第186話 平穏の中に垣間見える不穏な影
やはり果物の街と言うだけあって宿の夕食にもデザートとして果物を用いたスイーツが提供されていた。
これがまた味わい深く、炭酸の砂糖水に細かくカットされた大量の果物を投入したものだった。
果肉の味に口の中で弾ける炭酸が合わさり、口の中がとても愉快な事になった。
純粋な味としてはフルーツタルトに軍配が上がるが、食感としては此方の方が楽しめるな!流石は高級宿である!
夕食後はいつも通り図書館へ足を運び、情報収集だ。オリヴィエに頼んで歴史書の他に音楽関係の本があったら持ってきてもらおうとも思ったが、今は情報収集を優先しよう。
娯楽関係の書物を集めるのはやるべき事を終わらせてからだ。
これまでの情報収集で歴史書の類はある程度複製し終えていたようで、今回は新聞の複製がメインになっていた。
そのおかげで、20年前までの記事を複製し終えて一通り目を通す事も出来た。
この頃になってくると、既にレオンハルトやリナーシェが産まれているようだ。やはり王族の誕生ともなると大々的に新聞記事に取り上げられるようだな。
そしてここまでの記録の中で特に金の採掘量や作物の収穫量に変化があったという事は無いらしい。むしろ技術が発達した事によって採掘量も収穫量も上昇傾向にあったようだ。
ファングダムは乗りに乗っている状態だったわけだな。新しい財源を考えなくともどうにでもなると言ったところか。
ただ、オリヴィエから見せてもらったノートによれば、ここから徐々に採掘量も収穫量も減少の一途を辿る事になる。新聞でその内容を取り上げているかどうかが少し気になるな。
図書館での情報収集が終わり、宿泊部屋に戻る。
流石はスイートルームだ。この部屋にも風呂の施設が配備されていた。
しかも今回の風呂に使用されたスペースは前回よりも広く、浴槽も3~4人同時に入れるだけのスペースがある。
それならば、という事でオリヴィエと一緒に風呂に入る事にした。
誘った時には少々恥ずかしがられてしまった。
人間は自分の裸を異性に見られる事を避ける事は知っていたし、人によっては例え同性であろうとも避ける者がいる事も承知していた。
オリヴィエもその類の人物かと思い、一緒に風呂に入る事は諦めようかとも思ったのだが、何と恥ずかしがられながらも了承してくれたのだ。
ちなみに、私は風呂でも尻尾カバーは外さない。単純に危ないからな。
『不懐』などの魔術で対象の強度を高めたうえでの話である。
そもそも、鰭剣は魔力色数を制限していない状態で魔力を纏った私の肌を傷付けられるのだ。魔術の補強程度でどうこうできるものでは無いのだと思う。
風呂から上がり、互いに櫛を取り出した時に今日考えていた事をオリヴィエに確認してみた。
「リビア、貴女の櫛に、私の絵を彫り込んでも良いかな?」
「よ、よろしいのですか!?」
思った以上の食いつきがいいな。そんなに欲しかったのか。
「構わないよ。あ、そうだ。ちょっと待ってね。」
ここでふと思いついた事がある。
オリヴィエの使用している櫛は木製だ。掘っても良いが、熱を加えて絵を描いてみるのも良いかもしれない。
勿論、いきなりやるつもりは無い。他の木材に試して、どちらが良いか本人に相談しよう。
『収納』から木の板を取り出し、指先から熱光線を照射する魔術『熱線』を威力を最小にして発動させる。
照射された部分に僅かな焦げ目がつき、『熱線』を照射している指を動かす事で板に線が描かれていく。
良し、これでも問題無く絵を描く事が出来るな。ひとまず、この板に今日記者に見せてもらったキャメラの絵でも描いてこう。
「それは・・・『熱線』ですか・・・?随分とまた器用な事を・・・。」
「木製ならこういう絵の描き方もあるなって今思いついてね。リビアは、どっちの方がいいかな?」
「それでは、折角ですから『熱線』で描いていただきたいです。」
というわけでオリヴィエの櫛を受け取り、気はあまり進まないが、彼女の櫛に私の姿絵を描く事にした。
全身を入れようとすると見辛くなってしまうので上半身、それも胸部から顔にかけてまでの範囲だな。うっかり角や翼を描かないように気を付けよう。
この方法だと焼き加減によって色の強弱がつけられて、彫り込むよりもより鮮明に描けるのが良いな。
尤も、彫り込んだ絵はそれはそれで独特な味があって悪いわけでは無いのだが。
こういうのは気分で作った方が良さそうだ。
良し。絵も出来上がった事だし、オリヴィエに櫛を返すとしよう。
「はい、お待たせ。どうかな?」
「・・・・・・っ!!」
串に描かれた絵を見てオリヴィエは口を押えて驚いている。
驚きの感情が強すぎて喜びかどうか分からないのだが、果たしてどうだろうか?
