第221話 思い描く理想

 今回の私の目的をリナーシェに説明すると、彼女はそれなり以上のショックを受けたのか、意気消沈してテーブルに突っ伏してしまっている。


 「ゔぁあああ~~~…。私だってさぁ、もっとあの子と話がしたいなぁ~って思ってたのよ?でもあの子が13才になる頃には、色んな行事に出るは父様の仕事は手伝うはで、話そうにも忙しそうで声が掛けられなかったのよぉ~…。」

 「まぁ、だからこそ私の立場を使って少し強引に話をする機会を設けさせてもらう、と言うわけさ。」


 リナーシェには家族一同揃って会話をしてもらう事を伝えはしたが、その際オリヴィエが他の家族をどう思っているかは伝えていない。ただ、会話をする必要があると伝えただけだ。


 リナーシェからは意外にも不安の感情が見て取れる。


 「オリヴィエにどう思われているか、気になる?」

 「当たり前でしょー。私はあの子の事すっごく可愛くて良くできた自慢の妹だと思ってるけど、あの子からどう思われてるかは分かんないんだもの。おまけに私は自分の好きな事ばっかりやって国の行事やら仕事やらは全然関与してないし…。そのことで嫌われてたら、ちょっと立ち直れそうにないわぁ…。」

 「分かるよ。」


 思った以上にリナーシェは繊細な心の持ち主だったようだ。だが、その気持ちは分からなくもない。

 私だって親しみを持っている相手から嫌われてしまうのは心苦しいからな。仲良くなった相手には、極力嫌われたくはない。


 まぁ、リナーシェは不安そうにしてはいるが、実際のところはオリヴィエはオリヴィエでかなりリナーシェの事を慕っているし、姉として尊敬しているようだ。

 これはもしかしなくても、変装を解いた時の反応だけでなく色々な意味で面白い反応が見られるかもしれないな。


 今でさえ、オリヴィエの気持ちを知って心から安堵するリナーシェの様子が目に浮かぶのだ。

 それだけじゃない。話し合うのはオリヴィエとその他の家族と言う形ではなく、全員と対等に会話を行うのだ。思いもよらぬ意見を耳にする事が出来るかもしれない。


 いかんな。だんだん家族会議の時が少し楽しみなってきてしまった。

 今回計画している家族会議は、オリヴィエの心を救う事が目的であり、私の娯楽では無いのだ。余計な雑念は持たないようにしなければ。


 それはそれとして、だ。時刻は既に午後7時を回っていると言うのに、リナーシェは私と会話を続けている。当然、夕食は取っていない。口にしたのは私が用意したフルーツタルトとカンナが用意してくれた紅茶とクッキーぐらいだ。


 「ところでリナーシェ、お腹空かないの?」

 「んぅえ?おなかぁ?…そう言えばお腹空いたわね…。え?ちょっと待って、今何時なの?」

 「午後7時18分で御座います。お夕食を終えていないのは、既に姫様だけかと。」


 時間を訊ねられたので答えようかと思ったら、すかさずカンナが知らせてくれる。

 この部屋の時計は少なくともカンナの視界に入る場所には無いので、彼女自身が時計を持っている可能性が高いな。それとも、私と同様、体感で時間を把握できるのだろうか? 


 時間を教えられたリナーシェが慌てて体を起こす。まだまだ夕食の時間では無かったと思っていたのだろう。そもそも、手合わせに1時間も時間が掛かったと思っていなさそうだ。


 「うっそでしょっ!?だって私、ノアと手合わせした後、軽くオリヴィエの事を話してただけなのよ!?私が訓練場に行ってから3時間も経ってたって言うの!?」

 「その通りで御座います。手合わせにおおよそ1時間、オリヴィエ様への思いを語り継ぐ事2時間で御座います。楽しい時間はあっという間に過ぎ去ってしまうと言うのは、本当のようですね?」


 カンナがやや皮肉を込めてリナーシェがこれまで掛けた時間を説明する。流石に3時間も直立させられては、鬱憤も溜まってしまうというものだ。皮肉を言うのも仕方が無いのかもしれない。 


 にしても、あれほど長々と語っていたオリヴィエ語りがまさかリナーシェにとっては軽い説明だったとは。本腰を入れての説明だったらどれほど時間が掛かっていたのだろうな。


 「ふぐぅう~~~…。カンナが冷たい~~~…。」

 「姫様。ノア様は先程ノア様が仰られたように、レーネリア様やネフィアスナ様、そしてカイン様とも会話をなさりたいのです。姫様だけに時間を割く事は出来なかったのですよ?それだと言うのに、手合わせは始めてしまうし、食事も忘れて2時間も長々と同じような事を話し続けるし…。」

