第17話
柘榴から再び連絡があったのは、七月も下旬に差しかかった頃だった。
ライブにゲスト出演して以降、カレンデュラとは共演していない。連絡回数が増えるわけでもなく、たまにテレビ局や撮影スタジオですれ違った時に軽く言葉を交わす程度だ。
輝恭はこれから収録するナレーションの原稿をいったん机に置き、休憩がてら柘榴のメッセージを確認した。届いたのは朝方だったが、目覚ましのアラームが鳴るより先に通知が鳴った苛立ちゆえ見もせず放置していた。
「なんて書いてあったの?」
対面に座る菊司が興味深そうに問いかけてくる。収録の準備を終えて時間を持て余したのか、リングノートを広げて新しい衣装のデザイン中だったようだ。
「『相談したいことがあるので、近日中にお会いできませんか』だとよ」
「相談? 千両くんが? なんだろうね」
「知らねえ。特に書いてねえし」
ひとまず空いている日を送信すると、間もなく既読マークがついた。あまりの速さに一瞬引いてしまう。さらに続けて「ではこの日にしましょう」と書きこまれた。文字の打ち込みも恐ろしいくらい速い。
「またライブに出演させろって言うんじゃねえだろうな」
「でも僕らしばらくやる予定無いよね。もしかしたら逆に、カレンデュラのライブに出てほしいってお願いかも」
「またニチカと歌わせる気か? 貴重性薄れるだろ」
「もしくはライブじゃないとか?」
候補としては〝バースデーイベント〟も考えられる。誕生日を迎える主役と交流のあるゲストを招くのはよくあることだ。カレンデュラがそういったイベントを構想しているのか定かではないが。
「僕の記憶が間違ってなければ、確か八月末あたり初雪さんの誕生日だったはずだし、タイミング的に思いつくライブ以外のイベントって、それくらいしか無いかも」
「ふと思ったけど、俺たち誕生日にイベントしたことねえな」
そもそも考えたことすらなかった。
誕生日になると事務所宛にファンから主に花をはじめに様々なプレゼントが届くけれど、顔を見ながら直接受け取るタイプのイベントを企画したことはない。大勢から大々的に祝われるのは気持ちがいいだろうし、自身の存在を認められている喜びに浸れるだろうが、誕生日は菊司に祝われるだけで満足していたことに今さら気がついた。
「なあ。菊はどうだ」
「なにが?」
「バースデーイベント。興味あんのかと思って」
世の中のタレントがどういった内容のイベントにしているか検索してみると、ファンからの質問に答えたり、ゲストを呼んでトークをしたり、来場者と写真撮影したり、色々ある。
「ファンと間近で交流する機会にもなんだろ。俺たちほぼそういうのやってきてねえし、もし菊が興味あんなら俺も考えとくかなって」
「うーん……」
菊司は難しそうに唇を尖らせ、ノートを押しのけて交差させた腕に額を落とす。
「輝恭くんはやってみたいの?」
「どっちでもいい。もし菊がやるんだったら、俺だけ無しってわけにもいかねえけど」
「……やりたくないわけじゃないけど、無くてもいいかなあ」
のろのろと菊司が顔を上げた。前髪の隙間から覗いた瞳は上目遣いで、目元がほんのり赤らんでいる。
「大勢の人がお祝いしてくれるのは嬉しいけど、僕は輝恭くんと一緒に過ごせたらそれだけで満たされるから。誕生日は賑やかに過ごすより、穏やかに迎えられたら嬉しいかも」
「俺と一緒じゃねえか」
長く一緒に過ごすと思考回路も似るのだろうか。それだけのことに胸が温かくなるのはなぜだろう。手を伸ばして髪をぐしゃぐしゃに撫でまわすと菊司が嬉しそうに破願した。
「もうちょい先の話だけど、菊は今年の誕生日なにが欲しい」
「じゃあ輝恭くんの時間ちょうだい。家で過ごすのでも、外に遊びに行くのでもなんでもいい。輝恭くんと二人きりでいたい」
菊司は輝恭の手を取り、指先に軽く口づけながら「駄目?」と小首を傾げる。
物理的なものを要求されず一瞬だけ呆気にとられたが、本人が望むのなら応えるまでだ。輝恭がうなずけば至福の笑みを浮かべて喜ばれた。なにかしらプランを練っておこう。
「そういえば千両くんの相談って、輝恭くんだけ行くの?」
「お前のとこに連絡が行ってねえならそうじゃねえ? この日は菊も空いてんだろ。用事がねえなら来るか」
「呼ばれてないのに行くのもどうなんだろう」
菊司が苦笑した直後、輝恭のスマホが通知音を奏でた。また柘榴だ。
そこには「菊司さんも同席して大丈夫ですよ」と記されている。まるでこちらの会話を聞いていたかのようなメッセージだ。偶然だろうがタイミングが良すぎてじゃっかん気味が悪い。
