第228話 『色彩の魔弾』

 ほどなくして絵画は完成した。流石に部屋の壁いっぱいまでともなると、その大きさはかなり大きく、幅は10m、高さは5mにも及ぶサイズだ。以前色鉛筆で描いた絵画よりもずっと時間は掛かったが、満足のいく出来だと思っている。


 「どうかな。これだけ広いスペースがあると流石に時間が掛かってしまったのだけど、退屈では無かった?」


 まぁ、私が絵を描いている最中も全員から視線を感じてはいたので退屈はさせていなかったと信じたいところだな。

 私がこの絵画を描き上げるまで2時間程の時間を要したはずなのだが、その間7人とも特に会話をしている様子は無かった。


 会話が無いだけで溜息の様な称賛と感嘆の声はわりかし聞こえてきてはいたが。

 それだけ私の絵を描く様子を楽しんでくれたという事だろう。では、肝心の絵の内容に対する評価はどうだろうか?


 「「……っ!」」

 「はわぁあ……おっきぃ…。」

 「素敵ね…。自分の姿が描かれてることがどうでも良いって思えるぐらいには、素敵な絵よ…。」

 「正直に白状しますと、ネフィー母様が国宝にすると言い出した時はご乱心されたかと思ったのですが…。これは、認めざるを得ないのかもしれません…。」

 「やはり、私の判断は間違っていませんでした…。これこそ、至高にして究極…。誰もが国宝として認める作品です…。」


 べた褒めだな。レオナルドとレオンハルトは絶句してしまっているし、リナーシェやオリヴィエまでもが高い評価を出している。

 と言うかオリヴィエ、何気に今酷い事を言ってなかったか?幸いに当のネフィアスナは気にした様子はないようだが。


 皆の反応を見ていると、レーネリアが此方まで歩いて来た。

 私に何か伝えたいらしい。


 と思ったら彼女の方から私に抱きついてきた。私は他人を抱きしめる事は結構多いが、抱きしめられるのはあまりないから、新鮮な気分だ。


 レーネリアからとても強い感謝の気持ちが伝わってくる。


 「ありがとう、ノアちゃん。私今、とっても幸せを感じているわ。リヴィエの友達になってくれて、この国に来てくれてありがとう。ノアちゃんにはいくらお礼を言っても言い足りないわ。」

 「こちらこそ、だよ。レーネリアが用意してくれた画材が無ければこの絵は出来上がらなかった。何かを作る時はいつも楽しく作らせてもらっているけど、改めて形あるものを作るという事がとても甲斐がある事だと知れたよ。それはレーネリアのおかげだ。ありがとう。」


 正直、この絵を描き上げている間、私は無我夢中になっていた。とても楽しかったのだ。頭の中に思い描いた光景が、目の前に形になっていくのが、とても楽しく、そして嬉しかった。


 これまでも形あるものを作ってきた事はあったが、大抵がそれほど時間を掛けずに完成してしまうため、強い達成感を感じた事は無かったのだ。


 勿論、初めて水路を作った時や初めての寝床を時間を掛けて均した時、家の周りの広場を平らに均したり私の家を作った時や初めての寝具を作った時だって、それなり以上の時間を掛けたため、達成感を得られた。


 ただ、何と言えば良いのだろうか。あの時得られた達成感とはまた違った感じがするのだ。


 "楽園"で私が行った事も今回の絵画も、どちらも時間を掛けて真剣に作ったものである事は間違いない。だからもしかしたら、どちらの達成感も根本的な部分では同じ物なのかもしれない。


 それでも、私には今得ている達成感と"楽園"で得た達成感は別物だと思っている。この違いは何なのだろうか?


 少し自分の行動を振り返って、理由を考えてみる。


 ああ、そうか。今私が得ている達成感は、完成した作品に対してだけでなく、私に向けられた感謝の気持ちに対しても達成感を覚えているのか。甲斐がある、というやつだな。


 一人では得る事の出来ない達成感だ。とても心地いい。

 この気持ちを教えてくれたレーネリアに、いや、ここにいる全員に私からも感謝の気持ちを送りたい気分だ。



 レーネリアが私から離れていくと、今度はネフィアスナが私の元へ来た。


 「ノア様。正しく国宝と呼べる素晴らしい絵画をありがとうございます。此方の絵画には到底及ばないでしょうが、このネフィアスナ=セク=ファングダム。全身全霊を掛けてノア様の御姿を描かせていただきます。」


