第17話 話を聞いてくれません
コツン、と私の頭に何かが当たる。言うまでもない。目覚まし用の板だ。
目を覚まし、家から出てみれば、空にはいつもの澄み切った青空。いい天気だ。
私は自分の身体を、エネルギーを確認する。昨日の就寝前にエネルギーの変換能力を落としたためか、胸の中心から溢れているエネルギーは今までよりも少ない。身体の外には放出されていない。
これならば、動物に会える可能性に希望が見えてくるのではないだろうか。それに、思念を送る手段も手に入れることができた。例え恐れられても、こちらに害意や敵意が無い事を伝え、警戒を解いてもらえるかもしれない。今日は試しに森を散策してみよう。
駆け出して、広場の端までたどり着く。ここからはゆっくり歩いて散策することにしよう。
エネルギーを体外へ放出していないため、周囲の状況をエネルギーで感知することができないが、その分視覚、聴覚、嗅覚で周辺の環境を精査していく。
歩を進めるにつれて、徐々に、動物の鳴き声や生活音が聞こえてくる。その種類は様々だ。
しかし、迂闊な行動はとれない。彼らがエネルギーを感知することができるのならば、私の体内エネルギーを感知することができるだろう。実際、私は出来ているし。
そもそも、私が放出していたエネルギー量は、他者と比べ、明らかに異常だ。彼らも自然体でエネルギーを発しているが、その範囲は、せいぜい自分の身体を一回り大きく覆うくらいだ。
中には、もっと広い範囲エネルギーを発している者もいるが、それでも大体"毛蜘蛛"ちゃんや"老猪"と同じぐらいだ。それはつまり彼らが、森の住民の中では、強者の分類に入るということなのだろう。
おそらくだが、"角熊"くんは彼ら以上のエネルギーを発しているだろう。その"角熊"くんですら、私の家を覆うほどのエネルギーを発することは無いだろう。
仮に、今私が知覚している動物たちが、私のエネルギーを感知した場合、一目散に逃げだすと思われる。彼らに気づかれないように行動するべきだ。
しばらく散策を続けていると、周囲の樹木は私の知るそれではなくなっていて、何度か動物を視認するかとが出来た。彼らは皆、私の知識にある動物をベースに、一部、あるいは全体が強化、もしくは進化させている。更には体の部位が増えている者も確認できた。
縄張り争いなのだろう。何度か動物たちの争う光景が目に移った。なかなかに迫力がある。それに、エネルギーの扱いも美味い。自身の体に集中して纏わせて、武器にも防具にも扱う者、私の光の剣と同じように体外に具現化させて射程を伸ばす者、収束させたエネルギーを細く、勢い良く射出することで高い貫通力を持った射撃を行う者。様々だ。珍しいものでは、どうやってか、地面をトゲ状に隆起させ下から突き刺すような攻撃を行う者もいた。
エネルギーの扱いに感心しながら、彼らの戦いを眺めつつ、散策を続ける。気付かれずに行動るために私が試し実験は思った以上に上手くいっているようだ。
そう、実験。
これを試す前に一度"毛蜘蛛"ちゃんに見せて上手くできているか確認するべきだったかもしれないが、思い立ったが吉日。私は行動を起こした。
エネルギーを身を隠すことに使用したのだ。
『偽れ』と『隠せ』の二つの意思を合わせてエネルギーに乗せて全身に薄く幕を張るように纏ってみたのだ。
その結果、私は彼らに十歩分の距離まで近づいているというのに、こちらに意識を向けることなく、戦闘に集中している。彼らの体躯は軒並み"角熊"くんよりも大きかったため、体の隅々まで観察が出来、なかなかに眼福であった。
そうして森の散策を家にも帰らず寝ずに楽しみ続けて早二日、いつの間にか動物達の気配は消えていて、それどころか動物そのものを知覚できななっていた。
周囲に、動物がいない。この辺りは、そういう場所なのだろうか。疑問に思い、首をかしげていると、私でも気を抜いていると対応が遅れるほどの速さで、何かが近づいてきた。
何かしらの隠蔽を行っているのか、エネルギーを知覚しづらい。視覚でも認識できない。聴力と嗅覚を頼りに、近づいて来る者を知覚する。
