第16話

 手首を彩るチャームを軽く揺らす。稲妻と雨粒がぶつかりあい、小さいながらも澄んだ音を立てた。

 ステージ上ではカレンデュラが二曲目を終えようとしている。輝恭は反対側の舞台袖で待機する菊司と目を合わせ、曲の余韻と拍手が収まらぬ中、三人がはけるのを見計らって一歩ずつステージの中央に歩みよった。

「楽しんでるかお前ら!」輝恭の言葉にペンライトが激しく振られて拍手が起こる。それに紛れながらも、驚いた声が耳に届いた。「見たことねえ衣装で出てきてびっくりしてんだろ」

「この日のために新しくデザインしたんだよ」

 菊司が誇らしげに腕を広げてくるりと横に回る。どうかな、と問うように小首を傾げればファンたちから思い思いの賞賛を送られた。

「いよいよ次の曲で最後だ。楽しい時間ってのはあっという間だな」

「『なんの曲歌うの?』って気になってるよね。ライブの定番曲をまだ一つだけ歌ってないの、みんな気づいてるかな」

「気づいてねえわけねえだろ。むしろ『早く歌ってくれ』ってうずうずしてんじゃねえか? なあ!」

 輝恭が客席にマイクを向け煽ると、ペンライトの揺れが激しくなった。興奮を抑えきれない声も聞こえ、思わずにやりと唇を歪めてしまう。

「つーわけで最後は『雷電』――俺たちのデビュー曲だ。これ無しに終わるなんざ考えられねえからな」

「楽しい時間が終わるのは名残惜しいけど、それじゃあ早速始めちゃう?」

「ああ。けどその前に、一つ足りねえもんがあんだろ」

 すぐに曲が始まると思っていたはずのファンたちは、輝恭の問いかけに「なにー?」と興味深そうに笑う。

「おら、さっさと出てこい。もったいぶってんじゃねえ」

 輝恭と菊司がそれぞれ上手側と下手側に避けると、ステージ中央にぽっかりと空いたせりにスポットライトが当たった。その瞬間、そこから勢いよく初雪が飛び出して華麗な着地を決める。

 先ほどまでと違う衣装と髪型で現れたせいか、ファンたちはなにが起きたのがすぐに理解できなかったらしい。二秒ほど静寂が流れたものの、間もなく爆発的な歓声が会場を満たした。

 舞台袖では柘榴と拍手も手を叩いている。復帰を熱望していた柘榴は特に満足そうだ。

「つーわけで、今回はニチカも加わるぞ!」

 輝恭が拳を突き上げて宣言すれば、ファンの興奮が最高潮に達した。

 準備を重ねた日々の中で、輝恭は何度も初雪から相談を受けた。自身の登場を受け入れられるか気を揉んでいたのだ。

 ステージ上から客席を見渡して、彼は悩みが杞憂だったと気づいただろう。ブーイングなどあるはずもなく、誰もが歓迎のペンライトを振っている。

「ありがとう」と初雪が手を振り返せば、「おかえり」と答えがあった。輝恭は菊司と目を合わせ、笑いあってサプライズの成功を密かに喜んだ。

「どうよ。この拍手のデカさは」

「想像以上だ。どの面下げて戻ってきたと怒られてもおかしくなかったから」

「僕たちのファンにそんなこと言う人いないよ。ね、輝恭くん」

「菊と同意見だ。むしろ戻ってこいって思ってた奴がかなり居たって聞いてんぞ。だから夢が叶ったって喜んでる奴の方が圧倒的に多いんじゃねえ?」

 筆頭は間違いなく菊司だ。前髪の下には涙を浮かべていることだろう。

「けどまあ、さっきまでのこいつを見て分かっただろうが、今のニチカはもう別のユニットで活動してる。これを機に戻って来るってわけじゃねえから、そこだけは覚えとけ」

 先に言っていいものか逡巡したが、説明しておかなければ両ユニットのかけもちを連想されては困る。輝恭からの説明にファンたちは「えー」とも「わー」ともつかない声を上げた。残念ではあるが、仕方ないとも感じているらしい。