 「ゴメンってばぁ~。そんなにきつく言わなくたっていいじゃないのよぉ。」


 ああ、これは間違いなく鬱憤が溜まっているな。そもそも、カンナは私の案内のために私に付いてくれたのだ。一時的とはいえ仕えている相手が3時間も拘束されてしまっては、流石にストレスを抱いてしまうようだ。


 「リナーシェ、夕食を食べて来ると良いよ。私はそろそろ他の王族の所に行くとしよう。ちょうど、他の者達は夕食を終えているようだしね。」

 「そうね、そうするわ。ノア、また会いましょ。少なくとも、皆で話をする時には会えるのよね?」

 「ああ。オリヴィエの付き添いとしてね。」

 「慕われてるわねぇ。羨ましいわ。」

 

 私としてもオリヴィエは自慢の友人だ。羨まれて、悪い気はしない。が、それは私としても同じ事だ。

 近い内に他国へ嫁いでしまう以上あまり一緒に居られる時間はあまり無いだろうが、家族会議が終わる頃には、きっと誰が見ても仲が良いと思われる姉妹になっている筈だ。


 「リナーシェだってきっと慕われているさ。貴女の収めた武術の練度は、本当に素晴らしかった。」

 「ありがと。じゃ、また今度ね。」


 リナーシェの私室を出て、そこで私達は別れる。彼女はこれから食事を取りに行くそうだが、一人で食べる事になるのだろうか?


 「そうかもしれませんね。ですが、珍しい事ではありません。」


 食事と言うのは、家族そろってするものと記憶しているのだが、まさかリナーシェは、家族と疎遠だったりするのか?


 だが、カンナの言葉には呆れの感情が含まれている。先程の二人のやり取りから考えて、二人の仲は決して悪い物では無い筈だ。だとしたら、リナーシェが一人で食事を取る理由は…。


 「ええ。自業自得です。リナーシェ様は夢中になる事があると、食事や入浴、就寝の時間も忘れて熱中してしまう悪癖があるのです。例えば新しい武技の開発だったり、気に入った小説を読みふけっていたり、今回の様に長々とオリヴィエ様の事を私達使用人に語る事も、珍しい事では無いのです。」


 それで[慣れている]、と言っていたのか。つまり、カンナからしてみれば先程のオリヴィエ語りは何度も耳にしている内容だったのだな。

 それは…辟易もするし鬱憤も溜まるだろう。むしろよく耐えられたな。忠誠心の賜物なのだろうか?


 「困った方であるのはその通りなのですが、だからと言って嫌悪しているわけではありませんから…。苛烈な方ですが、お可愛いところもあるのですよ?」

 「そうだね。突然の拍手と歓声に驚いた時の仕草なんかは可愛らしかった。」

 「流石に御座います。やはりノア様は良く分かっていらっしゃいます。」


 私とカンナの感性はかなり近いものがあるのかもしれないな。立場や場所に囚われていなければ、固く握手を交わしていたかもしれない。


 そうだな。少し思いついた事あるので、カンナに意見を求めてみよう。


 移動しながら『収納』から紙と板、炭素の棒を取り出し、今しがた頭に思い描いたた内容を描きこんでいく。


 「ノア様?一体、何を…。」

 「ん。もう少し待ってて……。良し、出来た。カンナ、コレの率直な感想を聞かせてもらって良い?」

 「絵画、ですか?私、絵にはあまり理解が無いのですが…。…っ!?」


 移動しながら絵を描き始めたため不審に思われてしまったが、描かずにはいられなかったのだ。創作意欲が抑えられなかった。


 出来上がった絵を見たカンナの反応は、やや大げさなものだった。


 「ふっぐぅ…っ!こ、これは…!私達が夢見た…!ああ、これぞ理想郷…っ!」

 「カンナ、鼻血、鼻血。」


 興奮しすぎて鼻血を噴き出してしまっている。幸い、私が描いた絵には鼻血は付いていない。

 カンナが咄嗟に私に絵を返却したからだ。絶対にこの絵を汚すまいという、強い意思を感じ取れた。


 私が描いてカンナに見せた絵。それは、オリヴィエとリナーシェが互いに笑い合って談笑している絵だ。

 二人の屈託のない笑顔を見た事があるので、それを参考にして私が思う、二人の理想の姿を描いてみたのだ。我ながら、上手く書けたと思っている。


 ただこの絵、リナーシェはともかく、オリヴィエに見せる事は出来なさそうだ。

 彼女は自分の姿を描かれる事をあまり歓迎してくれない。強い羞恥を抱いてしまうのだ。

 それ故に、以前彼女の尻尾をブラッシングするための櫛に、彼女の姿絵を描こうとしたら全力で止められてしまったのは、記憶に新しい。


 とにかく、カンナの反応を見る限り、やはり私とカンナの感性は近しいものだと見て間違いないだろう。少なくとも、オリヴィエとリナーシェには仲良くしていてもらいたいと思っている。


