第37話 幼馴染で親友は逃走中
エレベーター横の階段を上がると廊下に三つの扉が見える。
その一番右奥の部屋が休憩室で、午前中優里はそこに居たと斉藤さんは言っていた。
今は真ん中の個人配信用スタジオで配信していることだろう。
休憩室の中に入ると、ソファの上で寝転がりながらスマートフォンを操作している女性がいた。
「お疲れ様です!」
挨拶をすると、ビクッと体を起こしてこちらを見る。
「あ、お疲れ様でーす」
この休憩室で見たことない顔だったからか、その女性は少々私を訝しんでいるように見える。
そのうち危険な人物では無いと思ったのか、またソファに寝転がりスマートフォンを操作し始めた。
とりあえずライブスターズの先輩さんである可能性が高い為、邪魔しない程度にソファに近付き囁くように挨拶する。
「あの、初めまして。今度ライブスターズからヒメカとしてデビューすることになりました。よろしくお願いします」
女性は再度ビクッとなり体を起こすと、私を見て挨拶を返してくれる。
「そういえば近々デビューする子がいるって聞いてたっけ。ヒメカちゃんね、よろしく〜。私は一期生の
デビューするにあたって、先輩の方々を全く知らないのはまずいと思いそれぞれの名前と特徴と何期生であるかというのは頭に入れてある。
一期生の五人と0期生のりくちゃんを含む六人がライブスターズの初期メンバーとなっており、犬屋敷さんは一期生の内の一人で関西出身の犬耳が特徴的なキャラクターだ。
事務所でぐーたらするのが趣味である、とライブスターズ非公式ファンサイトに書いてあった通り、ソファでくつろぐ姿がとても似合っている。
「犬屋敷さん、改めてよろしくお願いします。私もソファに横になって良いでしょうか」
「新人なのに度胸あるね〜、休憩室は自由に使っていいから好きにしな〜」
そう言ってまた元の姿勢に戻る犬屋敷さんは、本当にワンちゃんみたいだ。
私も寝転がってみたいと思って言ってみたら許可が降りたので立ち上がる。
「それでは失礼します」
犬屋敷さんの「はいよ〜」という声を聞きながら、仰向けでスマートフォンを弄っている犬屋敷さんのお腹の上で同じように仰向けになった。
「そうそう、腕の中に入って二人で一緒にスマホ見ようねぇ〜...ってなんでやねん!!向こうにソファあるでしょ」
ノリツッコミをする犬屋敷さんに、痛くならない優しさで頭をポンと叩かれる。
関西弁の人を見ると何か面白い事をしなくてはならない、というテレビ番組に出ていた時の名残が出てしまった。
「ヒメカちゃん...おもろかったで」
隣のソファに大人しく移動した私に、犬屋敷さんが高評価をくれる。
「わー、嬉しいです!よければチャンネル登録とコメントもしてくださいね!」
そう言うと、犬屋敷さんはケタケタと笑う。
笑う。
笑う。
笑い過ぎてソファからずり落ちてしまった。
「ちょ...ヒメカちゃんずるいなぁ〜。しかも可愛いし、なんなん?惚れてまうやろ〜」
「ふふ、ありがとうございます。ガチ恋ウェルカムですよぉ〜」
そのまま二人でお話をしていると犬屋敷さんのお腹が鳴ったので、買ってきたワックのバーガーを犬屋敷さんと半分こして食べた。
私はそれくらいで十分満腹になったが、犬屋敷さんはまだ足りないみたいだ。
「ん〜、我慢できん。ウーベー頼むわぁ〜」
ウーベー。正式名称ウーベーイーツ。
世界中に事業を展開するフードデリバリーで、配達員のお兄さんお姉さんが自宅や出先までご飯を届けてくれる便利なサービスだ。
vtuberのみならず、配信者は基本的に家から出ない人が多いらしく、配信者と言えばウーベー、という風潮が出来上がっている。
「ウーベーいいですね!私も頼んでみたいです!利用したことなかったので!」
「あ、そうなん?まぁでも、ヒメカちゃんはやめといた方が良いかも」
「え、なんでですか!?」
初めてのウーベー利用にワクワクしていると、犬屋敷さんにストップをかけられた。
「...ヒメカちゃんって京香ちゃんやろ?さすがにトップアイドルが使うと色々問題ありそうだなぁ、と」
「あ、気付いてたんですね。顔を見た時に反応がなかったから、てっきりアイドルとかあまり興味がないのかなぁ、って思ってました」
私がそう言うと、犬屋敷さんが指を左右に振り、「チッチッチ...」と言っている。
その仕草に関西を感じた。偏見だろうか。うん、偏見かもしれない。
「まぁ正直、顔見た時一瞬で分かったけどさ。姫野京香だ!っていうのと、多分今度デビューする子なんだろうなぁ、ってことも」
じゃあなんで知らないフリというか、デビューするという情報もうろ覚えの反応をしていたのだろう。特に意味はないような。
私がそう聞くと、
「だって...カッコいいと思われたいやん」
拗ねたような顔で犬屋敷さんが答える。
カッコいい...カッコいい?