 復帰はあくまで限定的なもの。だからめいっぱい楽しめ。注意に内包したメッセージはしかと届いたはずだ。

「んじゃ、そろそろやるか」

 ぐるっと肩を回して二人と視線を交わす。菊司と初雪の準備も整っているようで、それぞれが力強い眼差しでうなずいた。

 デビュー曲には様々な思い出があった。三人で手探りしながら協同で歌詞を綴り、音源を聴いた日の喜びは今でも覚えている。人前で披露したのは高校の文化祭が初めてで、この曲をきっかけに現事務所から声をかけられたのだ。

 ――この曲が無かったら、俺も菊も、ニチカも、ここに立ってなかったかも知れねえんだな。

 雷鳴に似せたイントロがスピーカーから発された。お祭り騒ぎをイメージした三味線の音色は軽やかながらも勢いがあり、エレキギターの荒々しい音色と重なって和と洋が絶妙に調和する。

「〈さあ騒げや歌え、天翔けるいかづちかき消して〉!」

 曲の出だしはいきなりイントロだ。三人のハーモニーは鬨の声のごとく会場を奔る。

 初めのフレーズを考えたのは誰だったか。各々が提案した言葉を組み立てた気もする。

 しかし今はそんなことどうでもいい。回顧を頭の隅に追いやって、輝恭はステージ上で思いきり跳び上がった。待ってましたと言わんばかりの黄色い歓声が鼓膜を揺らし、Aメロを歌い始めた声は高揚しすぎて練習の時よりいくぶん荒々しくなった。

 菊司と初雪も似たようなものだ。本来の音程に沿いつつも、その場の感情をたっぷり乗せて少しずつ熾烈さが増す。特に初雪はカレンデュラ時に比べてギャップが激しく、その差に驚いたのか、舞台袖の暗がりで玲央が驚嘆する様子がうかがえた。

 特別な時間はもう少し続く。三人はスポットライトの中で汗を散らし、思い残すことが無いよう存分に楽しんだ。



「今日は本当にお疲れさまでした!」

 楽屋で玲央がペットボトルを高く掲げる。周囲に集った輝恭たちも各自の飲み物を片手に「お疲れ」と乾杯し合った。

 ライブは大成功かつ大盛況のうちに終わった。アンコール後も拍手がしばらく鳴りやまず、誰もが夢のような時間が終わることを惜しんでいた。

「ファンの人と一体になるライブってすごく楽しいですね! オレめっちゃはしゃいでた自覚あります。みんなで最高の時間を作るぞー! って感じがもう、心の底からわくわくうきうきするっていうか」

「分かるなあ」と菊司がしきりにうなずく。「ライブとか全く同じ空気、同じテンション、トークまで一言一句同じ内容の回なんてほとんど無いもんね」

「お客さんと一体になって初めて完成する空気もありますしねえ。初雪さんが登場した時が良い例でしょう。ファンの人たちが盛り上がってくれたからこそ、あれだけの熱気が生まれた。どうだった? 久しぶりに輝恭さんたちと歌って」

「楽しかったよ。最近あそこまで弾けたパフォーマンスしてなかったから、初めはちょっとだけ照れもあったんだが」

「後半そんなの見事に吹き飛んでたじゃねえか」

 言いながらSNSを確認してみると、すでにライブの話題がちらほら投稿されている。

 楽しかった、現実を忘れられた、明日からも頑張れる。前向きな感想が連なる中、やはり多いのはカレンデュラの登場と旧霹靂神復活への言及だ。

 本人も言った通り、初雪は冒頭こそ照れがあったもののいつの間にか振り切り、輝恭に優るとも劣らない荒々しさを見せた。あまりの変貌っぷりに「本当にカレンデュラの丹和初雪と同一人物なのか」と疑う声さえある。

