第213話 悲願の時、来る
私達が宿泊していた宿、"銀板の中の三角亭"へと足を運び、宿泊期間を延長の手続きをするついでに、宿の従業員や部屋が無事を確認しておいた。
『
尤も、実際に私がこの宿を利用したわけではない。利用したとしたら、この宿で提供された食事ぐらいだ。他のスイートルームの設備の体験は、幻を通してのものである。しかも、ベッドの寝心地は経験出来てすらいない。
だが、それでも体験自体は出来ていたし、今後も実際に体験したいと思わせるだけの心地良さだったのだ。今後もよろしく頼むという意味も込めて、声を掛けさせてもらった。
結局のところ、宿の状態は問題無く平時と同じように運営可能な状態だった。ほとんど被害が無かったのである。
それと言うのも、この宿に宿泊していた客に高位の冒険者が何人か宿泊していたため、自分の寝床と食事処を守るために必死になって宿を防衛してくれていたのだ。
非常に有り難い事だ。おかげで私達も問題無く宿の設備を利用できるし、別の宿を探す手間が省けた。
宿泊期間の延長手続きを滞りなく終わらせた後、私達は迷わず魔術具研究所へと足を運んだ。
何度も足を通わせているので、あの施設が強固な作りをしているのは理解しているが、この場所にも魔物の襲撃はあったのだ。重傷者はいないようだが、軽傷者はそれなりに出ている。
所員達も戦闘に参加していたらしく、消耗して入り口の周りに息を切らして座り込んでいる者達も、何人か見受けられた。
彼等に治癒魔術を施しながら、労いの言葉を掛けるとしよう。
「お疲れさま。今回は災難だったね。無事なようでなによりだよ。」
「お、お疲れ様です!あの、『姫君』様?今この辺り一帯に治癒魔術が発動しているようですが…。」
「ああ、貴方達が消耗しているようだったからね。この辺り一帯に施させてもらったよ。そろそろアレが完成しそうだったからね。こんな事で足止めを食らっていたらもどかしいだろう?」
ここ数日間は魔石製造機に関わる問題がトントン拍子に解決されていったため、職員達が皆、食事も忘れてしまうほどに研究に没頭するほどだったのだ。
消耗して座り込んでいる彼等からは強いもどかしさを感じられた。
「あ、ありがとうございます!いや、もうホント、完成を間近にしてこんな形で足止めを食らうとは思っても見ませんでしたよ!」
「ついに、ついに我々の念願が叶う時が来たと思うと、本当に感無量と言う気がしますよ…!」
「『姫君』様、それに聖女様も!地下へどうぞ!所長が御二人のご来訪を心待ちにしていますよ!」
治癒魔術によって体力が回復した事によって、彼等も普段通りに戻ったようだ。
「研究所に、地下に被害は出たかな?」
「いえ!この国の明日を担う技術が眠っているわけですからね!死に物狂いで守り切りましたよ!」
「所長なんて昔愛用していたグレートソードを持ち出して、若い頃の姿を思い出させる勢いでしたからね!」
リオリオンの若い頃と言えば、ファングダムの領土開拓のために、様々な辺境へと向かい、そこで人間達の生活圏を確保するために幾度となく死線を潜り抜けてきたという逸話がある。
今でこそリオリオンは、魔術具を爆発させる事に余念がない趣味好きの老人だが、若かりし頃は得物であるグレートソードから"グレートファング"の異名を持つほどの武人だったのだ。
「正に獅子奮迅の活躍ぶりでしたね!子供の頃に憧れていた"グレートファング"の戦いが、目の前で繰り広げられていましたからね…!いい歳をして思わず舞い上がってしまいましたよ!」
と、こんな感じで人気があるのだ。
それと言うのも、リオリオンも王族と言うだけあってか、見目が良いのだ。新聞に載っていた彼の姿絵は同年代の異性ならば、さぞ魅力的に映る容姿だった筈だ。
容姿に優れ、勇猛果敢に戦い、国民に益を齎してくれる王族ともなれば、人気が出ないわけが無いのだ。
実際のところ、騒動の最中は『広域探知』を使用し続けていたので、ある程度の状況は把握しているのである。
「それは私も見てみたかったな。」
「ははは!いくら所長が凄いと言っても、流石に『姫君』様には及びませよ!それに、所長が戦わなければならない状況にはなって欲しくないというのが私達の本音ですね。」
それはそうだな。政治に関わっていないとは言え、リオリオンは立場のある人物だ。命の危険にさらされるような状況は避けたいのは当然だ。
では、そろそろそんなリオリオンの様子を見に行くとしようか。彼は現在所長室にいるようだ。
所長室に入り、辺りを見ても、リオリオンの姿は無かった。彼がいるのはどうやら寝室のようだ。うつぶせになってベッドに横たわっている。腰でも痛めてしまったのだろうか?
