目的地では無いな。


 おそらくは、別大陸のから来た船なのだろう。所属までは分からないが、かなりの規模だ。きっとた大陸の製品を大量に積み込んでいるに違いない。


 あのペースだと陸に到着するのは2日後、と言ったところか。あの船団がこの国に到着する場面を、是非とも見てみたいな。


 何処に停泊するのだろう?シェザンヌに聞けば分かるだろうか?


 「シェザンヌ、あそこにある船団、この国に進路を進めていると思うのだけど、どの街に入港するか分かる?」

 「は?え?船団?すみませんが、どの辺りでしょうか…?」


 そうか、シェザンヌの視力では船団を確認できないのか。


 「ああ、ゴメンゴメン、ちょっと遠すぎるか。貴女に『遠見ディスタビュー』を掛けるから、それで判断してもらえる?武装されているわけでは無いから、軍艦では無いと思うよ?」


 シェザンヌに対して『遠見』を掛け、船団を確認してもらえば、すぐに答えが出てきた。


 「おお、態々ありがとうございます。あれは…オルディナン大陸の海洋国家・スーレーンの船団ですね。交易船の団体ですから、確かにこの国に進路を向けているのは間違いありません。彼等は港街・モーダンに停泊する筈です」

 「港街・モーダン…。今日明日はこの町で過ごすとして、次はその街に行ってみようと思うよ」


 船の停泊先を知ったからとすぐにこの町から私が出て行かない事で、シェザンヌは少し機嫌を良くしたようだ。


 案内を頼んだと言うのにすぐにお役御免となってしまえば、この町に魅力が無いと言っているようなものになってしまうからな。


 当然、そんな事は決してない。今私が見ているこの景色も素晴らしいのは勿論だし、この場所から見下ろせる町の景観にも、一見の価値がある。

 今はまだ午前中のため明かりが灯されていないが、町の至る所に街灯が設置されているのだ。

 日が沈み、アレ等の街灯に明かりが灯された時、この場所から見る景色は、きっと私の眼を楽しませてくれるに違いない。


 シェザンヌに確認すれば、日が沈んだ後もこの場所に訪れる事は可能らしい。夕食を食べ終わったら、再びここに訪れて夜の景色を楽しませてもらおう。


 この町の魅力はそれだけではない。

 この場所からでも、既に見えているのだ。興味深い商品を扱っている露店が、町全体に50件近く建ち並んでいるのが。一通り見てみないわけにはいかないだろう。


 私がこの町を出るのはその後だ。シェザンヌには騎士としての職務がある中悪いが、2日間私の案内をしてもらおう。彼女もそれを望んでいるようだからな。


 「ノア様ならば時間を掛けずにモーダンに到着できてしまうでしょうね…。それにしても、よくあれほど離れた場所の船を見つけられましたね」

 「視力の良さには、自信があるんだ。さて、退屈をさせてしまうけれど、昼食の時間までここに居てもいいかな?何せここから見る景色、なかなかに見ていて飽きなくてね?」

 「勿論です。午前11時45分になったらお伝えしますので、それまでの間、ごゆっくりお楽しみください」


 との事なので、じっくりと景色を楽しむためにも、『我地也ガジヤ』でこの場に椅子を儲けて、座って海を見据える。


 時間を忘れ、気のすむまでここから見る光景を楽しませてもらうとしよう。



 空から燦々さんさんと降り注ぐ日光に反射して、宝石の様に煌めく、何処までも続く青い水面。それを鏡に写したように真っ青な雲一つない青空。その空を、思うままに飛びまわり、今か今かと魚が飛び出る瞬間を待ち構える海鳥。魚を釣り上げ喜ぶ釣り人がいれば、逆にあと一息で逃げられてしまい、悔しがる釣り人もいる。


 ずっと同じような光景が目に入り続けているが、そのどれもが同じではない光景だ。目に見える全てが愛おしく、何時までも見ていられる。


 ふと、体が揺れる感覚を覚えた。なかなかいい力加減だ。もう少しゆっくりと揺らしてくれたら、暖かな日の光の心地良さも相まってそのまま眠ってしまうかもしれなかった。


 だが、私の体を揺らすこの感覚は、意識をそちらに向けて欲しい、と言う願いが感じられる。

 振り返ってみれば、申し訳なさそうな表情をしたシェザンヌが、私の肩を揺さぶっていた。


 「その…ノア様、お昼の時間を過ぎているのですが…」

 「ん?ああ、そうだったの?ごめん、ここから見える景色に夢中になっていたみたいだ」

 「い、いえ!お楽しみいただけたようで何よりで御座います!我々としても、大変素晴らしいものを見せていただきました!」


 はて?シェザンヌ達にとって良いものを見られた?私がここで海を見る事で?


