第212話 聖女の微笑

 私が解決すべき問題の中で最も懸念していたオリヴィエとレオンハルトの関係がほぼ解決された状態となった。

 後は本人同士で腹を割って話をすれば仲直りできるだろう。

 一つ懸念があるとすれば、オリヴィエはある意味では恐ろしい人物である事は間違いないという事だ。

 何せ自分よりも身体能力で遥かに上回り、年齢もずっと年上のリオリオンに対して歯に衣着せぬ正論をまるでドラゴンブレスの様に語り続け、言葉だけで頭を下げさせるほどなのだ。


 もしかしたら、レオンハルトはこの先非常に苦労する事になるかもしれないな。彼の言った通り、オリヴィエには潔癖なところがある。しかも非常に優秀だ。

 仮に不正を行おうとしてしまえば、すぐさま見抜かれてしまうだろう。


 だがまぁ、流石に裁くまでの事はしない筈だ。懇々とキツイ説教を続けられて肩身の狭い思いをする事にはなるだろうがな。


 レオンハルトにとってはある意味辛いかもしれないが、彼の様子を見る限りは大丈夫だろう。オリヴィエが真実を知ったら、そもそも意地でも不正をさせないように兄を補佐しようとするだろうしな。


 「さて、ジョッシュの周りも少しだけ落ち着いて来たことだし、そろそろ皆の所へ向かうとしようか。皆もきっと喜ぶよ。」

 「そうだな。それで、結局のところその騒ぎは一体何なのだ?そなたから説明を受けていないのだが。」


 むぅ…。意外としつこいな。上手くはぐらかす事が出来たと思っていたのだが、レオンハルトは何故教会の内外でここまで大きな歓声が沸き上がっているのか気になって仕方が無いらしい。


 「どうしても私の口からききたいのなら答えるけど、すぐに分かるよ?」

 「そうかもしれんな。だが、情報というものは可能な限り早く入手しておきたい。あまり民達に格好の悪い所を見られたくないのでな。教えてくれると言うのであれば教えてもらいたい。」


 意外にもグイグイ来るじゃないか。事実を知って驚く姿を教会に集まっている人達に見られたくないらしい。レオンハルトは結構我を通すタイプのようだ。


 「まぁ、そうまで知りたいのなら応えるよ。この騒ぎはリビアがルグナツァリオから寵愛を与えられたのに加え、私がキュピレキュピヌの寵愛を新たに与えられたのが原因だよ。」

 「なんと…!?となると、ジョッシュ殿が…?」

 「うん。貴方は意識を失っていたから知らないだろうけど、私達を目にした時の表情と言うか、興奮ぶりは、本当に凄まじかったよ。」

 「な、なるほど……しかし、二柱の寵愛とは…。民がこれほどの歓声を上げるわけだな。そして、そなたのその輝きも…なるほど…通りで…。」


 なにやら色々と勝手に納得してくれたようである。それほどまでに神々からの寵愛というものは人間達にとって大きな意味合いを持つのだろう。



 レオンハルトには悪いが、一度横たわらせている幻と重なってもらい、今目が覚めた事にしてもらった。

 その際、本物の私の姿を目にして驚いていたが、彼には幻だと説明しておいた。

 ただしどちらが本物かは伝えていない。だが、彼ならばおそらく都合の良いように捉えてくれるだろう。つまり、民衆の声に応えている本物の私を幻と認識してくれると思っている。


 レオンハルトと会話をしている間、私とオリヴィエは二人そろって教会に集まった民衆の声援に応えて手を振るなり顔を見せるなりの行為をしていた。

 ただそれだけである。実質動いていないのと同じだ。単調な動きしかしていなかったので、レオンハルトとしても紅茶を淹れたり細かい動作を行っていた幻の方を本物と勘違いしてくれたと思うのだ。


 何せ、オリヴィエの隣に立つ私の事を訪ねられた際に短く[幻だよ]、と答えたらすぐに納得してくれたのだ。


 レオンハルトは信用のおける人物かもしれないが、それでも次期国王となる人物だ。安易に『幻実影ファンタマイマス』の情報を与えるのは拙い気がしたので、この情報もはぐらかす事にした。



