第6話
照明が落ちたステージの中央に立ち、輝恭は深呼吸しながら手袋のボタンを留めた。
時間はあっという間にめぐり、いよいよ〝ホリデイ〟当日だ。数分前にメインスタジオで曲に対するこだわりやライブの宣伝などのトークを終え、現在は隣のスタジオに移動して本番待ち中である。
今日のために組まれたセットにはクリスマスモチーフが溢れている。限りある客席は抽選に当たった人々が座り、霹靂神のファンと思われる者はペンライトを携えて点灯の瞬間を待っていた。
「輝恭くん」
左に立っていた菊司に肩をつつかれ、輝恭は顔を上げた。
「そのまま前向いてて。ちょっと耳触ってもいい?」
「あ? なんでだ」
「イヤーカフが傾いてるから直すだけ」
指摘されて触れてみれば、確かに傾いていた。普段は稲妻型のシンプルなピアスだけだが、今日は柊や星といったモチーフを散りばめたイヤーカフも付けている。明かりがほとんどないにも関わらずやけに目敏かったのは、デザインした張本人だからか。
「はい、直したよ。これで大丈夫」
「おう。悪いな」
「……なんだか緊張するね」
ちらちらと星の飾りを指先で揺らして、菊司が耳元に口を寄せてきた。潜めた声は普段よりいくらか強張っている。
輝恭は彼の頬を軽くつまみ、両側からほぐすように引っ張ってやった。
「何回テレビ出てきたと思ってんだ。いちいち緊張してんじゃねえ」
「そうだけど、やっぱり人に観られるのってまだ慣れないよ」
「ここよりデカい会場で歌ってきただろうが。おら、背筋伸ばせ。ただでさえ見えにくい目が帽子で余計分かりにくいんだ、しゃんと胸張って笑ってねえと怖がられんぞ」
輝恭がにいっと口角をあげれば、菊司も倣って白い歯を見せる。その調子だ、と帽子越しに頭を撫でてやった。
他の仕事の合間を縫いながら〝ホリデイ〟の準備を進め、歌やダンスの練習も重ねてきた。楽曲自体は過去に発表したデートソングだが、今回は音色にクリスマスらしいアレンジを加えてある。これまでのファンはもちろん、テレビを通じて霹靂神を知る不特定多数の視聴者にも楽しんでもらえるはずだ。
「いいか、初っ端が肝心だぞ。しっかり声出せ」
「分かった。頑張る」
「絶対に俯くんじゃねえぞ。菊一人でステージにいるわけじゃねえんだ。怖がらなくていい。どうしようもなく不安になったら俺を見ろ。緊張なんざかき消してやる」
うん、とうなずいた菊司の声は、もう震えていない。
間もなくCM開けだと声がかかり、二人はそれぞれの立ち位置で待った。間もなく青みがかった照明が灯り、しゃらしゃらと鈴の音色が流れ始めた。客席のペンライトがいっせいに山吹色に輝く。
初めに声を響かせたのは菊司だ。恋にときめく心を語りかけるように繊細に、一音一音丁寧に歌い上げる。渋すぎない低音はゆったりと落ち着きがあり、先ほどまでの緊張を一切感じさせなかった。
Bメロは輝恭の担当だ。真っすぐに前を見すえて、ファンと目が合えば力強い笑みを向けた。恋の成就を喜びながらも、このまま上手くいくのか怯える心の表現も忘れない。ただ声を張り上げるだけでは伝わるものも伝わらないのだ。
――ああ、この瞬間だ。
スポットライトを全身に浴びて、輝恭は両腕を広げた。
――この瞬間が最高に楽しい。
カメラが自分に向けられている。ファンはペンライトを振って盛り上げてくれている。
他の誰でもない〝磯沢輝恭〟として求められて立っているのだと、強く実感できるひと時だ。
菊司もきっと同じだろう。人に観られるのは慣れないと言いながら、客席に自分を応援する誰かがいると気づけばすぐに手を振って応えている。子どものように嬉しそうな顔を見るたび、彼をアイドルに誘ってよかったと心の底から思えた。
一番盛り上がるサビに突入し、二人のハーモニーがスタジオいっぱいに広がる。
アイコンタクトを交わすべく菊司と向かい合った刹那、輝恭の胸にふと違和感が芽生えた。
――どこを見てやがる。
ファンではなく、カメラでもない。
菊司の眼差しは客席よりももっと奥に向けられていた。
確かめるより先に、菊司はなにごとも無かったようにこちらを見つめてくる。気のせいだっただろうかとパフォーマンスに意識を戻したが、やはり菊司は時おり遠くに視線を投げていた。
曲がクライマックスに近づくにつれ、歌詞が明るく前向きになるに従って照明も青から白に変じていく。近くにいる者の表情はよりはっきり見えるようになり、遠くの薄暗がりにいたスタッフたちの顔も分かるようになった。
だから、輝恭も把握した。
菊司がなにを見ていたのか。
――なんであいつがここにいる。
スタジオの出入り口付近にはスタッフだけでなく、出番を控えた、もしくは終えた他のアーティストたちの観覧スペースがある。そこによく知った顔を見つけ、輝恭は曲の途中でありながら一瞬だけ顔をしかめてしまった。
輝恭よりわずかに高い身長と、切れ長の目尻に藍色がかったような瞳。撫でつけ髪は墨を溶かしたかのごとく黒い。だがよく見ると前髪に橙色の筋が二本入っている。メッシュというのだったか。
黒いジャケットとベストというスタイルはいかにも紳士じみており、そばには同じいで立ちの若い男が二人いる。
――ニチカ!