ひとまず了解の返事を出したものの、どういった相談なのかは最後まで提示されなかった。
予想がつかないまま当日を迎え、指定されたカフェに向かう。以前カレンデュラの三人と訪れた場所だ。入店すると、先に着て席を確保していたであろう柘榴のもとに案内された。
てっきり向こうも三人そろっているのかと思いきや、柘榴一人しかいない。彼は輝恭と菊司にひらひら手を振り、優雅な所作でパスタを口に運ぶ。机には他にも複数のメニューが所狭しと並んでいた。
「お前また馬鹿みたいな量頼んでんな」
「小腹が空いていたもので」
「小腹を満たす以上の量な気がするけど……」
「ニチカと犬っころは? 遅れて来んのか」
「今日は二人ともそれぞれお仕事と学校なので、僕だけです。初雪さんたちには先に今日の話の内容は伝えてあるので問題ありませんよ」
とりあえず輝恭はわらび餅と緑茶のセットを、菊司は日替わりケーキセットを注文し、品物が手元に届いたところで柘榴が「さて」と切り出した。
「突然なんですけど、僕――というか僕たち、事務所から独立しようかと思ってて」
「は?」
まるで予想していなかった一言を告げられ、素っ頓狂な声をこぼしてしまう。菊司に至っては驚きすぎて噎せる始末だ。柘榴は衝撃を与えた自覚など無さそうなまま、スモークチキンとレタスをたっぷり挟んだサンドイッチを咀嚼している。
「待て待て、どういう意味だ」
「そのままの意味です。あ、ご存じありませんか? 独立っていうのは一般的に、他に頼らないで自分の力でなんとかするって意味が……」
「そういうこと聞いてんじゃねえよ。おちょくってんのか」
最近のニュースを振り返ってみてもカレンデュラの独立は取り上げられていない。噂でも耳にしたことが無いため、恐らく未公表の事案なのだろう。
そんな重大な話を、誰が聞き耳を立てているとも知れないカフェでしていいものか。ぽつりと懸念をこぼせば、「意外と大丈夫ですよ」と柘榴が微笑む。
「BGMもかかってますし、基本的にみんな自分のお喋りに夢中です。他の席の話なんて、よほど大声でまくしたてたりしなければ意識すらされません。なのでお二人も普通の会話を装ってください」
「無茶言わないでよ! せめて最初に『びっくりさせます』とか言ってくれてたら良かったのに」
「ふふ、すみません。以後気をつけます」
本当に反省しているのか、表情からはよく読み取れない。しばらく観察した末に輝恭は深々とため息をついた。
「〝僕たち〟ってことはニチカと犬っころもか」
「ええ。独立は僕のわがままなんですが、二人とも迷わず『じゃあ自分たちも』と追随してくれて。ありがたいことです」
「でも急にどうして? トラブルでもあったの?」
「新しいことに挑戦してみたくて」
勢いだとか思いつきではないらしい。柘榴の口元から笑みが消え、口調の強さからも本気さを感じた。
であれば、こちらも真面目に耳を傾けなければ誠意を欠く。輝恭は机に肘をついて指を組み、無言で続きを促した。
「現状に不満は無いんです。ただ少し、変化が欲しくて。上が持ってきてくれる仕事をこなすばかりじゃなく、自分でも掴み取りたい。あとは後輩の育成ですね。以前からプロデュースに興味があったので、そちらにも手を出せたらと」
「まあ勝手にしたらいいんじゃねえの」
「けど仕事を自分で取るにしても、伝手は? なにもない状態だと厳しくないの?」
「ご心配なく」
菊司の指摘に、柘榴が自身に満ちた眼差しで胸を張る。
「独立を思い立ったのはここ数日の話じゃありませんし、来たる機会に向けてこつこつ築いてきましたから。人脈はもちろんのこと、信用と信頼も、ね。今後はそれを存分に活かすつもりです」
「で? それを俺たちに話した理由はなんだ。ニチカがもともと霹靂神だったよしみで先に知らせただけか?」
「そうではなく。本題はここからです」
また驚かされそうな予感がしたのか、菊司が輝恭の服の裾を摘まんでくる。落ち着け、と伝える代わりに指先を軽く撫でてやると、引っ張る力が少しだけ緩んだ。
柘榴もいささか緊張を覚えたのか、深呼吸をしてから口を開いた。
「僕が新たに設立する事務所に移籍しませんか?」
「えっ」
大声を上げかけた菊司の口を、輝恭は手をかざしてとっさに塞ぐ。我ながらファインプレーである。しかし自身も驚きを隠せず、こぼれ落ちんばかりに目を丸くしてしまった。