 特に周囲に気付かれることも無くレオンハルトが教会の隅に横たわらせた幻と重なってくれたため、彼が目覚めた事を気付いた反応を取り、周囲に伝える事にした。

 この事はレオンハルトと打ち合わせ済みであるし、オリヴィエにも『通話』によって事前通達してある。彼から謝罪の言葉を送ってもらう事も含めてだ。


 「レオンハルト、目覚めたようだよ。」


 声に出して伝えれば、私の声を聞く事に目を閉じて意識を集中していたジョッシュがすぐさま反応した。


 「なんと…!そ、そういえば、レオンハルト殿下はどちらに!?」

 「ああ、それなら私が教会の隅に移動させておいたよ。あっち側。」


 そう言って彼が横たわっている場所を指差せば、今正しくレオンハルトが体を起こしている最中だった。幻は彼が重なった時点で消してある。


 彼の部下と思われる兵士達がレオンハルトの元まで駆け寄っていく。


 「で、殿下ぁあああーーっ!!」

 「よ、よくぞご無事でぇーーっ!!」

 「今日は…今日は何とめでたい日なんじゃあああっ!!」

 「む…うむ…。心配をかけたようだな。私はこの通り無事だ。ライーノ、状況を説明してくれ。私は今日は厄日だと思っているのだが、何を持ってめでたいと言っているのだ?」


 この国の人間達からすれば、この国で五大神から寵愛を与えられる事態が2件も発生した時点で大変めでたい事なのだろう。

 しかも一人は二つ目の寵愛であり、一人は聖女と謳われている人物なのだ。その直前が大量の魔物による街の襲撃のため、喜びも大きいのだろう。

 レオンハルトの部下達からしたら、それに加えて自分達が慕う者が無事に目覚めてくれたのだ。


 要するに、嬉しい事が立て続けに起きているので、彼等は今日がめでたい日だと言っているのだ。

 まぁ、気持ちは分からなくも無いが、私としてはレオンハルトの意見に賛成だな。今日は厄日である。


 いや、でも待てよ?ファングダムの出来事だけで考えたら確かに厄日かもしれないが、ルイーゼと和解出来て友達になれた事を考えたら、確かに私にとってもめでたい事だな…。

 うん、彼等には関係が無い事だが、私にとっては今日は文句無しにめでたい日だ。


 私がレオンハルトの方へと視線を向けて嬉しそうにしている姿が、オリヴィエにも映ったようだ。


 「ノア様、嬉しそうですね?」

 「ん?そうだね。嬉しいよ。色々あったけど、無事にこの国と貴女の問題を解決できそうだし、今日は私にとってめでたい日だと認識できたからね。」

 「そうなのですか?」


 そうなのだ。黙って頷かせてもらおう。一緒に家で暮らしてくれる家族が増え、新しい、自分と対等に接してくれるかけがえのない友達も出来た。これほど嬉しい事もそうないだろうからな。

 まぁ、新しい家族もかけがえのない友達も、簡単に口に出していい存在では無いのだろうけど。


 レオンハルトがライーノと呼んだ部下から事情を聞き終え、此方に向かって来る。

 オリヴィエの表情が少しこわばっているな。向こうは気付いていないとは言え、面と向かって久しぶりに会話をするのだ。緊張しているのだろう。


 ならば、私はオリヴィエに励ましの言葉を送るとしよう。


 「大丈夫。嫌われていないって、リビアも分かったんだろう?それに、彼はまだ貴女の事に気付いていないよ?」

 「は、はい…。そのようですね…。」

 「ひとまずは、貴女に伝言を押し付けた事を謝罪して来るだけだと思う。」

 「そういう事ですか…。分かりました。すぅー…はぁーっ。大丈夫です。受けて立って見せます!」


 深呼吸をして気合を入れている。準備は整ったようだ。ただ、レオンハルトとの会話は決闘じゃないんだから、もう少し気を楽にね?


 レオンハルトが私達の前まで来て、歩みを止める。一瞬だけオリヴィエの方へと視線を動かしたが、すぐにその視線は私の方へと向けられた。


 「そなたが『黒龍の姫君』ノア殿か。お初にお目にかかる。私はこの国の第一王子であり、王太子でもあるレオンハルト=ウィグ=ファングダムだ。」

 「初めまして。"上級ベテラン"冒険者のノアだよ。」


 一応私達は今初めて出会った事になっているからな。こういった初対面の挨拶を周知させる事は結構大事な事だと思う。


 「先程部下から事情を聞かせてもらった。二柱目の御寵愛を授かった事、お祝い申し上げよう。そして、この国の危機を退けるため、多大な貢献をしてくれたそうだな。この国の王太子として、礼を言わせてくれ。ありがとう!」