 そうか。彼女もこの場で私の姿を描くらしい。以前カインの肖像画を描いた時もかなり短時間で描き上げていたからな。可能なのだろう。


 そうだ。全身全霊で書いてくれると言うのだ。此方も相応の格好をさせてもらうとしよう。


 「ネフィアスナ。その前に、私も相応の姿に描いてもらうために相応しい衣装を着たいのだけど、良いかな?」

 「まぁ!是非!是非ともお願いします!ノア様がそこまで言うほどの衣装、とても期待が膨らみます!」


 着替える許可を得たので、『影幕シャドウカーテン』を展開して手早く着替える。私が着替える服はフウカが製作してくれた最高傑作『黒龍の姫君様へ』だ。


 人間にこの衣装を着て見せたのは、今のところ制作者であるフウカと、ついうっかり見せてしまったティゼミアの門番であるマーサの2人だけだ。どんな反応をされるか、少々気になっている。


 大丈夫。ここにいるのは皆王族だ。多少驚かれはするかもしれないが、フウカのように鼻血を噴き出して倒れたり、マーサのように意識を失ってしまうほど驚くという事は無い筈だ。


 『影幕』を解除して着替えた姿を披露する。


 「お待たせ。この姿で描いてもらうよ。」


 いかに王族とは言え、無反応ではいられなかったらしい。流石にあの時の2人ほどでは無いが、全員見事なまでに驚愕してしまっている。


 「ええぇ…。ノアちゃん…。ソレ、ヤバイわぁ…。ノアちゃんを知らない人に見せたら、導魂神様だって言われても通用しちゃうわよぉ…?まぁ、ノアちゃんを知らない人なんてほとんどいないでしょうけど…。」

 「『姫君』どころではなく女神と見られても何ら不思議ではないでしょうね。私も今のノア殿には神々しさを感じずにはいられません・・・。」

 「こ、これほどの衣装を、ノア様はお持ちになっていたのですね…。とてもお似合いですが、一体いつの間に…誰の手によって…。」


 そうだった。オリヴィエにはこの服の事は話していなかったな。まぁ、話す必要も無かったからなのだが、彼女はこの衣装を知らなかった事に、若干悔しさを感じているようだ。


 後レオンハルトもレーネリアも、間違っても私を神だなんて言わないでくれ。色々と人間達の反応を許容できるようにはなったが、それだけはやはり否定させてもらいたい。


 他の者達の反応は皆絶句してしまっていて、驚愕しているのは分かるがどういった感想を持っているのかは分からない。


 ああ、立ち直ったネフィアスナが私の手を取り出したな。今の彼女の瞳には非常に強い熱意が宿っている。


 「お願いします!今のノア様の御姿、ノア様にお渡しする物とは別にもう一枚描かせてください!!」

 「同じ物を?自分達用に?」

 「はいっ!」


 …ううむ。どう答えたらいいものか。間違いなく、もう一枚の方は国宝認定されるんだろうなぁ…。

 ああ、それで合っているようだ。そもそも先程ネフィアスナが私の絵を描くと言った時にオリヴィエ達がそんな話をしていたじゃないか。


 「素晴らしいわ!今日だけで国宝が2つも増えるのね!?今日は最高の日だわ!」

 「今のノアをネフィアスナが描いた姿絵が我が国に…。これは、警備を厳重にしなければな。」

 「あの、まだノア様がご了承していないのですが…。」


 オリヴィエはそう言ってくれているが、この空気で今更断れるものでも無いだろう。ここで駄目だという事は簡単ではあるが、描きたいものを描ける能力があるのにそれを禁止されると言うのは、非常に大きなストレスとなる。