「一生の宝物にしますっ!」
「・・・気に入ってくれたのは嬉しいけど、どうして『格納』空間に仕舞おうとするのかな?」
オリヴィエはとても喜んでくれたようだ。それは良いのだが、一度愛おしそうに櫛を抱きしめた後、『格納』を発動して櫛を仕舞おうとしてしまったのだ。
解せぬ。
「だ、だって、普段使いしていて、もしも壊してしまったらと思うと、とても怖くて使うわけには・・・。」
「そんなに簡単に壊れるものでも無いだろうに・・・。とりあえず、髪を梳かしてもらって良いかな?」
「はっ!?はいっ!御髪に櫛を入れさせていただきますっ!」
とりあえず、櫛を取り換える事なく私の姿絵を描いた櫛で、そのまま髪を梳かしてくれるようだ。
後で私も、オリヴィエの尻尾をブラッシングする櫛に、彼女の姿絵を描いておくとしよう。そうすれば、一目で誰用の櫛なのかもわかるしな。
と思ったら全力で止められてしまった。恥ずかしくて仕方が無いらしい。
仕方が無いから今は止めておこう。だが、私は諦めたわけでは無い。時間を掛けて説得して見せるとも。
日が変わって今日の新聞に目を通させてもらった。さて、記事の内容に私のメモと食い違いはあるだろうか。
・・・うん、特に食い違っている部分は無いな。あの記者ギルドの人間達は今のところ信頼が出来ると考えて良いだろう。
それはそれとして、今日の新聞は枚数が7枚ではなく8枚となっていた。
一枚は丸々私が記者ギルドに訪れた時の内容である。自分達の所有するキャメラに興味を持った事や、私の行動方針などが記載されている。勿論、あの時記者ギルドで撮影した写真も添付されている。
それはそれとして、昨日のフルーツタルトを美味そうに食べていた時の写真もしっかりと添付されていた。
後はあの楽器専門店の事も取り上げられていたな。私が絵を描いて店主に渡した事も記事に載っている事から、店主は取材に応じたようだ。
「態々新聞の枚数を増やしてまでここまで私の事で記事にするなんてねぇ。」
「それだけノア様が大勢の人々から慕われているという事です。今日の新聞はいつもの5割増しで生産したそうですよ?」
「それだけ用意しても売れると判断したんだろうねぇ・・・。」
「ええ。価格もいつも通り銅貨20枚でしたし、もう売り切れているのではないでしょうか?」
新聞の販売は午前6時30分からだ。そして現在は新聞を読みながらゆっくりと朝食を取り午前8時を少し過ぎたところである。
オリヴィエの予測が正しければ、売り切れるのが早いなんてものじゃないぞ。この時間ではまだ寝ている人もいるだろうに。
「新聞自体、本来は高額な商品ですからね。普通は売り切れる事など、まずない筈なのです。」
「今の状況がおかしいのか。そうなると、私がこの国を去った後も同じような感覚で新聞を用意しないように注意しないと、大赤字になりそうだね。」
「流石にそこを読み違える記者は、いないと信じたいですね。」
微笑みながらオリヴィエは答える。彼女は彼等の事を信用しているようだ。
まぁ、私から見ても記者ギルドで見た記者達は優秀そうだったし大丈夫かな?
では、今日も一日フルルの街並みを見て回ろうか!
