第209話 巫覡の瞳に映るもの
案内された個室は一般的な宿の部屋よりも広い部屋だった。ベッドも一つ設置されている。他にも生活用の家具が設置されているところを見るに、この部屋は客室と言うよりも、位の高い人物の私室と考えた方が良さそうだ。
かなり良い部屋だな。相当気を遣ってくれたのだろう。
これは十中八九、あの場にいた教会関係者や一部の兵士達には、オリヴィエの事がバレていると考えて良いだろう。
オリヴィエは先程の称賛の声をまだ受け止め切れていないようだ。顔を俯かせて恥ずかしそうにしている。
「何にせよ、無事で良かったよ。それに、私の知らないところでリビアの問題が少しだけ片付いてしまっていたみたいだしね。」
「あ、あれは…偶々と言いますか、運が良かったと言いますか…。」
自分の意思でレオンハルトに声を掛け、問い詰めたわけではなさそうだ。となると、レオンハルトの独白を耳にした、と言ったところか。
エリクシャーを使用するほどの重傷だったのだ。死を覚悟して、朦朧とした意識の中、思い残していた言葉を口にしたのかもしれないな。
それにしても思い切った事をしたものだ。王族ならば万一に備えてエリクシャーを所持していてもおかしくは無いだろうが、それでも簡単に手に入るものでは無い薬なのだ。
やはりオリヴィエ自身はレオンハルトを嫌ってはいないようだな。
「しかし、まさかエリクシャーを使ってしまうなんてね。ああいった霊薬は、万一のために身内から渡されたものだったりするんじゃないの?」
「ええ…お兄様も所持している筈なのですが、『格納』空間に保存していたうえに、殆ど意識が朦朧としていた状態だったため取り出す事が出来なかったので…。」
それは、所持しておく意味はあるのか?いざという時に使用できないのでは意味がないと思うのだが。それとも、自分用ではなく自分にとって大切な者に対して使用するためなのか。
「えっと、本来こういった非常事態の場合は、エリクシャーを信用できる者に所持させて、いざという時のために自分に使用させるのですが、お兄様は使用するまでも無いと考えていたようです。」
「魔物を迎え撃つ体制が整っていた事が裏目に出た…?そもそも、レオンハルトは結構な実力者なのだろう?彼はどうしてエリクシャーを使用しなければならないほどの負傷をしたのかな?」
レオンハルトの武力は指揮能力も含めて人間でも上位の強さだと認識している。
地上に出た魔物の強さならば彼が負傷する事は無いと思うのだが、何か予期せぬ事でもあったのだろうか?
「逃げ遅れ、襲われそうになっていた住民を庇った際に負傷し、その際に鎧に施された防護の魔術効果が消失してしまったのです。」
「街の住民は避難を終えていたんじゃなかったの?」
妙だな。事前に魔物が大量に発生している事が分かったから、魔物がレオスに到着するまでの間に避難を終えていたのだと思うのだが、そうも都合よく襲われそうになっている住民が、レオンハルトの目の前に現れるか?
その逃げ遅れた住民について尋ねてみれば、オリヴィエは表情を曇らせて首を左右に振った。まさか、助からなかったのか?
「お兄様に密着した状態で、爆発しました。」
「爆発っ!?」
「住民では、無かったのです…。元より、お兄様を亡き者にしようと企む者が住民を装い、自身もろとも…。」
なんてこった…。そこまでやるのか…。途轍もない執念だな。それほどまでにファングダムは恨みを買っていると言うのか?
