第7話 ある日 森の中 私が 出会ったものは

 息を殺し、ゆっくりと歩を進めて足音の主に向かて直進していく。


 変化があった。足音がしなくなったのだ。足音だけじゃない。地面から伝わってきた四足歩行の振動も止まっている。何かあったのだろうか。

 だが、止まっているならば、それはそれで好都合だ。最後に足音がした場所にはやる気持ちを抑えて慎重に、音を立てずに、それでいて素早く進んでいく。

 およそ二百歩ほど先の距離で、ついに、ついに探し求めていたとても大きな影を視界にとらえた!!


 熊だ!!!


 それもただの熊じゃあない!ものすごく大きな熊だ!!あの大きさなら立ち上がれば森の樹木の高さ五分の一はあるだろう!身体を覆う毛皮は大部分が赤茶色で、両前足の前腕部から手にかけては赤黒くなっている!視認しづらいが、手からは研いだばかりと思われる、赤みがかった琥珀色の爪が確認できた!前足からの爪の攻撃が得意なのだろうか!いや、そんなことはどうだっていい!

 そう!毛皮だ!!モフモフだ!!やっと会えた!!!笑みが溢れる!!!興奮が収まらない!!!


 だ、駄目だ。まだはしゃぐな。こらえるんだ!ここではしゃいで不用意に警戒されるのは何としても避けたい!もう少し観察を続けよう!

 他には、額の真ん中から赤黒い大きな角張った角が生えている!!カッコいい!!!それに顔!!丸に近い輪郭!口と鼻の周りだけは白くて短い毛!!艶のある黒い鼻!!顔の大きさに対してとても小さな丸みを帯びた耳!!!そして何と言っても、強い意志を感じさせる光を宿したつぶらな瞳!!!


       可  愛  い


 目覚めてよかった。本当に良かった。こんなにも素晴らしい生き物に出会うことが出来るだなんて。私は幸せ者だ。嬉しすぎて顔が笑顔から戻らない。

 いや待て、落ち着け。落ち着くんだ。ただ見ているだけでは駄目だ。しっかりと仲良くなってモフモフを堪能させてもらうんだ。

 彼のことは、安直ではあるが"角熊"くんと呼ぶことにしよう。歩を進めて彼のもとに近づいていく。


 「グルウウゥゥゥウウウ・・・」


 ・・・何かおかしくないだろうか。"角熊"くんは四つん這いの姿勢から肩を低くしてこちらを見据えて牙をむき出し、唸り声にしか聞こえない声を上げている。客観的に見て、私を警戒しているようにしか見えない。


 「グルルルゥゥゥゥウウウ・・・」


 ひょっとしてあの唸り声は私に向けて放っているのか!?


 「グゥゥゥウウウゥゥウッ・・・!」


 どうやらそうみたいだ。一体、何故・・・ショックだ・・・私は怖くないぞ。ちょっと尻尾が物騒かもしれないけど。

 左腕に抱えた果実を尻尾に持たせてから、両手を広げて笑顔のまま"角熊"くんに近づいて行く。ほら、ホントに怖くないぞー。


 「グルルアアアアアアアアアアアッ!!!」


 "角熊"くんの所まであと十歩といった距離で"角熊"くんが立ち上がった。両前足を頭上に、爪をこちらに向け、顔を前に突き出して雄たけびを上げた。明確な威嚇行為を取っている。

 その動作は、私にとってはとても可愛らしく見えるのだが、相手にとってはそうではないだろう。彼のつぶらな瞳からは攻撃の意思を、闘志を感じさせる。

 それでも、私は歩みを止めない。今の状態の"角熊"くんに人類が出会えば、だれもが死を覚悟することだろう。だが、私は"角熊"くんを視認してから、いや、彼の立てた音を耳にした時から、彼に対して微塵も脅威を感じたことは無かった。

 理由は分からないが、彼の存在を認識した時から、私ならばどうとでも対処できてしまう、という確信を得ていたのだ。だからこそ、人類から見れば恐怖を覚えてしまうような"角熊"くんの風貌も、一目見た時から、私には可愛らしいとしか感じなかった。


 「グォァアアアアアアアアアアアアッ!!!」


 "角熊"くんが立ち上がってから更に五歩、歩を進める。すると、彼の感情が振り切れたのか、雄たけびを上げながら、体を前に倒し私の胴体よりも二回り以上太い右前足を私に向けて、勢いよく振り下ろした。光沢のある研ぎたての鋭い爪が私の身体に直撃するタイミングだ。

 私には分かる。このまま無防備に彼の爪が私に直撃したとしても、この攻撃で私は一切ダメージを負うことは無い、と。だが、それはあくまでも私の話だ。

 "角熊"くんは違う。おそらくこのまま爪が私に当たれば、彼の綺麗な爪はたちまち傷付き折れてしまうだろう。そんなことは決して許容できない!