今日、午前中に見て回ったのは主にフルルの市場だ。果物だけでなく、肉や野菜などの食品を取り扱う店も立ち並んでいる。
活気があるのは確かなのだが、ほんの僅か、気になる言葉が耳に入って来た。
「あっちゃ~、卵の値段上がっちゃったのかぁ~。」
「悪いねぇ。ちょっと前に鶏達が具合悪くしちゃってさぁ。」
「おぉっ!豆の値段戻ったのか!いやぁ、値上がりした時はどうしようかと思ったぜ!好物の俺にとっちゃ死活問題だからよぉ!」
「この前は豆が病気に掛かっちまったからなぁ・・・。まっ!だからこそ今回は気を遣ったんだぜ!」
「オイオイ、大丈夫かぁ?顔色悪いぜ?らしくないじゃないか。」
「おぅ・・・。一昨日あたりからちょっと具合悪くてなぁ・・・。何か栄養が高そうなのあるかぁ・・・?」
「ちょっと待ってな!少しオマケしてやるからよ!しっかり栄養取って体を休めるんだぞ!アンタがそんなんじゃ、こっちまで気が沈んじまうよ!」
どうやら物価の値段が作物の病気や調子によって変動しているようだ。
それだけでなく、中には普段は病気とは無縁そうな人物が体調を崩している様子を思わせる声も聞こえてきた。
それが魔物の毒による影響かどうかは分からないが、こういった事態が長期的に続いた場合、次第に人々は不安になっていくだろうな。
オリヴィエもその事を理解しているようで、表情が普段よりも硬くなっている。
なるべくなら人々が不安になる前に魔物の問題を解決してしまいたいところだな。もっと言うなら人々に感づかれる事なく、ファングダムに滅亡の危機など無かったという形にしたい。
何も人間達を贔屓にしているわけじゃない。いや、問題を解決しようとしている時点で贔屓にしているのかもしれないが、それは個人的な約束のためだからだ。
もし魔物の問題が浮き彫りになった後から私が問題を解決してしまったら、またしても私を担ぎ上げる材料になってしまう。それを避けたいのだ。
勢いが付きすぎて神格化などされてしまってはたまったものでは無いからな。
ゆっくりと市場を見て回った後は昨日訪れた料理店で昨日とは違う昼食をとフルーツタルトを口にして、帰りに再びフルーツタルトを1ホール分購入させてもらった。1日一切れずつ食べていくとしよう。
午後からはフルルの街の住宅区域を見て回る事にした。住宅区域とは言え、店がまったくないわけでは無いし、サウゾース同様、街の人々の生活を見て回りたかったというのもあった。
住宅区域を一通り見て回り終わる頃、時間も良い時間帯となったので宿へと戻り夕食を取った。
その後は恒例の図書館における情報収集だ。
昨日の時点で歴史書関連は一通り目を通したので、今回で今日までの新聞を全て複製してしまう事にした。
何とか閉館時間までにすべての新聞を複製する事が出来たのだが、流石に複製した新聞を読む時間は無くなってしまっていた。それどころか、少し閉館時間を過ぎてしまっていたのだ。
図書館の職員は、集中して新聞を複製している私に対して声を掛け辛かったのだそうだ。完全に私の落ち度である。気を遣わせてしまった事を反省しよう。
その後は昨日と変わらず風呂に入り、ブラッシングをして就寝した。
今日の予定は昨日の内に記者達に伝えていたし、市場ではキャメラを抱えた人物も見かけたので、明日の新聞には市場で商品を手に取った私の事が記載されている事だろう。
そしてフルルでの3日目。今日はかねてより街の近くにある果樹園を夕食時まで一日中見て回ると決めていたのだ。そのため、予め例の店のフルーツタルトは果樹園に向かう前に購入済みだ。
それはそれとして、果樹園では採取したての果物を口にする事が出来るらしく、フルルに到着する前から楽しみにしていたのだ。
だが、オリヴィエとしてはただ単純に果物を楽しむつもりは無いようだ。
果樹園を見て回り、植物の健康状態を詳しく見て回るつもりでいる。昨日の市場と同様、フルルの視察も兼ねているようだ。
いや、昨日や今日だけの事じゃないな。
今にして思えば、彼女はファングダムに来てからというもの、街を見て回る際ただ街並みを楽しむのではなく、人々の健康状態や品質の良し悪しを重点的に見ていたように思える。
ここ20年での減少傾向にある採掘量や収穫量、それに対して増加傾向にある怪我人や病人の増加と地下の魔物の影響とを紐づけているオリヴィエとしては、少しの変化も見逃したくないのだろう。
そんな様子のオリヴィエを見ていると、私としても焦燥感に駆られ、純粋に楽しんで良いのか、という疑問が頭を過ったが、そこは彼女に窘められてしまった。
「ノア様は観光に来ているのですから、今は存分に楽しんでください。確かに私はノア様に『助け』を『願い』ましたが、この国を知って好きになって欲しいと言う気持ちも、私の本心なのです。」
「難しい事を言ってくれるね。私はリビアが真剣に悩んでいる隣で呑気しているだなんて薄情な真似、出来そうにないよ?」
知ってしまったからには放置しておく事など出来ない、王族として自分にできる事をしたいと思う、責任感の強いオリヴィエだからこそ、国の情勢の変化を少しも見逃したくは無いのだろう。
そんな彼女だからこそ好感が持てるのだが、そんな彼女の隣にいれば、呑気に観光気分でいられないのが私でもある。
「うぅ・・・すみません・・・。私が至らないばかりに・・・。」
「リビアのせいじゃないよ。今日は仕方が無いとして、明日からはもっと調査の方に力を入れていくとしよう。」
「はい・・・。お気遣い、ありがとうございます・・・。」
今日の果樹園は勿論楽しむとして、次の街ではもう少し本格的に魔物について調べてみようと思う。
それはそれとして、やはり取れたての果物と言うのは非常に良いな!