「でも確実にカレンデュラで培った紳士テイストも潜んでたよね」

「オレもちょっと思った。手の振り方とか、だいぶ前に見た動画と違って品のある感じになってたし」

「わっ。アカウントにメッセージもいっぱい着てるよ。『また三人が揃ってるところ見たいです!』だって」

「ンなほいほい復活させるかよ」

「……つまり、今後もしかするとってことか?」

「さあな。予定は未定だ。言ったろ、『これを機に霹靂神に復帰しろなんざ宣うつもりはねえ』って」

 いくら好意的な感想が多く、高評価であったとしても輝恭の意向は変わらない。

 アンコールで一曲披露したあと、輝恭は改めて初雪の〝霹靂神卒業〟を宣言した。自分たちの進むべき道はすでに分かれ、とうの前に歩き始めている最中だと。

「だからって二度と交わらねえわけじゃねえ。縁が切れたわけじゃねえんだ。たまにはどっちかの道に邪魔するくらい、この先あってもいいんじゃねえの」

「ふふ、そうですね。ファンの一人として心待ちにしてます」

「……なあ片目野郎。その、ファンだなんだってのは本心なのか? どうにも嘘くせえんだけど」

 彼の言葉は今回ゲスト出演するための方便だったのではないか。輝恭はまだその可能性を捨てきれないでいる。訝るこちらに対し、柘榴は「えー」と肩をすくめてため息をこぼした。

「本心ですってば。もう少し僕のこと信じてくれてもいいんですよ。ねえ玲央くん」

「噓くさいのは磯沢さんに同意しますけど、ファンだっていうのは本当みたいです。オレが保証します」

「仕方ねえな。信じてやる」

 会場の撤収時間が刻々と迫る。そろそろ帰り支度を始めなければ。ステージでもスタッフたちが機材を忙しなく片付けているはずだ。

 打ち上げも各ユニットのマネージャーから提案されたけれど、二十一時を過ぎていること、玲央が受験生という立場であることを踏まえて、後日改めて設定することになった。

「テルヤス、菊司」

 柘榴と玲央が着替えのため楽屋に戻った中、初雪は輝恭たちの前に留まって静かに口を開いた。

「今日はありがとう。霹靂神のファンの前に立たせてくれて感謝する。久しぶりにお前たちと歌えて楽しかったし、学生の頃に戻ったような気になれた」

「僕もだよ。輝恭くんと初雪さんが幸せそうで、僕も幸せになったもん。ファンのみんなも絶対にそう思ってる」

「だといいんだが」

「阿呆。なんでそうやってすぐ後ろ向きになる」

 輝恭は初雪の頬に手を伸ばし、左右から思いきり引っ張ってやった。まさか突然摘ままれるとは予想していなかったのか、初雪が目を大きく見開く。

「ちょ、おい、痛っ。爪! 爪が食いこんでる」

「菊と比べて柔らかくねえな」

「比較してる場合か! なんなんだいきなり!」

「お前がいつまで経っても自信持たねえからだろうが」

 一分近く引っ張ってからようやく解放してやり、輝恭はふんっと鼻を鳴らした。

「霹靂神を抜けてから今日まで、ニチカがどれだけ努力したのかしっかり伝わった。俺がそう感じたんだから、避雷針どもも察してるだろうよ」

 誇れ、胸を張れ。

 激励の意味も込めて、彼の胸に拳を押しつける。輝恭に倣って菊司からも同じようにされ、初雪がそっと俯いた。

 やがて二人の手を己の掌で握るように包むと、意を決したようにパッと顔を上げる。黒い瞳に憂いはなく、爽快な光が散っている。

「ありがとう、本当に。我が儘を言って申し訳ないが、いつか機会があれば、また一緒にステージに立たせてくれ」

「おう。気が向いたらな」

「素直じゃないんだから」

「余計なこと言うんじゃねえ」

 今度は菊司の頬を力加減なしに引っ張る。初雪と違ってもちもち感のあるそこはよく伸びる。摘まみ心地を評した言葉はさすがに照れ隠しだと見抜かれていたか、菊司と初雪にそろって笑われた。

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