第14話

 ライブ当日は梅雨時だというのに、清々しい晴れ間が広がっていた。日付が変わるまで雨が降る気配はない。

 会場には開場前から多くのファンが詰めかける。周辺施設の迷惑にならないよう、スタッフが列形成に関して注意を促していることだろう。経験からそれを察しつつ、輝恭は楽屋でスマホに目を落としていた。

「なに見てるの?」

 ひょいと菊司に後ろから覗きこまれ、輝恭は画面をスクロールさせながら「SNS」とだけ答えた。

 ライブなどイベントを発信する場として、霹靂神もユニットとして複数のSNSにアカウントを開設してある。書きこむのはたいていマネージャーの掛巣で、輝恭と菊司は気が向いた時にしか出没しないが、貴重さがあるとファンには好評だ。

「最近ライブの情報を出してたみてえだからな。その確認」

「わー、結構拡散されてるね。コメントもいっぱい来てる」

 掛巣の発信には「楽しみにしてます!」「待ってました!」と好意的なコメントが寄せられていた。

 またゲストが来ること、出演者はその瞬間まで伏せておくことを伝える内容には、ゲストは誰なのかと推測を楽しむ声もある。ファンが霹靂神と親交のあるアイドルや俳優を列挙すれば、別のユーザーが「そうかも」「違うかも」と新たな予想を返し、なかなかに混迷を極めていた。

「物販すごく混雑してますよ」

 突然入り口から声が聞こえ、二人はそろって目を向けた。ノックも無しに柘榴が入ってきたのだ。黒を基調とする普段のステージ衣装では気温に適さず、見た目の印象も重いからか、今日はジャケットを纏っていない。

「第一声がそれかよ。普通挨拶とかだろ」

「ふふ、すみません。柄にもなく興奮しているもので、うっかり忘れました」

「初雪さんと谷萩くんは? まだ着替え中?」

「ええ。二人ともそのうち来ると思いますよ」

 その言葉通り、程なくして初雪と玲央も霹靂神の楽屋に現れる。柘榴と違って二人はしっかりとノックをし、玲央はがちがちに強張った表情で頭を下げていた。

「外の人混み凄いな」と初雪が驚いたように言う。「物販の列が会計のところから三往復くらいしてるって、さっきマネージャーが教えてくれたぞ」

「そんなに並んでんのか。いつももうちょっと短ぇ気がすんのに」

「『ブロマイドや缶バッジの袋は公演が終わるまで開けるな』なんて言うからですよ」

 グッズの袋は全て中が見えないように包装してある。多くは購入後すぐに取り出すだろうが、今回はシークレットゲストかつ元メンバーである初雪がラインナップに含まれている。登場するまで出演を伏せた都合上、すぐに確認されると興奮と驚きで混乱を起こしかねない。

 そのため輝恭自らが「絶対に開けるんじゃねえぞ」とSNSに書きこんだのだが、一体どんな写真なのだろうと興味の沸いた人々が多く並んだらしい。

「検索した感じ、どの人も輝恭さんの言いつけを守って開封してないみたいですよ。良かったですね」

「柘榴先輩。言いつけって、その言い方はどうかと思うよ」

「ゲストの予想合戦も白熱してますし」玲央の苦言をさらりと受け流して、柘榴もスマホに指を滑らせる。「僕らの名前は一言も上がってませんが」

「誰もお前らが出るとは思ってねえんだろ」

 そもそも他に候補として名前を挙げられたアイドルたちも、大型のライブやドラマで共演したことがあるだけで普段から仲が良いわけではない。その経験もほとんどないカレンデュラが出てくるなど、予想しろという方が難しいだろう。

 五人そろったのだから、と輝恭は改めてライブの流れを確認した。

 この日のために準備を重ねてきた。ダンスや歌の練習はもちろんのこと、演出や飾りつけも最高のものが出来ている。裏で支えてくれるスタッフたちも、無事に当日を迎えられたことを喜んでくれた。