「独立と事務所の設立を決意したとはいえ、僕はまだまだ若輩です。一人の力で出来ることは限られる。もちろん初雪さんと玲央くんにも支えてもらえるんですが、さらに霹靂神のお二人がいると心強くて」
「で、でも」どうにか衝撃をやり過ごし、菊司が限界まで声を抑えて問いかける。「いきなりそんなこと言われても、すぐに決められないよ。これから控えてる仕事だってあるのに」
相棒の言う通りだ。事務所の移籍など露ほども考えたことが無く、いきなり選択肢を与えられても困惑する。仕事の予定もいくつか入っており、仮に移籍を決めたとなるとスケジュールに乱れも発生するだろう。最悪の場合、キャンセルになる仕事だってあるかもしれないのだ。
事務所に意向を伝えたあとも面倒そうだ。引き止められるのは間違いない。議論を重ねる必要も出てくる。
純粋なメリット、デメリットで言えば、どちらが多いのか現状では判断出来ない。柘榴の人脈云々を信じるのなら、あからさまな不利益は被らずに済むのだろうか。
「返事は後日で構いません。今後の芸能生活に関わる決断ですし、すぐに答えを出せる方が稀でしょうから」
「当たり前だ。ちょっと考えさせろ」
「『断る』とは仰らないんですね。可能性が一ミリでもあるのならありがたいです」
ちなみに、と柘榴は結露したグラスの表面を撫で、ストローで中身をかき回す。色合いから察するにアイスティーだろうか。
「お二人が移籍してくださった場合、後輩の育成にもご助力いただきたいんです。ダンス方面はカレンデュラが、歌唱方面は霹靂神が監督する、といった具合にね」
「……僕に歌唱指導なんて出来るかな……。そういうのしたことないから不安しかないんだけど……」
「どうしても難しければ無理強いはしません。念のため頭のすみに留めておいて下さればそれだけで。その他の構想も気になるようでしたらデータをお送りしますが」
「そうしてくれ。データを掛巣に見せて相談しても構わねえな?」
「ご自由にどうぞ」
初雪と玲央にも、霹靂神を勧誘する件も当然伝えてあるという。ユニットを正式に卒業した矢先にもしかすると同じ事務所に所属するかも知れないとあり、初雪は多少複雑そうな表情をしたらしい。対して玲央は「いい返事がもらえると良いね」と応援の姿勢を示したそうだ。
――とりあえず二人とも反対はしてねえってことだよな。
――豪語するだけあって、あいつらからそれなりに信用も信頼もされてんだな、千両は。
その後は適当に世間話も交わしつつ、柘榴が全て食べ終えるのを待ってから店を出た。呼びだしたのは自分だから、と会計を済ませたのは彼だった。
「お返事はメッセージでも電話でも大丈夫です。ただいつまでも待てるわけではないので、遅くとも一ヵ月以内には意向をお聞かせください。我が儘を言って申し訳ありませんが、よろしくお願いします」
「分かった」
「今日は貴重な時間をありがとうございました。では――――あ、そうだ」
柘榴は去り際に振り返り、自身の首と肩の境目付近を軽く撫でながら輝恭を見てくる。
「これからより暑くなりますし、薄着の機会も増えるでしょうから、しっかり隠すならチョーカーよりストールの方が良いと思いますよ。では、また」
「……あぁ?」
どういう意味か問う前に、彼は弾んだ足取りで駅の方へ歩いて行く。
輝恭は立ち尽くしたまま、柘榴が撫でていたのと同じ箇所に触れてみた。チョーカーのチェーンが鈴に似た音を立てて揺れる。
しばらく撫でてから、ようやくそこに刻まれたものを思い出した。
――そういや昨日の夜の最中に噛まれたような。
「……菊」
「……な、なに……?」
意識的に声音を低くして名を呼ぶと、菊司の肩が大仰に跳ねた。
「痕つけるんなら服で隠れる場所にしろって言ったよなぁ?」
「えっ、嘘!」
知らなかったのか。菊司は慌てて輝恭の前に回り、あわあわと明らかに焦っている。
「ちゃんと隠れてると思ったのに! ほ、ほら。今は襟でうまく見えてないよ!」
「あれか、肘ついた時か……!」
腕を下ろしているときは問題なくても、姿勢を崩したりして服がたわんだ隙に覗いたようだ。柘榴がいつ気づいたのか知らないが、しばらく見られていたと思うと急に顔が熱くなる。
明らかに人のものと分かるそれを、深く追及されなかっただけ良しとしなければ。輝恭は羞恥心をぶつけるように、菊司の頬を限界まで摘まんで引っ張ってやった。
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