 私は彼と仲良くなりに来たのだ!傷付けたり、痛めつけたり、ましてや敵対しに来たわけじゃない!仲良くなりたいんだ!!愛でたいんだ!!

 私は左手を前に出して、"角熊"くんの右手に手を添えて彼の爪が私に当たらないように受け止める。彼の掌の弾力のある感触が私に伝わる。


   肉   球  !!!


 なるほど!そういうのもあるのか!!毛皮のある動物の素晴らしさとは、モフモフな毛並みだけではなかったのだ!!!

 私は"角熊"くんの右前足の手を左腕で抱きかかえ、肉球を私の左頬に押し付ける。ふわふわとした毛の肌触りが左腕全体を、確かな肉球の弾力が、私の顔左半分を包み込む。


   至   福


 言葉にできない、というのはこういうことを言うのか。ずっとこうしていたい。顔も左腕もとても幸せだ。もう、何も考えられない。


 「グッ・・・グォォオウ・・・」


 恍惚となってしまい、周囲の音も耳に入ってはくるが、まるで意識が向けることが出来ない。何やら"角熊"くんの右前足に力が入っているようだが、私がしっかりと抱きかかえているため、ピクリとも動かない。もう少し、もう少しだけこの感触を堪能させてほしい。


 「ガァッ・・・ガアアッ・・・ガアアアアアアッ!」


 "角熊"くんの悲痛さすら感じさせる、懇願するような鳴き声にようやく我に返り、彼の右前足を解放して、様子を伺う。

 両前足を地につけ、顔を下に向けてうなだれている。視界に映る横顔に、先程のような闘志は微塵も感じられず、瞳には怯えの感情が明確に現れている。


 「グォォゥ・・・・・・」


 恐怖と怯えの感情が読み取れる小さな鳴き声を発して、こちらに目を向けようとしない。

 そんなに怖がられると、とても悲しくなってしまう。ただ、おとなしくしている"角熊"くんはさっき以上にとても可愛らしいので、撫で回したくなる。撫でてもいいだろうか。

 いや、ここまで怯えられると、触れようとした瞬間に逃げられてしまいそうだ。こういう時は、美味いものを食べてもらい、機嫌を直してもらうとしよう。

 尻尾に持たせていた果実を左手で一つとると、そのまま"角熊"くんの前でかぶりつく。濃厚な甘味とほのかな酸味が私の舌を楽しませて、自然と顔がほころぶ。やはり、いくら食べても飽きないな、この果実は。

 おっといけない。私ばかりが食べていては良くない。私は手にした果実を"角熊"くんに差し出す。一緒に美味しいものを食べて仲良くなろう。


 ・・・見向きもされていないのはどうしてだろう。それどころか、何故か果実を齧った際に、明らかに怯えの感情が強くなったのはどういうことだろうか。ひょっとして、私の食べ掛けは嫌なのだろうか。そう思い、もう一つの果実を右手で掴み"角熊"くんに差し出す。反応が無い、何故だ。

 ならば、右手に持った果実の中心に鰭剣きけんを横に走らせる。果実を食べ終えて空いた左手で果実の上部を持って横にスライドさせると、綺麗に半分に切断された果実の断面があらわになる。果肉を"角熊"くんに見せ彼に差し出す。

 良い香りだろう?これは二つとも君のものだ。存分に堪能してくれ。


 ・・・お願いだから、頼むから、生きることを諦めたような絶望した表情をしないでもらえるだろうか。最終的に悲しみで泣き叫ぶぞ、私は。私が泣き叫んだら多分すごいぞ。ただのクシャミでクレーターが作れるからな。どうなっても知らないぞ。

 って、脅すような事をしては駄目だろう。私は仲良しな関係になりたいんだ。気を確かに持つんだ。冷静さを失ってはいけない。おそらく、"角熊"くんがここまで怯えているのは、先ほどのやり取りで、私との力の差を理解してしまったからだろう。私が近くにいては落ち着いて食事もとれない、ということか。

 ならば、私は二つに切り裂かれた果実を足元に置き、涙を呑んでこの場を立ち去るとことにする。

 "角熊"くんに背を向けて、水の流れる音の方へと歩き出す。

 これが、『悲しいすれ違い』、というものか。

 今回は残念な結果に終わってしまった。だが、この程度のことで私はへこたれない!次こそは、次こそは必ず仲良くなってみせる!!

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