第10話
この状況は一体どういうことか。
ずらりと並んだ料理を前に、輝恭は眉間にしわを寄せて机に頬杖をついていた。
「どれも美味しそうですね」と対面に座る男がにこやかに言う。輪郭に沿うように切りそろえられた髪は茶色く、顔の左半分を覆う前髪は二ヵ所だけ赤い。
男の隣にはよく見知った、かつ条件反射的に睨みつけてしまう別の男が腰かけている。彼はコーヒーのマグカップに手を伸ばすことなく、輝恭と目を合わせないようどことも知れない場所に視線を投げた。
「おい」
輝恭は不機嫌も露わに茶髪の方を見すえる。
「俺はのんきに飯食うつもりなんざねえぞ」
「ああ、これは全部僕のぶんなのでお気になさらず。ちなみにここはお誘いした僕が全て奢りますので、もしなにか食べたくなった時は遠慮せずに注文してくださいね。初雪さんも。飲み物だけだと足りないでしょ?」
「お前が食ってるの横で眺めてるだけで腹いっぱいになるから今のところはいい」
「そう? じゃあとりあえず、いただきまーす」
茶髪の男は幸せそうに両手を合わせ、満面の笑みでサラダに箸を伸ばした。
ことは昨日にさかのぼる。
ホリデイからおよそ二週間が経過し、年始から続いていた仕事がひと段落した頃合いに菊司にメッセージが届いた。送ってきたのはカレンデュラのリーダーである千両柘榴で、近々初雪に関する件で話し合いたいと書かれていた。
『だから僕と輝恭くんがそろって空いてる日を教えてほしいって』
『なんで俺まで』
『この前「話すくらいならやってやる」って言ってたのに』
『……忘れたわけじゃねえけど』
『とりあえず連絡しておくね』
菊司が返信して間もなく、柘榴から「では明日にしましょう」と待ち合わせ場所や時間の指定がきた。
あまりにも急に決められた時点で不信感を覚えたけれど、渋々菊司と赴いたところそこには彼一人しかおらず拍子抜けした。初雪がいないのなら多少は冷静に話が出来る。そう思った直後、「別の駅で初雪さんと玲央くんが待ってますから行きましょう」と告げられたのだ。
前日に急に予定を放りこまれたのは百歩譲って良しとする。だが同席相手くらいはもっと前もって知らせておくのが常識だろう。憤激する輝恭は帰ろうとしたのだが、柘榴に半ば無理やり引きずられて初雪たちが待つ駅へ連行された。
「つーか、なんなんだよ。この店は」
ため息まじりに呟けば、柘榴がロールパンにジャムを塗りつけながら首をかしげる。彼は席につくなり、水を持ってきた店員に日替わりランチ四種類を全て注文した。見かけによらず大食いらしい。
サラダは少し目を離したすきに欠片すら残さず消えている。味わって食べているのか疑わしくなるほどの勢いだ。
「メイクさんにオススメしてもらったカフェだって、道中でも少し説明したはずですが」
「それは分かってんだよ。俺が言いてえのは『男五人で話し合いに使うような場所じゃねえだろ』ってことだ」
柘榴に案内されたのは、駅前に最近出来たばかりのカフェだった。店内にはパステルカラーが溢れており、客の大半は若い女性で男は自分たちしかいない。どう考えても場違いだ。
前もって席を予約してあったようだが、窓際のボックス席に案内されたのは輝恭と初雪、柘榴の三人だけだった。菊司と玲央は少し離れたテーブルで向かい合い、緊張した面持ちで言葉を交わしている。
「わざわざ席分けた意味も理解できねえし」
「玲央くんへの気遣いです。芸歴の浅い彼にとって輝恭さんと菊司さんは大先輩ですから、いきなりお二人を前にすると緊張してしまうと思って。あとは僕が浮かれきってるところをあまり見せたくなかったというのもあります」
「はあ?」
柘榴の一言に、輝恭と初雪の声が重なった。はっと目を見あわせてしまったのが妙に気まずく、輝恭は小さく舌を打って視線をそらした。
「浮かれきってるってどういうことだ」
「そのままの意味だけど」
不可解そうな初雪に、柘榴がにっこりと微笑む。まったくもって要領を得ないがいつものことなのか、初雪は諦観を瞳に浮かべて深く追及しない。
「さて、時間は有限ですしのんびりしている暇はありません。今日、輝恭さんたちをお呼びしたのは初雪さんに関する件です。ホリデイのあとに僕たちが菊司さんと会っていたのはご存知かと思いますが、なにを話したのか詳細は聞いていますか?」