 子供を宿しているネフィアスナに、そんな真似が出来るわけが無いだろう。それに私の事は周知の事実なのだ。

 城に私の姿絵が飾られる?今更だな。新聞に私の姿が記載され、それが大勢の人間の目に映るるのと何が違うと言うのだ。


 ほんの少しのむず痒さはあるが、了承しよう。その方がネフィアスナのモチベーションも挙がりそうだしな。どうせなら最高のものを仕上げてもらおう。


 「いいよ。一枚と言わず、好きなだけ、思うままに描くと良いさ。まぁ、国宝にするのは流石に1枚にして欲しいかな?」

 「好きなだけっ!!?あ、ありがとうございますっ!必ずや、最高の作品を仕上げて国宝にしてみせます!」


 無理に国宝にするつもりは無いのだが…。なってしまうんだろうなぁ…。身ごもっている身でもあるのだし、無理はしないように忠告しておこう。


 「ネフィアスナ。今の貴女はお腹に子供を宿している身なんだ。あまり無理はしないでね?」


 以前ネフィアスナがカインの肖像画を描いた時でさえ息を切らしていたのだ。全身全霊ともなれば下手をすれば生命に影響が出る可能性もある。

 最悪私が彼女の生命力を強化するなどしてサポートすればいいのだろうが、それではネフィアスナが納得しない気がする。とにかく、細心の注意を払うとしよう。


 「お気遣いありがとうございます。ですが、ご心配には及びません。私も、そしてお腹に宿るこの子も、ファングダムの名を持つ者。乗り越えて見せます。」


 ああ、そうか。ネフィアスナは、と言うかオリヴィエ以外はまだ彼女の胎内に宿っている命が双子である事に気が付いていないのか。


 いい機会だから教えてしまおうか?オリヴィエに相談だな。『通話』を用いて内密確認を取るとしよう。



 教えて良いそうだ。と言うか、オリヴィエは自分で伝えるつもりは無かったので、確認を取らなくてもよかったと言ってきた。


 そうかもしれないが確認は大事である。確認を怠った事で後々厄介な事になると言うケースは沢山あるのだ。

 前例のある人間や神を私は知っている事だしな。なんだったら、私自身が確認を取らない事で他者に迷惑をかけた事もある。


 オリヴィエには煩わしい思いをさせてしまうかもしれないが、今後も確認は細々と取らせてもらう。その点は我慢してもらうとしよう。


 「ネフィアスナ。"この子"、と言うのは、少し表現が違うよ。」

 「え?どういう事でしょうか。」

 「貴女のお腹に宿っている命は、2つ。双子なんだ。」

 「っ!?」

 「なんだってぇーーーっ!?」


 私の申告に対してネフィアスナよりもレオナルドの方が驚いてしまっている。当然、驚いているのは二人だけではない。


 オリヴィエとカイン以外の者は皆驚いているのだ。そのオリヴィエも平然としていては不審がられるためか、両手を口に当てて驚いた素振をしている。


 レーネリアは嬉しさのあまり涙を流すし、レオンハルトは早速自分を慕う二人の幼い子供達の姿を想像しているのか、ややだらしのない顔をしている。彼は今後、オリヴィエを含めた兄弟達を盛大に甘やかすつもりのようだ。


 リナーシェは家族が予定より多く増える事に喜んでいるようだ。

 ただ、子供が生まれるころには自分は既にニスマ王国へと嫁いでいるためか、やや残念そうにはしている。


 ただ一人、カインだけは状況を飲み込めていないようだ。そんな末の弟を見て、リナーシェが力強く、それでいて優しく抱きしめる。


 「リーナねえさま?」

 「カインッ!凄いわっ!アナタ、いきなり弟か妹が2人も出来るのよ!?」

 「ふたり…。それならぼく、がんばってにいさまみたいな、かっこいいにいさまにならないと…っ!」


 カインにとっては自分の兄は正真正銘憧れの、理想の兄なのだろうな。

 それに対して、今までの自分を参考にして欲しくは無さそうにレオンハルトが困り顔をしている。

 羨望のまなざしを向けている可愛い弟に自分のようになるな、とは流石に言えないのだろう。


 ならば彼がやるべき事は一つ、カインが憧れる兄であり続ければいい。

 その上でしっかりと弟や産れてくる子供達を、そしてオリヴィエを可愛がればいいだけの事だ。難しいし、大変な事かもしれないが。今の彼ならば大丈夫だろう。


 思わぬところで衝撃の事実を受けたネフィアスナではあったが、全身全霊を持って私の姿絵を描く事に変更はないようだ。

 こと絵画に関しては強い矜持があるのだろう。ならば、私は彼女と彼女の胎内にいる子供達に危険が無いように配慮するまでである。



 ネフィアスナが帆布を取り付けた巨大な板、キャンバスを『格納』から出現させる。大きさとしては1m×2m。私の体が容易に収まってしまう大きさだ。

 等身大の大きさの私の姿絵を描くつもりなのだろう。どのようなものが出来上がるのか、そしてどのようにして描くのか、非常に楽しみである。


 セットされたキャンバスの前に立ち、キャンバスに対して一礼し、続いてこれからネフィアスナの制作を見守る家族達に礼を、そしてモデルとなる私に体を向けて、先の2つの礼以上に丁寧な礼をした後、恭しく開始の合図を告げる。


 「それではノア様。これよりノア様の御姿を描かせていただきます。」


 恭しく宣言するネフィアスナの手に画材は無い。それどころか絵具もパレットも無い。一体どのように絵を描くのだろうか?