「分かってんだろうが、なにもかも終わるまで気は抜けねえ。ファンに楽しんでもらうのは当たり前だが、まず俺たちが楽しむのが大前提。チケットは完売、つまり満員御礼だ。ファンも俺たちも、消化不良が起きねえように全力でやりきるぞ」

「はい!」

 誰よりも元気よく玲央が返事をする。高揚感からか頬を朱色に染め、くるりと大きな瞳がきらきらしく輝いていた。

「オレこういうライブに出るの初めてなので、色々と勉強もさせていただきます」

「おう。好きなだけ学べ」

「それじゃあそろそろ時間ですし、移動しましょうか」

 柘榴に言われて壁の時計を見れば、開始時刻まで十五分を切っていた。

 ステージ上には今ごろ事務所の後輩アイドルが立っている。輝恭たちの後輩かつそれなりに交流があったため、前説とMCを任せたのだ。軽妙なトークでライブ中の注意点を説明しつつ、場を盛り上げてくれていることだろう。

 楽屋を出て行くカレンデュラの三人を見送り、自分たちも舞台袖に移動しようとする。

 その直前、菊司に指を掴まれた。

 なにをするのかと振り返れば、唇に啄むようなキスが落とされる。

「いきなりなんだ」

「なんとなくしたくなったから」

「時と場所を考えろ。楽屋だぞ」

 もし誰かに見られていたら騒ぎになるのは避けられない。現役アイドルで同じユニット、それも男同士で付き合っているなど世間は易々と受け入れないはずだ。

 びしっと菊司の額を指で弾けば、彼はほんのり赤らんだ箇所を擦りつつなぜか嬉しそうに頬を綻ばせる。

「家だったらいいの?」

「そりゃまあ」

「じゃあライブ終わったら輝恭くん家行くね」

 楽しみにしてる、と耳元で囁かれ、調子に乗るなと今度は頬を思いきり引っ張ってやった。



 後輩アイドルがライブの開始を厳かに告げる。彼が舞台袖に引っこむに従って、会場の照明もゆるゆると落ちていった。

 ざざ、と初めに流れたのは雨の音だ。しとしと降るそれではなく、黒雲からこぼれて大地や木々の葉を激しく打ちつける村雨である。音は迫力を増し、誰もが頭に情景を思い浮かべて息をのんだ。

 刹那、耳をつんざくような轟音が会場に響きわたる。同時に視界を真っ白に染める光がステージ上に灯り、イントロがかかるのに合わせて上手と下手にそれぞれ設けられたセリから霹靂神が登場した。

 わあっと客席に黄色い歓声が上がる。忙しなく振られるペンライトやデコレーションされたうちわを目の前にして、輝恭は勇ましくマイクを握った。

「待たせたなぁ、避雷針ども!」

 避雷針とは霹靂神のファンの総称だ。誰が言いだしたのか知らないが、なるほど言いえて妙だった。

 呼びかけに応じて客席のペンライトが一斉に揺れる。あちこちで輝恭と菊司の名が叫ばれ、二人の登場を心待ちにしていたことがひしひしと伝わった。

「長ったらしい挨拶は後回しだ。騒ぎたくてうずうずしてんだろ」

「それじゃあ早速いくね。『電光一閃』!」

 菊司は高らかに告げ、滑らかに歌詞をメロディーに乗せる。柔らかく落ち着いた声は、愉楽が増すにつれて少しずつ荒々しくなった。CDに収録されている音源とはもちろん違う、生の男らしい歌声がファンの興奮を煽る。

 自分も負けていられない。アップテンポに乗り遅れないよう、かと言って一音一音が雑にならないよう気を配りながら、輝恭は早口気味の歌詞を丁寧に紡ぐ。

 ステージの間近にいるファンに目線を送ることも忘れない。うちわに書かれた「手振って」「ウインクして」などの要望を見つければ、ブレスの合間に願いを叶えてやった。そのたびに悲鳴に近い歓声を上げ、中には嗚咽して涙をこぼす者もいた。