「分かりません。国家間での戦争はここ200年の間では起きていませんし、ファングダム内で王侯貴族が恨まれるような事件があった、という事も今まで聞いた事がありません…。」
「となると、ファングダムに恨みがあるのではなく…?」
「世の中に混乱をもたらしたかったのかと。」
「国内の全ての都市で大量の魔物が同時に発生、世界の混乱を望む物なら、この状況に便乗しない手はないか…。」
「です…。」
テロリストの犯行とみて間違いないようだ。
だとすると、やはり"魔獣の牙"か?ヨームズオームによる国の崩壊が望めなくなったので、強硬手段に移ったか。
ちなみに、レオス以外の都市への連絡は冒険者ギルドや騎士達が通信用の魔術具で連絡を入れただけでなく、新聞を作製している例の超大型魔術具も使用して情報の伝達を行ったらしい。
そのおかげか、レオス以外の都市でも比較的対応が早くできたようで、レオスほどでは無いが被害を抑える事が出来た、との事だ。
今も街中で慌ただしくしている騎士や兵士、冒険者達からの会話から聞き取って分かった情報である。
それにしても、目的のためには自らの命もいとわないとは・・・テロリストと呼ばれる組織が恐れられるわけだな。
私の視点から見ても狂気を感じざるを得ない。彼等の思想を理解するのは困難を極めそうだ。
「それで、重傷を負った状態で教会に運ばれてきたのですが、お兄様はかなり衰弱なさっていて、助からないと思っていたようです。」
「エリクシャーを『格納』から取り出す力も残っていなかったと?」
「です。そうして、遺言でも残すかのように言葉を呟いたのです。」
なるほど。そこでオリヴィエはレオンハルトが彼女を恨んでいないと知ったと言うわけか。
詳しく聞いてみれば、レオンハルトはオリヴィエを恨んでいたのでなく、恐れていたそうだ。
オリヴィエを妹として認識できず、彼女に向けて、[臆病な自分を許して欲しい]と妹に伝えるよう託したそうだ。
オリヴィエはそんな兄の、生きる事を諦めてしまったかのような姿勢に頭にきてしまい、思わず自分のエリクシャーを取り出して使用したのだとか。
その事で自分の正体がバレる事など、頭になかったようだ。
オリヴィエの何に対して怯えていたのかは分からない。だが、それに関してはこれから聞けばいいだろう。
エリクシャーの効果は絶大だ。今は意識を失っているが、時期に意識を取り戻して目覚める筈だ。
今は未だオリヴィエの事を伏せておきたいし、彼女の化粧と髪型を"リビア"の状態に戻しておこう。
幸い、この部屋にはシャワー室なる設備がある。風呂とまではいかないが、頭から細かく降り注ぐ湯を浴びて汚れを落とせる施設だ。
汚れを落とすだけなら『
「シャワーを終えたら化粧をし直そう。今のままだとちょっと人前に出るのは良くないだろうからね。鏡、見る?」
「け、結構です!シャワー、お借りしてきます…!」
彼女自身、今の自分の姿があまり人前に出られる状態では無い事は察していたようだ。乱れてしまった髪や落ちかけている化粧の姿の自分を見たくはないらしい。足早にシャワー室へと移動してしまった。
湯を浴びて落ち着いて来ると良い。その間に、私はより落ち着けるように紅茶でも入れておこう。身体が温まっているから、冷たい方が良いかな?
どっちも用意してしまえば問題無いか!
シャワーから出て来たオリヴィエが選んだのは冷たい紅茶の方だった。しっかり体は温まり、リラックスも出来たらしい。
紅茶を飲んでもらっている間に髪型をセットして、手早く彼女にいつもの化粧を施せば、元通りのリビアである。
人前に出る準備が整ったところで、オリヴィエが私を見ながら何かを訪ねたそうにしている。
何を訪ねたいのかは察しは付く。
変化してしまった私の髪や鱗の事だろう。状況が状況だったから周囲からスルーされてはいたが、流石に聞かずにはいられないようだ。
「気になる?」
「ええ、まぁ。その…ノア様の今の状態は、何か特別な状態なのですか?」
「それがね、残念ながら今後は常にこんな感じになってしまうんだよ。」
「え?ざ、残念なのですか…?とてもお美しいですよ?」
オリヴィエには私が残念がっている理由が分からないようだ。彼女から見たら、私の髪や尻尾の光沢はとても美しく見えるらしい。
いやまぁ、私だって綺麗だとは思っているとも。だが、この光沢が派手に感じて仕方が無いのだ。
「私の感覚だと、どうにもね。派手なのはあまり好きではないんだ。」