寝室に入る前に声を掛けさせてもらおう。
「リオリオン、来たよ。入っても良いかな?」
「おおぅ!来てくれたか!構わん!入ってくれぃ!」
「失礼しますね?」
寝室に入ってみると、そこには下着のみを身に付けた筋骨隆々の老人がベッドに横たわっていた。右腕で腰の部分を抑えている。
やはり彼は腰を痛めてしまったようだ。腕で押さえられていて分かり辛いが、彼の腰には薬を浸した湿布が貼ってある。
が、初心なオリヴィエには半裸の男性の姿は刺激が強すぎたらしい。
「お、大叔父様!?なんて格好をしてらっしゃるんですか!?」
「あ、ああ、いや、違うんだ!コレはだな…!うぐおぅっ!?」
顔を真っ赤にさせて、リオリオンが半裸の姿で私達を出迎えた事を咎めている。だが、あの状態では仕方が無いだろうな。
見たところ、彼の体に張られた湿布は腰だけでなく、足や腕などにも張られているようだ。その中でも特に痛めているのが腰の部分、という事だろう。
オリヴィエを説得しようと体を起こしてしまったため、腰に余計な負荷が掛かってしまったようだ。身体をのけぞらせて悶絶してしまっている。
「お、おごおおおおお…。」
「リビア。今のリオリオンはさっきの戦闘でかなり無理をしてしまったようだ。今は体の至る所に湿布を張って養生中のようだよ?」
「で、ですが…だからと言って女性を招く格好では…。」
レオンハルトも言っていたが、オリヴィエは潔癖なところがある。後、多分男性に対してあまり免疫が無い。
事情があろうとも、異性の前ではしっかりとした服装をするべきだと考えているのだろうな。
概ね同意出来る考えではあるが、例外はあっても良いと思っている。
と言うか、研究所のために全盛期の力を引き出して戦ったというのに、その結果姪孫からさげすまれるというのでは、流石にリオリオンが気の毒だ。早いところ治療してあげよう
「リビア。リオリオンを治療するから、寝室の外で待っていてくれる?すぐに終わるから。」
「うぅ…。分かりました…。大叔父様、治療が終わったらすぐに衣服を身に纏ってくださいね?あまりノア様の前でその姿でいたら、訴えますよ?」
「う、うむ…。…つー訳だ。ノア、治療を頼むわ。」
「ああ、すぐに終わらせよう。」
オリヴィエが退室したのを確認してからリオリオンに治癒魔術を施す。が、普段の様に一瞬で治すような事はしない。少しは老人を労わらないとな。
「お、おおおおおぉ~~…。こ、こいつぁ至福だぁ~…。何て言うんだ?こう、例えを上げるなら、風呂上がりに全身を丁寧に優しくマッサージされてるような感覚だなぁ…。しかもしっかりと痛みが引いていってやがる…。」
「私なりの労いだよ。ここを守るために、かなり奮闘したそうじゃないか。」
私がリオリオンに施しているのは、実際にマッサージのようなものである。
全身のコリをほぐし、損傷した筋肉繊維をゆっくりと丁寧に修復しているのだ。
高度な治癒魔術を患部に施した場合、一瞬で痛みや苦しみが取り除かれる。
本来ならばその方が喜ばれるとは思うのだが、徐々に痛みや苦しみが引いていく感覚というのは、えもいえぬ快感を齎すのだと本で読んだ事がある。
何でも、自分が回復している、正常な状態に戻って行くという自覚が持て、その感覚に多幸感を覚えるのだと言う。
皆が皆そうでは無いとは思う。だが、実際のところ結果だけが齎される現象と、結果に至るまでの過程を理解できる現象とでは、説得力があるのは後者だと思う。
ほどなくして治療が終わると、非常に艶々とした表情のリオリオンが服を着ながら感謝の言葉を述べてきた。
「いやぁ、ホントにありがとな!体のどの部分を動かすのにも痛みが走っちまってよぉ!やっぱ、ジジイがしゃしゃり出てくるもんじゃねぇなぁ!俺も若いころはグレートソードとタワーシールドを片手に持ってブイブイ言わせてたんだがなぁ…。」
「でも、貴方が戦ってくれなかったら、ここも無事とは限らなかったんだろう?所員達は貴方に感謝していたみたいだよ?」
「かぁーっ!若ぇ連中が、だらしねぇこと言ってんなぁ!もちっと年寄りに楽させろってんだ!」
口では悪態をついてはいるが、その表情は満足気であり、若干恥ずかしそうにもしている。つまるところ、この悪態は照れ隠しというやつだな。
職員達の中に、今も"グレートファング"と呼ばれたリオリオンのファンがいる事を、彼は知っているのだろうか?
