第15話
センターに立つのは柘榴だ。俯き気味だった顔を、ピアノとヴァイオリンが奏でるイントロのテンポに合わせてゆっくり上げていく。すう、と音もなく息を吸うと落ち着いた低音で歌い出し、またたく間に会場の雰囲気をカレンデュラ色に塗り替える。
次に喉を震わせたのは下手側に立つ玲央だった。明るく雑味のない澄んだ歌声で、シックで重厚感のある曲調にアクセントを加えている。柘榴の低音と混じることで生まれたハモリは聴き心地が良かった。
そして最後が初雪だ。やや掠れた中低音で柘榴と玲央のハモリをより馴染ませて、サビではハイトーンボイスも難なく当てている。
「あいつ、あんな高い声出せたんだな」
舞台袖で水分補給しつつ、輝恭はステージの様子をうかがった。
ここから客席全体は見えないが、ステージ付近のファンの顔なら照明の影響で辛うじて観察できる。誰もが予想していなかったであろうカレンデュラの出演に驚き、ペンライトを振ることすら忘れて彼らの歌声に聞き入っている。
「菊はこれ聴いたことあんだっけ」
「うん。ホリデイでね。あの時は短縮バージョンだったけど、今日はフルでやるみたい」
「なんかどこぞの教会で流れてそうな……なんつーんだ、ああいうの」
「讃美歌?」
「多分それ。あそこまで宗教色は強くねえ感じするけど、近い雰囲気あるな」
霹靂神が雷をモチーフとしているように、カレンデュラは童話〝赤い靴〟がモチーフらしい。物語の詳細はよく知らないが、菊司によると主人公は終盤に教会で祈りを捧げ、天に召されるシーンがあるという。照明がどことなくステンドグラスの色合いに似ていたり、教会じみた雰囲気は物語をイメージしたが故か。
なによりの特徴は三人の一糸乱れぬダンスだろう。
「すげえな。あんだけ動いてんのに声が全然ぶれてねえ」
「カレンデュラは歌もそうだけど、ダンスがすごいってよく言われてるから。初雪さんがダンス得意なのは知ってるけど、千両くんと谷萩くんも綺麗だよね」
「犬っころはもともとあいつらのバックダンサーだったんだろ。あんだけ上手けりゃ目にも留まるか」
本人は「柘榴や初雪にまだまだ及ばない」と、練習の時に凹んでいたけれど。
しかしその技術は紛れもなく本物で、柘榴たちと並んでも決して劣らない。難易度の高いステップも遅れることなく踏めている。
初雪の実力も、霹靂神にいた頃より遥かに伸びた。のちに歌う三人での曲を練習していた際にも感じたが、改めて見ると以前に比べてより洗練されたと分かる。ハイトーンボイスだって昔はそもそも出せなかったのに。
「努力の成果ってやつか」
「だね」と菊司が穏やかな笑みでうなずく。「そういえば初雪さん、この前びっくりしてたね。輝恭くんも努力してるんだって」
「くそ、あん時の顔見といてやりゃ良かった」
玲央が練習中に凹んだ時、声をかけたのは輝恭だった。
才能が無いのではと落ち込む彼に対し、「才能の一言で片づけるな」と叱咤したのは記憶に新しい。
『いいこと教えてやる。この世界、どいつもこいつも才能持ってるわけじゃねえぞ』
抱えていた苦悩が限界に達し、涙を流す玲央にそう説いた。
『むしろンなもん持ってるやつの方が一握りだ。じゃあ才能無えやつがどうやって居場所を見つけてくと思う。――単純な話だ。努力してんだよ』
『……磯沢さんもですか?』
『当たり前だろうが』
輝恭に才能があるように見えていたのなら、それは積み重ねてきた努力の結果だ。
初めから全て上手く出来たわけではない。難易度の高いダンスを踊れず唇を噛んだ日もあれば、なかなか音を当てられずに朝から晩までボイストレーニングに励んだ日もある。
「『なにもかも〝才能〟の一言で片づけんな。逃げてもいいのは打てる手を打ち尽くしてからだ』って輝恭くん言ってたでしょ。あの時に初雪さん、もしかしてこれ自分にも言われてるのかもって思ったんじゃないかな」
かつて輝恭の才能に及ばないことを理由に逃げて、けれど実際は、自分と同じように人知れず努力を重ねていたと時を経て気づかされて。
くくっと喉の奥で笑い、輝恭はステージを見やった。
三人のハーモニーはよどみなく流麗で、いつまでも聴いていたいと思わせる。しかし始まりがあれば終わりは必ず来るもので、曲はいよいよクライマックスを迎えた。
ヴァイオリンの余韻が消えてなくなるまで、三人はポーズを決めたまま美術品のごとく微動だにしない。照明が消えて静寂が訪れると、客席に拍手の波が起こった。
輝恭は菊司とアイコンタクトを交わし、マイクを片手にステージに上がる。「よう」と声をかければ、柘榴が汗一つ浮かんでいないにこやかな笑みを向けてきた。
菊司が曲の感想を述べると、歓声とともに再び拍手が鳴り響く。ライブ出演は初めてだと言っていた玲央は、その音の大きさにマイクを握りしめて目をまたたいていた。その背中を初雪がさりげなく叩いている。
「皆さんすごく驚かれてましたね。しばらくぽかんとされてる方が多くて」
「そりゃユニットの方向性が真逆みてえなお前らが出てくりゃ、誰だって呆気にとられるだろうよ。俺だって客の立場ならそうなってた」