既に目の前!このままではぶつかって、近づいてきた物を傷つけてしまう。咄嗟に身体を捻り近づいてきた者を躱す。腕に何かが引っ掻かれた感触と共に、チクリとした刺激を受ける。
私の身体を傷付けられたのか。お見事!確かに今の私はエネルギーを抑えていて、肉体強度が下がっているといっていい状態だろう。
しかし、それでも私の身体は"角熊"くんの渾身の爪撃ですら傷をつけることができないという確信がある。この快挙を成し遂げたのは、"角熊"くんの爪よりもはるかに鋭く、私ですら舌を巻くような速度で上手く切り付けることができたからだろう。
既に再生してしまっている腕を見ながら、私に近づいてきた者に意識を向ける。確実に何かがいる筈なのだが、目視ができない。『暴く』意思をエネルギーに乗せて、両目に集中させると、無色透明の輪郭がくっきりと現れる。
視界には映ったのは私の胸ほどの高さの透明な狼だ。鋭い牙をむき出しにして、こちらを睨みつけている。
小さな瞳孔の鋭い目つきに、ピンと立てた尖り耳、スラリと伸びた口と鼻。文句無に可愛い女の子だ。それに、彼女の全身を覆う体毛は、私がこれまでに森で見かけた他の狼と比べて、倍近い長さがある。撫でたら、どれほど気持ちが良いだろうか。
まぁ、現状、敵意をむき出しにされているのだが。そういえば、この辺り一帯は、彼女の臭いしかしていない気がする。不用意に彼女の縄張りに入ってしまったようだ。彼女が怒るのも無理はない。
「ごめんよ。配慮が足りな・・・」
私が謝罪の言葉を送っている最中でも容赦無く狼ちゃんは飛びかかってきた。
大きく開いた口に私は尻尾を差し出す。思いっ切り噛みつかれるが、私の尻尾の鱗を傷付けることは出来ないようだ。離れられないように体に尻尾を巻き付ける。
「話を聞いてもらえるだろうか。」
興奮状態のためか、思念を送ってみても、尻尾を噛む力に変化は無い。それどころか、必死な表情で両前足をばたつかせて、尻尾の拘束から抜け出そうと試みている。あ、少し怯えだした。
宥めるために手を狼ちゃんの体に伸ばすと、驚いた顔をして私の手から逃れようとさらに必死になっている。
あと少しで、狼ちゃんの体毛に手が届きそうになったところで、信じられないことが起きた。
狼ちゃんが消えてしまったのだ。視覚的にではない。まるで霧散してしまったかのように、その場から居なくなってしまったのだ。尻尾に感じていた彼女の感触は、すり抜けてしまい、既に無い。
彼女はどこへ行ってしまったんだろうか。眼にエネルギーを送ることによって視覚を高めることができたなら、耳や鼻にエネルギーを送って聴覚、嗅覚を高められるはずだ。それぞれ『聴く』、『嗅ぐ』、と意思を込めてエネルギーを送ってみる。
・・・劇的な変化は無いな。
そもそも、聞くことも、嗅ぐことも、常時行っている事だ。意思を乗せたエネルギーで効果を得たい場合は、普段よりも強い意志が必要ということだろう。
私が考察に耽っていると、私の眼前に突如。そう、本当に予兆なくその場に狼ちゃんが現れて牙を私の顔に突き立ててきた。
どうやってそんな芸当が出来たのか見当もつかないが、向こうからこちらに来てくれたのだ、噛みつかれることも意に介さず、両腕を広げて彼女を抱きしめようとする。が
牙が触れた直後、狼ちゃんは、私の身体をすり抜けてしまった。抱きしめるために閉じた、両腕も空を切ってしまった。いつの間にか狼ちゃんはいない。
どういうことだろうか。牙を向けられたときに彼女の匂いも、息も、今までと同量のエネルギーも感じられた。にもかかわらず、始めからそこにいなかったかのように狼ちゃんは消えてしまったのだ。
困惑していると、今度は背中に肉球が触れる感触。"角熊"くんのそれよりも柔らかく、是非とも指で触れたい気持ちが溢れてくる。が、先程と同様、一瞬の肉球の感触の後、狼ちゃんの反応はきえてしまった。
この娘、凄い。
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