まぁ、一々聞く必要は無いな。それに、リオリオンの戦いぶりを見て、職員達は一層彼を慕うようになったみたいだしな。
「着替えも終ったみたいだし、そろそろ行こうか。あまり時間を掛けていると、リビアが何て言いだすか、分からないからね。」
「だな。ん?ノアもオリヴィエから説教受けた事あんのか?」
「その話はまた後で。」
ここでその話をしてしまうと、時間を食ってしまうからな。確実にオリヴィエからの説教を受ける事になってしまう。
彼女の説教に興味があるのなら、一通りやるべき事を終わらせてからだな。
寝室を出た私達を迎えたのはやや不満げな表情をしているオリヴィエだった。
治療はすぐに終わると彼女には伝えていたため、時間が掛かり過ぎだと感じたのだろう。
しっかりと説明して、機嫌を戻してもらおう。
この研究所の設備と職員を守るためにリオリオンが奮闘した事、それ故に体の至る場所を痛めてしまったがゆえに碌に体を動かせずベッドに横になっていた事、体の各部位に湿布を貼って安静にしていたため、あのような形で私達を出迎えた事を説明し、彼の奮闘に報いるために、普段よりも快適な治療を提供しようと思い丁寧な治療を施していた事を説明した。
要は、時間が掛かったのは私なりの誠意を示したのが理由である。リオリオンに非は無いのだ。
特にやましい点も無かったためか、何とかオリヴィエは納得してくれた。
正直、治療に掛ける時間よりもオリヴィエを説得する方が時間が掛かってしまったような気がする。
まぁいい。これでようやく私達がここに来た本来の目的を果たせる。
魔石製造機の完成と試用試験だ。既にそれぞれの部品自体は完成させてあるようで、後は組み立てるばかりと言ったところか。
どれ、力仕事と言うのであれば、私も協力させてもらおうか。
「いえいえ!ここは我等にお任せを!」
「『姫君』様の叡智の一端をお借りしたとはいえ、ここまですべて自分達の手で作り上げてきたのです!どうか、最後まで私達の事を信じ、見届けてください!」
「そうか、そうだね。出過ぎた真似だった。済まない、私が短慮だったよ。」
「い、いえ!お、お気持ちは大変ありがたく存じますっ!」
流石に今のは自分で言っていて無いな。
今私がやろうとした事は、必死になって頑張って何かを成し遂げようとした時に、仕上げの段階になってようやく現れ、大した苦労も無く成果を享受しようとする行為にも等しい。
自分で言っていて、かなり度し難い行為だな。私とした事が、人間達の歴史の変革に携われた事に浮かれてしまっていたらしい。
幸い、リオリオンを含めた職員達からは悪感情を感じていない。だが、不満を覚えられても仕方の無い行為であった事は肝に銘じておこう。
時間にして7時間が経過していた。既に昼を過ぎているというのに、ここにいる全員が食事を取る事も忘れて魔石製造機の組み立てに夢中になっている。
私は勿論だが、オリヴィエも魔石製造機の完成が待ち遠しかったのだ。
私とオリヴィエもただ様子を見ていたわけではない。
私は組み立て作業をしている職員に危険はないか目を光らせ、オリヴィエは組み立て箇所に不備が無いかをリオリオンと共にチェックしていたのだ。
早朝から国の存亡を懸けた一大事に見舞われたというのに、私達を含めた魔術具研究所の一同の頭は、魔石製造機の事でいっぱいになっていたのだ。
「もうすぐだ…。これで、この国は本当の意味で自立が出来る…。」
「所長…。」
オリヴィエの傍で感慨深そうにリオリオンが小さく呟いた。彼は、オリヴィエよりも早くに、この国の財源が金に頼り過ぎていると感じていたのだろう。
