第35話 幼馴染で大切な人は寝ている


 やらかした。やってしまった。京香の顔を見られない。


 朝、目が覚めて音を立てずにベッドを抜け出すと、髪の毛に寝癖を生やしたまま、パーカーとジーンズに着替えた。

 配信用のスマートフォンと財布だけ鞄に詰めて家を出て、今は最寄り駅からの電車に乗っている。


 昨日、私は幼馴染で何よりも大切な京香に襲い掛かろうとした。

 正直、これまでもそういう衝動はいくらでもあったが、いくら「優里なら良い」と京香が言ってくれても多分限度がある、と思い我慢できていた。

 私の求める関係と、京香が求める関係の相違が怖くて、私はずっと一歩を踏み出せなかったのだ。

 それが昨日お酒を飲んでふわふわとした気持ちになり、いつもなら抑えられる衝動を弾け飛んだ理性が放置したせいで、全てを曝け出してしまった。


「うぅ...ぐぅぅ...」


 座席に座り頭を抱えて唸っている私を見て、子供が不思議そうに見ている。

 その子供をいつでも守れるように私から遠ざけたお母さんの反応を見ると、私は危ない人に映っていることだろう。

 不安にさせてごめんなさい、という気持ちで苦笑いを浮かべると、苦笑いで返してきた。

 うん、次の駅が目的地だからそれまで許して欲しい。


 駅に着いて電車を降り改札を出る。

 見慣れた道を進んで向かう先は、ライブスターズ事務所のあるビルだ。

 何故今日ここに来たのかと言えば、配信の消し忘れでの注意や誕生日グッズの話など色々あげられるが、一番の理由は京香と顔を合わせるのが恥ずかしすぎるということに尽きる。

 ルームシェア開始二日目で早くも家出をした同居人に、京香は何を思うだろう。

 怒るかな?怒るだろうなぁ。

 

 ビルに着いて事務所まで移動する。

 まだ朝早いので、社員さんが数人居る程度だ。

 おはようございます、と挨拶をして、「マネージャーの斉藤さんが来たらナイトが上にいるとお伝えください」と頼んで事務所を出る。

 エレベーターの横にある階段から一つ上の八階に上がり、一番右のドアを開け中に入った。


「お疲れ様です!!あれ、ナイトちゃんじゃないですか!!どうしたんですか!!」


 事務所の一つ上の八階は、依頼された商品の広告が目的の案件配信や、大人数でのオフコラボ配信に使用されるスタジオがあり、一番右の部屋はライブスターズの休憩所となっていて誰でも自由に使って良いということになっている。