「詳細もなにも、俺が行ったからほぼ話してねえんだろ」
「まあそうですね」
柘榴はあっさり肯定してアイスコーヒーのストローを口に含んだ。
「ひとまず僕らは菊司さんから『せめてもう一度だけでも、三人でステージに立ちたい』と伺いました。こちらについては?」
「そっちはまあ、耳に入ってるけど」
「でしたら話は早いです。じゃあ初雪さん、現時点で霹靂神に復帰するつもりは?」
「ない」と初雪は清々しいほどきっぱりと言い切った。
仮に未練がましいことを口走っていたならば、輝恭は文句の一つでも言っていたかもしれない。自分から逃げたくせになにを抜け抜けと、と。
しかしどうやら本人に脱退の後悔は無さそうだ。それだけカレンデュラという居場所が心地いいのかも知れない。
「いくら誘われたところで、俺は霹靂神に戻るつもりはない。戻られたら困るってお前も言っただろ」
「うん、言ったね」
菊司が輝恭を追いかけてファミレスを出たあと、三人はしばらく残って色々と話したようだ。だが詳細がそこまで気になるわけでもなく、輝恭はぬるくなりつつあるお冷で唇を湿らせた。
「でも、ファンの中にはまた霹靂神の曲を歌う初雪さんを観たいって人がいることも知ってるよ」
「…………」
「かく言う僕もその一人だし」
「なんだそりゃ」と輝恭は口の端を吊り上げた。「まるでお前が霹靂神のファンみてえな言い方だな」
「ええ。だって実際そうですから」
あまりに真っすぐ認められ、輝恭だけでなく初雪も瞠目している。その間に彼は皿に盛られた料理を次々と味わって、満足そうに頬を染めて口元を紙ナプキンで拭った。
胡散臭い雰囲気をまとっているがゆえに、今の一言が本心か否か分からない。初雪も同感だったらしく、懐疑の眼差しを向けている。
「えー、そんな珍しいことじゃないでしょ」
「お前が言うと全部嘘に聞こえるんだが」
「信用されてないなあ。とほほ」
「なにが『とほほ』だ。わざとらしい」
「まあとにかく今は信じてよ。じゃないと話が進まないから」
ね、と諭すように見つめられて、初雪が唇をへの字にまげつつ肩をすくめる。
「二人の仲が悪いのは知ってるよ。なんでそうなったのかも大体聞いた。だから二人とも、現状では初雪さんの霹靂神復帰ってビジョンが描けないんだよね。なので」
ぱちんっと柘榴が指を滑らせて軽快な音を鳴らした。
「まずは仲直りしましょう」
「…………」
輝恭と初雪が黙りこんでも意に介さず、柘榴だけが楽しそうに笑う。本人曰く「浮かれきってる」からか。ここまで来ると胡散臭さより不気味さが勝り、わずかに体を引いてしまった。
仲直りもなにも、不仲の発端を作ったのは初雪だ。輝恭から謝罪するのはおかしいだろう。初雪もまた輝恭に抱いていた嫉妬を口にするわけにはいかないからか、なにかを言おうとしてはすぐに口をつぐむ。
膠着状態が一、二分ほど続いたところで、柘榴がおもむろに立ち上がった。
「僕ちょっと玲央くんたちのところ行ってくるね」
「は? おい待て、なんでだ」
「あっちはどんな話してるのかなあって気になって。美味しそうなものも食べてるし、様子覗いてくるよ」
「おい柘榴!」
初雪がいくら呼び止めても無駄だった。柘榴は手を振りつつ軽い足取りで去り、ほくほくとした笑顔で玲央の隣に腰を下ろす。
菊司はびくりと一瞬だけ肩をこわばらせていたが、すぐに警戒を解いてハンバーグを口に運んでいた。どうやら玲央と打ち解けられたようだ。
――とりあえず一回だけでもいいから、初雪さんとちゃんと話し合おうよ。
顔を見たからだろうか。菊司の声が耳の奥で響く。
「……あいつ、いつもあんな感じなのかよ」
ぶっきらぼうに訊ねれば、間を置いて「あいつ?」と初雪から答えが返った。
「お前んとこのリーダーだよ。千両だったか。ずいぶんちゃらんぽらんじゃねえの」
「普段はあそこまでじゃない。今日は妙にテンションが高いから、正直に言うと俺もかなり困惑してる」
「霹靂神のファンだっつってたよな。それが原因か」
「あれが本心だったならな。可能性は十分にあるだろ」
視線は一向に重ならないが、自分で思っていた以上にすんなりと会話が成り立つ。
「菊から聞いたぞ」
「なにを」
「お前、俺に嫉妬してたんだってな」