果樹園の一部では果物採取の体験が出来るのだが、採取したその場で果物を口にする事が出来たのだ!
思えば、実っている果実を採取してその場で口にしたのは、随分と久しぶりのような気がする。
家を建て、レイブランとヤタールを始めとした家の皆と一緒に暮らすようになってからは、あの子達が率先して果実を採って来ていたからだ。
しかも今は『収納』空間に大量に保存してあるので、私はこのところずっと、あの果実を採取をしていなかったのである。
久々の感覚に懐かしさを覚えながら口にした果物の味は、"楽園最奥"の果実に届く味では無いのにも関わらず、何処か心に響くものがあった。
そして、オリヴィエの懸念材料は、そんな果樹園にも存在していたのだ。
体験コーナーではない本来の果樹園も案内してもらったのだが、その中のごく一部に、治療を施した形跡のある果樹が確認できたのだ。
「ちょっといいかな?あの果樹は治癒魔術を受けた形跡があるようだけど、何かあったのかい?」
「えっ!?ひ、『姫君』様には分かるのですか!?」
「魔力の流れを読み取るのは得意なんだ。あの果樹には治癒魔術特有の魔力が感じられたからね。」
聞いてみれば、原因不明の不調に陥っていたので駄目元で『
そして解析結果に従い治癒魔術を施したところ、実際に緩やかにではあるが果樹が活力を取り戻したのだ。
『鑑定』に結果として現れるという事は、過去に事例があるという事だ。
この状態がもし例の魔物の毒によるものだとした場合、私としてものんびり観光を楽しんでいられなくなってくる。
折角この国でいくつも素晴らしい体験をしてきたのだ。失いたくはない。今日は夕食を終えたらひたすらに部屋の中で複製した書物を読み漁ろう。
部屋の中だから遠慮はいらない。『
やる気になって読書に集中しすぎてしまっていたらしい。
気が付いたらオリヴィエは既に私の傍で横になり静かに寝息を立てていた。
なんてこった。情報収集に集中するあまり時間を忘れていたようだ。
こんな事なら、いつでも就寝できるように先に風呂に入っておけばよかったな。
とりあえず、オリヴィエを彼女のベッドまで運ぶとしようか。
「んぅ・・・あ・・・はぅっ!?」
と思っていたら目を覚ましたようだ。数日前にもこんな事があったな。
「す、すス済みません!眠ってしまいました・・・!」
「いいよ。それだけ今日も楽しめたという事なんだろうし。リビア、今の時間を教えてくれる?読書に夢中になっていたせいで、鐘の音も聞き逃してしまってね。」
ティゼム王国でもそうだったが、ファングダムでも、時間を知らせるために一時間おきに鐘を鳴らしている。
というか、この大陸の人間の国では、どの国もその辺りは同じらしい。
ただ、国によって時計の制度が異なるため、まったく同時に鐘の音が鳴るわけでは無いそうだ。
だが、町に住む人々にそんな事は分からないだろう。大体の時間が分かれば、それで良いのだ。
時計を取り出し、オリヴィエが時間を教えてくれる。
「現在時刻は午後11時17分・・・ノア様、お風呂は如何しましょう・・・?」
「入ろう。このまま寝てしまうよりも、お湯に浸かってしっかりと温まった方が、ぐっすりと眠れるよ。ブラッシングもしたいしね。」
「ふふふっ、分かりました。それでは、私もノア様の御髪を梳かさせていただきますね?・・・明日、いつも通りに起きられるかが少し心配ですけど・・・。」
私がオリヴィエの尻尾に触れて櫛を入れる事を楽しみにしているように、彼女もまた私の髪に触れる事を楽しみにしているようだ。僅かに表情が曇っているが。
彼女は、明日いつも通りに起床できるかどうかが不安らしい。だが、流石にあの爆音を発生させる時計を使用するのなら目覚められると思うよ?
そんなわけで風呂から上がり、互いに櫛を入れ合い就寝する頃には日が跨いで午前1時前である。時間が時間だ。先にオリヴィエに私の髪を梳いてもらう事にした。
案の定、オリヴィエの尻尾をブラッシングしている最中に、彼女は眠りについてしまったのだ。
ベッドに戻そうとしたら確実に目覚めそうだったからな。今日はこのまま一緒に寝るとしよう。
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