第36話 幼馴染で親友は上の階
朝起きたら優里が居なかった。
寝室にもリビングにも配信部屋にもお風呂場にも。
起きてまず「おはよう」って言い合うの何気に憧れだったけれど、いないなら仕方ない。
顔を洗い歯を磨いて服を着替える。
大学用のバッグを持って家を出た。
「ひ、姫野さん!今日暇だったらカラオケ行かない?」
「姫野さん、良かったら俺達のサークルのマネージャーやってよ!見てるだけで良いからさ!」
「お、京香ちゃんだ!うぇーい!」
大学に着いて教室に入ると色々と声を掛けられる。
普段は優里が私を守ってくれているから皆遠巻きに見ているだけだが、今は一人だ。
今日はカラオケの気分でもないし、マネージャーで見ているだけというのも性に合わないので断った。
うぇーい、とだけ返しておく。
一限の授業を終えたところでようやく優里の大学用リュックが家にあった事を思い出す。
そういえばスマホも置きっぱなしだった。そんなに慌ててどこに向かったのだろう。
一人で授業を受けるのも退屈なのでスマートフォンを弄りながら眠気を我慢しようと開くと、ちょうどメッセージが届いた。
『姫野さん、デビューのキャラクターが決まりましたので打ち合わせをしたいのですが、いつ頃空いていますか?』
出来るオーラ満載の斉藤さんから届いたメールによると、私のデビューが決まったので事務所に来てくれということらしい。
今日はこれ以上授業を受ける気にならなかったので、『今から行きます』と返信して荷物をバッグに詰めた。
一度家に帰り、重い教科書達を置いて事務所に向かう。
駅に着く頃には良い時間になっていたので、お昼ご飯用にワックで適当なバーガーを買って持っていく。
早くも顔馴染みになった警備員さんに挨拶をしてビルに入り七階へ。
事務所のドアを開けて「おはようございます!」と挨拶をすると、斉藤さんが出迎えてくれた。
「姫野さん、早くにありがとうございます。大学は大丈夫ですか?」
いきなり痛い所を突かれたが、「一応大丈夫です」と返して笑顔を見せる。
それでは早速、と会議室に案内されると、社長さんである谷口さんと、りくちゃんがいた。
「おはようございます!」
入って挨拶すると、それぞれおはようと返してくれる。
りくちゃんは相変わらず元気な笑顔だ。
「よく来てくれたね。それじゃあ掛けて、打ち合わせを始めよう」
向かい合わせに配置されている長机の矢口さんが座る対面に座ると、りくちゃんがわざわざ反対側から私の隣に座った。
りくちゃんは「京香ちゃんの隣!!」と笑顔を見せている。可愛い。
矢口さんの隣、りくちゃんの前の席が空いてるなぁと思っていると、斉藤さんがそこに座った。
どうやら私のマネージャーさんは斉藤さんになりそうだ。
「運営としてはやって欲しいキャラクターが決まってるんだ。ただ聞いておこうと思うけど、姫野さんは何か自分でなりたいキャラクターとか得意なキャラクターはあるかい?」
谷口さんが尋ねてくる。
なりたいキャラクターや得意なキャラクターか...どうだろう。
私はアイドルとしてファンの皆を笑顔にする事に全力を注いできた。
私は私で、それ以外の何かになる事を考えたこともない。
だから、
「私のなりたい、得意なキャラクターは私...姫野京香です!」
姫野京香として全てを捧げて生きてきた。
私は私以上に魅力的な一人のキャラクターを知らない。
その自己暗示が、私をアイドルとして高みへ連れて行ってくれたのだ。
「ふっふっふ...いやぁ流石は姫野さんだ。やはり面白いね。とは言えそのまま姫野京香として売り出すのは色々と問題がある。これを見てもらおうか」
そう言って三枚の紙を見せてくる谷口さん。
他の二人の手元にも同じ紙がある。
「京香ちゃんにはね!!この三人のキャラクターのどれかを選んでもらいます!!大丈夫!!どのキャラクターも京香ちゃんにピッタリ合いますから!!」
横からりくちゃんが教えてくれる。