 「どういたしまして。聞いた話だと、かなりの重傷を負ったそうだけね?もう大丈夫なの?」


 この辺りは打ち合わせ通りだな。人々の前で起き上がってからの段取りというものを一通り決めておいたのだ。

 勿論、この後レオンハルトがどういった行動をとるのかも教えてもらっている。


 「問題無い。そちらの少女に虎の子のエリクシャーを使ってもらったようだからな。ノア殿。落ち着いたらそなた等を城へと招待したい。国王陛下から褒賞を授与されるだろう。受け取ってもらえるか?」

 「謹んで受け取ろう。まだしばらくこの国に滞在しているつもりだから、そちらの都合に合わせて呼んでもらえるかな?」


 と言うわけで、ティゼム王国に続き再び国の一大事を解決した事で国から報酬をもらう事が出来るとの事だ。

 まだティゼム王国でもらった報酬の金貨がほぼすべて残ってしまっているので、金貨を受け取る必要は無いのだが、くれると言うのだから遠慮なくいただこう。あって損する物でも無いし、行動を束縛される物でも無いからな。


 今後機会があれば盛大に使って人間社会に還元させてもらうとしよう。


 「承知した。ところで、そちらの少女、リビアと言ったか。」

 「は、はいっ!」


 気合を入れすぎてしまったからか、それとも久々に兄から声を掛けられたからか、オリヴィエの声が上擦ってしまっている。

 それが逆に素朴さを出したのか、レオンハルトはオリヴィエをオリヴィエと認識できていないようだ。


 「そなたのおかげで私は一命を取り留める事が出来た。心から感謝する。後日、そなたが使用してしまったエリクシャーは、私が責任を持って新しいものを用意するとしよう。」

 「は、はい!あ、ありがとうございます!」


 ガチガチだな、オリヴィエ。とは言え、私がここで口を挟むのも無粋だろう。思い思いに話をすると良い。


 そんな事を考えていたら、レオンハルトがおもむろに頭を下げてしまった。

 …王族と言うのは、そう簡単に頭を下げる者では無かったんじゃないのか?流石に周囲の者達も皆驚いてしまっているな。


 「お…!で、殿下っ!?」

 「それと、そなたには私の我儘を押し付けてしまったようだ。意識が朦朧としていたとは言え、勝手が過ぎた。済まなかった。私の思いは、私が直接伝えなければならない。そなたが聞いた伝言は忘れてくれ。」


 流石に周囲の目があるところで頭を下げられるとは思っていなかったのだろう。オリヴィエも一瞬[お兄様]と呼びそうになっていた。


 「承知しました。受け入れます。それでは王太子殿下、恐れながら私からも一言、発言をお許し願えますでしょうか。」

 「発言を許可しよう。言ってみてくれ。」

 「今後、安易に生きる事を諦める事が無いようにお願いします。貴方様はこの国の未来を背負っている方なのですから。」

 「む…!?」


 そうだった。オリヴィエがレオンハルトに対して怒った理由は妹に伝言を頼んだ事よりも、生きる事を諦めてしまった事に対してだった。

 その事に対する謝罪が無かったことに対して、不満を抱いていたという事か。オリヴィエとしては、兄には平穏無事でいてもらいたいのだろう。


 予想外の言葉にレオンハルトが少したじろいでしまっている。まさかそういった方向で注意を受けるとは思ってもいなかったのだろう。


 「わ、分かった。今後は安易に生きる事を諦めるような事はしない。自分の命を大切にしよう。これで良いか?」

 「はい。ご自愛くださいませ。」

 「っ!?」


 レオンハルトがオリヴィエの要求に応えた事で満足したのだろう。朗らかな笑みを彼に向けたのだ。

 その笑顔を見て、彼は何か思うところがあったらしい。両目を見開き、とても驚いた表情をしている。


 もしかして、バレたか?