「ですが、言うほど派手ではありませんよ?きっと、他の方々も美しいと言ってくださいます。」
それ自体はありがたいのだけど、問題は私自身がどう感じるか、である。
今後戻る事は無さそうだし、この状態にも慣れるようにしておかないとな。
さて、私達が教会の中央部に戻っている最中なのだが、凄まじい勢いで教会に向かって全力疾走している男性の反応が確認できた。
後を追うように二人の男女もついて来ている。しっかりと鎧を着込み、大楯も装備している辺り、全力疾走している人物の護衛と思われる。となれば、あの男性がこの国の
オリヴィエに確認を取ってみれば、それで合っていると教えてもらった。
「ジョッシュ様ですね。今回は煌命神様からのお告げを聞き取っただけでなく、度々天空神様の強い気配を感じ取っていたそうなので、この状況のなか、非常に興奮して、一切狼狽える事が無い御様子でした。」
なるほど。町の住民達の声を聞く限りでは、唐突に魔物が斃されていく状況が頻繁に発生していたので、それがルグナツァリオのおかげだと思っている者達が多いようである。
その謎の現象の正体は、ウルミラが興味を持った対象に危害を与えようとした魔物を排除した結果なのだが、臭いも姿も音も魔力も感知できない状態では、彼女を認識する事など不可能だ。
自分達にとってとても有益な事態だったので、信じる神のおかげだと思いたくなるのも納得は行く。
ウルミラは別に人間達からお礼を言われても特に何とも思わないかもしれない。
だが、彼女の頑張りを称えるためにも、家に帰ったら目一杯撫でまわして、新作のお菓子を振る舞うとしよう。
私達が中央部へと到着すると、既に教会内に到着していた巫覡・ジョッシュが私の元に全速力で駆け寄って来た。
ある程度近づいたところで彼は跳び上がり、着地と同時に以前シセラと初めて出会った時に彼女が取っていた五体投地の礼拝の姿勢をしだしたのだ。
いくら相手が非常に強い天空神の寵愛持ちだからと言っても、この反応は予想できなかったらしく、流石に周囲も困惑してしまっている。
「おおぉぉおぉおおおぉ…!まさしくっ!まさしくぅううう…っ!!」
「あ、あの…ノア様?これは一体…。」
私からは何も言う事は出来ないな。
結局のところ、私はキュピレキュピヌの寵愛を受け取る事にした。彼の言う通り、今の私の変化の理由として、最も説得力があると判断したからだ。
だが、キュピレキュピヌからの寵愛を得て、それを彼が理解出来たから、などと答える事は出来ない。五大神の声を聞けるのは、現状、巫覡だけなのだからな。
彼は五体投地の姿勢から一向に体を起こす気配が無い。
感情が高ぶり過ぎてしまい、上手く言葉が出せなくなってしまっているようだ。シセラも言っていたが、やはり巫覡は五大神からの強い寵愛を受け取っている者に対しては皆似たような反応をしてしまうらしい。
しかしこの状態、どうしたものだろうか?私が声を掛けた場合、今以上に興奮してしまいそうだな。
彼、ジョッシュの護衛と思わしき二人の男女に視線を向ければ、彼等は申し訳なさそうな表情をして頭を下げている。この二人では今のジョッシュを止める事は出来ないらしい。
「あ、あの、ジョッシュ様?一体、何があったと言うのですか?」
「おぉおおぉぉぉおおお…ぉおぉ?おおっ!?お、おおおーーーっ!!!」
「えっ!?ええぇっ!?ジョッシュ様っ!?お気を確かにっ!本当に、一体どうしたと言うのですかっ!?」
どうしようもないのでオリヴィエが声を掛けたのだが、声に反応してジョッシュが彼女を見た途端、彼は歓喜の感情に包まれて尚の事興奮してしまった。
彼は最早、動く事はおろか、まともに喋る事すら出来ていない。
このままでは埒が明かない。彼を落ち着かせるため、一度ジョッシュを彼の私室へ連れて行こう。
ジョッシュの護衛に彼の運搬と彼の私室の案内を頼むとしよう。
「済まない。このままでは埒が明かないだろうから、彼を一度部屋まで連れて行ってもらえないかな?彼の様子だと、私が触れてしまうのは拙いのだろう?」
「アッハイ。多分、興奮しすぎて失神してしまうかと…。」
「ほら、行きますよ、ジョッシュ様。」
「おおぉっ!何と素晴らしきかなっ!偉大なる天空神様っ!ありがとうございますっ!ありがとうございますっ!」
男性の護衛に抱えられながらもジョッシュは興奮したまま感謝の言葉を述べ続けている。彼の意識は、私だけでなくオリヴィエにも向けられているように見えるのは気のせいだろうか?