一枚目にはアイドル感が強く、キャピキャピとした可愛らしい女の子が載っていた。
フリフリの衣装にピンクの髪、手にマイクを握る『ザ・アイドル』だ。
「この子は主に若い女性視聴者をターゲットにしたキャラクターで、女の子が憧れるインフルエンサーになって頂きたいという思いがあります」
斉藤さんが説明してくれる。
確かにその言葉通り、次世代の可愛いが詰まったファッションリーダーのようだ。
私は「可愛いですね」と言って次の資料を見る。
二枚目には頭にティアラを着けた輝く金髪のお嬢様が描かれていた。
「その子は囚われがちなお姫様という設定でね、守ってあげたくなる可愛さを武器に、主に男性をターゲットにしたキャラクターだよ。君がナイトくんと仲良しだと聞いてね。その部分でもウケが良いと思うんだ」
社長である谷口さんが説明してくれる。
確かに姫と騎士、王道の組み合わせで人気が出るかもしれない。
私は「てぇてぇというやつですね」と言って次の資料を見る。
最後の資料には、真っ黒なセーラー服で全身を包み、綺麗な黒い髪の毛を全て後ろに流した笑顔のヤンキーが描かれていた。
「これって...」
「この子はね!!名前がヒメカちゃんって言うんですよ!!見た通り京香ちゃんをイメージして、やりたい放題やってほしいという願いが込められてます!!あと、ヤンキーという設定だと返しづらいコメントも適当に返してしまえるというメリットもあるんです!!」
りくちゃんが説明してくれる。
服装はヤンキーそのものなのに、その満面の笑みとのギャップが癖になる。
目を閉じて、三人のキャラクターを頭の中で動かす。
アイドルの私。
お姫様な私。
ヤンキーな私。
それぞれを動かし終え、目を開ける。
「決めました。私はヤンキー系アイドルvtuberのヒメカとして、デビューしたいと思います!」
本当は最初に見た時から決めていた。
私が私として勝負できる、最も近い形だと思ったからだ。
「やったー!!やっぱり京香ちゃんならこの子にすると思いましたよ!!」
りくちゃんが抱きついてくる。
それぞれのキャラクターを三人が一人ずつ説明していたから担当があったのだろうか。
「一番私が私でお話できるかなって。ヤンキー言葉とかは一切わからないですけど。でもこの子も笑顔なので!なんとかしてみせます!」
「京香ちゃんなら...いや、ヒメカちゃんなら大丈夫です!!」
りくちゃんが同意してくれる。
「この子でいくんだね?分かった、それじゃあ決まりだ。確かにこの子なら同期のキャラクターと世界観が崩れないし良かったかもしれないな」
谷口さんの許可も下りた。
「姫野さん、これからはヒメカさんとして接させて頂きます。お分かりの通り、ヒメカという名前は姫野京香から取ったもので、どうせバレるなら最初から全面に出してしまおう、という意図です。ただ、あくまでもヒメカとしての振る舞いでお願い致します。もちろん自分を存分に出して頂いて構いませんから」
斉藤さんが詳しく説明してくれた。
私は頷き、ヒメカとしての自分を受け入れる。
こうして、ライブスターズの新しいメンバーにヒメカとしてなることが決まった。
打ち合わせが終わり会議室を出ると、斉藤さんに引き止められる。
「そういえば、昨日配信事故があったので知りましたが、ナイトの方には身バレの話はしたということで大丈夫ですか?」
「あ、はい。そんなのどうでもいい、って言ってました!」
「ふふ、ナイトらしいですね。...そのナイトですが、今上の階のスタジオで配信してるんですよ。...何かありました?」
斉藤さんの言葉に「あはは」とだけ返す。
説明するには色々と赤裸々に語る必要が出てくる。
「夫婦喧嘩もほどほどに」と言い残し、そのまま会議室に戻って行った。
...さて、優里にどんな顔して会おうかな。
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