 疑問に思っていると、ネフィアスナの魔力が増幅され、彼女の周囲にいくつもの球状の液体が生成されていく。その液体の正体は油を含んだ塗料だ。これは、間違いなく魔法による現象だな。

 彼女は、魔法を用いて絵画を描くのだ。


 「『色彩の魔弾パレット・バレット』による魔法描写、とくとご照覧ください!」


 高らかに宣言すると同時に浮遊させている球体からそれぞれ小さな塗料の礫が射出されていく。


 『色彩の魔弾』、か。生み出された塗料も、それを射出する動作も、魔法によってなされている物なのだろう。

 詳しくは分からないが、元々は魔力塊を自分の周囲に浮遊させ、その魔力塊から魔力の礫、もしくはボルトを射出する魔法だったと思われる。


 そんな魔法をネフィアスナが改変したのか、それとも生まれた時からあの状態だったかは分からないが、とにかく彼女は自分の魔法を絵を描く事に特化したものへと昇華したらしい。


 ネフィアスナの腕が振るわれるとともに球体も移動している。射出の角度を変える事で塗料が着弾した際の形状も変わる。

 そうやって細かく球体の位置を調整制する事で一見乱雑に塗料を当てているようにしか見えない動作でも、キャンバスには徐々に形となってネフィアスナが思い描いた光景が作り上げられているのだ。


 ネフィアスナの動きが一層激しくなる。腕を振るうだけでなく、体を捻り、回転し、あの動きは、そう、私がフルルで音楽というものを体験して体を動かしていた時の動きに近い。


 舞、という動作がある。思うままに体を動かし表現をする芸の一種だ。踊りとも言う。この動作は何も人間特有のものではない。動物の中には番を選ぶ判断基準として、この舞、もしくは踊りで優れた相手を判断する者もいるぐらいだ。

 それだけ、舞と言う動作は生物の表現方法としては有効な方法なのだ。


 今のネフィアスナの姿は、まるでその舞を踊っているように可憐で美しかった。これはレオナルドが惚れたと言っても無理はないだろう。

 元々彼女は美しい女性ではあるが、それに加えて美しい舞を踊り、しかもその舞が終わる頃には至高の絵画が完成しているとなれば、彼女の価値はそれこそ人類の宝と呼べるほどのものがある。


 レーネリアが芸術と言うわけだ。

 ネフィアスナは自分の制作方法は私のそれとは比べるべくもなく劣っていると言っていたが、むしろ私の方こそ彼女の制作方法に及ばないのではないかと考えている。


 それほどまでに、私の目に映る光景は素晴らしいものだった。


 見ればネフィアスナは玉のような汗を流し、息も上がってきている。あの制作方法は非常に体力も魔力も消耗が激しいのだろう。

 治癒魔術でも施して体力だけでも回復させようかと想ったのだが、それは隣に来ていたオリヴィエに手を握られて止められた。


 「ノア様。大丈夫です。ネフィー母様を信じましょう…。」


 良く決断したものだ。オリヴィエは私の手を、これでもかと言うほど強く握っている。実際にはネフィアスナの体力と魔力が持つかどうか不安で仕方が無いのである。


 だが、それでもオリヴィエは私がネフィアスナを回復させる事を拒んだ。彼女は理解しているのだ。ああいった制作方法は外部からの干渉が加わると急激に調子が狂ってしまう事に。


 仮に私が堪え切れずにネフィアスナの体力を回復させた場合、彼女はリズムを狂わせてしまい、完成しかけている絵画が、瞬く間にただ塗料をぶちまけただけの作品未満の失敗作になってしまいかねないのだ。


 あれだけ絵を描く事に情熱を注いでいる人物に対して、それは誇りを、尊厳をこれでもかと汚し、破壊するようなあまりにも下衆な行為だ。心苦しいが、ネフィアスナを信じるしかない。



 そうして1時間が経過した。

 大量の汗を流し、息も絶え絶えとなりながらも、ついにネフィアスナは無事絵画を完成させた。勿論、彼女がその身に宿している子供達も無事だ。


 まったく、ハラハラさせてくれるものだ。ここまで誰かの無事を願ったのは初めてな気がするぞ。

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