確認を取りたいが、ここでルグナツァリオに声を掛ければ余計にジョッシュを興奮させてしまう。気にはなるが、我慢しよう。
それはそれとして、事情は知りたいので、私達も彼の部屋まで言って良いか確認を取っておこう。
「ところで、彼がここまで興奮している理由が知りたいから、私達も付いて行っていいかな?」
「勿論です。ジョッシュ様もお喜びになるかと。むしろこちらからお願いしたいほどです。」
「その、ジョッシュ様が突如として興奮しだしてしまったので、私達も事情が良く分かっていないのです。感謝いたします。」
基本的に巫覡の暴走は簡単には止められないらしい。
私が一緒にいる事で余計に暴走してしまうかもしれないが、彼の暴走を止められるのも私ぐらいだ、と護衛の二人は認識しているようだ。
同行の許可はもらったので、遠慮なくジョッシュの部屋まで同行させてもらうとしよう。
ジョッシュの私室は、先程私達が案内された部屋だった。質の良い部屋だとは思っていたが、まさか巫覡の私室だったとはな。
部屋に入るなり、オリヴィエが若干気まずそうにしている。
「気にする事は無いと思うよ?使ってもらうために案内したのだと思うし。」
「そうかもしれませんが…。」
巫覡の立場は、教会の中でもかなり高い位置にある。基本的に一つの国に一人のみであり、その役割は非常に重要視されているからだ。
巫覡の神の声を聞き、その気配を感じ取る感覚は生まれ持った才能のため、大量に用意する事が出来ないのである。
だからこそ、希少な巫覡を守るために手練れの護衛を付けているのだ。
教会内部でも最上位の地位と言っていい立場だろう。国で言えば王族と同等とすら言えるのだ。
そんな巫覡の部屋の設備を無断で使用してしまったのだ。オリヴィエが気まずくなっているのは、そういう理由である。
尤も、この教会でシャワーや風呂がある部屋はこの部屋だけの様なので、私達を案内した聖職者は元からシャワーを使用してもらうためにこの部屋を案内したのだと私は思っている。
彼には確実にオリヴィエの事がバレているので、気を遣ってくれたのだと思う。
部屋に入るなり、男性はやや粗雑にジョッシュをベッドに放り投げた後、部屋にある簡易キッチンへと足を運んでいった。
巫覡に対してああいった扱いが出来る辺り、彼等の付き合いは結構長いのかもしれないな。
ジョッシュは相変わらずである。興奮したまま五大神、特にルグナツァリオに対して称賛と感謝の言葉を述べ続けている。
「落ち着くにはまだ時間が掛かりそうだね。」
「申し訳ありませんが、もう少々お待ちください。効果があるかはわかりませんが、今、同僚が気付け用のお茶を入れていますので。」
ほう。気付け用のお茶とな?どんな味がするのだろう?気付けと言うぐらいだから、かなり強い刺激があるんじゃないだろうか?興味深いな。
「えっ?あの、ノア様、飲みたいのですか?」
「うん。興味が沸いたよ。お茶は好きなんだ。」
「あまりお勧めはしませんよ?非常に渋く、そして苦く、旨味も碌にありませんから。端的に言って、非常に不味いですよ?」
なるほど。そう言われてしまうと尚の事興味が出て来るな。一度でいいから味わっておきたい。私の分もお願いしよう。なに、どれだけ不味かろうとも全て飲み切って見せるさ。
…私は今のところ不味いと感じた物を口にした事が無いので、不味いと言われてしまうと、少々不安ではあるが。
「そ、そうですか。聞こえていましたね!?ノア様の分もお願いします!」
「承知した。」
非常に不味いお茶。実際のところどのような味なのか。
お茶の味の下限の判断基準として参考にさせてもらおう。
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