 そしてカンナは"私達"と口にしていた。それはつまり、彼女以外にも同じ思想を持つ者が城内にいるという事だろう。


 床に『清浄』を施し、自分の鼻に治癒魔術を施しながらカンナは一つの提案を私にしてきた。


 「ノア様。今しがた描いていただいた絵画、是非ともレーネリア様とネフィアスナ様にもお見せしていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」

 「構わないよ。なんなら、全員が揃って笑っている絵を描こうか?」

 「っ!?!?」


 先程からカンナの反応が愉快な事になっている。私が全員が揃って幸せそうにしている絵を描いてみると言ったら、まるで全身に電気が走ったかのように仰け反って固まってしまったのだ。


 「そ、そんな…!?それは最早…国宝になるのでは…!?」

 「いくら何でも大げさすぎない?」


 確かに一部の国には国宝となっている絵画があったりするが、いくら何でも色を付けていない、白黒の絵画に国宝は無いだろう。それに、一般的な標準の紙に描いた小さな絵画に、だ。

 私の影響力を加味したとしても、国宝にすると言う判断は、大分カンナの個人的な思想が入っている気がする。


 それはそれとして、カンナは私が描いた絵をレーネリアやネフィアスナにも見せたいそうだ。だとしたら、姉妹が仲良くなることを望んでいるのは、その二人も同じという事のようだな。


 これは朗報だ。つまり、二人ともオリヴィエに対して悪感情を抱いていないと考えてほぼ間違い無い事が決まったようなものである。

 後はまだ3才のカインの意見だな。オリヴィエとの接点が非常に少ないため、どのように思われているかまるで想像がつかない。

 そして接点が少ないという事は、例え悪感情を持たれていたとしても、これからいくらでも改善していく事ができる筈だ。いいぞ。此方の問題にも、希望が明確に見えてきた。



 明確に見えて来た希望に気分を良くしていると、どうやらネフィアスナの部屋に到着したらしい。


 扉の前でカンナがノックをして用件を伝える。


 「ネフィアスナ様。『黒龍の姫君』ノア様がお目見えになっています。ご入室してもよろしいでしょうか?」

 「ええ、あの人から話は聞いているわ。鍵は開いているから、入ってきてもらってちょうだい。」


 部屋からは三人分の気配がある。一つは30代後半の女性。一つは20代の女性、そして幼い子供の気配だ。20代の女性は身籠っていて、彼女の胎内からは2つの命を感じ取る事が出来る。オリヴィエの『夢見』の魔法通り、双子を宿しているようだ。


 声を返してくれたのは30代の女性の方だ。多分だが、正妻であるレーネリアだろう。レオナルドから、私が話をしたいという事を聞いていたようだ。


 「失礼いたします。」

 「失礼するよ。初めまして。"上級ベテラン"冒険者のノアだよ。」


 この自己紹介、これ以外に説明のしようが無いとは言え、流石に何度も同じ自己紹介をしていると飽きて来るな。もう少しひねりを加えた方が良いのだろうか?


 だが、だからと言って称号で名乗るつもりは無い。自分で自分を『姫君』などとは言いたくないからな。


 入室して自己紹介をすれば、獅子の因子を持つレーネリアはややはしゃぎ気味に、狼の因子を持つネフィアスナは、やや緊張した面持ちで返答してくれた。


 ネフィアスナの子供であるカインはと言うと、私を視界に入れた途端、口を広げて放心してしまっている。何かショックを受けてしまったのだろうか?ちなみに、カインも母親同様、獣人として宿した獣の因子は狼だ。


 「まぁ!新聞で見たのよりもずっと綺麗!話には聞いてたけど、本当に虹色に輝いているのね!ああ、ごめんなさい。この国の王妃を務めています、レーネリア=ウィグ=ファングダムです。子供達がお世話になりました。」

 「お初にお目にかかります。ネフィアスナ=セク=ファングダムです。よろしくお願いしますね。それと、この子は私の息子、カインです。カイン、ノア様にご挨拶しましょう?」