この魔石製造機の研究も、彼が研究所の所長になる前から進めていたらしい。
人工的に魔石を作る。その発想に至ったきっかけは、まだ彼が現役の軍人として戦いに明け暮れていた時まで遡る。
人間達の生活圏を広げるため、兵を率いて強力な力を持った大型の魔物と戦っていた時の事である。
その魔物の強さは"一等星"冒険者の
犠牲を出しながらも少しづつ、確実に傷を与え、再生を阻害し、着実に魔物を追い詰めた時、それは起きたのだ。
その魔物はドラゴンでは無かったが、ドラゴンの様にブレスを吐く事の出来る魔物だった。それも、威力を凝縮させた弾丸タイプのブレスだ。
追い詰められた魔物は、相打ち覚悟でありったけの圧力を込め、リオリオン達に向けてブレスを発射した。
残った精鋭達と共に死力を尽くしてそのブレスに耐えていた時、リオリオンは確かに見たのだ。ブレスの中心に精製された、極小の魔石の存在を。
リオリオンがこの国の財源が金に頼り過ぎている事に気付いたのは、彼が軍を退役してしばらくしてからの事である。
金が採掘できなくなった時のために、ファングダムの新たな財源を探し求めていた時、ふと、過去の記憶を思い出したのだ。
魔石は、膨大な量の魔力に強力な圧力をかける事で出来上がる。
その仮説を立てた後の彼の行動は早かった。
その時から彼は寝る間も食べる間も惜しんで書庫に引きこもったかと思えば、魔術具好きの兄であるレオリオン二世も巻き込んで魔術具の勉強にいそしんだ。
レオリオン二世も、この国の現状を正しく理解していた。そして魔術具好きとしてこれ幸いにとばかりに弟の誘いに飛び乗ったのだ。
結果、元から魔術具好きだった二人は、一部では魔術具狂いと言われてしまうまでにその魅力に取りつかれ、魔術具の研究に心血を注いだのである。
レオリオン二世に至っては二年ほど前にピリカが広めたマギモデルにすっかりと魅了されてしまい、ずっと屋敷に引きこもってしまっているほどである。
それもこれも、元はと言えばこの国を真の意味で救うためだ。先王兄弟は、本当にこの国が好きなんだと思う。
その過程で、少々趣味が行き過ぎた方向へ向かってしまったのは否めないが。
とにかく、彼の長年の思いが、今、成就されようとしているのである。感慨深くなるのも無理はないな。
組み立て開始から9時間。ようやく魔石製造機の組み立てが完了した。
後は、想定通りに魔石が生成されるかどうかの確認だ。
リオリオンが改良した魔力集積具を私に差し出す。以前のものよりも少々小型化し、更に大容量を集積出来るようになっている。完全上位互換である。
「てなわけでノア、また頼めるか?」
「勿論。…はい、溜まったよ。どうぞ。」
「「「「「おおおおおーーーっ!!」」」」」
「…いや、ホント、お前さんの魔力量はどうなってんだよ…。まぁ、ありがたいのは間違い無ぇんだけどな…。」
人間達からすれば大幅な改良ではあるが、私からすれば誤差の範囲である。魔力を込める時間は以前と全く変わっていない。
一瞬で魔力が込められた事に他の職員達が歓声を上げている。
その歓声は称賛の声だろうか?それともこれから魔石製造機の試運転が行える事への期待によるものだろうか?
人によって込められた感情がバラバラのため、分かり辛い。
とにもかくにも、これで準備は整った。いよいよ人工魔石を生成する時である。
所員達は勿論、オリヴィエやリオリオンの表情からも、期待の他に不安と緊張が見て取れる。
大丈夫。何だかんだで一から十まで、私が監修していたようなものなんだ。きっと上手くいくさ。
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