 ちなみに九階は3D配信用のスタジオで、この前のライブで使用した。

 休憩所のソファに座っている我らがライブスターズのリーダーりくのかねさん。

 この時間は一人のようだ。


「あ、りくちゃんさん、お疲れ様です。実はちょっと色々とありまして」


 幼馴染を襲いかけたので逃げてきました、なんて言えないので誤魔化しておく。


「りくちゃんに、さんは要らないですよ!!なるほどー、色々あったんですね!!深くは聞きません!!でも言いたくなったらいつでも言ってください!!」


 いつも通りの元気な声で納得してくれるりくちゃんさんに罪悪感を感じるが、変に追及しない優しさに救われる。


「はい、ありがとうございます。...そう言えば近々デビューする人ってりくちゃんも面接したんですか?」

「もちろんしましたよー!!ん?あ...!!なるほどー、それで悩んでいるんですね!!」


 一人で勝手に察したらしいりくちゃんさんは、言葉を続ける。


「京香ちゃんとのラブラブ同居がバレちゃったから悩んでるんですね!!??」


 なるほど、確かに全く気にしてないと言えば嘘になるが、京香に襲いかかったことと比べるとほとんど気にしていない。


「それも...なくはないですけど...いやぁ、なんというか」


 そう言い淀んでいる私を見て、「結局聞いちゃってごめんなさい!!無理に話さなくて良いですよ!!」と言ってくれる。

 そのまま知らないキャラクターが描かれた資料を持って部屋を出て行こうとしているので、今から会議でもあるのかもしれない。


「京香ちゃんもナイトちゃんのこと大好きみたいですから大丈夫ですよ!!」

「えっ!?ちょっ...!?」


 去り際に爆弾を残していった。

 本当は全部バレてるんじゃないか、という不思議な感覚になったが、京香とりくちゃんさんの絡みなんて面接の時くらいしかないだろうから考えすぎだろう。


 休憩所のソファに座り、目を閉じる。

 そうしてまぶたの裏に浮かぶのは、馬鹿みたいに甘える私を受け止めてくれる京香の優しい瞳。そして...唇。


 昨日は理性が吹っ飛んでいたせいでキスをせがんだ。

 そんな私をなだめながらも、「また今度してあげる」と言われたことは鮮明に覚えている。

 やらかしたことが恥ずかしすぎるのにお酒を飲んでからの記憶が無いフリをしないのは、その言葉の効力までも消えてしまうからだ。


「キス...それで...その先も...」


 その先。

 昨日は明確に止められたそれも...いつかは。


「その先って何ですか?」

「どぅうぇあ!?あっ!?え、あ、斉藤さん、お疲れ様です」


 いつの間にか入室していたらしいライブスターズで最も優秀なマネージャーと有名な斉藤さんに、恥ずかしいところを見られた。

 幸い、「その先」しか聞いていなかったようなので、私の変態な妄想に辿り着くことはないだろう。

 一応「いやぁチャンネル登録者数150万人も突破しましたから、その先も...みたいな感じですね!」と誤魔化しておいた。


「...なるほど。それは素晴らしい心掛けですね。とりあえず、昨日の配信ミスに関しては電話でも言った通り特に大きな問題にはなっていないので安心して下さい。ただ、プリンセス・ナイトの友人が姫野京香かもしれないという疑惑は出始めていますね。引退から一年経っていても、彼女はあまりに有名でしたから」


 京香は可愛い。顔だけじゃなく声も可愛い。

 圧倒的に特徴のある声かと言われたらそこまでではないけれど、マイナスイオンが出てるのかと疑いたくなる優しくて甘い声だ。

 私が配信を見ている側なら、疑惑程度ではなく絶対京香だと確信できる。

 心の中で視聴者にマウントを取るが、デビューを控えた京香に余計なスキャンダルを作ってしまったなぁ、と反省もしている。

 いや、冷静に考えれば隣に世界一可愛い女の子がいるんだ。そりゃ動揺してミスも起こる。

 うん、京香が可愛いのが悪い。


「それで...今日はどうしてこちらに?」


 斉藤さんが聞いてくる。

 私だって事務所のメンバーなのだからいてもおかしくないはずでは?と思うけれど、ライブ以外では滅多にここに来ることのないのでその疑問も当然だ。

 

「まぁ、何と言いますか。なんとなく、今日はこっちで配信しようかなって...」


 案件配信や、大型のコラボで使用されることの多いスタジオだが、家の回線が調子悪い時などにこうして無料で使えるようにしてくれている。

 自身の体を映す為のスマートフォンさえあれば、気軽に配信できるのが特徴だ。

 りくちゃんさんは基本的にスタジオからしか配信をしないことも有名な話である。


「そうですか...」


 そう言って何かを考え込む斉藤さん。

 なんだろう、別に変な言い訳はしてないと思うけれど...。


「...それは姫野さんとのキスと関係ありますか?」

「どぅへえあ!?いやいやいや!!!ほー!?何を言ってるんですか!?あはは、そんなわけ無いじゃないですかー!あはは、やだなーもう!」


 さっきの独り言が聞こえていたらしい。

 全身の毛穴が開きそうになるほど内心焦ったが、上手く誤魔化せたと思う。

 斉藤さんの目が妙にジトーッとしている気がするが、多分気のせいだ。うん、危ない危ない。


「...まぁいいですけど。とりあえず今日のスタジオは夕方まで誰も使わないので自由にできますよ」

「本当ですか、ありがとうございます!お昼過ぎくらいから配信始めたいと思います。今日は大学もサボってしまいましたから。」


 その後忙しそうに部屋を出ていく斉藤さんの背中に再度お礼をして、またソファに戻った。

 りくちゃんさんと同じ資料を手に持っていたから、同じ会議に出るのだろう。


 京香はまだ寝ているのかな?

 大学は、京香を一人で行かせるとナンパや勧誘が心配だけれど、昨夜の私だって似たようなものだ。

 いや、実際に事を運ぼうとしたからより罪は重い。



『優里なら良い』


 私は何度も、その言葉の意味を考える。

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る