 そういえば、私がこの場で海を眺め始めた時には、私の周りにも観光客がいた筈だが、今は誰もいないな。

 少し離れた場所、私の真後ろ以外に人が集まっているように見える。


 中にはキャメラを抱えている者や今の今までキャンバスに絵画を描いていたであろう男性もいるな。先程はいなかったはずだが…。


 ふむ。キャメラはまぁ、新聞の記事に使用するためなのは分かる。

 では、絵画は?


 「ソレ、何を描いていたのか、見せてもらってもいいかな?」

 「は!はいぃ!ぜ、是非、ご覧くださいませぇ!!」


 良いと言われたのでキャンバスに回り込んで覗いてみると、愛おしそうに海を眺めている私の姿が描かれていた。

 完成度は非常に高いと言っていい。私の頭髪や鱗の光沢を、見事に表現出来ている。私が先程まで取っていた姿勢もそのままである。


 私は、知らない内に絵画の題材にされていたようだ。

 この絵画、どうするつもりなのだろう。家の皆が喜びそうな作品だし、良ければ譲ってもらえると嬉しいのだが。


 「とても上手く書けているね。コレは、売りに出すのかな?」

 「あ、ああありがとうございますっ!!こ、ここコこちらの作品は来月の美術コンテストに出品する予定で御座います!!」


 美術コンテスト。なるほど。それはまた興味深いな。来月に開かれると言うのなら、是非ともそのコンテストに出品される品の数々をこの目に収めたい。


 「詳しく教えてもらえる?」

 「は、はい!!美術コンテストはこの国の王都アクアンにて開催されます!参加は自由!コンテストに出品する作品の出品期限は2週間後!出品された作品の展示場には入場料こそありますが、それ以外は特に制限はありません!」


 なるほど。実に良いな。出品期限が2週間後ならば、私にも作品を提出できる余裕がある筈だ。私も何か制作して、出品してみるのも良いかもしれないな。


 そうだ。出品物に決まりはあるのだろうか?


 「いいえ!美術品と判断されるものならば、どのようなものでも出品出来ます!それ故に、この時期は世界中から様々な美術品が、他大陸からモーダンに届けられるのです!」

 「おそらく、ノア様が先程確認したあの船団にも、出品予定の作品が複数積み込まれているかと」


 シェザンヌが補足の説明をしてくれる。

 良いじゃないか、アクレイン王国。コンテストによって世界中から数多くの美術品が集まるのなら、芸術の発展した国と言えるだろう。


 それは即ち、この国に多数の芸術家がいる事を示している筈だ。現にこうして一人の画家が私の絵画を描いていたのだからな。


 ともなれば、ファングダム以上に多くの美術品を目にする事になるだろう。

 いや、そもそも美術品を展示するための大きな美術館も、この国には複数あるのかもしれない!

 コレは、長い時間この国に滞在する事になるかもしれないな!


 そうなると、早いところ"魔獣の牙"を排除してしまいたくなったな!

 そうして憂いなくこの国を堪能したい。


 海鮮物。他大陸の製品、美術品、この国特有の文化、見たいものが山ほどある。

 何だかんだで、私はこの国で初めて純粋に旅行を楽しめるかもしれないな!


 事情も分かった事だし、そろそろ昼食としよう。宿もまだ決めていなかったから、シェザンヌに案内してもらわないとな。

 私に付き合わせてしまった事で、彼女も昼食は未だだろうし、彼女には見返りを用意してあげないと。


 「それじゃあシェザンヌ、そろそろこの場を離れようか。昼食にしたいと思うのだけど、この町に昼食を取れる宿はある?出来れば宿泊手続きも行ってしまいたい」

 「承知しました。それでは、ご案内いたします」


 どうやら昼食を取れる宿があるらしい。ティゼム王国では昼食のとれる宿が無かったように思えるのだが、その辺りは文化の違い、という事なのだろうか?


 私が知らないだけなのかもしれないし、その辺りは再びティゼム王国を訪れた時にでも調べれば良い事だろう。今はこの町の料理だ!