 これ以上会話をさせるのは得策ではないかもしれないな。今はまだオリヴィエの正体については伏せておいた方が良いだろうからな。


 だが、少し遅かったのかもしれない。


 先程のオリヴィエの朗らかな笑みを見た周囲の者達が、彼女の笑顔に心を奪われてしまったのだ。



 「おぉ…なんと尊く、美しい…。」

 「正に聖女の微笑だ…。」

 「アレは授かるよ。授からない方がおかしいでしょ…。」

 「キャメラはっ!?今の撮影出来たっ!?出来たっ!!でかしたっ!!これで…!あぁーっ!!?どうするっ!?どっちを一面にすれば良いんだっ!?」

 「『姫君』様がしばらくこの国に滞在なさって下さるなら、聖女様も…?」

 「最っ高じゃん!俺、ファングダムに産れて良かったぁー!」

 「聖女様、これからも『姫君』様に付いて行くのかなぁ…?」



 ううむ。折角私の情報でオリヴィエの印象を薄くしていたのだが、無駄になってしまったか?だがまぁ、仕方が無いな。オリヴィエのあの笑顔を見てしまったら、誰もが見惚れてしまうだろうからな。


 皆が聖女と呼ぶ女性の正体が元からこの国で人気のあったオリヴィエだと知った時、彼女の人気はどれほどのものになるのだろうね?

 やはり、今の私の様に姿絵が高い価値を持つようになるのだろうか?多分、なるだろうな。それもあっという間に売り切れるほど人気が出そうだ。


 まぁ、私には必要ない。彼女の笑顔はしっかりと記憶に留めている。思い浮かべても良いし、何なら紙や木版、石板などに描いても良い。

 …紙はともかく、後者二つはオリヴィエから全力で止められそうな気がしないでもないが。


 「リビア、そなたは…。」

 「レオンハルト。聞きたい事はあるかもしれないが、そろそろ城に戻って無事である事を伝えた方が良いんじゃないかな?」


 やはりレオンハルトはオリヴィエに何かを感じ取ったようだ。オリヴィエに何かを確認しようとしたところで、彼には悪いが話を遮らせてもらった。


 「む、そ、そうか。そうだな。兵達は私に続け!これより街の状況を確認しながら城へと帰還する!」

 「「「「「ハハッ!」」」」」

 「では、二人とも、後日改めて会うとしよう。」


 半ば強引に私が話に割り込んだ事で、レオンハルトは私の思惑を感じ取ったようだな。それと同時にオリヴィエの事についても確証を得たのかもしれない。

 毅然とした振る舞いで部下に指示を出して足早に教会を後にした。


 さて、そろそろ私達もこの場を離れるとしよう。街の状況としては倒壊を免れた施設や住居の方が多いようだが、それでも被害がある事には変わりが無いのだ。


 「ジョッシュ、そろそろ私達も移動するよ。無事を確認したい物もあるからね。」

 「承知いたしました。我々教会がお力添えできる事があれば、何なりとお申し付けください。必ずやお役に立って見せます。」

 「それなら、基本的に今まで通りにしていてくれるとありがたいかな?急に讃えられたり崇められたりしても落ち着かないんだ。」

 「承知しました。教会の者達にはよく言って聞かせておきましょう。」

 「ありがとう。それじゃあ、失礼するよ。」


 別れの言葉を告げて教会を後にする。意外だったのは、私達を讃えていた周囲の人々は、ジョッシュが事情を説明してからというもの、必ず私達から一定の距離を取っていた、という事だ。

 私達が出入り口まで足を運べば、それに合わせて彼等は道を開けてくれたのだ。


 元よりレオンハルトが教会を出る際に道が開けていたという事もあるが、彼等は極力私達に迷惑を掛けないように気を遣ってくれているのかもしれないな。


 出入り口に向かって歩いていると、私に礼を述べられたジョッシュが感極まって暴走しかけている声が聞こえてきた。


 「おおおぉおお…!いと尊きノア様から感謝の言葉を送られるとは…!感無量だっ!!この多幸感何物にも代えがたいぃいいいっ!!」

 「はい、ジョッシュ様。お礼の言葉をいただけて良かったですねぇ。ちょっと興奮しすぎているようだし、部屋に戻って落ち着きましょうねぇ。」

 「落ち着けるようにとっておきのお茶を出しますからね。さ、行きましょうか。」


 アレは、またスメリン茶を飲ませる気だな。自分達の上司だというのに、遠慮がないものだ。だが、彼等の態度を見るに、そういった行為が許される関係ではあるようだな。

 こうして少し離れた距離で見る分には微笑ましいものだ。


 さて、私達が宿泊している宿は無事である。まぁ、レオスに来てから5日間の契約だったので、今日までではあったのだが。


 宿の更新手続きを行っておくとしよう。ヨームズオームに構いっぱなしで、本物の私はあの宿のスイートルームをまるで堪能出来ていないのだ。


 更新が済んだら魔術具研究所だな。リオリオンの無事を確認したら、いよいよ魔石製造機を完成させてしまうとしよう。

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