回りくどい伝え方は苦手だ。聞いたままの通りに問いかけると、初雪は眉を曇らせてこちらを一瞥する。
「……ああ、そうだよ。認めざるを得ない」
「だから逃げたのか。俺の隣にいたくねえって」
「自分本位で身勝手だったのは分かってる。だがあの時の俺には、お前から離れる以外の選択肢が無かったんだ」
ようやく初雪と目が合った。反応を恐れているのか、マブカップに添えた手がわずかに震えている。
彼は輝恭のアイドルとしての才能を評価していた。だからこそ自分との差を痛いほど実感し、思いつめた末に脱退を決めた。当時なにも教えてくれなかったのも、嫉妬を自覚したくなかったからかもしれない。
「てっきりあのまま引退すんのかと思ってたんだけど」
「柘榴に拾われなきゃそうしてただろうな。どれだけ断ってもしつこく話しかけてくるから、あまりの諦めの悪さに折れたんだよ」
「菊に引き止められた時は聞く耳もたなかったくせにか」
「申し訳なかったと思ってる。さっきも言っただろ。俺はお前から離れたかったんだ。あのまま霹靂神に居たら、俺は間違いなく自分を見失ってたよ」
「で? カレンデュラならありのままの自分で居られる、と?」
「そうだな。アイドルはこんなに楽しいものだったんだなって思い出せた」
「……そうかよ」
はー、と輝恭が長く息を吐きだすと、初雪は表情に憂色をにじませて小さく首を傾げる。
「怒らないのか」
「誤魔化されるより数倍マシだ」
――ああ、そうだ。
――俺は多分、悔しかったんだ。
霹靂神としての活動は苦しかったのか、輝恭や菊司になにか不満があるのか。楽しく歌う顔の下に秘めた思いはなんなのか、伝えてもらえないのが苦しかった。一言でも吐露してもらえれば支えになれたかもしれなかった。
けれどまるで「お前に言っても無駄だ」とばかりに無言を貫き、これまで三人で作り上げたものを蔑ろにするがごとく去ったのが、どうしようもなく不愉快で。話そうとしない相手と、立腹するあまり聞こうとしない輝恭とでは、衝突するのは必然だったのだ。
「言っとくが完全に許したわけじゃねえし、許すつもりもねえ。お前の行動でどれだけの人数が振り回されたと思ってやがる。俺と菊だけじゃねえ。ファンを傷つけたのも理解してんだろ」
「分かってる」
「霹靂神に復帰ってのも俺は一切考えてねえからな。それについては俺とニチカで一致してんだろ」
「ああ」と初雪が首肯した。「今の俺はカレンデュラだからな。柘榴や玲央といるのは楽しいし、あいつらを失望させたくない」
「ならいい」
本人の口から固い意思を引き出せて、輝恭はほんのわずかに眉間から力を抜いた。
タイミングを見計らったように、菊司たちの席から柘榴が戻ってくる。なんとなく菊司に目を向けると、頭を抱えて唸っているように見えた。体調不良でも起こしたのかと心配になったが、柘榴の笑顔を見る限りそういうわけではなさそうだ。
「仲直り出来た?」
「お前が思ってるようなものじゃないかもしれないが、まあそれなりに」
「そう、良かった。じゃあ次の段階に進もう」
「あ? 次の段階?」
頭上に疑問符を浮かべる輝恭と初雪の間に、柘榴がスマホを滑りこませてくる。表示されているのはメモのアプリだ。細かな文字がずらりと羅列され、彼はその一角を指先で拡大する。
「さっき菊司さんに伺ったんですが、霹靂神は今年も結成記念ライブを行うそうですね」
霹靂神の結成記念日は五月五日だ。柘榴が言った通り、毎年、その前後になるとライブを実施している。それを知っているということは、ファンだと称したのはあながち嘘でもないのか。
肯定しつつ、柘榴が拡大した箇所に目を落とす。よくよく確認してみれば〝ゲストとして参加できないか〟と書かれているではないか。
結成記念ライブとメモの一文。二つを合わせて導き出された答えに、輝恭の口の端がひくっと引きつる。
「……おい。お前、まさか信じられねえくらい図々しいこと言うつもりじゃねえよな」
「ふふ、そのまさかです」
とん、とメモの一文をタップして、柘榴は大まじめに続けた。
「今年の結成記念ライブに、僕たちカレンデュラを出演させてほしいんです」
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