 サビに達すると盛り上がりもいや増して、二人の猛々しさも右肩上がりになる。

 かしこまった〝良い子ちゃん〟スタイルは霹靂神にそぐわない。日々の憂鬱や懊悩、辛苦を一時的にでも忘れてもらうべく、時に挑発的な言葉を投げかけ、時に力強い眼差しで手招いて、心の底から楽しめる束の間の夢のごとき世界に誘うのだ。

「まだまだこんなもんじゃねえからな!」

 一曲目を終えてすぐに二曲目のイントロが流れる。初っ端からサビで始まるナンバーで、和風ユニットらしく琴の音色が雅やかでありながら、和太鼓の腹に響く音がどこか雷鳴に似ていた。

 歌いながら菊司を見ると、彼も輝恭に視線を向けている。

 ――すごく楽しいよ。

 言葉にされなくとも伝わる。へにゃ、と解けるような笑みはステージの上であっても変わらず、感情豊かに歌声を客席に届けていた。

 ――俺もだ。

 ――俺も、すごく楽しい。

 ホリデイの時にも感じた喜びが、血流にのって全身を駆け巡る。

〝磯沢輝恭〟として求められ、自分だけを見てくれている。何度味わっても、この瞬間に飽きることはないだろう。

 万雷の拍手を浴びながら二曲目を終え、輝恭は耳に突っこんでいたイヤモニを外した。ファンの歓声が直に耳に届き、いかにこの日を待ちわびていたか実感できた。

「まずは謝らねえとな」

「ライブの日を変更してしまってごめんね。予定狂っちゃったって声もたくさん見かけし、実際に届いたりもしたから申し訳なくて」

「悪かった」

 二人そろって頭を下げると、各所から「大丈夫」「気にしないで」と励ます声が上がった。

 しかしそれに甘えてはいけないことも理解している。輝恭と菊司は数秒間、深々と陳謝してから顔をあげた。

「けど待たせたぶん楽しませるからな。覚悟しとけよ」

「そんな勝負挑むみたいな……普通に『楽しんでね』って言えばいいのに」

「伝わりゃそれで問題ねえだろ。なあ?」

「はーい」と応じる複数の声に口角が上がる。呆れたように菊司が眉を下げ、ひっそりと肘で小突いてやった。

 舞台袖で控えていた後輩がマイクとカンペを片手にステージに登場した。ライブでは毎回ファンから事前に募集したテーマを基にトークをするのだ。

 最近の趣味や習慣、お気に入りの場所といった質問に答えながら、舞台袖で待機するカレンデュラを一瞥した。あと一つ用意されたテーマについて語れば、いよいよ彼らの出番だ。

 柘榴は相変わらず飄々として、微塵も緊張していなさそうだった。玲央の表情は控室で見た時よりいくらか和らいでいるものの、マイクを忙しなく左右の手に行ったり来たりさせている。彼の背中を撫で、落ち着かせようとする初雪もまた、かすかに緊張した面持ちだった。

「んじゃ、そろそろ次の曲行くか」

 輝恭の言葉に、ファンたちは「次はなにを歌うのか」と期待の色を目に浮かべる。

「つっても歌うの俺たちじゃねえけど」

「『どういうこと?』って顔してるね。今日のライブにはゲストが出るって告知してあったと思うんだけど、次はその人たちに歌ってもらうんだ。みんなたくさん予想してくれてありがとう。それだけ楽しみにしててくれたんだよね」

「だそうだぞ。期待に応えろよ」

 カレンデュラに言葉を投げかければ、三人ともこっくりうなずく。ファンはゲストがすでに待機していると察知して、ペンライトを振ったり手を打ち鳴らして、彼らを迎える準備を整えた。

「驚いて腰抜かすんじゃねえぞ。今日のゲストは――」

「カレンデュラの三人です!」

 菊司がユニット名を告げた途端、会場にどよめきが巻き起こった。ステージの照明が勢いよく落ち、その隙に輝恭たちは舞台袖に引っこむ。間もなく夕暮れに似た赤いスポットライトがステージ上を照らし、三人のシルエットが浮かび上がった。

「見せてもらおうじゃねえか」と輝恭は腕を組み、密やかに呟く。「カレンデュラの――ニチカのステージを」

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