第44話 幼馴染で大切な人は...どうしたい?


 私は一人先に、事務所から帰っていた。

 京香のメッセージに気付いたのは家に着いてからで、返事をしてから今はお風呂に入っている。


「...はぁ」


 髪を洗って体を洗って湯船に入り、かれこれ一時間。

 張ったお湯に映る情けない私を見ながら、ため息をついた。


 怒っているわけじゃない。

 怒る資格なんてない。


 それでも京香が他の誰かにキスをする姿なんて見たくなくて、逃げ出した。

 姫野京香は可愛い。

 そんな当たり前の事実に、今更ながら焦る。


『...ナイトは、京香と付き合ってるの?』


 クイズ番組が始まる前、メアちゃんが珍しく真剣な顔をして聞いてきた。

 いつもの煽るような表情も口調もない、真剣な質問だ。


『付き合って...ないけど』


 弱々しく返した私をどう思ったのか、メアちゃんは私を見ながら、


『ふん...じゃあ覚悟しておいて』


 と言ってきた。


 ...そういう、ことなのだろうか。

 考えがまとまらない内に始まったクイズ大会は前半ボロボロで、犬屋敷さんを筆頭にした一期生のライブスターズ愛に圧倒されていた。

 私も答えられる問題は沢山あったのに、漢字間違いなんかの簡単なミスを繰り返して、結果後輩とギリギリの勝負という不甲斐ない結果になってしまった。

 このままではまずい、そう思いながらも心の中は穏やかではなく、隣で一緒に答えているメアちゃんの言葉が何度も頭の中を反芻はんすうする。

 そんな中、


『勝ったら京香たんがほっぺにキスしてくれるってよ!』


 というスミレさんの声が聞こえて来た。

 それに五期生、一期生も続く。

 うだうだ考えている場合じゃない、誰にも渡してたまるものか。

 最終結果、私達三期生は見事優勝することができたが、私は忘れていた。

 私が勝つということは三期生の他の四人も勝つということで、キスはどう頑張っても守れないのだ。

 番組が終了し、皆が休憩所に戻る中、私は一人家路についていた。



 京香はトップアイドルだった。

 生まれついてなのか、職業柄なのか、何かとサービスがとても良い。

 愛想も、一切出し惜しむことなく振り撒いている。

 何か頼まれれば基本的に引き受けるし、お願い事だってなんでもこたえてくれる。

 今回のご褒美キスだって、京香は自分の唇の価値なんかより、喜んでくれる顔が見たいというのを優先したんだろう。

 そんな誰よりも優しい京香が私は好きだ。

 ...それなのに。


 心の中の矛盾を見つめながら、ボーッとお風呂の天井を見上げる。


「ただいまー!」


 玄関から、京香の声がする。帰って来たようだ。

 私は湯船にもたれていた背中を少し伸ばし、なんとなく音を出さないよう努める。


「あれ?優里ー?あ、お風呂入ってるの?」


 リビングの方に移動して来た京香の足音と、私を呼ぶ声が聞こえる。


「やっぱりお風呂だ。優里ー、ただいまー」

「あぉ、おかえりー」


 脱衣所から声をかけてくる京香の「ただいま」に、うまく返せずつかえてしまう。

 そんな私の異変に気付いたかどうか、すりガラス越しの京香の表情は読めない。


「...優里、お風呂入ってどれくらい?」


 急にどうしたのだろう、入浴時間を尋ねてくる京香。

 なんとなく、長い時間入っていたと思われたくなくて、「十分くらい」と嘘をついた。


「そっか...じゃあ待っててね」


 そうして脱衣所からゴソゴソと音が聞こえてくる。まさか一緒に入る気じゃ。

 しばらくして、お風呂の扉が開いた。


「お待たせー!もう、一緒に入るってルールだったでしょ?」


 そう言って裸の京香が入ってくる。

 一緒にお風呂に入るようになってもうしばらく経つので、京香の裸にも慣れた。

 ...なんてはずもなく、私は未だにその眩しい肌を直接見ることが出来ないでいる。


「...とりあえず、パパッと髪と体洗うから、まだ出ちゃダメだよ?」


 ルールを破って何も言わない私をおいて、シャワーを出し髪を洗い始めた。






「...優里、こっち見て?」


 髪と体を洗い終わった京香が、私の前に座って湯船に浸かっている。

 熱くなっている顔を、京香に向ける。


「本当はどれくらい前に入ったの?」


 どうやらバレてしまったらしい。

 よく考えたらさっき入ったにしてはぬる過ぎる湯の温度で分かってしまうに決まっていて、そんなことにも頭が回らないほど、私は参っているらしい。


「一時間...以上」

「もうー、それなら早く出ないとダメでしょー?ごめんね?もうぬるいし、私も出るから一緒に出よ?」


 そう言って私の手を引く京香を、頭を横に振って拒んだ。


「私は...まだ出ない...」


 自分でも分かりやすく、落ち込んでいる。

 ずっと一緒に過ごして来た京香ならすぐに気付いてしまうだろう。

 ...あるいは、私が気付いて欲しくて分かりやすい態度を示しているのかもしれない。

 そう思うと急に恥ずかしくなって、顔をさらに俯かせる。


「...優里、話があるんだけど、聞いてくれる?」


 京香がもう一度湯船に戻り、私の両頬に手を添えて、目を合わせる。

 添えられた手は優しくて、そのぬくもりだけで泣いてしまいそうだ。

 私が頷くと、京香は話し始める。


「今日、スミレさんと、ムーンさん、東雲さんとメアちゃん、四人のほっぺにキスしたよ」


 あ、メアちゃんはおでこか、と京香が続けた。


 心の何かが崩れて、締め付けられる。

 嫌だ、そんなこと聞きたくない。

 やめて、これ以上言わないで。

 私が俯いて目を閉じると、頬を涙が伝い、添えられた京香の手を濡らすのを感じた。


「...優里、泣かないで?ごめんね?それは優里の特権だったもんね?」


 そう言って私の涙を拭う京香。

 違う、私の特権とか、そんなんじゃないけど...。

 京香にそのまま私の心が読まれているようで否定したいけど、考えれば考えるほどその通りだった。

 私は、嫉妬している。

 幼馴染で大切な人が私以外の誰かに唇を付けたという事実が、私の感情にヒビを入れていた。


「でもね..」


 京香は続ける。


「私はまだ誰とも、唇同士のキスはしたことないよ?」


 そう言って、私の顔を上げさせる。

 私が混乱していると、そのまま顔を近付けてきた。


「優里なら良い、ってずっと言ってきたけど...」


 京香の唇に目がいく。

 艶やかで、お風呂の蒸気で湿ったその唇が、私を誘っていた。




「ねぇ優里......どうしたい?」

 

 

 

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