その顔はワンちゃんがしゅんとなっているようで可愛らしいけれど。
「後輩には、あの先輩クールでイケてるって思われたいやろ!?アイドルだー!ってはしゃいでたらカッコ悪いやんか!」
...なるほど、分からなくもないような?
「でもそれ言っちゃったら意味ないですよ」
「いやいや、ヒメカちゃんがズルいやん。あんなことされたら正常な人間が耐えられるわけありませ〜ん。ちゃんとノリツッコミできた自分を褒めてあげたいわ!」
どうやら私のせいらしい。
でも確かに入ってきた時の印象はのんびりしたワンちゃんだったが、今はキャンキャン吠えるワンちゃんの印象だ。
どちらでも可愛いことに変わりはない。
「ふふ、そういえばスマホでナイトさんの配信見てましたよね?今どんな状況ですか?」
「ん?あぁ、14時までって言ってたからそろそろ終わると思うけど。ちなみに今ナイトは隣のスタジオいるよ。会ってみる?」
教えてくれる犬屋敷さんに、「大丈夫です、親友なので」と答える。
犬屋敷さんはしばらく考えた後、「なるほどなぁ〜」と言っていた。
「それじゃあ、ここで失礼します!ウーベーはまた今度一緒にやりましょう!」
「はいよ〜行ってら〜」
Utubeを開いてナイトさんの配信がまもなく終わるのを確認した後、犬屋敷さんに別れを告げた。
休憩所を出て一つ隣の扉の前で待機していると、ドアノブが回った。
「...おはよう、優里」
「きょ、京香...」
おはようの挨拶をして優里に近づこうとした瞬間、
「...っ、ごめんっ!」
「えっ、優里!」
私の呼びかけを振り切って階段から全力で駆け入りていく優里。
なんだか少しだけムッとなる。
「追いかけろ〜!」
右側から声が聞こえたので振り向くと、こっそり様子を見ていたらしい犬屋敷さんがグッドサインを出している。
私も高評価のお返しをして走り出す。
...なんてことはせず、ちょうど八階で止まっていたエレベーターで一階まで降りた。
一階に着いた瞬間、階段を下りきってエントランスを出る優里の後ろ姿を確認する。
エレベーターよりも早く駆け降りるなんて相変わらず凄い運動神経だ。
「優里待て〜」
私もエントランスを出て追いかける。気分はサングラスにスーツを着たお兄さんだ。
当然、警備員さんへの挨拶も忘れない。手を振っておいた。
「な、なんで追いかけてくるの!」
逃げる優里だが、慌てて家を飛び出したせいかスリッパを履いていたのでスピードはそこまで出ていない。これなら私でも追いつけそうだ。
スリッパの状態でエレベーターよりも早く階段を下りた事を考えるとそう甘くないかもしれないが、逃がさないぞ。
サラリーマン達が行き交うお昼のオフィス街を、二十歳の女の子二人が駆けている。
沢山の目が私たちを見るけれど、私の目には優里しか映っていなかった。
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