「でも僕らになんの繋がりもないってわけじゃないでしょう?」
ねえ、初雪さん。
柘榴が唇の動きだけで呼びかけ、輝恭たちは初雪に目を向ける。
久しぶりに霹靂神のファンの前に出たとあり、見かけ以上に緊張しているらしい。初雪はマイクを口元まで運んでは下ろす動作をくり返し、やがて言葉少なに「ああ」とだけ応える。
「んじゃとりあえず自己紹介でもしろ。お前らが何者かまだよく分かってねえ奴もいるだろうし」
「ではお言葉に甘えて――初めまして、あるいはこんにちは。僕はカレンデュラのリーダー、千両柘榴と申します。で、こちらが」
「谷萩玲央、です! よろしくお願いします! で、えっと」
「丹和初雪だ」と初雪は落ち着き払った声音で名乗った。「ご存知の方もいるだろうが、俺はもともと霹靂神だった。今回はその縁で、こうしてライブに出演している」
どうぞよろしく、と三人が揃って腰を折る。客席の反応は上々で、少なくとも彼らの登場を拒否する気配はない。
「どうよ犬っころ。ここから眺める景色は」
「ペンライトがすごく綺麗だなって思います! ……ていうか、あの。ずっと気になってるんですけど、その犬っころってなんなんですか?」
「テルヤスが前に玲央のこと『実家の犬に似てる』って言ってたぞ」
「ふふ、確かに玲央くんってなんとなく犬っぽいかも。ポメラニアンみたいだよね」
「輝恭くんは柴犬みたいだって言ってたけど」
「例えてもらえるのはありがたいですけど、素直に喜んでいいんですかね!」
曲の方向性と異なる和やかなトークに、ファンは一瞬で心を掴まれたようだ。玲央のツッコミに対してちらほらと笑い声が聞こえる。
だが中にはまだどこか複雑な面持ちの者もいる。
不仲説を囁かれた初雪が、思いがけずステージに登場したのだ。出演に至ったより詳しい経緯を欲しているとみえる。
「気になってる奴もいるだろうから、先に説明しとく」
輝恭は初雪の隣に立ち、親指でくいっと彼を示した。
「こいつが昔、霹靂神から出てったのは俺とのいざこざが原因だ」
みなまで話しはしないが、かいつまんで説明する――初雪と事前に決めたことだ。
「安心しろ。もうわだかまりは解消した。その証明として今日ここにこいつらを呼んだんだ。まあ『出してくれ』って言ってきたのは片目野郎の方だが」
「そろそろ普通に名字なり名前なりで呼んでくれてもいいんじゃないですか。はい、リピートアフターミー、千両柘榴!」
「うるせえな。黙ってろ」
不服を訴える柘榴の声を右から左に聞き流し、輝恭は小さく咳払いをした。
「ニチカからなんか言うことは?」
「そう、だな」初雪は躊躇いがちにマイクを握り、ざっと客席を見渡す。「霹靂神のデビュー当時から応援してくれているファンは、今日どれくらいいるんだろう」
彼の言葉に合わせ、ペンライトがさわさわ揺れる。だいたい六割程度だろうか。残りもデビュー当時とは言わないまでも、初雪がいた頃を知る者が皆無ではないはずだ。
「まずは謝らせてほしい。突然抜けてしまってすまなかった。多くの人を悲しませた罪悪感が無かったわけじゃない。にも拘らず、ここに立つまでなにも言及してこなかった。申し訳ない」
初雪が深々と頭を下げる。ファンは謝罪を静かに受け入れ、許すようにぱらぱらと拍手を送っていた。
「お詫びと言ってはなんだが、今日はライブの盛り上げに精いっぱい貢献しよう。久しぶりにテルヤスや菊司とステージに立てて嬉しいしな」
「僕たちもだよ、初雪さん」
「おい、しれっと俺も含めるな」
「でも本当のことでしょ?」
からかうような菊司の笑みに毒気を抜かれ、輝恭は肩をすくめた。
否定しなかったせいでファンにまでにやにやとした眼差しを向けられ、耳が熱くなる。このままでは顔から火が出てしまいそうだ。
「あー、もう! いいから次いくぞ、次!」
「では僕らはいったん引っこみますね。引き続き素敵なパフォーマンス楽しみにしてます。僕らも、ファンの皆さんも、ね」
柘榴が語りかければ、客席から「はーい」と同調する声が聞こえた。
次に披露するのは川の流れをイメージしたゆったりめの曲だ。月日が経っても変わらぬ恋心を綴った歌詞は人気が高く、琴と篠笛、そしてギターが織り成す切ない響きは輝恭も菊司も気に入っている。
――このあとにもう一回ニチカたちが歌って、そのあとに最後のトークタイムだったな。
輝恭たちはカレンデュラがパフォーマンスをしている間に、この日のために用意した新たな衣装に着替えなければいけない。
実物はライブの三日前に出来上がった。菊司の案がそのまま形になったそれは、改めて見ると普段の白い衣装とまるで違う。手触りのいい生地やアクセサリーの細部までこだわり抜かれ、極上の逸品と呼ぶにふさわしい。
新たな衣装を目にしたファンは間違いなく驚き、喜んでくれる。確信を胸に、輝恭は豊かな歌声を響かせた。
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