 シェザンヌに案内された宿は、平民が宿泊可能でかつ世間一般で高級宿と呼ばれる類の宿だった。

 新聞で私がこれまでどのような宿に宿泊して来たか把握していたからだろう。今までと同じ感覚で宿泊できるようにと、シェザンヌから私への気遣いが感じられる。


 手早くチェックインを済ませると、私達はシェザンヌの勧めで食事が出来るテラスへと移動した。この宿は海の景色を眺めながら食事を楽しめる事で、観光客から人気が高いのだとか。

 しかも料理には新鮮な魚介を使用しているため、味も良いと評判の宿である。


 やはり、宿選びは地元を良く知る者に訊ねるに限るな!おかげで存分に昼食を楽しめそうだ!



 運ばれてきた料理は、新鮮な生魚を綺麗に切りそろえた刺身と呼ばれる料理に始まり、シンプルに塩焼きにした魚や、高熱の蒸気によって蒸した魚が提供された。


 注文した料理は魚だけではない。貝類と呼ばれる強固な貝殻の中に柔らかな身を蓄えた軟体生物も注文させてもらった。生の物と網焼きと呼ばれる調理方法で加熱された物、2種類ずつである。


 並べられた料理を見て、若干シェザンヌが顔を引きつらせている。

 彼女が注文した料理は焼き魚だけだったわけだが、私が注文した料理の中に、シェザンヌが好まない料理があったのだろうか?


 どうやら違うらしい。


 「その…聞きしに勝る健啖ぶりですね…。それらが全て、一度の食事で収まってしまうのですか?」

 「うん。悲しい事に、私は今まで満腹感を得た事が無くてね。美味い料理なら誇張なくいくらでも食べられるよ」

 「それはまた、とても羨ましい話ですね…」


 やはり人間としては美味いものを好きなだけ食べられる私の体質は非常に羨ましいようだ。

 シェザンヌから、オリヴィエと同じような強い羨望と、僅かな妬みを感じ取れた。


 ただ、私に向けられた感情は、私が思っているような味覚を満たす事へのものではなく、体形が変わる心配が無いという点を羨み、妬んでいるようなのだ。


 やはり女性と言うのは、太ってしまう事を種族共通で忌避すべき事と認識しているようだな。

 騎士として日々体を鍛えているシェザンヌすら、太ってしまう事を懸念している。


 まぁ、羨ましがられたところで、私は自分の行動を他者に合わせるつもりは無いのだが。食べたいのだから、食べる。それでいいでは無いだろうか?


 非常に味わい深い宿の料理に舌鼓を打っていると、私の様子を心配そうにシェザンヌが訊ねて来た。


 「その、こう言っては非常に失礼でしょうけど、ノア様、それだけ食べた後だと、お通じの方は大丈夫なのでしょうか…?」


 お通じ?ええっと、確か便通、つまり排泄の事か。

 そうだな。基本的に生物は食べたら食べた分だけ排泄する。それは大半の魔物でも変わらない。


 私も自身の魔力を抑えるために食べた物を魔力に変換する力を抑えた後は、定期的に排泄するのかと思っていた。

 だが、結局今までで排泄行為をした事は一度もない。


 この事を説明したら、もしかしたら先程以上に羨ましがられてしまうだろうな。

 とは言え、質問にはちゃんと答えなければ。


 「私の場合は飲食物を摂取すると、すぐに魔力に変換されてしまうみたいだからね。そのおかげで太らないし、排泄行為も今まで一度もした事が無いんだ」

 「んなぁ…っ!?」


 やはり盛大に驚かせてしまったか。そして羨ましがられると同時に、強い妬みの感情を向けられてしまった。

 シェザンヌにとっては、体形が変わる事よりも排泄の必要が無い事の方が羨ましいならしい。


 多分だが、やろうと思えば人間も摂取した飲食物を魔力に変換できるとは思うが、多分効率が悪いだろうなぁ…。



 一応シェザンヌに方法を教えたら非常に有り難がられたが、時間が掛かるうえに変換した魔力よりも消費した魔力の方が多かったため、非効率極まりなかった。

 これでは排泄を必要としない生活を送るのは難しいだろう。


 「無意識下で手早く行えないと実用的では無いだろうね…」

 「くっ…非常に、非常に可能性を感じる技術なのに…っ!」

 「まぁ、技術の問題だからね。時間を掛けて研鑽を重ねて行けば、いずれは効率が黒字になるんじゃないかな?」

 「そうですね…。この秘術、是非とも完成させて後世に伝え広めたいと思います!」


 シェザンヌは排泄の必要が無い生活を私が思っていた以上に渇望していたようだ。後世に伝え広めようとまで考えているとは…。

 とても大変だとは思うが、胸の内で応援はしよう。


 さて、食事も済んだ事だし、今度は町の中を本格的に案内してもらおう!

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