 「ほぁぁ………。」


 ネフィアスナに促されても、カインは放心したままである。この子は余程、私に対して衝撃を受けたらしい。その衝撃が否定的な者でなければ良いのだが。


 カインの放心してしまった様子を見て、レーネリアがだらしのない表情でカインの頬を人差し指で優しくつつく。


 「あらら~、カインもやっぱり男の子ねぇ~。綺麗なお姉さんを見て、見惚れちゃったみたいねぇ。ふふふっ、可愛いわぁ~。」

 「レーネさん、笑っている場合では無いですよ。ホラ、カイン、会いたがっていたノア様ですよ?ご挨拶しましょう?」


 レーネリアもネフィアスナも、カインの事は愛して止まないようだな。二人とも心底息子が可愛いようだ。

 カインの事をだらしのない表情で見つめているレーネリアは勿論の事、ネフィアスナも優しくカインの肩を揺すっている。


 「はひゃっ!?…あっ!?ああ…っ!うぅ…っ!」


 流石に外部からの干渉で意識を取り戻したようだ。ただ、私の事を直視は出来ず、顔を真っ赤にさせたうえで俯いてしまっている。照れているのだろうか?


 「きゃ~っ!!かぁんわぅぃい~~~っ!大丈夫よ、カイン!ノアお姉さんは優しいお姉さんだから、怖くないわよ!」

 「レーネさんったら、もう…。」


 レーネリアにとっては、まだ幼いカインは可愛くて仕方が無いらしい。それにしたってはしゃぎ過ぎな気もするが。

 実母である筈のネフィアスナの方が落ち着いている。


 このままでは埒が明かないので、私の方から動くとしよう。


 カインの傍まで行き、体を屈めて目線をカインに合わせる。私の目はじっとりと睨むような形状をしているから、極力、柔らかい表情を作ってだ。


 「貴方の名前、私に教えてくれるかな?」

 「ひゅぁ…っ!?」


 視線を合わせてカインに名前を訊ねると、彼はまじまじと私の顔を見て尚の事顔を赤くしてしまった。


 だが、それでも目線を合わせて優しく訊ねたのは、功を成したようだ。


 「ぼ、ボぼぼくは、かいん、せぐ、ふぁんぐだむ、でふゅ・・・っ!」

 「んぐぅ…っ!」

 「…ん゛ぅっ!」


 恥ずかしそうにしながらも懸命に自己紹介をする姿に、二人の母親は理性の許容量を超えてしまったらしい。

 レーネリアは激しく仰け反って両手で目を押さえているし、ネフィアスナは胸を押さえて蹲ってしまっている。

 確かにカインの容姿は庇護欲をそそる可愛らしい見た目をしているし、幼い子供が真剣に物事を成そうとする姿は、それだけで感銘を受けるものがあるが、それにしたって、二人とも大げさすぎないか?


 とにかく、しっかりと挨拶は出来たのだ。頑張ったのだから、頭を撫でて褒めてあげないとな。私の撫でテクを披露しようじゃないか。


 力加減を間違えないように細心の注意を払い、優しくカインの頭を撫でる。柔らかくサラサラな頭髪がなかなかに心地いい。


 「ちゃんと挨拶が出来て偉いよ。よろしくね。」

 「っ!?!?…きゅう…。」


 頭を撫でながらカインを褒めついでに警戒心を解くために優しく微笑んだら、今まで以上に顔を赤くして、遂には意識を手放してしまった。


 やり過ぎてしまったらしい。どうやら、私のとった行動は、幼い少年には刺激が強すぎたらしい。


 「あっ…その、なんて言ったらいいのか…ごめん。」

 「いいの。いいのよ…!すっごく良い…!照れて倒れちゃうカインすっごく良い!可愛いっ!!」

 「はふぅ…っ!すみません…っ!少々失礼します…っ!」


 レーネリアよ。いくら可愛いからと言って、失神するほどまで興奮状態になっているのに悶えているのはどうかと思うぞ?

 そしてネフィアスナなのだが、辛抱堪らないと言った表情で奥の部屋へと駆け込んでしまった。此方は此方でどうしたと言うのやら。


 ここはやはりこういった状況になれていると思われているカンナに助けを求めよう。彼女は先程から一切慌てておらず、非常に落ち着いているのだ。


 「いつもの事でございます。それと、ネフィアスナ様に関しては御心配なく。とても素晴らしいものを見せていただけますよ?」


 コレが、この光景がいつもの事なのか。ひょっとしなくても、ファングダムの王族に仕えている使用人って苦労人が多いんじゃないのか?


 そしてネフィアスナが奥の部屋へと駆け込んだのもいつもの事らしい。その事に関してはカンナも嬉しそうにしている。


 彼女がとても素晴らしいものと言うほどのものなのだ。期待して待つとしよう。

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