元同級生の名を胸のうちで呼ぶのと、曲が終わるのはほぼ同時だった。
琴の音色が儚い余韻を響かせ、輝恭は菊司と背中合わせに立ち、舞い落ちる雪を受け止めるように手のひらを差し出した。間もなくファンから拍手と歓声が上がり、二人は手を振りながらステージを降りる。
「行くぞ」
「き、輝恭くん」
「なんだ」
左肩のマントを翻して振りかえれば、菊司がなにか言いたげに忙しなく視線を左右に巡らせていた。
「気づいてる、よね?」
なにに、とは聞き返さない。
「知らねえな」
輝恭はかつかつとブーツを鳴らしてさっさと歩きだした。居丈高な靴音はさながら勝利を収めた軍靴の響きだ。
通路の前方には〝ニチカ〟の隣にいた少年が立っている。高校生くらいだろうか、生成色に染まった髪の下でくるりと丸い瞳が輝いていた。彼は〝ニチカ〟とは別の茶髪の男に肩を揺さぶられ、慌てて通路の端に飛びのく。
眼差しを感じながらも三人の前を通り過ぎ、歩く速さを落とすことなく真っすぐに楽屋に戻った。数秒遅れて追いついてきた菊司の前で、輝恭はあからさまな舌打ちをこぼす。
「久しぶりに嫌な顔見ちまった。なんでニチカがここに居んだよ」
「やっぱり気づいてたんだ」
「…………」
再び舌打ちをしつつ、マントを外して菊司に押しつける。
「……僕たちと一緒だよ。出演依頼がきたから引き受けたんじゃないかな」
「はあ?」
菊司がテレビの電源を入れ〝ホリデイ〟をつける。画面の中では先ほどの少年がマイクを向けられ、初々しいトークをくり広げていた。
《谷萩くんは千両さんと丹和さんのお二人にスカウトされて、カレンデュラに加わったそうですね》
《はい! 何度かバックダンサーをしたことがあって、その時の様子を見て声をかけてくださったんです》
少年の下には「
彼らは〝カレンデュラ〟というユニットらしい。リーダーは茶髪男もとい柘榴で、玲央のどこにアイドルとしての素質を感じたのか、童顔からは予想できないバリトンボイスで説明している。
「どういうことだ」
トークのほとんどを右から左に聞き流し、輝恭はどっかりとパイプ椅子に腰かけた。
「初雪さん、今はカレンデュラにいるんだよ。結成したのは一年半前」
「は! なんだそりゃ」
話題は変わり、クリスマスに貰って嬉しいプレゼントはなにかとテーマが出された。玲央と柘榴に続き、〝ニチカ〟こと初雪もそつなく面白みのない答えを返す。
「俺が言いてえのはな、『こいつは引退したんじゃなかったのか』ってことだ」
「…………」
「忘れたわけじゃねえよな。ニチカはもともと俺たちと一緒にやってたって」
「忘れてない。忘れるわけない」
菊司はだらりと体の横に腕を下ろし、どこか悔しそうに握りこぶしを作る。
輝恭がアイドルとして、霹靂神としてデビューしたのは高校二年生の秋だ。当時の霹靂神は二人ではなかった。
輝恭と菊司、そして初雪の三人体制だったのだ。
だが二年前に脱退し、一時は引退報道も流れた。てっきりその際に芸能界から消えたと思っていたのだけれど。
「結成が一年半前? 抜けてから半年もしねえで片目野郎と組んだってのか」
「片目野郎って千両くんのこと? 確かに前髪長いから顔の半分隠れてるけど」
「不愉快だ。消せ」
「……でも」
「消せ」
再三促して、菊司が渋々テレビを消す。真っ暗な画面に白い衣装をまとったままの自分たちがぼんやりと反射した。
「いい気分で歌ってたってのに。着替えたらとっとと帰るぞ」
「他の人たち観ていかないの? まだ収録一時間くらいあるのに」
「気分じゃねえ。観たけりゃ菊一人で観てけ」
「……分かった」
トイレ行ってくる、と菊司は楽屋を出て行った。しょんぼりと寂しげな背中にいら立ちとも罪悪感ともとれない感情が巡り、気を紛らわせるようにがりがりと頭をかく。
――なんで今さら俺の前に現れやがる。
くそ、と人知れず悪態をついて、輝恭は握りこぶしを机に打ちつけた。
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